ウマ娘 ワールドダービー 称号獲得レギュ『1:11:11』 サイレンススズカチャート 作:ルルマンド
「この案だけど、中央も噛ませればどうかしら?」
企画書としてまとめられた東条隼瀬の地方トレセンの改革案を一読した東条ハナは、第一声としてそう口に出した。
「なるほど。ダートの注目度を上げるということですか」
「そうだ」
彼が示した一足飛びの理解力に驚きつつ、東条ハナは提出された企画書をしまう。
彼がかつて存在したアオハル杯という仕組みを流用して作り上げた地方のランク制は、ウマ娘にとっても有用である。
短距離、マイル、中距離、長距離のダート戦4回と芝での1戦の計5個のレースで格付けを決めるランク戦。これは、実力の指標として役に立つ。
なにせ現在は中央トレセンが一番上、その下に様々の地方トレセン。格と言えば、それだけなのだ。
その地方トレセンたちは思い切り並列していて上下はない。だがその上下のなさは、中央から落ちたウマ娘たちにとっては戸惑う理由になる。
中央と、レベルが違うのはわかる。だが2番目はどこなのか? 自分はどのあたりなのか? どれほど努力すればいいのか?
このランク制はウマ娘たちに、そういった具体的な見通しと計画性を与えることになる。
ここに中央の代表チームを参戦させるのは本末顛倒といえばそうだが、中央トレセンと地方トレセンには交流と呼べるものがない。その交流の場で実力を知れる、というのが一点。そしてダートが芝に比べて圧倒的に不人気であるというのがまた一点。
ダートが中心の地方のランク戦に中央トレセンのダート選抜を加えることによって、さらなる集客とレベルアップが図れるのではないか。
東条ハナの言わんとするところはそこだった。
「まあそれはそれとして、今日は新規にサブトレーナーが着任してくるわ。引き継ぎの資料の用意は?」
「できています。北原さんと違って、かつて面倒を見ていたウマ娘を改めて担当するということではありませんから、そこらへんは入念に」
北原さん。慇懃無礼めいたところのある甥らしからぬさん付けを聴いて、東条ハナは微妙な顔をして頷いた。
正式名称、北原ジョーンズ。本名北原譲。
自分の能力と経験のなさを、ひたすら努力することによって打ち砕いた努力の人。オグリキャップという周りに夢を与えられるウマ娘への思いによって限界を超越した非凡な凡人。
その努力家ぶりを、この甥は尊敬しているらしかった。
この甥は、天才である。別に努力をしていないというわけではないが、練習メニューの策定の迅速さ・正確さ、あと結構な気難しさのあるシンボリルドルフとのコミュニケーション能力には天賦のものがある。
少なくとも、サイレンススズカの悪癖――――割とフリーダムにそこらを走り回る、という――――を封じ込めることなく好き勝手にやらせ、即興で練習メニューを変更し続けて脚への負担を減らすことに注力するその手腕は瞠目すべきものがあった。
練習メニューとは点では無く、線なのだ。故障がないようにと、事前に周密に組み立てられたメニューを少しずつこなしていく。前日のメニュー、翌日のメニューを加味して、今日のメニューを作っていく。
日々好き勝手に動き回るサイレンススズカを正しく、的確に成長させるには、そもそも好き勝手に動くのを止めるしかない。
そう思っていただけに、東条ハナからすればこの甥の好き勝手にやらせた上で日々練習メニューを組み立て直すという狂気じみた作業量を要求する方法には感嘆していた。よくもまあそんな脳筋じみた力技で解決できると思ったな、と。
「彼にはグラスワンダーとエルコンドルパサーを担当してもらうことになるというわけですか」
「ええ。向こうでは一時期、2桁にのぼる担当を持っていたようだし、2人程度ならなんとかなるでしょう」
「ですが地方と中央ではやることの質も量も異なりますし、なによりも勝手が違います。最初から複数人を、というのは……」
「言いたいことはわかるが、彼ならなんとかするし、できるだろうと私は思っている」
「そうですか」
この叔母が直接見て判断したとなると口を挟む必要はないな。
信じているが故に、彼は実にあっさりと引き下がった。
「あと。ことさら比較するような言い方は、彼の前では慎めよ」
「何故ですか?」
地方と中央ではレベルが違う。故に仕事の量も質も異なるし勝手も違う。地方でのノウハウがそのまま通用するとは限らないし、それはオグリキャップ以後ちょこちょこと中央へ移籍してきた地方のウマ娘たちが残した惨憺たる結果が証明している。
別に悪意があるわけではなく、単純に事実として並べ立てている男はまず、言葉のチョイスが悪い。そして言い方も冷たいから雰囲気も悪い。
「それが事実であっても、いい思いはしないからだ」
それを直接言っても改善されない、あるいは改善させるのは難しいことを東条ハナは知っていた。
だからこのようなふわりとした言い方で窘めたのである。
グラスワンダーとエルコンドルパサーという致命的にして強烈な癖はなく、かつ強いウマ娘を集中的に見る。
少なくともこの二人は、地方から中央という移籍を経験したトレーナーを慣らすには最適であるし、リギルという環境とその環境を構成する人員が補佐に回れば大過なく1年間を過ごせることだろう。
そのような思惑を知ることなく、その男はやってきた。
リギルの将軍。
そう呼ばれることになる現場指揮の名手は、カサマツからやってきた二人目のトレーナーとしてトレセン学園にその第一歩を印したのである。
地方のトレーナーはトレーニングを組み立てるプランナーやダンスの振り付け師、教育者としてよりも、現場指揮官として優秀であることが求められる。
中央トレセンは国内、ないしは国外の上澄みを集めているが故に実力が青天井で個々の実力差が大きい。しかし中央とは違い、地方トレセンには上限が存在するし、中央と同じく下限も存在する。
無論オグリキャップという例外が存在したわけだが、それでもそんなのは例外中の例外であり、全体的に言えばウマ娘同士の実力差は少ない。
故にその少ない実力差を現場レベルで埋められる――――即ち3分に満たないレースの中で展開を素早く洞察し、的確な判断を下させる戦術能力が優秀であることが、トレーナーに求められる。その中で傑出した成果を上げていたということはつまり、そういうことであろう。
そういう説明を、あくまでも参謀として管理者たらんとする男は自分の担当のようになりつつある栗毛のウマ娘にした。
別に自分からではなく、せがまれたからである。
「トレーナーさんとは真逆のタイプということですか」
生まれも育ちも性能も。
サイレンススズカがそこまで意識して言っていたかはわからないが、彼女が会話をせがむようにして『今日来られる新任のトレーナーはどんな方なのですか?』と訊いてきたあたり、興味はあるのだろう。
そして興味があるのだから、多少なりとも調べてはいるのだろう。
基本的に本能で動く相手に理屈を適用するという愚かの極みのようなことをしながら、彼は未だ『自分の想定するサイレンススズカ像』から完全には脱却できずにいた。
「俺だってできなくはないさ。ただ、レース中にごちゃごちゃと注文をつけられるのは嫌だろう?」
「嫌かどうかはともかくとして、気づける自信がありません」
「だろうな」
それはほとんど反射だった。
走ってる最中にあんないい笑顔――――実に貴族的かつ婉曲な表現の極致を施しても、そうとしか言えない――――をするようなウマ娘が、細やかな戦術展開に適応できるとも思えない。
クールで静寂を好みそうな深窓の令嬢。実に頭が良さそうで、実際成績はいい。なのに走るときは脳みそが溶けているとしか思えない求道っぷり。
この寒暖が激しすぎるギャップに、ある種のマトモさを備えた彼の頭は適応しきれていなかった。
(それにしても、多少は精神的に楽になったようで何よりだ)
ジャパンカップに出してもよかったかも知れない。
そんな考えが頭を過るが、今更なことである。そして、これは現実逃避でもある。
――――もうこの際だから言ってしまうが、君の見立ては過去の見立てであり、君の理屈は過去の理屈だ。過去正しかった物が、今も正しいとは限らない
――――より直接的に言えば、人間というのは誰に言われるかによって態度の頑なさや言葉の意味を判断する。私は君に言葉で殴られてもいつものことと思うだけだが、他の人にとって君の言葉は凶器以外の何物でもない。つまりサイレンススズカにとって、君は指示をされたい、してほしい相手になったのだろう
信頼し、敬慕する皇帝にそんなことを言われた。となると自然に彼は、自分の見立てが間違っているのかもしれないということに思いを馳せた。
別に自身の見立てを疑うわけではない。自信もある。しかしそれ以上の信頼を、シンボリルドルフに置いている。
「サイレンススズカ」
当初は少しつっかえるように発音していたやや長い名前をなめらかに発声したっきり、参謀は黙った。
なんだろう、とでも言うように緑の耳あてをした耳が縦に揺れ、尻尾が左右に不安げに揺れる。
パチパチと音のするような頻度でサイレンススズカのエメラルドグリーンの瞳が瞬き、そして沈黙が破られた。
「君は速くなりたい、と言ったな」
「はい。どこまでも」
どこまでも。
その一言に込められた思いの熱さ、切実さ。生きることそのものの主眼を、より速く走ることにおいていることのわかるその一言を理解し、呑み込み、触れる。
「俺は正直なところ、お前がレースに勝とうが負けようがどうでもいい。トレーナー失格のようだが、これは事実だ。なぜだか、わかるか?」
「私がそこに価値を見出していないから、ですか」
「そうだ。まともなトレーナーであれば、すごいと言うだろう。喜びもするだろう。だが俺はそうではない。お前がレースに勝ちたいのならば、勝つために最大限の努力をする。そして勝ちたいと思って臨んだレースに負けたのならば、俺は悲しむし自分の無力を呪う。無論勝てば同じくらい喜ぶだろう。しかし、そうではない。俺は」
――――俺は果てのない望みを描き、進んでいく人間にとっての夢の共有者でありたい
「お前の夢には、際限がない。どこまで行っても、ゴールにはなりえない。レースに勝つにはある程度の速さがあればいいし、なによりも展開に合わせた最適な走りをすることが求められる。君の夢は無茶で、無謀な夢だ」
それは、サイレンススズカも知っていた。
ただ速く、ただ速く。そう思っていたが、レースに勝つにはそれほど速くならなくてもいいのだと。そして、状況に応じた走りをすることこそが肝要なのだと。
レースに勝つ。勝って何者かになる。目的が具体的になっているぶん、そちらの方が楽ですらある。なによりもその夢の際限のなさは、いつか破滅に続くだろう。イカロスが蝋の翼を溶かされたように。
「だが無理ではない。少なくとも前回のレースでは、新たな景色は見えた。それを何回も何回も繰り返す。新たな景色を重ねて、新たな色彩を持った世界を見る。俺はその助けになりたい。君の夢が成就する瞬間を見たい」
速度の地平へ。スピードの向こう側へ。
レースを通じた勝敗ではなく、より本質的な走りへの冀求。強く望み、願い、その為だけに生きる。その夢への一途さに、惹かれた。
惹かれ、だからこそ触れることがなんとなくおこがましくて、口を出すことを控えていた。
「お前は自分の夢の為にレースを足蹴にして飛翔することはどうなのかと考えている。だがお前の夢は、今やお前だけの夢ではない。俺が居る。俺は、お前が夢を果たすところを見たい。だから自分のために他者を押しのけるのが辛いなら、俺のために押しのけて走れ。お前の夢を、手伝わせてくれ」
「――――はい」
静かに、彼女は笑った。
「これからもずっと、頼りにしています。私の夢を受け入れて、本当の私を受け入れてくれたあの時から。ずっと、頼りにさせてもらいますね」
「ああ、任せろ。足手まといにはならんさ」
断定形に自信を載せて。
早速と言うべきか、彼は彼自身が考えたであろうより速くなるための走り方のプレゼンをはじめる。
(この人は、足手まといにはならないでしょうけど)
足手まといになったとしても、一緒にいてほしい。一緒に転んで、一緒に立ち上がってほしい。
ひとりぼっちは、寂しいから。
でもそういうことを言うのは、この人に対して失礼かもしれない。能力に見合った自信を持つこの人に。
「聴いてるか、スズカ」
「え?」
「いいか? 最初は無理なく進出する。そして徐々に加速していく。これが今の走り方だ。だが中盤に脚を弛めて――――」
完璧に聴いていなさそうな反応を見せる天才の天然っぷりにため息を吐きながら、最初から説明をはじめる。
水を得た魚のように考えを口にしていく者。尻尾をパタパタさせて聴き入る者。
結成2ヶ月でやっと、トレーナーとウマ娘という正しい関係に近づきつつある2人の前に立ちはだかる未来が如何なるものであるか、この時はまだ誰も予測してはいない。
しかし少なくとも、サイレンススズカは信じていた。この先に何があっても、この人ならば夢へ続く道を舗装してくれると。
そう、信じていた。
37人の兄貴たち、感想ありがとナス!
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