女の一太刀で手痛い反撃を受けたイソネミクニは、ひとつ咆哮して二人が怯んでいるうちに泳ぎ去った。
ハヤテの背に乗ってその後を追う。
「随分苦労しているようだが」
例の如く振り切るペースで走っていたはずが、いつの間にか女は得物を研ぎながらランゼのすぐ横を走っていた。
「うるせぇな」
舌打ち交じりに返事をすると、女は「ほう?」とわざとらしく言う。
「助言くらいくれてやらんでもないと思っていたが、必要ないらしい」
相変わらずの気に障る表現。
「……んだよ。言いたいことがあるなら言え」
ランゼが睨みつけると、女は仕方ないとでも言いたげに苦笑した。
「全てを見るのは無理だ。今は二人だから可能でも、人数が増えれば増えるほど難しくなる」
確かに、もう一人の動きをきちんと把握できるようになったところで三人、四人と増えていけば同じことの繰り返しだろう。かといって慣れればいずれできるようになるかと言われると、認めるのは癪だが正直そんな気はしない。
「肝心なのは、要所要所で相手が“何をしたいのか”考えることだ」
何をしたいのか。ピンとこないその言葉に、ランゼは思わず振り向いて女の顔を見つめた。
「理解しろとは言わない。だが、目蓋を閉ざしたままでは見えるものも見えないぞ」
何故かはわからないが、その表現は無性にランゼの心をざわつかせた。何も言えないでいるうちに、話は終わりだと言わんばかりに女は鼻を鳴らす。
すぐそこに、傷を負った人魚竜の姿が見えていた。
「お疲れ、良い狩猟だった」
息絶えた人魚竜を眼前に、女は太刀をすいと振って血を払った。ランゼも弓を畳んで納刀する。
彼女は“良い狩猟”だったと言ったが、ランゼとしては散々だったというのが正直な感想だ。
大きな事故こそなかったものの、何一つとして思い通りにならず、むしゃくしゃするような気持ちの方が強い。狩猟をしたという気が全くしなかった。
『複数人で狩猟をする』というのがこういうやり方を指すのであれば、やはりランゼにはこれは向いていないしやりたくもない、そう思った。
が、しかし――そうやって目を背けたままで良いのだろうか、とも同時に思う。
そもそもランゼがハンターを志した理由の中で一番大きいのは、
ハンターランクなどという数字だけの強さには露ほどの興味も湧かないが、それにしたって上位に上がらないことには戦えない相手だっている。
同世代にこそ上位のハンターはまだいないものの、彼一人狩猟頻度の関係で頭一つ分抜けた経験値があることを考えればもう昇格していてもおかしくはなかった。それが未だ上位を目前にして足踏みする羽目になっているのは、やはり複数人での狩猟に難あり、とギルド側に判断されているから……なのだろう。
この女はしつこいし意味が分からない。それは確かなのだが、裏を返せば今までランゼにただ文句を言うだけだった者や逆に何も言ってこなかった者とは違うということだ。
これが明確な転機だということは、ランゼにもわかっていた。
女は、ランゼにないものを持っている。ランゼが知らないことを知っている。それが認められないほど彼の目は腐っていない。
彼女の傍にいれば――あるいは。
いつまでも付きまとう弱い自分の幻影を捨てられるかもしれない。追い求め続ける強かった
利用するだけ、あくまで利用するだけ。
自分にそう言い聞かせながら獲物の骸に刃を入れるランゼを、死した竜の虚ろな瞳が見つめている。
「風が強くなってきたな。早く帰った方が良いだろう」
光を失ったその目をぼーっと見つめていると、一足先に剥ぎ取りを終えた女の声がした。上体を起こすと、ごうと吹き抜けた強い風に自身の長い前髪がなびく。
溶岩洞は孤島だ。天気が荒れれば立ち往生することになる。
島中心の活火山が絶えず噴き出す噴煙のせいで空模様はよくわからないが、彼女の言う通り早く帰るに越したことはない。
剥ぎ取った素材をアイテムポーチにしまって、ランゼはひゅうと指笛を吹きハヤテを呼んだ。
※
「すまんね、波が高くて船が出せそうにない。疲れてるとこ悪いが、しばらくベースキャンプで待っててはくれんかね」
急ぎ足で船着き場まで戻ってきた二人に、船頭はそう告げた。
見れば確かに水面は白い飛沫を上げている。設備がしっかりした船ならまだしも、ハンターたちが普段移動するのに使うような小さな船でこの波の中を行くのは難しいだろう。
「……こればかりは仕方がないな」
眉を寄せる女を横目に、ランゼはそそくさとベースキャンプの中に引っ込んだ。
狩猟が終わり興奮の余韻が引いてからというもの、強烈な眠気に襲われていた。
おそらくは人魚竜のブレスの影響だろう。直接吸い込むことこそなかったとはいえ、あまりしっかり気を配って距離を取っていたわけではない。
いつもの如くじゃれついてきていたハヤテは、ランゼがその場に座るなり何かを察して彼の横で丸くなった。その白い毛並みを枕にするように寄りかかって、睡魔に身を委ねる。
あの女に無防備な姿を晒すのは癪だが、そう簡単に抗えるようなものではないのだから、仕方がない。
そう簡単に落ち着く天気ではなさそうだし、何かあれば兄が起こしてくれるだろう。
ふっと目が覚める。もう少しだけ、と目を閉じようとして、ここが自宅でないことに気付く。
『起きた? 風、収まってきたみたいだよ』
兄の言葉に耳を澄ますと、確かにキャンプの外から響く唸るような風の音は先ほどよりも小さくなっていた。
「もう満足か? もっとゆっくりしても良いんだぞ」
ランゼが起きたことに気付いた女が、
口を開くのも億劫でだんまりを決め込んだ。同行するのはまだ二回目だと言うのにもう聞き飽きたような気分だった。
女はランゼに無視されて微かに眉根を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
沈黙。風の声。波の音。
「……なぁ」
ふと思いついた、というような軽い口調で女が口を開く。
「危ないとは思わないのか。私は慎重な方だが、それにしたってお前の戦い方は生き急いでいるように見える」
唐突な話題に何のことかと一瞬混乱するが、睡眠ブレスへの対処のことかと思い当たって納得した。
「別に。オトモがいる」
言外に『だから平気だ』と言うと、女は顔を曇らせた。
「そうは言ってもオトモが出来ることには限りがあるだろう」
何故だかその言葉に無性に腹が立って、ランゼは顔を上げて女を睨む。
「俺の相棒のこと馬鹿にしてんのか」
しかし彼女は動じる様子なく、落ち着いた口調で淡々と告げる。
「オトモとしての技量がどれほど高くとも、ハンターにしかできないことがあるのは事実だ」
あっけらかんとした態度に馬鹿らしくなって、ランゼは大きくため息を吐いた。
「……それで死ぬならその程度だってことだろ」
ぽつり、と本音が零れる。
死にたくないと思うような理由なんてない。
後に遺すような者も、ランゼの死を悲しむような者もいない。そういう生き方をしてきたつもりだ。
ことそれに関して
「そう、か」
女は困惑したように目を逸らす。
その態度に余計なことを言い過ぎたと気が付くが、別にフォローに回る必要性も感じなかった。
「――そういえば、その子の名前は?」
気まずく思ったか話を変えた女の言葉に、話題として触れられたハヤテは身体を伏せたまま耳をぴんと立てた。
ランゼが彼の方に目を向けると、期待に満ちた視線が返ってきた。
もう長い付き合いになるから、その目と尻尾の揺れ方で伝えたいことは大体わかる。自分のことを紹介してくれるのか、という顔だ。
狩猟前のことと言いどうにも調子の良い愛犬の様子に戸惑いつつも、ランゼ自身とて自慢の相棒に興味を持たれるのは満更でもない。
「ハヤテ」
「良い名前だ」
素っ気なく言ったランゼに女は短く答えて、「おいで」と手を広げた。
迷うような素振りなど少しも見せず、体当たりするような勢いで飛び込むハヤテ。
「それに主と違って人懐っこい」
鼻を舐められながらにやりと笑う彼女の言葉についと視線を逸らす。
「……それは、俺も知らなかった」
「絶大な信頼を寄せている割に知らないこともあるんだな」
むっとしたランゼは言い返そうとするが、その前にテントの入口から船頭が顔を出した。
「そろそろ船が出せそうだ、待たせてすまないね!」
行こうかと立ち上がる女の後ろからベースキャンプを出る。
行き場を失った言葉を言う機会は、その後ついぞ来ることはなかった。
その後数日、何の音沙汰もなく。
例の女はごく普通のハンターなのだろうから、ランゼと違って狩猟間に十分な休息を設けているのだろう。当然のことだ。
ランゼはその間単独でクエストを受けたり、武具の手入れをしたり、またクエストに行ったりしていたのだが、そろそろまた組まされるのだろうな、と思いつつ床に就いたのは前夜の話。
朝方、何か物音がしたような気がして目を覚ましたランゼは、自分がまだ布団の中にいることに気が付いた。
布団で目を覚ます――つまり兄よりも先に起きることはランゼにとって珍しく、起きるにはまだ早いかと二度寝を決め込もうとした、直後。
もう一度音がした。
今ので決定的に意識が覚醒してしまったランゼは、舌打ちしつつ身体を起こす。微睡の邪魔をしたのは何かと家の中を確かめようとして――、
「なんだ、起きるまで待っていようと思ったんだが」
当然のようにそこにいる女の姿に絶句。
「起きてしまったなら仕方がない。――ランゼ、緊急クエストだ。昇格だぞ」
「出てけ」