ウマ娘 ワールドダービー 称号獲得レギュ『1:11:11』 サイレンススズカチャート   作:ルルマンド

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ビフォアストーリー:走る理由

 サイレンススズカは悩んでいた。

 悩める天才と呼ばれていた彼女は、一旦悩みの迷路から抜け出した。抜け出したが、また入ったのである。

 

 彼女にとっての最初の迷路は技術的なものだった。しかし今回はより直接的で厄介なもの。即ち、心理的なものである。

 

 しかしその悩みは当初、圧巻の走りを見せたマイルチャンピオンシップの余波に流されて顕在化していなかった。

 

 GⅠを1着で走り終わり、ウイニングライブも終えた帰り道。沈黙を守っていた彼女に対して『悩みに触れない』ということを徹底していた東条隼瀬は、辛抱強く彼女の気持ちが浮き上がるのを待った。

 朝練を終えて、乾いた冷たい空気を吸い込む彼女の気分が大きく上向いたのを確認してはじめて、彼は自ら話しかけた。

 

「壁を越えたようだな」

 

「えぇ。ふふ……」

 

 あの時の感覚を思い起こすような一瞬の沈黙と、遠くなる瞳。ほんの一瞬だが、彼女の本質的な部分が垣間見られるその動作を目を細めて見つつ、頷く。

 

「領域と言うやつか」

 

「はい。とてもいい景色でした。ですけど……」

 

 『ですけど』がなければ、色々と訊きたいこともあったし言いたいこともあった。だがこの一言が、彼の口を噤ませた。

 自我が強く、しかしその割に口数が少ない彼女の意図を汲むには、言わんとしていることを正確に把握し、言おうとしていることを完璧に言い切らせなければならない。

 

「他の娘が勝敗に対して拘っているところを見て、私だけが無頓着なのは……」

 

 しばらくの沈黙の後にそう言った彼女を見て、東条隼瀬は少し驚いた。

 

 ――――無頓着であっても、無関心ではなかったのか。

 

 理解できない。そう言って突き放し、自分の中から追放する。そういう人間の方が、世の中には多い。

 特に天才というものは、孤独を好む。それは彼ら彼女らの持つ世界観が独特すぎて理解されず、さりとて他人に合わせて変容させられるほど器用でもないということから、好まざるを得ない、ということかもしれない。

 

 だが、彼女はそういった孤独に耐えられる精神性をしていないらしい。あるいはまだ未熟だからこそ、耐えるところまでいっていないのかも知れないが。

 

「トレーナーさんは、どう思いますか?」

 

「それは、意味のない質問だな。大事なところは、お前がどうしたいか。その一点のみで、他はない」

 

 どうしたいのか。

 レースの勝ち負けを気にしたいのか。あるいは、やはり速さを突き詰めていきたいのか。

 

 その答えは彼女の中に既にある。あった。

 だがそれに気づく前に新しい答えを作り出してしまう、ということもあり得る。

 

「俺は具体的に、お前になにかしてほしいわけではない。お前がやりたいと言うならば、手を貸す。それがどんなことであってもな」

 

「走るのをやめたい、と言ってもですか」

 

 ちらりと、翠玉の瞳に焔が宿った。

 蝋燭並みの、だがしっかりとした熱を持つ火。

 

 その存在を知りつつ意味をわかりかねた男は、とりあえず本音を包み隠さずぶちまけた。

 彼としては、サイレンススズカと言う退学が正道かも知れない特異なウマ娘を担当することが決まった瞬間に、様々プランを組み立てている。

 

 そのプランは彼女の気まぐれロマンティックな爆走癖で日々粉砕されているわけだが、これに関しては不壊のものだった。

 

「その場合は親御さんに挨拶に行き、経緯を言語化して説得する。そして、望まれれば私的にアドバイスもする。やれることと言えば、そのあたりか」

 

「……トレーナーさんは、引き止めないんですね」

 

 一応、GⅠウマ娘なのに。

 そんな彼女らしくない思考をしたあと、頭を振る。

 バラバラと揺れる細い栗毛を割と奇異な目で見ていた男は、実に無神経な言葉を吐いた。

 

「なんだ。引き止められたいのか?」

 

「…………いえ」

 

 よくわからない、実に歯切れの悪い返答と共に、ぺこりと頭を下げて寮の方へ駆けていく。

 

(よくわからんやつ)

 

 やりたいことをやりたいのではなかったのか。

 コーヒーを嗜みながら、基本的に物事に対して執着のない男はため息をついた。

 

 彼とて、あまりに圧倒的な彼女の走りに魅せられている。とんでもないやつだな、と。

 しかしだからこそ、無理強いする気はなかった。

 

「夢を叶える、か」

 

 それは、難しい。人間の想像力とは際限がないもので、明らかに無理な夢想を夢に描くこともある。

 それを如何にして現実に投影してやるか。その手助けをできるか。それが、トレーナーというものだと思っている。

 

 彼女には、叶えられるだけの才能がある。現に自分がやったことなど、本当にたかが知れている。師匠――――東条ハナの用意した土台の上で立ち往生していた彼女にヒントを与え、出口に導いただけである。

 

 あとは日々勃発する謎の走行癖に対応しつつ、必要な練習量を見極めて調節する。そして、調子がいいところで実戦に出す。

 教科書通りの行為を教科書通りにやっているだけで、独創性の欠片もない。

 

(ひとまず、ジャパンカップへ向けての調整プランは保留にして新しい調整プランを考えるか。あの状態でレースに出しても、心理的負荷が増すばかりだろうし……)

 

 2400メートルはやや長いが、それを補う為にプールでスタミナを補ってきた。

 彼女は利き脚の関係上左回りが得意のようだし、海外の強豪がひしめくジャパンカップへの挑戦はより多くの経験を積めると思ったからこそだったが、こうなっては仕方ない。

 

(となると、秋冬は休ませるか。いつまで続くかはわからんから、余白は多くとっておくべきだろうな)

 

 あくまでも、臨機応変に。

 そんなことを考えている彼を他所に、サイレンススズカはぼーっとしていた。

 

 どうするべきなのかが、わからない。

 自分は自分の為に走る。夢の為に、レースを利用する。自分だけの、たった一人の夢のために、残り十何人かの夢を破壊する。

 それが許されることは知っている。誰もがそうしていることも知っている。だがその勝者と呼ばれるものは即ち、レースそのものに価値を見出している。踏みにじり、破壊した夢の持ち主と同じ世界にいて、同じ夢を見ている。

 

 同じものを目指す以上、奪い合うことになる。奪い合うことになって、その結果として勝者と敗者が生まれるのは、謂わば必然でしかない。

 だが、自分はレースそのものに価値を見出しているわけではない。

 

 自分の夢はなにもレースを使う必要はないかもしれないという、そういうものなのだ。個人でやれば、たったひとりで才能を磨けば、あるいは届くかもしれない夢を追うために、他人を足蹴にするのはどうなのか。

 

 自分が負ける気は毛頭ないというあたりに、彼女の天才らしい無邪気な自信が見て取れた。

 

「どうかしましたか! スズカさん!」

 

 実に聞き慣れた、やかましい声がする。

 しいたけみたいな目をした、同じ栗毛のウマ娘。

 

「フクキタルこそ、どうかしたの?」

 

「悩まれているようでしたので!」

 

 占い好きのウマ娘、マチカネフクキタル。

 こう見えて――――つまり死ぬほどイロモノに見えて――――菊花賞。最も強いウマ娘が勝つというクラシック競走最後の一冠を制したウマ娘である。

 秋に入ってからの彼女はまさしく神がかった走りの連続で、一気にスター街道を駆け上がった。

 

 世間では神がかった、といわれている。

 しかしその実は単に努力に見合った実力を得て、それ相応の栄光を掴んだだけであることを、サイレンススズカは知っていた。

 

 別にシラオキ様がどうこうではなく、単にマチカネフクキタルが強い。それだけのことだ、と。

 

「貴方こそ、大丈夫なの?」

 

 近頃はなんか色々と、彼女には細々とした不運が続いている。例えば爪が割れるとか、そういう軽そうで軽くない故障が、である。

 

「大丈夫です! この秋を最後に私の運勢が急落することはシラオキ様のお告げで知ってましたので!」

 

「うそでしょ……」

 

 サラッとエグいことを言っている彼女の底抜けの明るさに若干引きつつ、サイレンススズカはふと思い出した。

 

 そう言えば前の占いは当たっていたなぁ、と。

 

 確かにフクキタルの運勢がどうたらというのは心配だが、彼女には運勢がどうたら程度で左右されない実力はある。

 基本的に占いとかそういうものを最後の藁程度にしか考えていないサイレンススズカにとって、別に心配するほどではなかったのである。

 

「……フクキタル、適当に占ってくれないかしら」

 

「おお! スズカさんもシラオキ様を信じることに決めたのですね!」

 

「え、別に……」

 

「いいでしょう! バッチリパッチリ占いましょう!」

 

 ものすごい注目を集めながらデデンと取り出したるはクソデカ水晶玉。スズカの顔くらいはある重そうなそれをどこから取り出したのか。また、いつから持ってきたのか。

 

「ムムムム……ハンニャカタビラウンニャカタビラ……バァ!」

 

 そんな疑問を他所に一心不乱に占っていたマチカネフクキタルは、謎の掛け声と共にカッと目を見開いた。

 

「来ました! スズカさんは来年、運命の岐路に立つでしょう! 今までの自分でいられるか、あるいは今までの自分でなくなるか……扉の前で選ぶことになります! ラッキーアイテムは……」

 

 言うだけ言って、押し黙る。

 そんなフクキタルの言葉を待つかのように、なんとなく押し黙るクラスメイトたち。

 

 やや申し訳なさを感じつつ、サイレンススズカは続くであろう言葉を待った。

 

「ラッキーアイテムは……なんでしょう、これ。なんかこう、こういうやつです。ハイ」

 

「これは……」

 

「ふむへむ、それはブッシュ・ド・ノエルじゃな」

 

 なんだろう。

 そう口にする前に誰かがフクキタルの絵を見て呟いた。

 

 芳しく香る、ソースの匂い。黒と金に彩られた勝負服をなぜか着込んだ彼女には、強烈な存在感がある。

 

「……え、誰?」

 

「マイネームイズ、ジョンドゥ。出身地は阿寒湖。好きな恐竜はステゴサウルス、特技は潜行。よろしゅうお願いします」

 

 カタコト日本語→流暢な言葉→京都弁と、鮮やかな変遷をたどった言葉を発した彼女の両手にはヘラ。頭の上には青海苔のビン。

 

「そして宙を舞う彼はあたしのトレーナー、明石くん。よろしくな」

 

「……明石焼き、よね?」

 

 ヘラに弾かれ、実に器用に宙を舞う明石焼きの明石くん(仮称)。

 彼女の黒い勝負服に飛び散るソースを目で追いながら、サイレンススズカは彼女の苦労性な気質――――本人も変人なのに、自分を圧倒する相手を見ると常識人らしい感性が露呈する、というもの――――を発揮し、極めて適切なツッコミを入れた。

 

 根っこのところが小心なマチカネフクキタルが割とビビっているのとは対照的であると言える。

 

「スズカァ! 貴様にはこの明石くんが明石焼きに見えるのかぁ!」 

 

「え、ええ!? まさかほんとにその明石焼きは……」

 

「ま、明石焼きなんだけどな」

 

 右のヘラに着地させた明石焼き――――なぜかまだまだ熱い――――をすすっと座っている二人にも見えるように下げ、謎の黒髪ウマ娘はドカッと卓上にマヨネーズを置いた。

 

「サイレンススズカ殿。拙者、お主の走りに惚れ申した。どうかこの明石焼きに揮毫を、可愛く愛らしくいただけるでしょうか」

 

「き、揮毫……あ、サイン。サインのことかしら」

 

「左様。我が家の家宝にいたしまする」

 

「うそでしょ……ナマモノなのに……」

 

 とか言いつつ、マヨネーズで器用にサインしていくサイレンススズカ。

 周りをイロモノに囲まれている彼女は、そこらへんの適応力が高かった。

 

「え、サインするんですか!? と言うかうそでしょするところはそこですか!?」

 

 マチカネフクキタルがツッコミに回るというまさかの展開に心の中のミニスズカが『うそでしょ……』しているが、彼女は割と凝り性である。

 一度やると決めたらやるし、適当にはしない。マヨネーズを振ってから少しずつ、明石焼きに垂らしていく。

 

 サイレンスを幅のある真ん中に書いて、下にスズカ。これで書き切れる。そう判断した彼女の予想は正しく、見事にサインは書き切られた。

 

「どうかしら……」

 

「素晴らしい……フォッフォッフォ! お主にはきらめく書家の才能を感じるぞい……!」

 

「一応やってはいたけれど……」

 

 千変万化の口調を使いこなす謎のウマ娘にすっかり適応してみせた彼女は別に対変人のエキスパートでもなんでもなく、れっきとした資産家のお嬢様である。

 

 故に彼女には、それなりの心得もある。

 母があまりにも破天荒だったばかりに、振り回されねじ切られ放り投げられて拾われた父が『せめて娘だけは……』と無駄な抵抗を試みたのである。

 無論無理だったし、その無理を哀れなスズカパパは娘が「どこまで走れるか知りたかった」という理由で横浜の海まで走って、普通に帰ってきたときに悟った。何にしても、哀れな男である。

 

「それにしても明石焼きはうまい」

 

「え! 食べるんですか!?」

 

 家宝にするとは……と、適応し損ねたばっかりにすっかりツッコミ役をスズカから奪った(押し付けられた、とも言う)マチカネフクキタルは、どっかで聴いたような言葉と共にぺろりと平らげた謎のウマ娘に対してツッコミをいれた。

 

「フクキタル、明石焼きは食べ物よ? 食べ物を食べるのは、当たり前のことだ思うけれど……」

 

「…………はっ! 確かに!」

 

 何かを悟ったこの日からフクキタルは少しずつおかしくなり始めた。まあ元からおかしかったわけだが。

 

「うまかったぜ、ラスカル……」

 

「ラスカルは妹です、ジョンドゥさん」

 

「さて、貴公には悩みが見受けられる。走るに高尚な理由を求めておるのじゃろう。だが私の走る理由からすればその悩みなど矮小なものじゃ」

 

 鈴鹿サーキットもかくやというほどの急激なカーブで話題を転換した謎のウマ娘は、フォフォッフォフォフォッフォと、謎の音頭を取りながら笑う。

 その謎の威圧感に気圧されながら、サイレンススズカは真剣に問うた。

 

「……では、貴方の走る理由はなんなんですか?」

 

「楽しいから、惰性で。最後のレース以外頑張っても勝てないし、頑張るのは最後だけでええかなーって。そんな私も今は立派な阿寒湖総大将。苦戦して頑張ってるキャラを演じながら、お気楽に、楽しく、かつ真剣に斜行して走っておりますわよ」

 

「惰性……」

 

 たぶんこの人は例外だろうけれど、誰しもがレースに勝つことを目的にしているのではないのかもしれない。

 

 みんながみんな同じことを考えていて、自分だけが違う。

 

 そう考えていた彼女からすれば、彼女の『お気楽に楽しく真剣に、惰性で走る』という謎のモットーは新鮮だった。

 

「ありがとうございます。ジョン――――」

 

 いない。

 開けっ放しにされた扉の外、廊下で微かに、彼女の声が聴こえる。

 

 ――――おっ、リョテイ。なぜ勝負服を着てるんだ?

 

 ――――制服にソースが飛ぶと大惨事になるだろ。だからこの勝負服を着て明石焼き食ってたんだ。汚れが目立たないしな

 

 ――――なるほど、理に適っている

 

 穏やかながらなかなかの狂気を感じさせるトレーナーと共に去っていくその足音を聴きながら、サイレンススズカは思った。

 

 あの人とも一緒に走ってみたいな、と。

 そしてその夢は、来年叶えられることになる。しかしそれはまだ彼女も知らない、遠い遠い先のことである。

 

 そして一回一緒に走っているのもまた、彼女の知らないことである。




57人の兄貴たち、感想ありがとナス!

シャル・エーカム兄貴、ギャラクシー兄貴、PNKO兄貴、評価ありがとナス!

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