「ニャ! や~っと見つけたのニャ、ちょっと待つニャ」
それが自分への言葉だと気付かずに、ランゼはしばらく無視して歩き続けた。
「ラ・ン・ゼ! お前さんだニャ」
名前を呼ばれてようやく気付き、振り向くとそこにはアイルーの医者。
呼び止められるような用事なんてあっただろうか、と首を傾げるが、心当たりなどない。
「……なんだよ」
仕方なく問いかける。
直接話すなんて“あのとき”以来だ。それ自体には彼は何も関係ないのだが、どうしても思い出してしまって心象はあまり良くない。
「いや~ちょっと見ないうちに随分立派になったもんだニャぁ。この老いぼれには若人の成長は早――」
「用件は」
このままではキリがないと判断したランゼは、医者の言葉を遮って一言そう告げた。
「ニャ、歳を取ると話が長くなってしまっていかんニャ。いやぁ、シオから聞いてニャ」
……シオ?
ランゼは元より他人の名前など覚えない。興味がないから覚えられない、と言う方が正しい。
はて誰だったか、と記憶を探るも当然そんな名前に覚えはない。
『この前花結を届けてくれた人だよ。狩猟も行ったでしょ、あの黒髪一つ結びの』
察した兄から説明を受けて、やっとランゼも『あぁ、あいつか』と納得する。
ついでに、あの女と医者という組み合わせで用件についても見当が付いた。昨日アンジャナフを狩ったとき、別れ際に言われたあれだ。
もちろんランゼには自ら赴こうなんて気は全くなかったが、それを察してこんなにも早く自分で医者に話を付けるなんて無駄に行動力のある奴だ。
「右手、診せるといいニャ。そう時間はかからんし、なんとお代はシオからもう受け取ってあるニャ。太っ腹ニャぁ~」
独特な声で笑った医者は、ランゼの返事も待たずに「ま、そういうわけだから」と続けた。
「ワシは労働は嫌いじゃが、対価を受けた以上働かんわけにもいかんニャ。診せるといい、とは言ったが――」
面倒だ、などと思っているランゼの服の裾を、アイルーは逃がさぬとばかりにむんずと掴んだ。
「今日は診せるまで帰す気はないニャ。観念するニャ」
※
――と、半ば無理矢理に診察をされたのが数日前のこと。あの医者、「そう時間はかからん」と言った癖に、右手だけでなく身体の隅々まで診ようとしたものだからもう大変だった。
その原因となった奴はといえば、集会所でもそもそ団子を食べるランゼの隣に当たり前のように座っている。
それについて今更あれこれ言うのも馬鹿らしくて、ランゼは何も言わずに二本目の団子に手を付けた。
彼女の同行についてはもう諦めた。目下の問題は、前回言われた『立ち回りについて』である。
他人に合わせるなんて癪だが、ああも好き勝手されて黙っているのはそれ以上に腹立たしい。
戦闘中に仲間の動きを見る。そこまではわかるのだが、その先の『見た上でどのような行動を選ぶか』がわからない。
攻めて押して前に出て、という戦い方しか知らないランゼには、それ以外の行動の選択肢がなかった。
――つまるところ、彼一人ではどうしようもない悩みであった。
「今日も花結はちゃんとあるのか?」
「…………」
すっかり上の空のランゼに女が聞き覚えのある問いを投げかけてくるが、それどころではないので無視した。
ちらりと視線を向けることすらしないランゼに、女はさほど残念でもなさそうに言う。
「なんだ、今日はつれないじゃないか」
あまりにも呑気な様子に、思わずため息が出た。
「……お前のせいだろうがよ」
何のことやら、とでも言いたげに小首を傾げる女。
「おい忘れたとは言わせねぇぞ、狩猟中の動きの話だ」
「あぁ、あの話か。そんなにしっかり考えてくれるとは思っていなかった。ランゼは意外と根が真面目なんだな」
なんでもないことのように告げられたその言葉で額に青筋を立てそうになるが、なんとか自制する。噛み締めた奥歯がぎり、と鳴った気がした。
人を苛立たせる天才なのかこの女は。
自分が食べ終わった団子の串をがじがじと
装備の確認をしていると、女が無言で後ろを着いてくる。
「んだよ。お前は準備しねぇのか」
「私は早く来たからな。もう準備は済ませている」
言外に『あっちへ行け』と仄めかしたつもりがそうも上手くいかないらしい。
しばらく肩越しにランゼの準備を見ていた女は、やがて飽きたのか後ろでガルクと戯れ始めた。
「今日は前とは違う子なんだな」
相手は自身のガルクだろう、と思っていたがどうやらランゼの相棒――ハヤテらしい。振り向いたランゼの目に映ったのは、だらしなく緩んだ顔で女に撫でられる愛犬だった。
ハヤテが自分以外の人間にそういう顔を見せることに驚くランゼだったが、よくよく考えれば今までは機会がなかっただけなのだ。元から人懐っこい性分なのだろう。
呆れ半分、ショック半分と言った複雑な気持ちで眺めていると、ぱっと視線を外したタイミングで女の後ろに控えていた彼女のガルクと目が合った。
大人しく座っている鴇色のガルクが何を考えているのかはランゼの与り知らぬところだが、なんとなく自分と同じような気持ちなのではないかという気がした。
※
今回の狩猟対象はイソネミクニ。黄泉の歌姫の異名を持つその竜は、その実歌ではなく特殊なブレスで生物を眠らせる。
ギルドの事前調査によれば溶岩洞に住み着いたその個体は下位相当だが、以前狩った蛮顎竜同様二人以上の制限が課せられていた。人魚竜は種として大型モンスターにしては単純なパワーは低い部類だが、そのブレスの特性から人数制限が掛かりやすく、必然的にランゼが戦った経験も多くはない。
それだけなら別にさしたる問題ではないのだが、『周りを見ろ』という女の言葉は未だランゼの頭の中に引っかかっていた。
慎重に丁寧に、いやどうやって? とハヤテの背でぐるぐる考え込んでいるうちに、気が付けば岩場を下りた水辺にすぐ目的の竜が視認できるところまで来てしまっている。
いつもならば飛び降りてそのまま突っ込むところを、迷った挙句ランゼはハヤテの首をぽんと叩いて止まらせた。ちらりと視線を同行者に向けると、同じく自分のガルクを立ち止まらせていた女はふふ、と可笑しそうに笑った。
「私に合わせる気になったか?」
「勘違いすんじゃねぇ。あんだけ好き勝手言ったんだから
そう言って顔をしかめるランゼに、女は「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめた。
しかし次の瞬間、すっと細められた深緋の目に刃の如き鋭さが宿る。
「――良いだろう。良いと言うまで私の後ろにいろ」
告げた女は、鉄蟲糸を器用に操って竜のすぐ傍に降り立ち、その背の得物を抜き放つと同時に竜の背後から斬り込んだ。
不意打ちの一撃を受けたイソネミクニの、どことなく人に似た顔がこちらを向く。
突き刺すような敵意を受けて、ランゼは次に来るであろう咆哮に身構えた。大概の大型モンスターが接敵後にまず咆えるのは経験則で知っている。
が、人魚竜が大きく息を吸い咆哮した、その瞬間。
辛うじて視認できるかという速度で水平に大きく円を描くように閃いた太刀が、
目の前で放たれたはずの大音量が、どこかくぐもって遠くに聞こえる。
「さ、始めようか」
振り返って不敵に笑う女の声に、ランゼは慌てて弓を構えた。
弓は、ハンターたちが扱う武器種の中でもどちらかと言えば常に考えることを要求される武器だ。
モンスターとの間合い、放つ矢の軌道と本数など、その場その場で状況に応じた最適解を出し続けなければ、弓という武器の潜在能力を最大限に活かすことはできない。
ランゼも弓使いの例に漏れず、戦闘中に考えるというそれ自体はさほど苦にならない――はずだったのだが、今回はそこに『他人の動き』という新しい要素が加わったことで非常に苦戦していた。
ちゃんと意識しておかないと、すぐ女がどこにいるかわからなくなる。かといってそちらに注目しすぎると、自分の手元が疎かになる。
イソネミクニが度々置くようにして漂わせる眠り粉があちこちにあってただでさえ動きづらいのに、そんな状況がさらにランゼの動きを鈍らせていた。
それでもなお、今この瞬間まで特に何事もなく狩猟が進んでいるのは、
「下がれ、私が受ける!」
多分にこの女の指示の影響が大きい。
鉤爪の一撃を滑らせるように流した女は、そのまま反撃に転じた。
彼女の言葉に従って後ろに下がっていたランゼも、横に回り込んで弓を引く。
比較的柔らかく矢の通りやすい首に照準を合わせようとして、一瞬躊躇した。
竜の眼前に女がいるこの状況、首よりも頭を集中攻撃して奴を怯ませる方が良い……のか?
しかしちらりとよぎったその考えを実行に移すような時間はなく、そうこうしているうちにイソネミクニは尾を支えにして立ち上がった。
結果として攻撃の機会を無駄にすることになったランゼは、舌打ちしつつも竜の次の行動を注視する。
直立した人魚竜は、その次に大きなモーションの行動を取る確率が高い。動作が大きいということはそれだけの威力があるということだが、同時に攻撃後の隙が大きいということでもある。
一方女はというと突きを繰り出した直後で、ランゼの視線に気づいて微かに笑った。見ておけ、とでも言いたげな表情。
いつの間にかその手に収まっていた鞘に、キンと鋭い音を立てて太刀が収まる。
竜は苛立たしげに身を捩る。髪ヒレ薙ぎ払いの準備動作。
イソネミクニの正面だけでなく側方まで広く届くそれを避けるために、後方へステップ。
明らかに攻撃の範囲内にいる女はというと、納刀した姿勢のまま微動だにしない。
しかし――ただ動かずに構えているだけのその背中からゆらりと立ち上るものは、その気迫がランゼに見せた幻か。
竜はそんなことを気にも留めず、目の前の矮小な狩人を吹き飛ばさんと大きな髪ヒレを振るった。
女の深緋の瞳が光る。
次の瞬間。目にも留まらぬ速さで抜刀した女は、一歩も退かぬどころか押し返す勢いで刃を閃かせた。
ばっさりと切断された紫色のヒレが、少し遅れて水面に落ちた。