今回の敵は強い。ランゼが今まで戦ったことのあるモンスターの中でも、一二を争うほどに強い。一秒一秒が過ぎていく毎に、それを強く実感する。
以前の人魚竜の狩猟とは違って、躊躇などしようものなら次の瞬間にはあの鋭い爪でズタズタに引き裂かれているだろう。
事実、初めて見る攻撃ばかりなのも相まって二人(と二頭)は回避に神経をすり減らし、受けた傷からは――これは主にランゼばかりなのだが――血が滲んでいた。
元より敵の攻撃を無視して攻めに回ることの多いランゼだが、ここまで出血するのは久しぶりかもしれない。アッパーを回避しそこねた脇腹の傷はひときわ深く、油断すれば意識を持っていかれそうになる。
両腕で抱き着くような攻撃をすんでのところで回避して、お返しとばかりにまとめて矢を叩き込む。
この攻撃はこれで三回目か。ようやっと、綺麗に回避できるようになってきた。
前脚だけに限って言えば、この個体は通常個体より刃が通りやすいのではないかというほどに軟らかい。ランゼの攻撃でそれを察してか、シオも二頭のガルクも隙を縫っては前肢を集中的に攻撃していた。
そのとき、女のひときわ大きく叩きつけるような一太刀が、アオアシラの前肢を覆う甲殻を破壊する。
次の瞬間、青熊獣のまとう空気が一変した。発達した前脚が、まるで赤熱するかのように紅に染まった。同時に、その獣は大きく一歩踏み出して二足で立ち上がった。
「“怒り状態”だ、咆哮来るぞ!」
「ち、わかってる‼」
太刀を振り抜いた姿勢の女を押しのけるように下がらせる。
今からでは、彼女が以前のように居合で
ランゼの身の丈に迫ろうかという長い矢を矢筒から一本手に取って、大きく振りかぶる。
いくら対大型モンスター用に大型化したとはいえ、矢は太刀よりも刀身が短く重量もない。そもそも斬撃という用途が想定されていないのだから当然だ。
その分ランゼが今からやろうとしていることは、太刀でそれを成すよりもシビアなタイミングを求められるだろう。
「お前、」
だがそんなことは関係ない。
『大丈夫、出来るよ。ランゼ』
耳の中で、心臓の音がうるさく響いている。
目をしっかりと見開いて、何一つ見落とすことのないように。
呼吸の流れ、視線の動き、全てを捉える。
『「今」』
響く声は一人分だが、そこにある意志は二つ。
大きく振り抜いた刃は、果たして狙い違わず咆哮を切り裂いた。
空気の振動と刃の干渉で、キィン! と小気味良い音が響く。
ちらと見遣ると、シオは完全に咆哮を“受ける”体勢だった。
「おいボサっとしてんじゃねぇ、やるぞ」
信用されないことにはとっくに慣れているが、何故かいつにも増して腹が立った。
「……すまない」
謝りつつも女はすぐさま構えを戻して、未だ咆哮の姿勢のままでいる青熊獣へ一閃。
「だが、いきなりそういうことをするのは――危ないだろう」
流れるように連撃を入れながら、困ったようにそう言った。
ランゼは舌打ちしながら何かしら言い返そうとして、
「連続引っ掻きだ! 警戒しろ‼」
彼女に言われるまでもなく、攻撃の予兆を見せていたアオアシラに注意を向け直す。
一般的に怒り状態のモンスターは、より機敏で力強くなる。それが彼らの生存本能なのだろう。
つまり今の相手は、先ほどまでよりも速い。
青熊獣の視線は、追うまでもなくランゼに向けられていた。その前脚を、大きく振りかぶる。
アオアシラが前肢を振り下ろし始めたその瞬間、ランゼは全力で後ろに跳んだ。
遅いと当然間に合わない。早すぎれば軌道を修正されたり、回避を読まれる。
速い。想像以上に。
回避しきれなかった爪の先が、右肩口の肉を抉っていく。
次の一撃。外側へ転がるように回避。
その次。矢尻で流しつつ後ろへ。膂力に押されて体勢が崩れる。
さらにもう一回。大きな爪が胸元を掠める、ただそれだけで鮮血が散る。
何度も叩きつけるような引っ掻きを、躱しているとも言えないほどぎりぎりで処理する。その
目が、合う。
ランゼが身体を捻って彼女の後ろに飛び込むのと、一歩踏み込んだ女が抜刀するのは同時だった。
さしもの彼女も他のモンスターの時のように正面から止めるには膂力が足りないらしい。辛うじてといった様子で剛腕による攻撃を受け流そうとするが、受けきれずにその身体がぐらりと揺らぐ。
とはいえ攻撃を防ぎ切ったのは確かで、体重の乗った一撃を流されてバランスを崩したアオアシラは、頭から派手に地面へ突っ込んだ。
「さすがに声を掛けるなり何なりしてくれ、こういうのは信頼と意思疎通がないと事故に繋がる」
回復薬をひとくち呷りながら、女が苦言を呈する。
「……でも出来るだろ、お前は」
身体を起こして矢を番えながら、ランゼは呟くようにそう言った。
シオはランゼの言葉には答えずに、太刀を大きく水平に振るって一歩後ろへステップした。刃の先からまだ鮮やかな血が飛ぶ。
「出血は平気か」
「……別に」
右手を何度か握っては開く。切り裂かれた防具にじわりと血が染みていくが、手が動くならそれで構わない。
ランゼが顔を上げた途端、青熊獣は跳ねるようにして勢いよく立ち上がった。
間髪入れず両の前脚を大きく上げて威嚇の姿勢を取るが、
「ランゼ」
「わかってるって……の!」
ランゼが放った複数の矢が鼻先に直撃して、思わずという様子でたたらを踏んだ。
しかし、まだ倒れない。大きく仰け反りながらも、ぎらりと光る赤い目が二人を睨む。
その眼光に、ランゼは次が最後にして最大の攻撃であることを直感した。
「……来るぞ」
「あぁ」
その場で納刀の構えを取るシオから、大きく後ろに距離を取る。
強い風圧を伴う二連アッパー。今までにも何度か見せたそれは、奴の最大の切り札なのだろう。
一撃目、アオアシラが身体を回転させ剛腕を振り始めた、その瞬間。
ランゼのいる場所まで振動が伝わってくるのではというほど力強く踏み込んで、太刀使いの女は通り抜けるように真一文字に刃を閃かせた。
腹を大きく切り裂かれながらも、青熊獣は止まらない。攻撃対象を背後に通り抜けていったシオから目の前にいるランゼに切り替えて、もう一撃を振りかぶる。
いくら範囲が広いとはいえ、彼我の距離を考えれば回避するのは難しいことではないだろう。しかし、ランゼは退くことなくその場で弓を構える。
これは、ただの勘なのだが。
目の前の手負いの獣が魂を賭けて繰り出すこの攻撃を受けずして済ませようとしたところで、きっとこの獣は倒れないだろう、という確信めいた何かがある。
だからランゼもシオ同様に、アオアシラの前脚が迫るのも気にせず、大きく一歩踏み出す。
矢尻で流そうとした大きな爪は、しかし完全に防ぐことはできず、脇腹の傷を深めるように抉っていく。
だが矢が折れていなければそれでいい。あと数秒ちゃんと身体が動けばそれでいい。
元より、これが最後のつもりでいるのだから今更気にするまでもない。それは相手だってそうだろう。
ただ目の前の敵を殺す。ランゼにとっての狩猟とは、そういうものだ。
青熊獣の目の前に滑り込む。上を向けばそこには当然頭があり、腕を振り抜いたばかりの姿勢では完全に無防備だ。
ランゼは背中から倒れ込むようにして弓を構え、引き絞り、そして矢から手を放した。
外しようがない距離だ。放たれたただ一本の矢は、獣の下顎に命中し、突き抜けて――確かに、それを絶命させた。
大型モンスターとしては決して大きいとは言えない、しかし人間に比べれば遥かに大きな体躯が、ゆっくりと仰向けに倒れていく。
ランゼもまた、脱力して背中から地面に落ちた。
久し振りの手応えある相手に、未だ高揚感が治まらない。
だがその割には、同行者の存在も以前よりしっかりと意識できた。変な感覚だが、悪くはない。
不思議と、すっきりとした気持だった。
雨は戦闘中に止んでいたようで、倒れたランゼの顔にはぽたぽたと木の葉に残った水滴が落ちてくるのみだった。
依然風は強いままだが、この分ならそちらもすぐに止まるだろう。この前のようにベースキャンプで待ちぼうけを食うことはなさそうだ。
しばらくしても起き上がってこないランゼを案じてか、シオが太刀を収めて歩み寄ってきた。
「おい、大丈夫……ランゼ、お前血塗れだぞ」
起き上がるのが億劫で首だけ回して彼女の方を見る。
自分は違うとでも言いたげだなんて軽口を叩きかけたが、実際返り血すらほとんど浴びていない様子にげんなりした。
「なんで手前だけそんなにピンピンしてんだよ」
「私だって相応に消耗している。見た目が綺麗だからと勘違いするな」
女はため息を吐きながら、ランゼの隣にどさりと腰を下ろす。
「私はお前と違って安全志向だからな、必然傷を受ける機会も少ない。回避にはもっと余裕を持て、異常なのはお前だぞ」
普段なら何かしら噛みついていたところだが、もうそんな気力もない。
「……ランゼ?」
「――あ?」
女の呼びかけに、ランゼは一拍遅れて返事をした。
しかし彼女が言葉を続ける気配はない。怪訝に思いつつも黙って寝転がっていると、不意に影が差したと思えばすぐ真上からシオが見下ろしていた。
「ランゼ、もしかしてこれは全てお前の血か」
いつにも増して真剣な表情に面食らう。
なんとなくきまりが悪くなって、ランゼは彼女から目を逸らした。
「全部ってこたねぇだろ。……多分な」
「無茶な攻め方はするなと、前にも言ったはずだ」
叱責の色を含む声に、鼻を鳴らすだけで答える。
ランゼはあのとき、自分にできる最善手を打った。責められるいわれはない。
が、気付けばシオの隣にガルクのツキヨが座り、不服そうにぐるると唸っている。
「この子も同意見らしいが?」
ツキヨはランゼが十にもなる前からずっと一緒にいる、言わば姉のような存在でもある。普段は大人しくランゼに付き添っているが、そんな思いがあったとは全く知らなかった。
『ランゼがああするのもわかるけどね、僕ももうちょっと慎重にやってくれた方が助かるよ』
ナギトにまで追い打ちを掛けられて、圧倒的劣勢を悟ったランゼは舌打ちした。癪なことだが、この場は負けを認めるしかないらしい。
「一番深いのは……これだな。触るぞ、じっとしていろ」
彼が黙ったままでいると、シオはランゼの脇腹の傷に手を伸ばした。
「おい、そんくらい自分で――」
「動くんじゃない」
止血くらいできる、と反論しようとするが、シオは有無を言わさぬ口調でそれを遮って、起き上がりかけたランゼの肩をとんと押し返す。
大した傷ではないから放っておいてくれれば良いのに、と思うが、そんなことのためにわざわざ言い争うのも馬鹿らしくて彼女のするがままに任せることにした。
「くそ、“そのくらい”などという深さじゃないぞこれは――今までは一人でどうしていた」
慣れた手付きで応急手当をしながら、シオが問いかける。
「別に。血が止まんなけりゃその場で適当に処置して、回復薬がぶ飲みして帰る」
ランゼがぼそぼそと答えると、彼女は深々とため息をついた。「それだけか」という言葉にランゼは頷きで答える。
「時間が掛かったとは聞いていたがそれなら当然だ。……お前はただしつこいと思っただけかもしれないがな、この前ゼンチさんが隅々まで診る羽目になったのはそれが原因だぞ」
隅々まで。正直、あの診察はあまり思い出して気分の良いものではないが、その原因がランゼとはこれいかに。
「そんな風に怪我を放置するからまとめて診なければいけなくなるし、余計に時間も掛かるということだ」
ランゼのしかめっ面には目もくれず、シオは一仕事終えたとばかりに手を叩いた。
「ほら、出来たぞ。だが最低限でしかない、帰ったら引きずってでもゼンチさんのところに連れて行くからな」
彼女は立ち上がり、倒したアオアシラの巨躯に目を向ける。
「いや、剥ぎ取りなどと言っている場合ではないな。……おい、立てるか」
「馬鹿にすんじゃねぇ」
ランゼはシオが差し出した手を払って立ち上がった。少しふらつくが、その程度でしかない。
別に徒歩で帰るわけじゃあるまいし、何をそんなに大げさに騒ぐのかわからなかった。
「ツキヨ」
ベースキャンプまでは彼女がいるし、そこから先は狩猟区によって手段は違えど里まで直通で帰れるように交通が整えられている。
傷なんて、どうせ寝ていれば治るのだから。
ランゼの呼びかけに応じてやってきたツキヨは、しかし未だ不満そうに尻尾を揺らしている。
「帰るぞ。痴話喧嘩は家でやれ」
「……ちッ、うるせぇな」
一足先に自身のガルクに乗って走り出すシオを追って、ランゼとツキヨも駆け出した。
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