ウマ娘 ワールドダービー 称号獲得レギュ『1:11:11』 サイレンススズカチャート 作:ルルマンド
いいレースでした、とスズカは言った。レコードタイムを叩き出した以上、それは事実だろう。
だが金鯱賞に勝ったくらいでは、彼は喜んでばかりはいられなかった。
それはスズカも同じことである。ほんの少しだけスピードの向こう側に触れられた気がするが、気がするだけ。まだまだ伸び代はあるし、この人となら伸ばしていけると、サイレンススズカは確信している。
だからこそ、彼の提案は彼女の言葉に霜を降らせた。
「練習メニューの提示を取りやめる」
ちょっと黙ってから、彼女は少し喜んだ。
彼は相当を気を遣ってメニューを組んでくれているものの、やはり好き勝手できていた時と比べれば制約は多い。
まあそれは仕方ないことである。速くなりたいと、誰よりも速くなりたいと志した以上は好きに走ってばかりもいられない。
夢は手を伸ばせば届きそうで届かない空にある。そんな夢を手にして叶えるには、ぐっと屈んで脚を溜めなければならなかった。
だから彼女は、喜んでから戸惑った。彼女はロボではないので、やはり感情というものがある。指示されて即座に【はいそうですか】とはいかないのである。
「その……」
「ん?」
「その、何かしましたか? 私……」
サイレンススズカは、自分のトレーナーの性格をわかりかけてきた。
この人は基本的に規律側というか、思考方法に癖がある、と。
東条隼瀬からすれば【癖があるのはお前だ】と言いたかっただろうが、サイレンススズカからすればまず思考をするにあたって大枠を作り、逆算していくというような彼の思考法は理解しがたかった。
彼女は刹那的というか、瞬間的な閃きを積み重ねていく。だから思考に枠がなく、未来も先行きもたたない。これは彼とは対照的である。
そんな彼が自分っぽいことを言い出すのは、おかしい。
そのおかしさの源泉はどこにあるのか。そう考えた結果、サイレンススズカはその源泉を自分に求めた。
まあそれは正鵠を射ていたのだが、やや趣きが異なっていたと言える。
「何かしたというより、君に合った指導方法を見つけたい。だから宝塚記念までは自主性に任せたいのだ」
「宝塚記念」
サイレンススズカは、彼の言葉をオウム返しに繰り返した。
宝塚記念といえば前半戦の総決算、グランプリ第一弾。春の中距離レースの中でも一番格の高いレースであり、中距離専門のウマ娘たちはここに全力を投じてくる。
なにせ、宝塚記念が終われば夏なのだ。一流のーーーーつまりGIクラスのウマ娘は基本的に夏はレースに出ない。だからこそ気兼ねなく、宝塚記念に全力をぶつけられる。
例えば天皇賞(春)ならば、メジロ家か生粋のステイヤーでもない限り心のどこかで次走、宝塚記念のことを考える。
天皇賞(秋)でもそうだろう。ジャパンカップがあり、有馬記念もある。
ジャパンカップから有馬記念というのも、まさしく王道のローテーションである。
だが、グランプリ。すなわち宝塚記念と有馬記念だけは、その後に中長距離のGIがないため全てを擲って走ってくる。
つまり、片手間で勝てるようなレースではないのだ。
だからこそここで、きっちり練習をするべきではないか。
感覚はながらも頭自体は悪くないサイレンススズカはそう思ったし、たいていのトレーナーすればそうするだろう。だが、東条隼瀬の思考は違った。
「宝塚記念だから、こういうことができる」
「と言いますと?」
「グランプリだと大抵の連中がバカになるからだ」
どういうことだろうと思いつつも、スズカは彼からなんとなくの自信を感じ取って頷いた。
相手が自分を信じてくれている以上、そうするべきではないかという思いがある。【控えるな】という指令は、信頼がなければ下せない。
だがバカになるというのがどういう意味かは、わからなかった。
「どう思う? フクキタル」
レース後、寮に帰ってついさっき負かした相手に絡む。
そう考えるとなかなかに神経の太い行為をサイレンススズカはしていたわけだが、マチカネフクキタルは良くも悪くもあっけらかんとしている。負けに対する悔しさはなく、いつも通りのやかましさをしていた。
「むむむむ!」
「どう思う? フクキタル」
「今占ってます!」
「あなたに訊いているのだけれど……」
私より占いの方が正確です!という、なんとも自己肯定感のない友人の水晶玉を、暇になったスズカはぼーっと見た。そして、気づく。
「水晶、変えた?」
「やりますねぇ! そう、前の水晶玉は割れたのです! 菊花賞のあとに!」
「へぇ」
自分から聴いたのにおそろしく興味なさげな反応を示したスズカだが、実際彼女はフクキタルのそういうところ……つまり占いとか運とかそういうのを好き勝手に信じている。
信じていないわけではない。信じているわけでもない。都合のいい時に信じて、よくない時はポカーンと忘れてしまう。そういう実に日本人的な宗教観ーーーー占いを宗教と言っていいかはわからないがーーーーを、彼女は持っていたのである。
「デマシタ!」
「え?」
水晶玉に自分の顔を映し、反転した自分の顔を見てふふっと笑う。
まあそういう子供っぽいことに集中していたスズカは、割と本気でマチカネフクキタルが何をやっているか忘れていた。
「バカになるの意味はーーーー」
ああ、そう言えばそんなことを聴いていた。
この自信満々な感じを見るに、わかったのかな。
そんなことを思いつつ、風呂上がりということもあって耳カバーを外したスズカの耳がピコリと立つ。
一瞬の沈黙の後に、マチカネフクキタルはもったいぶって口を開いた。
「わかりませんでした!! いかがでしたか?」
「占いにはあんまり期待してなかったから特に何も思わないわ」
この岩塩を頭に向かってぶん投げるくらいの塩対応は、割と遠慮しがちなスズカにとってのマチカネフクキタルという存在が気の置けない相手だということを示している。
だがそれにしても、あまりにも素直すぎる感想だった。
「ぐむぅ! ですが水晶玉はこうも告げています! 悪い結果にはならないと!」
「そう……フクキタルはどう思うの?」
「私もそう思います!」
なら、そうなのかな。
スズカはそう思った。というか、思うことにした。
気質が単純な彼女は、一度そう思えれば強い。
宝塚記念まで、彼女は思うがままに過ごした。走ったり、走ったり、走ったり、走ったり、ウエイトトレーニングしたり、走ったり。
そんな放し飼い状態になったスズカを見て、疑問に思ったのがエアグルーヴだった。
口の悪い者からはクラシックの補欠組がいくと言われたティアラ路線を選び、女帝と渾名されたウマ娘である。そしてなにより、昨年の天皇賞(秋)でサイレンススズカを撃破した実績を持っていた。
つまり彼女にとって、スズカはライバルなのである。
「何を考えているのでしょう、あやつは」
そのあやつが示すのが視線の先にいる彼女ではないことを、シンボリルドルフは知っていた。
「参謀くんかい?」
「ええ。好き勝手にさせているらしいのです。まったく……」
なにをやっているのやら。
憤懣と疑念の合いの子。そんな副官の表所の変化を見て、ルドルフは書類に目を通しつつクスリと笑った。
「なにか?」
慕う生徒会長の珍しい笑みに興味をひかれたのか、目元に険のある表情から、やや幼さの残る表情へ。
そんな変化を見せたエアグルーヴに、ルドルフは軽く手を振り【大したことではない】というアピールをしつつ口を開いた
「ああ、いや。彼も大したものだと思ってね。彼の女帝に実力を認められるとは」
「な」
瞬時に否定しかけて、相手を見てやめる。
そんなエアグルーヴの年相応な幼さにまた笑みを浮かべつつ、ルドルフは彼女の言葉を待った。
「……そんなことはございません。私はあくまでも、スズカが心配なだけです」
「しかし彼のメニューをこなしていないのを見て、心配になったわけだろう? つまりそれはそういうことではないかな」
「会長らしからぬ、意地の悪い仰り様です」
そうかな、とルドルフは思った。確かによくよく考えてみれば、こういう罠を敷設して追い込んでいくような話し方はどちらかと言えば彼らしいものである。
「そうかもしれないな。思えば海外遠征も共にしてきたわけだし、彼の人格的影響力にさらされることもあっただろう。となると私の人格も、彼のそれとは無縁ではいられないかもしれない」
「ええ。厄介なことです。凄まじい汚染力……」
そこまで言いかけて、止まる。
それが年上への敬意からでないことは、その愕然としたような表情を見れば明らかだった。
「どうかしたか?」
「まさか……スズカも……」
「まあその可能性はあるとは思うが……」
後輩に対してお母さんみたいな心配をしているエアグルーヴが妙におかしい。なんというか、クスリと笑えるというのか。
(と言ってもこれは、私がエアグルーヴの危惧する人格的汚染をまったく気にしていていないからかも笑えるだけ、かな)
パンパンパンと連続して判子をし、その出来栄えに満足して光に翳す。
「うん、ピッタリと押せたな……半個足りとも油断を許されぬ判子作業……いや、これは無理やりか」
とかなんとか、仕事の合間に楽しさを見出してウキウキしてるルドルフは、嘗ての気性を示すようなギザギザの耳をピクリと揺らしてエアグルーヴの方に向けた。
「あの……純真なスズカが……」
「純真というより天然というべきではないかな、彼女は」
「くっ、こうしては……! 失礼します、会長!」
返事を待たず、脱兎のごとく去っていく。
そんな副会長の背中を追って、ルドルフはふぅとため息をついた。
「宝塚記念だからこそ放任しているのか、参謀くん。君らしからぬ……いや、君らしいのかな。私と居るときは見せてくれなかった顔だから、そう思うだけか」
タン、タン、タン。
リズミカルに判子が押され、乾いたそばから書類が山となって積もっていく。
「確かに、やるなら今だ。秋には新顔が来る。不覚を取ることもあるだろう。その不覚をねじ伏せるほどの、圧倒的な実力を夏に築く」
宝塚記念において、世間はエアグルーヴを推している。彼女が再び勝つだろうと。
サイレンススズカは2000メートルまではいけるらしいと、世間は認めている。トレーナーたちも認めている。
だが得意なのは、左回り。そして2000メートルの左回りで、サイレンススズカはエアグルーヴに負けている。
そう、去年の秋の天皇賞のことだ。
宝塚記念は右回りの2200メートル。適性距離からは200メートル外れ、得意の左回りでもない。
であればエアグルーヴが勝つと、そう思う。それが普通というものだ。
(思考を変えて見てみれば、どうか。右回りにしろ2200メートルにしろ、それはレースを構成する1要素でしかない)
脚質、思考、疲労、状態。
ざっと思いついただけでも、4つ。距離と回りは前提条件というべきもので、覆しようのない絶対的なものに見える。
だが。
「君は彼女に干渉することなく、状況を構成しているらしいね」
怪訝そうに廊下の方を見ながら生徒会室へ入ってきた東条隼瀬に向けて、ルドルフは自分の思うところを述べた。
「なんのことかな」
「いや、苦労しているだろうと思ってね。心遣いだよ、参謀くん」
「まあ……ああ言う性格だからな。バレているだろうから言うが、速度を落としてとか、駆け引きがどうとか。それは彼女の持つ夢に何ら寄与しない、無意味なものだ。だがその中で勝利を求めるとすればそうするしかあるまい」
この人もまあ苦労するものだと、ルドルフは思った。
担当ウマ娘の意思に反した指示を与えず――――つまり好き勝手にやらせた上で策を施し対戦相手を嵌めるのは、手足を縛って口だけて文字を書こうとするくらいに無茶なことである。
だが彼はそれをしようとしているし、できている。非凡だと言わざるを得ない。
「皇帝」
「ん?」
「君の瞳に、現状はどう映る?」
「知者不惑。宝塚記念で一番有利なのは間違いなく、サイレンススズカだよ」
であれば、安心できると言ったところかな。
実に白々しく、彼は言った。