東方弦月帳   作:Lie

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紅魔郷編:前編

 視界がおかしい。

 真正面に捉えているものは嫌というほど色鮮やかに、それに対して周囲は嫌というほどぼやけて見える。知人がいう、ピンホールという技法で撮られたような映像を私は見ている。

 私は、ある二人の戦いをその目で追っていた。

 一人は女性。上から下まで赤一色の――しかし白い袖は独立している巫女服を着た女性。その服で特徴的なのは胴体の巫女服と切り放れているので腋が露出している点だろう。あと下に着込んだ黒のアンダーウェアと、黒の長髪で膨張しがちな色を締めつけているので、バランスよく纏まっているところだろうか。

 もう一人は男性。青い着物に赤い上着――ブルゾンというらしい――を羽織った彼は、お世辞にも先ほどの女性と比べてセンスがあるとは思えなかった。

 その二人が、私の目の前で拳を振るい、ナイフで受け、蹴りを放ち合う。互いが互いを殺さんと言わんばかりの――いや、実際の死合を行っていた。

 

「美しい……」

 

 不意に、私の背後から声が漏れた。

 美しいと。この勝負の結末を知らなければ私も純粋にそう思うことができたのだろう。

 跳び、駆け、殴り、蹴り、そして必殺の一撃を受け、流し流されと紡がれていく激闘の調べ。

 己の持てる全てを振り絞り戦う二人の姿が、美しくない訳がない。

 

「止めて……」

 

 でも、まだ幼かった私にそんな意識はなく――

 

「止めてよ母さん! 兄さん!!」

 

 ――精一杯の私の声に驚いたのか、振り向いた母さんの表情には疑念で埋めつくされていた。

 

「無駄だらけだ」

 

 そして、そんな母さんの胸にあいつのナイフが突き刺さり――

 

「――しかし下手だね、どうも」

 

 ――力尽きたように倒れていく母さんを尻目に、あいつは苦笑しながら私達とは反対のほうへ歩いていき、あいつは、どこかへ消えてしまった。

 それが幼少時代、私が最も鮮烈に覚えていることだ。

 

 

 薄暗い廊下だ。まるで監獄か、幽霊屋敷のようにさえ見えかねないほどの、恐怖をくすぐる薄暗さだ。

 その原因というのは、長い廊下であるにもかかわらず間隔をかなり開けて配置してある、光源の中では頼りにならない分類の蝋燭と、窓が全く見当たらないことだろう。

 注意して見れば意図的に火を灯した蝋燭の数が少ないことに気がつくが、窓が全く見当たらないのはやはり奇妙だった。

 蝋燭の火は全くなびくことなく、直立状態のままずっと燃え続けている。

 だが、一本の蝋燭の火が揺れた。

 次は隣の蝋燭が。その次はその蝋燭の隣の蝋燭の火が揺れていく。

 直立不動であった蝋燭の火が揺れた原因――それは少女だった。

 青みがかった銀髪を揺らし、真紅の瞳には苦悶を浮かべた、幼い少女だった。だが、この少女がただの幼子ではないことは、その体には不釣合なほど大きい黒い翼があるため一目瞭然だ。

 少女は苦しそうに呼吸をしながら、壁伝えに移動していた。服はところどころ血で赤く染まり、今もなお出血し続けている。その傷口には、炎と同じ色に輝く棒が突き刺さっていた。

 

「ハァ、ハァ……全くあの魔法使いめ。人間のくせに手間をかけさせて……」

 

 苦鳴のような罵詈雑言が少女の口から漏れた。

 そこで少女は限界だったのか、壁にもたれかかると、そのまま滑るように座りこんでしまった。

 激しい呼吸が、広い廊下の中で虚しく響く。少女のあまりにも激しい呼吸音は、常日頃から優雅を信条にしている少女自身の気を荒立てるのに最適だったのか、少女は、自らの体に刺さった棒を忌々しそうに眺めていた。

 

「クソッ! こんなもの……こんなもの……」

 

 そしてその棒へと手を伸ばし、触れた瞬間に絶叫が廊下の中で響き渡る。ただ触れただけなのに、である。

 瞬間、少女はその棒から手を離す。だが何を思いたったのか、少女はまた棒に手を伸ばし、ガッチリと掴んでみせた。

 再度響き渡る絶叫。だが今回のはすぐに途切れることはなかった。なぜなら今回は少女が、棒をガッチリ掴んでいる手をもう片方の手でガッチリと掴んでいるからだ。

 絶叫し、涙さえ流している少女はそのまま棒を体から引き抜くために手を動かす。だがこれは簡単な作業ではなかった。棒に触れているだけでまるで雷にうたれ続けているような激痛に襲われるというのに、体から棒が引き抜くために棒と肉が擦れあうと、まるで焼けるような痛みが襲いかかるのだ。

 しかし、少女はその手を離さない。離すことを許さない。

 どれだけの時が過ぎただろうか。

 とても品があり、澄んだ音が三回鳴った時、少女は今までよりも激しく呼吸し、そしてその呼吸を徐々に平常のそれに戻していく。

 

「あとは、こいつね」

 

 少女はそう言って不敵に笑うと、指を赤く光らせながら笑みをもらす。

 そして先ほどまで棒が刺さっていた傷口に、その指を突っこんで、嘆く。

 自分でもたらした痛みに絶叫することを三度繰り返し、ぐったりと床に倒れこんでいく少女。だが、少女の傷口は、次の瞬間には塞がり始めていた。

 

「銀の武器でつけられた傷は吸血鬼の能力で再生できない。故にその傷を自らの攻撃で消しさり、再生できるようにする」

 

 少女はその声に対し、億劫といった表情でその声の主と顔をあわせた。だが、顔をあわせた瞬間その顔は喜びと、驚きが入り混じったものに変わる。

 

「冷静な判断、お見事です。お嬢さま」

「あなたっ! ふ、ふんっ!! 今日はやけに帰りが早いじゃない」

「えぇ、お嬢さまが発生させた霧のおかげか、旧知の妖怪の助けを借りられたので手早く済ませられました。しかし……手酷くやられたようですね」

 

 少女は壁によりかかりながらゆっくりと立ち上がって見せる。

 その顔は、思わぬ幸運に遭遇した時の喜びと、それを安易に喜んではいけないという戒めが少女の胸のうちにあるためか、非常に複雑なものになっていた。

 だが相手はそんな少女を心から心配しているのだろう。補助しようと近寄るが、少女はそれを拒否した。

 少女と会話しているのは男だった。

 片手にランタンを持ち、身なりは完璧な、皺一つない執事服。その執事服のメインカラーにあわせるように髪も瞳も黒い。そんな男だが、背は普通で肉つきも普通で、青年になりかけの少年。といった印象を受ける。

 少女は、その男の最後の言葉を聞いて、古傷に触れられた時のような、とても苦しそうな顔になっていた。

 

「勝ったのは私。けど、あの魔法使いが最後の最後で悪あがきをして来たのよ!」

 

 頬を赤らめてそう反論する少女は、「自分は悪くない」と主張する幼子のようで、大変可愛いらしいものだ。だが、男は冷静に言葉を紡ぐ。

 

「へぇ、攻められているのですか? この紅魔館が」

 

 男の顔には興奮があった。

 

「悪魔の住む館と言われ、いかなる干渉を跳ね返して来たこの紅魔館を、一体誰が?」

「白黒の魔法使いと、博麗の巫女よ」

 

 少女は吐き捨てるように呟いた。

 

「それと、おそらくスキマ妖怪も噛んでるはず。パチェがあんな三流にやられるはずがないから――」

「なるほど、奴らも本気。ということか」

 

 男のその呟きに、少女はなぜか戦慄していた。

 どこか――おそらく迫り来る敵に対して闘争心を燃やし、獲物をどうしとめるか思案する狩人の瞳。

 それは幾度か男とともに戦場に立った少女が最も頼りにしている、男の戦闘体勢の時の瞳だ。

 だが今回はなぜか、なぜか違和感を覚えていた。

 

「でももう終わりね。白黒は潰した。私は完全に回復した。そしてあなたが帰って来た」

 

 少女は、その不安を振り払うように来た道へ振り返った。

 

「咲夜は多分巫女を足止めしていると思うけど、私達と合流すればたとえ神であろうと返り討ちにできる。つまり私達の勝ち」

 

 少女は速歩で来た道を戻り始めた。男も少女の速度にあわせてついて行く。

 しかし、唐突に少女は立ち止まった。男も少女にあわせて立ち止まる。

 

「い、いい機会だから聞いておくわ」

 

 上擦った声で尋ねる少女に対し、男は疑問の声を投げる。

 男の疑問にしばらくは体を震わせ、何かを思案しながら、もじもじとしながら時間を経過させる少女だが、やがてそれらの行動が嘘のように振り返ると、真っ赤な顔で、目を瞑りながら言う。

 

「私の執事をやめて、私と一緒に、ずっとこの屋敷で住むつもりはない!!?」

 

 その言葉は、以前の少女の絶叫とは比べるまでもないほど、強く響き渡った。少女は既に赤かった顔をさらに赤らめて、ジッと男の返事を待つ。

 一世一代の告白だ。前は高圧的な言い方で上手く伝わらなかったり、幾度となく邪魔が入ったりしたが、幸い今は二人きりで、屋敷の住人は侵入者の対処で手一杯なため、邪魔が入る心配は皆無。

 他のみんなは頑張っているのに、という後ろめたさがあるが、このチャンスをものにしない手はないと、少女は勇気を振り絞って告白した。

 返事はまだ来ない。

 まだか。まだか。まだなのか。

 時間が一刻でも一瞬でも過ぎるたび、少女の心に不安と後悔が降り募り、少女の四肢を重くする。

 そしてその重さが一定の量を越えた時、少女の返事を待つ感情は、断られた際の対処法の思考へと切り替わる。

 どうしよう。

 喉が渇いてきた。

 どうしよう。

 手の内が嫌な汗で粘ついてきた。

 もしダメだったらどうしよう。そう少女が強く思った瞬間、少女は抱かれていた。

 間の抜けた声を出しながら目を開けると、そこには小さな少女のために膝を折って、少女を抱き締める男の姿があった。

 男の顔は見えない。だが少女にはこの行為だけで十分だった。

 

「ありがとう……」

 

 少女は涙を流していた。そして少女もゆっくりと男の背中に手を回す。

 

「ありがとう――」

「あんた達とここで生活すること、俺は嫌いじゃあなかった」

 

 少女が男の名を口にしようとした瞬間、男は口を開いていた。

 

「あぁ、嫌いじゃなかった。悪くはなかったよ。だが――」

 

 男は、ゆっくりと息を吸い込んで、そして――

 

「――夢は、もう終わったんだよ」

 

 ――少女の背中に、ナイフを突き立てた。

 

 

 

 最悪の目覚めだった。

 そう確信できるほど本日の博麗霊夢の目覚めは悪く、また彼女の機嫌は最悪だった。

 重たい目蓋で閉じてしまいそうな目を擦る。予想通りごっそりと取れた目脂にを指で弾きながら、妙に重たい腕に疑問を感じ、注意深く見つめる。

 

「って、どんだけバカなのよ私は」

 

 そこにあったのは、自身の正装の袖。どうやら、寝間着に着替えずにそのまま寝てしまったらしい。

 着替えることなく眠ってしまった自分に対し、思わずそう言って自分で呆れてみせるのだが、それを笑ってくれる人も、一緒に呆れてくれる人もいない。

 いつも通りだ。いつも通りこの博麗神社には霊夢独りだった。一人なのに独りとついつい思ってしまうのは、目覚めの悪さと関係あるのだろうか。

 そう自問しながら、障子を勢いよく開ける。

 ピシャッという心地好い音とともに入りこんで来る朝日を浴び、いつも通りの朝が始まるのだ。そんな日常を、霊夢は視界を封じるながら感じることが日課なのだが、生憎と今回は余分な雑音が入りこんだのでいつもより早めに目を開ける。ついでに舌打ちもセットだ。

 だがそんな彼女の苛立ちは、驚きによって即座に消し飛んだ。

 先ほど勢いよく開けた障子が、ものの見事に嵌めていた溝から脱線してしまっていたのだ。それも両方とも。

 その現状を把握して、ため息とともに先ほどと全く同じ呟きをする霊夢。

 やれやれと呟きながら障子を戻し、気を取り直してペタペタと素足で土間へ向かうことにした。

 腹が減っては戦はできぬ。

 多少のアクシデントがあったとしても、まずは腹ごしらえ。というのが霊夢の生活スタイルだ。

 そんな調子で土間に到着した彼女が真っ先に行うことは、竃に火を入れることだ。そしてある程度火を大きくした後は予め用意しておいた生活用水で顔を洗い、即座に火加減の調節に移る。片方は魚を焼くため、もう一つはご飯を炊くための火だ。

 霊夢がまだまだ幼かった頃はご飯を炊くのは面倒だと感じ、失敗ばかりしていたが、数年も経てば手慣れたもので、もう目を瞑っていてもできるのではないか。と、彼女は密かに思っていたりする。

 ただ淡々と作業をこなしていく霊夢だが、彼女の顔が不意に神社の外へ向いた。そしてため息を一つ吐く。これも彼女の日常だった。

 

「お~~い霊夢~~。朝飯一緒に食べようぜ」

 

 同じ女とは思えないほど粗い言葉使いのセリフに、毎度のことながら苦笑するのも、彼女の日常だった。

 

 

「あんたはさ、いい加減うちにご飯たかりに来るのやめてくれない?」

「持つべきものは親友だな!」

「友達、ね。それと友情だかなにかがなくなりかけていることを自覚しなさいよ。全くもう」

 

 一見すれば強引な少女と真面目な少女による、あまりいい印象を受けない一方的な会話だ。だが、両者のほがらかとした表情を見る限り、どうやらそう言う会話ではなさそうだ。

 霊夢のほうは長い黒髪に大きな赤いリボン。そして袖が無く、肩・腋の露出した赤い――改造された巫女服を着ているが、一方ともに食卓を囲う相手である霧雨魔理沙は、長い金髪の片側だけおさげにして前に垂らしていて、黒いドレスのような服に白いエプロンを着けたような服装だ。

 和式と洋式。明らかにベクトルの違う容姿、服装の二人だが、十年以上の交友関係を持つ気の置けない仲だからこそ、二人とも楽しそうに食事をしている。

 それは霊夢が味噌汁に口をつけている最中に、「冷たいこと言うなよ~~」と魔理沙が泣きついてきたが、それをあしらう霊夢と魔理沙がまるでじゃれているように映ることからもわかる。

 もっとも、本当に霊夢が魔理沙と食事をしたくないのであれば、わざわざ魔理沙の分のご飯まで予め炊く必要はないのだから、嫌がっているはずはないのだが。

 

「このきのこ、味噌汁とあうわね」

 

 味噌汁を味わって霊夢が何気なくそんなことを呟いた。しかし、一方ほ魔理沙は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、興奮に身を任せて口を開いた。

 それは一瞬で燃え盛る炎が出現したようであり、非常にわかりやすい変化だった。

 

「だろう! それは私が森を彷徨ってようやく見つけた一品なんだぜ!!」

「ふーん、そうなの」

「おっおぅ、そうなんだぜ」

 

 だがしかし、魔理沙が予想していたよりも霊夢はかなり薄いリアクション――というかほぼ無関心のようだったので、肩透かしを喰らった心地がした魔理沙はたまらず黙ってしまう。

 それは一瞬で炎が消化されたようであり、非常にわかりやすい変化だった。

 一方の霊夢はと言うと、魔理沙のほうに全く興味を向けず、淡々と食事をしていく。

 

(なんだ? なんなんだ? この空気は?)

 

 なんとも言えない静寂。だが不気味な沈黙は、魔理沙に肩身が狭い思いをさせるには十分だった。

 そしてこの時ばかりは、彼女がこの場の空気を読む能力が欲しいと切実にないものねだりをするほどの焦りを生み出していた。

 

「なぁ霊夢、そのきのこ――」

「聞かないわよ」

 

 魔理沙は自分の心臓が、いつもよりも大きな音を出したような気がした。

 そして返答にどのような言葉を言えばいいのか彼女が選んでいる最中に、霊夢は淡々と味噌汁を一口飲んで続ける。

 

「どうせあんたのことだからくだらないきのこ解説したいんでしょうけど、あれいいから。私からしたら興味ないし」

 

 それは偽りのない霊夢の本心なのだろう。その言葉に内包された、滲み出るかのような無関心という感情と、若干の魔理沙に宛てた怒りを読み取って、魔理沙はそう確信した。

 となれば深入りするのは流石の魔理沙でもはばかられるので、魔理沙はおし黙ってしまう。

 一方の霊夢はというと、幼なじみのわかりやすい態度を見て、バレないようにため息をもらしていた。

 霧雨魔理沙という少女は我が強く、様々な欲求をストレートに口にする少女なのだ。もちろんそれには社会的欲求も含まれているので、自慢話や武勇伝などを聞かせて、評価を求めるといったことは昔から今まで変わらず、積極的に行っている。

 子供の頃は互いの保護者に言うと怒られるようなことをしていたりしたので、主に霊夢の兄に聞いてもらっていたのだが、最近はもっぱら霊夢が担当だ。

 もっとも、二人もいい年頃なので、肝が冷えるような無謀な武勇伝を自らの保護者役の人に話すようになってきたようだが、それでも霊夢のほうが話を聞かされる比重が多いことに代わりはない。

 そして、霊夢のほうはそんな魔理沙の自慢話を、いい加減飽き飽きしているので、強い口調で断ったのだ。

 だが、それでもやはり淡々と食事することは避けたいと魔理沙は考えているので、咄嗟に別の話題を口にする。

 

「そうだ! そうだよ霊夢――」

「何よ。急に大きな声出して」

「――いや、私がここに来た時のお前の格好。ありゃなんだ? 髪はぼさぼさ、服はシワクチャ。本当に霊夢なのか一瞬判断に迷ったぜ」

 

 魔理沙の中では、博麗霊夢という少女は自分と違って優等生というイメージだ。

 言われたことはそつなくこなし、我儘はあまり言わず、それでいて修行も熱心に行うなど余念がない。

 だが彼女のその生き方を見て、魔理沙は息が詰まる、つまらないと称するが、それは彼女があまり周囲に関心がなく、博麗神社の巫女という立場以上のことをほとんどしないことから来ている。

 その代わりと言う訳ではないが、霊夢は博麗神社の巫女としての部分は――つまるところ、生活のほぼ全てを――優等生らしく完璧にやっているのだ。

 そういうイメージがあるからこそ、今朝魔理沙が目撃した霊夢のだらしない姿というのは、当の本人が思っている以上に衝撃を与えていた。

 

「親友なら迷わないでよ」

「いいや、親友だったらまず――」

 

 だがそんな魔理沙の心情を知らないため、茶化すように、だが淡々と述べる霊夢。しかし、魔理沙は真剣そのものといった表情で食卓から身を乗り出し、目と鼻くらいの距離まで顔を近づけた。

 

「――お前の心配をするものだろ? 何かあったのか? 霊夢」

 

 そう口にする魔理沙だが、それが果して本心かどうかは、彼女自身にもわかっていなかった。

 

「別に何もないわよ」

 

 そして、返事は即答だった。

 そんないつも通りの、淡々と述べる霊夢を見て、魔理沙は安心したような、納得できないようなといった感情の入り混じった複雑な表情で、勢いよく体を元の位置に戻す。

 

「そっか。つまり今日はあの日ってこと――」

 

 場を和ませるように満面の笑みで言った魔理沙だったが、霊夢の返答はお盆によるものだった。

 勢いよく投げつけられたお盆は魔理沙とぶつかるや否や盛大に音を立て、そのお盆を顔に張りつけたまま、魔理沙は後ろに倒れていった。その様をいい気味だと言わんばかりに鼻を鳴らしつつ見つめる霊夢の顔には、怒り。

 

「そうよ、何もないんだから……」

 

 だが次の瞬間にそれらは消え、ポツリと言葉を落していた。その時霊夢の頭の中では二つの言葉が響いている。

 

『そうね。あと十年くらいしたら、霊夢に巫女の仕事を手伝ってもらおうかな』

『そうだな。霊夢があいつのような、立派な巫女になったなら戻って来るかもな』

 

 それは幼い頃にした、大切な人達との約束。

 これらの約束をしてからもう十年の月日が流れていた。霊夢は、その十年で先代の名に泥を濡らないため、修行ばかりの日々に明け暮れた。

 今まではたまたま運がよかったのか、巫女としての大きな仕事――妖怪退治の仕事は一回もなかったが、それでも約束から十年が経ったのだ。約束の通りならば、手伝いではあるが、妖怪退治にも参加している年頃になった。

 だからだろうか。妖怪退治という仕事を、どこか待ちわびている節が霊夢にはあった。故に興奮しているのではないかと聞かれたら、霊夢の答えは違ったものになっていただろう。

 なぜなら、妖怪を退治して異変を解決することが、巫女として認められるための近道だと霊夢は考えているからだ。

 そんな様子だから、あの夢を見るのだろうか。

 霊夢はそう自問して、あの時に思いを馳せる。

 

「いっつつつ……お前なぁ! ちょっとは加減してくれよ加減を!!」

 

 しかしそんな思いも束の間、どうやら魔理沙が起きたようだ。その言葉には怒気が孕んでいるのでわかりやすい。

 

「寒いギャグ飛ばすあんたが悪いのよ! 全く、おっさんじゃあるまいし……」

 

 そう軽く流しているが、内心ではもっとドロドロとした、熱い怒りがあることを霊夢は自覚できてはいない。

 

「あぁはいはい。わかったわかったって。人が折角心配してるって言うのに――」

 

 そう軽く流してはいるが、内心では醜い、汚泥のような感情があることを魔理沙は自覚できてはいない。

 二人の少女達はどこまでも年相応で、まだまだ不安定なのだ。

 そんな中で、霊夢は思いついたように口を開いた。

 

「じゃあ聞くけど、仮に私に何かあったとしたら、あんたは何してくれるのよ?」

「魔理沙様特製、どんな病気もイチコロ粉末を差し上げるぜ!」

 

 よくぞ聞いてくれました!

 そんなテンションで自信満々に答える魔理沙とは対称的に、空気のほうは凍てついていた。

 そして霊夢の顔は青ざめ、このまま恐怖で倒れてしまってもなんら違和感がないくらい、その体は激しく、そして小刻みに震えていた。

 

「……わかったわ。あんたには何があっても大丈夫だ。問題ないって答える」

「それはそれで問題があるだろ」

「あ、でも待てよ……そういえばあるわね。何か」

「おっ? 魔理沙様特製粉末の出番か?」

「それはないから安心して」

 

 霊夢の鋭い牽制に対し、即座に不平不満を口にする魔理沙だが、霊夢は気にせず淡々と声を発する。

 

「ここ最近、仕事がなくて暇なのよ。だからお礼の品も来ないし、そろそろ食材がなくなって来たのよね」

「はぁ……」

「だから私に仕事くれない? 報酬はもちろんコレで」

 

 そう言って親指と人差し指で円をつくり、いやらしい顔で笑う親友を見て、魔理沙は彼女と親友であることを軽く後悔していた。

 だが、博麗の巫女に仕事がない。というのはおかしな話であることは確かだった。

 博麗神社は、ここいらの界隈――下手をすればもっと広い意味で、本当に唯一かも知れない神社なのだ。故に神社がする仕事、退魔師がするような仕事は全て、ここ博麗神社に回ってくる。

 今までは霊夢が食いぶちに困らない程度にはあった仕事が、霊夢が嘆くほどには来ていないというのは、通常からすれば有り得ないことだ。

 だが、その理由を知っている魔理沙からすれば、なんとも退屈な話であった。

 

「お前、私がそんなもの持ってないこと知ってるだろう」

「あったら確実に霖之助さんのところに流れてるだろうしね」

「そりゃお前もだろ。……しかし霊夢。お前巫女さんしてるくせに知らないのかよ」

「してるわよ。妖怪退治はまだだけど、祈祷とかお祓い、結界は先代よりも凄いって評判なんだから」

「おーそりゃ凄い。ってそうじゃないんだよ」

「何がよ」

「理由だよ理由。お前に仕事が来ない理由」

「えっ!? そんなのがあるのっ!!? 言いなさい! 誰よ私の食いぶちかすめとってるやつは!!」

 

 どうやらかなり食生活に対して焦りが出てきていたのだろう。霊夢は魔理沙の両肩を掴むと、続きを催促するために勢いよく揺すり始めた。

 

「ちょっ、ちょっと待て霊夢……。ぐるっ、ぐるじい……」

「とっとと吐きなさいよ! 私の今後の生活がかかってるんだから!!」

 

 そう言って揺すり続ける霊夢とは対称的に、魔理沙の顔はドンドンと青くなっていく。

 そして魔理沙の返答がおぼつかなくなってから一分が経過し、魔理沙は霊夢の言うように吐いた。それはもう盛大に。

 

 

 

「あぁ、巫女もここに来る途中でわかったと思うが、あの紅い霧が現れてから妖怪達が活発化して、迂闊に人里から外に出られないんだ」

 

 そう言いながら霊夢にお茶を出すのは、腰まで届くかも知れない青のメッシュが入った長い銀髪を持つ女性――上白沢慧音だ。

 彼女は人里で寺小屋の教師をやっていて、人里の中でも知識人として有名な人物だ。

 そんな彼女の元へ、食事やら何やらの後片付けをした後、魔理沙の提案でそんな彼女の元を霊夢は尋ねていた。

 魔理沙曰く「人里で異変が起きているんだから人里で詳しい事情を聞くのがいいだろう?」とのことなのだが、理由を知っているような口振りで話していた魔理沙に対し、人里に行く途中で霊夢が「あんたも詳しく知らないんじゃない」と呆れたのは余談である。さらなる余談として、霊夢一人で慧音の元へ尋ねているのは、魔理沙は人里の外で待機しているからであった。

 そんな、ちょっと面倒な事情で慧音の元に来た霊夢だったが、縁側に座り、庭を眺めながら無言でお茶を手に取り、スッと口をつける姿は完全に巫女として恥じのない、稟とした動作だった。

 にもかかわらず慧音は静かにため息を吐いているのだが、生憎とそれを気にするような精神は、霊夢には備わっていなかった。

 だが代わりに、彼女は人里を訪れるまでに遭遇した、数々の妖怪達の様子について考えていた。

 

「あの霧のせいで、太陽の光を浴びていないのが原因ね」

 

 霊夢のその考察に、慧音は満足げに頷いた。

 

「よくわからないけど、興奮しているのはわかったわ」

「多くの妖怪にとって、朝よりも夜のほうが過ごし易い。人間は夜のほうが過ごしにくいから夜に睡眠をとるが、妖怪達はここ最近、一日中活動をしたままの状態だ。興奮もするだろう」

 

 慧音は微笑をしながら続けた。

 その顔は、生徒の回答を詳しく説明する教師そのものといった様子だったので、霊夢は教師が彼女の天職なのだろうと密かに感じていた。

 

「巫女も一日中昼のようだったら、寝ずに修行に励むだろう?」

「まっ! まぁそうかもね。否定はできないわ」

 

 ぼんやりと考え事をしていた霊夢に対し、慧音はそう言って笑ってみせる。

 霊夢からすれば咄嗟に振られた話題だったので、彼女は頬を赤らめながら、お茶を飲んで緊張を紛らわそうとした。

 もっとも、結局正直に答えてしまったのだが。

 慧音はその動作を若々しくて微笑ましいと感じていたので、ついつい笑みが零れていた。

 

「うんうん、当代の巫女は理解がよくて助かる」

「えっ?」

 

 唐突に出た“当代”という言葉。直感的に続く言葉を予測した霊夢は、いつの間にか身構えていた。

 

「先代の博麗の巫女と、彼女の相棒はどちらも物事を深く考えない人だったからな。私と、八雲紫がどんなに丁寧に説明しても、端的に――というかざっくばらんに物事を捕らえて、そして異変を解決していった」

 

 慧音の口から漏れた言葉は、霊夢の予想した通り彼女の母とそして兄の話だった。それも、幼い頃は彼女が踏みこむことができなかった世界の彼らの話。

 慧音は愚痴るようにそう言いながらも、その顔には深い感慨に染まっていた。

 

「いつも無茶と無謀なことをする二人だったが、今思えば、あれが正しかったのかも知れない。口にするのは難しいが、そういう強さが二人にはあった。もっとも、そのせいで私達は苦労したがな」

 

 気苦労と思い出を吐き出すような声だった。

 慧音の満足そうな顔と話の内容は、決して霊夢の腑に落ちるものではなかったが、それらから、自分が追いかけている背中がどれだけ遠い位置にあるのか。先行く二人の凄さの片鱗を感じ、霊夢は戦慄していた。

 続く慧音の、霊夢に対する賛辞など彼女の耳には入らない。

 先代の巫女。彼女の時代は、過去類を見ないほど妖怪が台頭し、パワーバランスが不安定だった、動乱の時代だったという。

 その中を博麗の巫女として駆け回り、多くの強力な妖怪を封印、滅した先代巫女は、最強の巫女との呼び声が高いことは当時を知らない霊夢も知っていた。

 血濡られた新年。

 煉獄の五日間。

 極光の夜。

 知識として、事実としてそれらの事件の概要を知っている霊夢だが、当事者にして異変を解決に導いた二人がどのように戦ったのか、どのように活躍したのか、霊夢は知らない。

 知らないからこそ、霊夢は二人を恐れ、自らを強烈に戒めていた。

 彼女の目指す高みは、それほどまでに高い場所にあるのだ。

 だからこそ霊夢の知らない、二人のそういった一面の話に霊夢は傾注し考察する。それらの行動は、もはや霊夢にとって義務レベルのことだ。

 

「しかし……まぁ、その……なんだ」

「何よ?」

 

 先ほどから全く慧音の話を聞いていなかった霊夢だが、急に歯切れが悪くなったので咄嗟に反応してしまった。

 

「いや……あぁ、別に隠すようなことでもないか」

「だったらさっさと教えなさいよ」

 

 慧音のなんとも言えない、中途半端な態度に口を尖らせて尋ねる霊夢に慧音は観念しのか、渋々と続けた。

 

「一ヶ月ほど……前だったかな。どうも茶畑から茶の補充がされてないようなんだ。そのせいで茶の値段が若干だが上がってしまっているんだ」

「ふーん、そうなの」

 

 霊夢は聞きだしておきながら特に興味なさげに答えるが、慧音がその態度に警鐘を鳴らす。

 

「そろそろ巫女のところも茶がなくなる頃じゃないのか? ことが長引けば、神社にお茶を渡す人がいなくなるかも知れないんだぞ」

 

 慧音のその言葉に霊夢の背筋はピンとなった。そして脳内では高速で茶の備蓄の有無を確認するが、その様が滑稽だったのか、慧音は失笑していた。

 

「ま、まぁその件もついでで解決しておくわ。でも先に紅い霧よ。あれをどうにかしないとお供え――じゃなくてって――」

 

 霊夢は何か閃いたのか、咄嗟に指を鳴らす。

 

「――そうよ、その霧のせいで妖怪が暴れているから、お茶を運べないんじゃないの?」

 

 私ったら天才ね。と言わんばかりのドヤ顔で自分の推理を披露する霊夢だが、そんな推理は正しいはずがないのがお約束というやつだ。

 

「いや、それはない。紅い霧が現れたのは新聞を見る限り二週間前。対して茶が運ばれなくなったのは一ヶ月前だ。時期があわない」

「そうなの? って、あんなゴシップ新聞なんて信用できるの?」

「ゴシップ新聞を自前でつくる程度には、天狗という種は異変に敏感だ。やつらの憶測はまだしも、事実確認としてなら利用して問題ないだろう。事実――」

 

 そう言って慧音が立ち上がり、引出しから多くの紙を取り出すと、霊夢の前で並べ始めた。

 

「これだけ多くの天狗が取り上げているんだ。この時期に紅い霧が発生したことを疑う必要はないだろう」

「なるほどね」

 

 だが慧音の言う通り、その紅い霧に関しての各々の考察はひどいという一言で済んでしまうほど突飛なものから、っぽいものまでピンキリで、結局何が原因なのかは全くわからないのだが、霊夢は二つが別件であることがわかっただけマシかと無理矢理納得する。

 

「あと風の噂だが、強力な妖怪が茶農家と人里とを繋ぐ道を塞き止めているという話もある」

「へぇ、ならまずはそいつに話を聞いてみるのが手っ取り早そうね」

 

 縁側から庭へ、軽く跳んで立ち上がる霊夢の無邪気な笑みに、慧音は深くため息を吐いた。

 

「やれやれ、向こう見ずなところは誰に似たのか……」

「あの母さんの娘で、兄さんの妹だから当然よ」

「だが、まだ妖怪相手の経験が不足しているだろう。それなのに――」

「大丈夫、私は一人じゃない。母さんみたいに、頼りになる相棒がいるんだから」

 

 そう言い残してさっさと飛び立ってしまう霊夢の顔には、早く異変を解決したくてうずうずしている。そんな思いで一杯だった。

 それをチラリと確認できてしまったので、慧音はまた大きくため息を吐いた。

 

「あの子は、早く博麗の巫女として認められたいんだろうな」

「でしょうね。けれど、若さ故か急ぎ過ぎているように見えるわね」

 

 慧音の背後から突然声がした。

 しかし慧音は別段驚いた様子を見せず、振り返ることなく言葉を続けていく。

 その背後には、上半身しか見えない女性がいるにもかかわらず。

 

「それで、今回はどんな策を仕組んでいるんだ? スキマ妖怪」

「あら、いくら協同で結界を維持しているからといっても、巫女に関してあれこれとかかわれるほど、私も暇ではなくってよ」

 

 じゃあ今この時はどうなんだと慧音はツッコミかけたが、それをグッと我慢して、続ける。

 

「そうか。……なら一つ聞かせて欲しい。あの子は今回の異変を解決できると思うか?」

「それは彼女自身が決めること。采は投げられているわ。私達にできることは結果を待つだけ……」

「そうか……」

 

 その言葉が果して本音なのか。慧音は少し考えて、考えても無駄だろうと諦める。

 だが、当代の巫女は今回が始めての異変解決だ。万が一にでも命を落したら、とそこまで考えて、慧音は納得したように呟いた。

 

「あぁ、そういえばこれはいつものことだったな」

 

 後ろでは、スキマ妖怪が同意の表情をしているのだろう。慧音にはその確信があった。

 思えば先代の巫女も、命の危険がある異変を自分達だけで解決しようとする傾向があった。それはできるだけ危険な目にあうものを減らすためだとは知っていたが、それでも見守る側からすれば思わず冷汗を滴らすことを平然と、そして何食わぬ顔でやっていた。

 そう、だから慧音達が心配するのはいつも通りのことで、ここしばらく経験していなかった感覚だと言える。

 慧音は思わず霊夢が飛んでいった後を目で追った。

 寺小屋の縁側で過去の感傷に浸るものが二つ。彼女達は、互いに巫女の軌跡に目をやって何を思うのか。

 いつも通りだった。

 ただ異変の解決を信じて待つ。彼女達にとって、懐かしい非日常が帰って来たのだ。

 

 

 

 木々が青々と生い茂る、唯一山と形容できるほどに地面が隆起したところは今慌ただしい限りである。

 もっとも慌ただしくしているのは天狗だけなのだが、山に住む妖怪達を束ねる長が天狗である以上、同種である天狗の行動は、山の中に大きな影響を及ぼしている。

 だが慌ただしくできる天狗というのは往々にして自由人なので、そんな影響のことを鑑みているのかは疑問が残る内容だ。

 そんな自由人共がなぜ騒いでいるかというと、約十年振りとなる公な異変――紅霧異変が発生したからだ。

 先代の巫女が謎の引退をして現在に至るまでの十年間。人間と妖怪が共生するこの幻想郷において、なぜか妖怪が大きな事件を起こしたことがない、空白の時間が過ぎていた。

 もちろん夜道で人間を襲ったという小さな事件は散見していたが、少なくとも今回のような、広範囲に影響のある、または何週間も続く異変は約十年振りなのだ。浮き足立つなというほうが無理がある話だが、天狗という種族は妖怪の中でも変わった種であることが災いした。

 天狗という種族は、幻想郷に住む数ある妖怪の中でもトップクラスの速さを有する種族だ。

 その速さを誇り、幻想郷中を駆け回った彼らは、次第に訪れた場所で見聞きしたことを広めるようになり、それが広がって今は『新聞』を独自につくり、仲間とそのできを競い合うようになっていた。

 そしてこの紅霧異変は――十年振りの異変は、彼らの格好のネタとして取り上げられていた。

 まるで渇いた大地に捧げられた水をたかる亡者のように異変の概要を知るために奔走している天狗達。そう、この異変で一番騒ぎ立てているのは他ならぬ彼らだ。そんな彼らの住処である山は、当然の如く荒れていた。

 そんな山を僧服の上に蓑を纏い、笠を被った男が一人で登っていた。

 川に沿うように歩く僧侶は慣れた足どりで川沿いを歩いていく。だが上空に流れる人影を眺める目は険しく、悲しみを帯びていた。

 

「吸血鬼による恐怖政治が続き、異変らしい異変は起きていなかったが……どいつもこいつも浮き足立ちすぎている。幻想郷は、しばらく不安定な状態になりそうだ……」

 

 そしてそれを背負うのは若者という、背負う側からすればたまったものではない現状を憂い、僧侶は笠を深く被りなおした。

 だが川のせせらぎは僧侶の心を和ませるように優しく音を奏でている。

 僧侶は周囲を見渡して、ゆっくりと腰を降ろした。腰から竹の水筒を取り出して、一口だけ飲む。

 美味い。その声は川にうつるように響いていった。

 笠を外し、僧侶の長い黒髪が表になる。その髪が唐突に吹いた強風に煽られながらも、僧侶はもう一口水筒をあおっていた。

 

「最近、白狼天狗の質が下がったんじゃないか?」

 

 水筒から口を離し、僧侶はそう口にする。

 

「なぁ。文」

 

 僧侶のその呼びかけに答えたのは、いつの間にか背後に立っていた女性だった。

 

「そう言われてもね……剣が相手なら仕方ないんじゃない?」

「オイコラ。てめー、それが兄貴に対する口の聞き方か?」

 

 剣と呼ばれた僧侶が穏やかに、けれど明確な叱責の意味合いを持つ言葉を投げた。

 けれど、ボブショートと黒髪と赤い山伏風の帽子を被った女性――文は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「生まれた日は一緒でしょ。ちょっと生まれた時間が速いだけなのに年上顔するなんて、馬鹿じゃないの?」

「はいはいわかったよ。全く、うちの妹はバカイやレンコには可愛い猫を被るんだがねぇ……俺には可愛いげを見せやがらねぇ」

「鬼と空狐にタメ口で話す剣のほうがおかしいのよ」

「はいはい、如何にも天狗らしい主張ありがとさん。もうお腹一杯だぜ」

「で、その天狗に何の用なのよ? 偉大な仙人様は」

 

 嫌味な口調の剣に、これまた嫌味な口調で返す文。だが剣は自然にそう言ったのに対し、文は心底憎そうにそう告げていた。

 だが、その文に返す剣の言葉と態度はやはり軽い。

 

「おぉそうだったそうだった。用がなきゃ、こんなとこにはこねーしな」

 

 言いながら、剣は文に水筒を差し出していた。

 怪訝な顔をする文だったが、「ここまで急いで来てくれたんだろ? 飲めよ」という剣の労いの言葉を受けて、頬を染めながら乱暴に受け取った。

 

「バカ兄貴! あんたはいつだって急過ぎるのよっ! なんでここに来るその日に知らせるかなぁ!?」

「そりゃお前、あれだ。今日思いついたからだよ」

 

 中身を飲み込んで、水筒から口を離し、文は即座に出掛かっていた返答を口にした。

 

「あんた、自分の立場わかってるの?」

「裏切り者。だろ?」

「こんなところまで来ているのが見つかったら、処刑されちゃうかも知れないのよ?」

「知るかよ。知ったことじゃねー」

 

 笑い飛ばしながら文から水筒を引ったくる剣。だが文の顔は険しいままだ。

 天狗という種族は、河童の協力もあって高度な文明社会を有している。高度文明の特徴は団結だ。天狗は様々な種類がいるため、種類間で役割と地位を決め、縦方向支配の集団体勢をつくっている。

 天狗という種族だけの社会をつくりあげたのだ。

 その社会は同種族間の強固な結束を生み出したが、別種族はとことん嫌う排他性をも生み出してしまった。

 そんな社会が、一度そこから抜けた者を歓迎しないのは当然だった。

 

「あんたはそれでいいかも知れないけどね――」

「そういえばお前、続けてるんだっけか。新聞」

 

 剣はついさっきまで仲間達と一緒に読んでいた文々。新聞の紙面を思い出しながら、水面に目をやってそう言った。

 文は顔を引き攣らせ、何かを考えているようだが、数刻経って意を決したのか口を開く。

 

「兄さん。やっぱりこっちに戻らない? 沙耶だって――」

「文。あの紅い霧の首謀者を知りたくはないか?」

 

 剣が川に石を投げ入れた。水面を何度も跳ねていく石を見て、文は剣の意を察したのか、話をあわせる。

 その顔が、とても辛そうで、微風が流れただけで壊れてしまいそうなものであることを、川に石を投げている剣は知らない。

 

「もちろん興味はあるわ。それが新聞記者の性だもの」

「ならついて来い。俺が特ダネをくれてやるよ」

 

 その時剣は笑っていたのだろう。楽しそうに立ち上がる剣の背を見て、文は慌てて疑問を口にする。

 

「ついて来いってあんたどこに――」

「紅魔館だ」

「こっここここ紅魔館!!? 冗談じゃないわよ!! あそこは立ち入っちゃいけないっていう決まりが――」

「依頼料はもう払ったんだ。嫌とは言わせねーぜ」

 

 文と目をあわせて、喜劇を観賞するように笑う剣を見て、文の頭は剣の言う「依頼料」のことを考える。

 

「あっ!!?」

 

 そして思い出す。剣から渡され、口にした水筒を。その中身を。

 気がついた様子の文を見て、剣は盛大に吹き出していた。

 

「その通り! こいつはバカイから巻き上げた酒だ。お前が飲んだ量だけでこの夏は食い物に困らねぇほどの一品よ」

 

 見事に策が決まったことがよほど嬉しかったのか、剣は水筒に口をつけた後、ひっくり返るほど笑っていた。

 そんな兄の姿を見て、文は爆発しそうな感情を、拳を握り締めることで抑制した。

 

「このバカ兄貴……妹を嵌めやがった……」

「んあ? 妹扱いは嫌だったんじゃねぇのか?」

「わかったわ。いくわよ。紅魔館だろうが地獄だろうが行ってやるわよ。ただ――」

 

 歯軋りの音が響く。

 遂に文が握った拳を振り上げたのだ。

 

「――残りの酒は渡しなさいよー!!」

 

 

「――やれやれ、兄妹水いらずの貴重な場面だと思っていたが、相変わらずのようだな。文も、剣も……」

「天魔様……その、よろしいのですか? 射命丸剣と言えば……」

「ん? あぁそうだな。確かに目的の有無にかかわらず、あいつが山にもたらす影響は未知数だ」

 

 どうしたものかな。そう思案する天魔と呼ばれた女性は、ひらめいたと言わんばかりに指を鳴らす。

 

「ここは、封城(かねしろ)殿に意見を聞いてみるか」

「狐の賢者に、ですか?」

 

 それを聞いた従者はキョトンとしている。

 

「確かにその知略は名高いですが、何も彼のお方と限定しなくても……」

「私の考えに何か不安があるのか?」

 

 決して振り返ることなく、威圧するように呟いただけで、従者の背筋は伸び、その頬に汗が伝う。

 

「いっいえ! すぐに使者を出します」

 

 そう残して外へ駆け出す従者を尻目に、天魔は苦笑して「やりすぎたか……」と呟いていた。

 あのような押しつけるもの言いを、上にいる者でありながら彼女はどこか苦手意識を持っているからである。

 彼女が先ほどまで覗いていた水晶に視線を移すと、追いかけっこをしている兄妹の姿があった。

 水筒が無雑作に横たわっているので、どうやら文が酒を飲もうとしたが、既に空だったのだろう。そのしたたかさを賞讃するように天魔は小さく笑い、静かに二人のじゃれ合いを見つめていた。

 

「もう死んだものと思っていたが、ここに顔を出したのが運の尽きだぞ剣。聞かせてもらうぞ、お前の話を。そして聞いてもらうぞ、私の話をな」

 

 怒りで剣を追う文。追われる剣。

 だが互いに楽しそうに、懐かしそうにそれをしていることがわかってしまうからか、天魔はその水晶を叩き割った。

 

 

 

 博麗霊夢という少女は天才である。

 おそらく、これは本人以外の彼女に対する共通認識ではないか。そんなことを、霧雨魔理沙は考えていた。

 霊夢が人里で情報収集している最中、彼女は人里の外で待機しているのだが、人里から少しだけ離れているこの待ち合わせ場所さえも、紅い霧に覆われ、妖怪達にいつ襲われるかわからない危険地帯と化している。

 これでは力を持たない一般人は出歩けなくなるのは仕方のないことと言えるだろう。

 だが、そんな場所で魔理沙が物思いに耽ることができるのは、ひとえに霊夢が張ってくれた結界のおかげだった。

 いくら紅い霧のおかげで太陽の光を浴びることなく活動できているといっても、人里近くにいる妖怪ははっきり言って弱いので、魔理沙や霊夢からすれば取るに足らない相手なのだ。

 だがそれでも長時間に渡る消耗戦に発展していく可能性があるので、結界であしらうことにした訳だ。

 その結界一つにしても才能をうかがうことができる。少なくとも魔理沙はそう感じていた。

 繰り返すようだが、博麗霊夢という少女は天才なのだ。

 持たざる者である魔理沙とは違う。歴代の巫女の中でも最も優れた天賦の才を有し、それを磨くための努力を惜しまなかった彼女は、小娘と形容できる年齢にありながら、大賢者が歴代最高の巫女と太鼓判を押すほどに成長していた。

 そんな彼女の張った結界は一見すれば美しい。だが結界に特化していなければ一流程度の妖怪ならあしらってしまうほど機能に優れた結界なのである。

 そんな結界を、同年代の魔理沙が張れるのかと聞かれれば、おそらく一生かけてようやくといったところだろう。

 次元が違うのだ。おまけに彼女は恵まれている。

 

「本当に、敵わないよなぁ」

 

 何もない。全くの零から全てやってきた自分とは違う。

 そんな劣等感を、彼女の結界の中にいるだけで感じてしまうのは、感傷的になりすぎているのだろう。

 そう自嘲して、魔理沙は笑みを浮かべた。

 

「やめだやめ! 悲劇のヒロインなんて私にはあわない。あの人に近づくために、まずはあいつを越えるって決めたんだ!!」

 

 誰かに伝えたいわけではなかったが、言葉は口から溢れていた。だが決意の言葉とは裏腹に、その表情は諦めに染まっていた。

 心地好い滑空の音が聞こえる。

 彼女が来たのだ。間違いない。

 ならば笑顔で迎えなければなるまい。二人は親友なのだから。

 そして魔理沙は笑顔を被る。とても厚く、重たい笑顔だ。

 だが彼女はそれを被り続けている。その胸の内を悟られぬように。

 

 

「ほー、まさかお茶が品薄とは……。この日のためにお茶を溜め込んどいた奴がいたら一攫千金、億万長者だな」

 

 片手間で光弾を放ち、どこからか飛び出してきた影を吹き飛ばしながら魔理沙は言う。

 それに対して霊夢は「そうねぇ」と軽く相槌を打ちながら、魔理沙とはまた違う光弾を放っていた。

 紅い霧で光がまともに差しこまない――大の大人さえ恐れる森の中を、少女二人は平然と、普段通りの調子で進んでいく。

 それは通常ならば異様な光景だろう。だが端から見れば、この二人の少女達からして異様なため、その二人が異様なことをしても、既に異様なため仕方ないと思えてしまう。

 飛んでいるのだ。二人は。この森の中を。

 本来ならば森の上空まで高度を上げるのだが、どこで慧音曰く「強力な妖怪」が潜んでいるかわからないので、二人は森の中を飛んでいた。

 繰り返すが、これは常人ならば目を疑う状況であることは間違いない。

 もっとも魔理沙の場合は、リボンのついた黒い三角帽子を被って、且つ箒に股がって飛んでいるため、いかにも魔法使いに見えるため飛んでいても違和感は少ないのだが、霊夢にいたっては特になにもなく、当たり前のように飛翔している。

 だが、彼女の場合は博麗の巫女という肩書が異様を正常とする免罪符になっているため、特に問題は起きていないようだが。

 彼女達は手慣れた様子で森の中を駆け抜けていく。その速さは普通に走ることよりも遥かに速く、活発化している妖怪達も簡単には襲いかかることができない、捕らえることができないため、特に戦闘らしい戦闘は起きておらず、順調に進んでいる。

 ふと、魔理沙は霊夢の顔色をうかがった。

 こうしてともに空を駆けることは何も特別ということではない。あの神社の敷地から外に出ようとしない霊夢を連れ出して、外の世界を一緒に見ることは何回もしたからだ。

 だが今回は事情が違う。

 ここ十年ほど、博麗の巫女として特別大きな仕事である妖怪退治がない平和な時間が流れていた。

 だが今、彼女達はその妖怪退治を行おうとしている。

 今、彼女達は偉大な先人達の背中へ向かって駆け出したのだ。

 だからこそ魔理沙は相棒の心情を知っておきたかったのだ。彼女は、はたして自分と同様の興奮を抱いているのかどうかを。

 そして魔理沙の視界に飛びこんで来たのは――強烈な閃光。

 

「へ?」

 

 自分でも間の抜けた声が出たたと、どこか他人事のように感じていた。

 だが次の瞬間、霊夢が自分に向けてビーンボールを放ったのではないかという怒りに感情を燃え上がらせると、続けざまに聞こえた――まるで汚物を踏みつけてしまった時の叫びような――断末魔にハッとして、正面に振り返る。

 

「遅い。あと前方注意」

 

 いつも通りの調子で言う霊夢だが、魔理沙の返答は疑問のそれだった。

 どうやら霊夢が自分に襲いかかった妖怪を仕留めてくれたのだろう。それは理解できたのだが、妖怪の体が爆散し、立ち籠めた煙のせいで視界が塞がれた魔理沙には、霊夢の言葉の真意が理解できないのだ。

 だが、理解の時は数瞬後に訪れた。小規模に立ち籠めていた煙はすぐに抜け、視界を取り戻した魔理沙の目の前に広がるのは――お約束の大木だ。

 思わず絶叫しながら魔理沙は体を傾け、大木を避けるように進行ルートを変更する。

 いける! そう魔理沙が確信した。そしてその確信通りに魔理沙は箒のどこも掠めることなくその大木を避け、体勢を立て直した後に安堵のため息を吐いた。

 

「霊夢お前なぁ――」

「驚いた。てっきりあの木をぶち折るものだと思ってたのに……」

「――って! そんなことできるわけないだろっ!!」

 

 本来ならば自身の前方不注意が招いた結果なので、霊夢は感謝される通りはあれど、怒られる筋合いはないはずなのだが、霊夢は調子をあわせることにした。

 

「そう? 昔のあんたは火力ばっかり高めてたから、色んなところで環境破壊活動してたじゃない」

 

 だが霊夢の何気ないその一言が、魔理沙の心を鋭く抉った。

 

「む……昔は昔。今は今だろう?」

 

 なんとか返答の刃を紡いだものの、その勢いはいつも通りとはほど遠いもので、霊夢は思わず疑問符を浮かべるほどのものだった。

 だがそれで興味をなくしたのか、霊夢はサラリと会話を終了させてしまう。

 その無神経さが、今の魔理沙には有難かった。

 

『確かに強力だな』

 

 自分の胸に手をやってみる。

 案の定、心臓は破裂しそうなくらい痛々しい悲鳴をあげていた。

 

『だがな魔理沙、どんな技も当たらなければ意味はない。動かない木にぶつけても、実戦では役に立たないんだ。

 強くなりたいなら技を昇華することももちろん大切だが、技を当てることも同じ位、いやそれ以上に大切なことなんだ。

 言ってしまえば首筋に一発、こいつを叩きこめれば相手を倒すことができるんだからな』

 

 だからこそ魔理沙は大袈裟に息を吸って、吐いた。

 胸にたまった痛みを全て吐き出すように、大きく。ひたすらに大きく。

 

「霧でも吸って気分が悪くなった?」

 

 ずけずけと入りこんで来る霊夢の遠慮のなさが、今の魔理沙には心地好かった。

 

「大丈夫だ。問題ない!」

「それ、多分問題あるでしょう?」

 

 明らかな空元気を前にしても、霊夢は笑って魔理沙を迎えてくれた。

 その笑いは滑稽さを笑うものではなく、安堵の笑み。だから魔理沙は霊夢に心内で感謝を述べるのだ。

 

「なぁ、霊夢。一つ聞きたいんだが」

「何よ?」

 

 雰囲気が沈むことはなく、いつも通りに近い状態のままであったことは魔理沙も感じていた。だがそれでもそれは霊夢の気遣いによってもたらされたものであることを、魔理沙は同時に感じていた。

 情けをかけられることを、魔理沙はどこか苦手にしていた。彼女曰く、むずかゆいらしい。

 だからだろう。いつも通りに話をしようと彼女は口を開いていた。

 だが、魔理沙が続く言葉を口にすることはなかった。

 二人は口を固く引き結び、立ち止まっていた。その顔は真剣と緊張で引き攣り、頬には自然と汗が伝っている。

 「おいおい……」そんな絶句の言葉とともに魔理沙は汗を拭う。

 迂闊。

 彼女達の思いはその一言に集約される。だが魔理沙はその後悔の念を笑って誤魔化そうとした。

 

「霊夢、一言だけいいか?」

「何よ」

「今日は何もなかったってことにして帰らないか?」

「いつもならあんた一人を帰すと思うけど、今回はダメ。旅は道連れってやつよ」

 

 霊夢のその返答に魔理沙は納得したように返すと、二人は揃って歩き始めた。

 もう妖怪達を警戒する必要はない。

 今霊夢達がいる場所は、紅い霧とは別種の妖気と純然な殺気が立ち籠めているからだ。

 まるで前後左右から剣を突きつけられたかのような、そんな殺気だ。それだけでも気味が悪いというのに、強烈な妖気が不快感と方向感覚の麻痺を誘発させる。

 お茶を運べないというのも納得の話だった。妖怪さえ寄りつかなくなったこの空間に、一般人が立入ることなど不可能だ。

 その中を歩く霊夢達でさえ、それらの影響は少なからず受けていた。一歩一歩のその足止りは重たく、緊迫した表情は解かれることはない。

 しかしならばなぜそれほどまでに強力な妖気や殺気に気づなかったのか。そう思案しようとした霊夢だが、無駄だとして諦めた。

 

「あんた、私と違って色んな場所に行ってたんでしょ。これはどれくらいヤバい奴なのよ?」

 

 余裕を演出しようと笑みを浮かべる霊夢だが、バッチリ引き攣っていることを魔理沙は見逃さない。

 だがそれは自分も同じことだろう。そう諦めのため息を吐きながら、魔理沙は回答する。

 

「以前、竜の鱗を使った魔道具をつくるために竜の巣に忍びこんだことがあったが――」

 

 魔理沙の顔には過去と今を比べる真剣なものになっていた。

 

「――バレて竜に追っかけ回される羽目になった。本当にあの時は死を覚悟したが……それ以上だな」

「そ。私はこんなデタラメな妖気、紫位しか対等な妖怪を思いつかないわ」

「あぁ、十分に化け物だな」

 

 そう言って笑いたくても、二人は笑うことができない。

 一瞬の油断が――いや、一瞬でも気を緩めたら死ぬことになると、二人は直感しているからだ。

 そんな二人に、豪快な笑い声が突き刺さる。

 まるで雷に突き刺さったような、キョトンとした顔で二人が状況を確認している最中に、声は続く。

 

「随分とまぁ、けったいな評し方をするんだなぁ」

 

 声は四方八方から響いている。必死に魔理沙が声の主の場所を特定しようと周囲を見渡すが、霊夢は無駄だと魔理沙の行為を切り捨てた。

 

「まっ、ここまで足を伸ばす身の程知らずならしょうがないわな。折角気持ちよく寝てたっていうのに――安眠妨害は極刑なんだぜ?」

 

 殺気。

 一瞬にして膨張した殺気の奔流が、霊夢と魔理沙に襲いかかる。

 それは死の宣告と同義だった。

 二人の顔は一瞬にして青ざめ、唇まで青くなるほどに体温が低下したが、ハッとした霊夢が魔理沙の体を突き飛ばし、自身は反対方向に跳躍する。

 瞬間、二人がいた場所に轟雷が落ちた。

 衝撃によって吹く暴風は周囲の木々を脅かし、削り取られた土は粉塵となって宙を舞う。

 降雷地のクレーターに佇む一つの影は、大きなあくびを一つして、眠そうに目を擦りながら周囲を見渡し、「やべっ」と一言呟いた。

 

「しまったな、やりすぎた。跡形もなく消し飛ばしちまったか?」

「んなわけないでしょ!!」

 

 先手必勝。

 霊夢は落ちてきた妖怪に対して即座に封印の護符を投げつける。流石に封印できるとは思っていないが、少しでも能力を削れればもうけものだ。

 そして封印の陣が展開される。

 煌々とした耀きとともに粉塵は弾け飛び、博麗の封印式と妖怪の姿が表になった。

 その瞬間、霊夢と魔理沙は絶句する。

 

「なんだこりゃ? 随分とちゃちぃ足枷だな、おい」

 

 そいつはたった一言そう呟くと、腹一杯に空気を取りこみ始めた。

 霊夢は咄嗟に「物陰に隠れて!!」と叫んだため、二人は木の陰へと走り出すが、そいつは一切を気にすることなく、腹から空気を吐き出した。

 それらは、全てのものを震わす震動として拡散する。

 妖力などという紛い物は一切ない。ただの空気の震動であるはずのものだが、まるで巨大地震が行ったような震動が二人を襲う。

 震動はたったの数瞬。だがその数瞬の後には、上空から葉や木の枝が大量に落ちてくる。超震動に耐えきれず、取れたり倒れたりしたからだ。

 

「なんてっ……なんてデタラメなやつ!」

「というか、なんで鬼が地上にいるんだよ!! 鬼は地上から姿を消したって習ったぜ! 少なくとも私は!!」

 

 霊夢と魔理沙は木の陰から飛び出しながらそれぞれ悪態を吐いているが、当の本人はまだ眠そうにあくびをしていた。

 そいつのこめかみのところから生える計二本の巻き角が魔理沙の発言の根拠だ。

 

「別にいてもいいだろ? 地上に残っているやつも片手くらいにはいる――っと。目覚めの一杯。目覚めの一杯」

 

 あくびを噛み殺しながら言うそいつは、金髪のウルフカットにライダー系の革ジャンにパンツという、どう見ても堅気ではない格好の男だ。

 彼はジャンパーの内側からフラスクを取り出し、一気にあおる。飲み込んだ後、この世の全てを手に入れたような満足感で一杯な表情を浮かべて言い放つ。

 

「上手い! やはりあいつのつくる“かくてる”は最高だな!!」

「それ以前に、なんで鬼がこんなところにいるのよ……」

 

 数ある妖怪の中でもトップクラスの力を持つ鬼。彼らは強力と巨大な妖気を持つ人間の宿敵だ。

 桃太郎のように人間に退治される話もあるが、一般的には退治ではなく、鬼と勝負して勝てば願いを叶えてもらえるが、負ければ頭から食われるという命を賭けた遊びを行うと言われている。

 だが大昔に鬼は地上から姿を消したため、巫女という特殊な事情を持つ霊夢や歴史書がその存在を知る『忘れられた種族』となっているのが現状だ。

 しかし伝説やお伽噺の数は断トツで多く、最強クラスの妖怪として広く認知されている想像上の妖怪。

 それが霊夢と魔理沙の前に存在していた。

 霊夢と魔理沙は互いにアイコンタクトをとり、互いの読み取りあう。

 

「あぁ、ここにいるのは賭事で負けたからだ」

 

 だが、衝撃の事実が二人を襲った。

 

「全くあいつも人だけに人が悪い。金銀財宝なら地底からいくらでもパクってくるのに、何も『ここでずっと寝てろ』なんて拷問にする必要もないだろ。まぁ、負けた手前文句は言えないんだが……」

「おっ、おいおいおい……。鬼を負かす人間なんているのかよ?」

「じゃあ誰なのよ。あんたにここにいるように言った人間は」

 

 驚愕を隠せない魔理沙とは対称的に、霊夢は淡々と異変解決の材料を集めるべく口を開く。

 

「生憎と、あいつの名前を易々と口にする気はない。俺の宿敵の名は、お前らみたいな小娘にはもったいない宝よ。って、待て――」

 

 静かに拒絶した鬼は何かを思い出したかのように呟くと、霊夢と魔理沙をゆっくりと見つめて、笑みを浮かべた。

 

「――博麗の巫女に白黒の魔法使い……。なるほどなるほど。ここに来れるのも当然ということか。……うん、俺の役目もようやく終わったわけだが、これまで死ぬほどの退屈を味わったんだ。少し欲を出してもいいだろう」

 

 鬼は指を一回、手を高らかと掲げて盛大に鳴らす。すると上空から青龍戟が降ってきた。

 それを手に取り、感覚を思い出すように鬼は自由自在に振り回す。それは武術というよりも演舞に用いられていそうなもので、ついつい目を引いてしまう。そんな美しさを持っていた。

 そして舞を終え、鬼は青龍戟を構え直す。

 

「我が名は可畏、可畏の利益。同胞から意味嫌われる食人鬼となり、独り地上を彷徨う流浪者よ」

 

 鬼は――可畏利益は高らかと名乗り、そして青龍戟の先端を霊夢と魔理沙の二人に向ける。

 

「鬼の縄張りに足を踏み入れた人間よ。この俺と戯れる気概やあるか?」

 

 それは鬼の宣戦布告だった。そしてそれを聞いた瞬間、魔理沙は霊夢を見つめ、彼女の真意を探っていた。

 鬼との勝負。それは自らの命を賭けた禁断の遊戯であることは、街の子供でも知っている。それに挑戦する者は、生粋の博打打ちか、必勝の策を有している者くらいだろう。

 鬼相手に必勝の策などあるはずがない。そう確信した魔理沙は、霊夢とともにここから逃げ出す意向であることを確認したかったのだ。

 だが霊夢の瞳にあるものは――決死の覚悟だった。

 

「安心しろ、これはただの戯れ。命を取り合う勝負ではない」

 

 動揺していた魔理沙に、さらなる動揺が襲いかかってきた。

 

「もっとも、この俺が満足できるほどの気概があれば、俺の口もついつい軽くなるかも知れんがな」

「その言葉――」

 

 可畏の言葉が終わるや否や、霊夢は口を開いていた。

 

「――本当でしょうね」

 

 可畏を睨みつけるほどの鋭さを持つ霊夢の瞳。その中に渦巻くのは闘志だった。

 それを快く受け入れた可畏は、霊夢に対して怪しく笑ってみせる。

 

「さて、な」

 

 そして霊夢の視線は魔理沙へ移る。

 その瞳に移るのは気遣いだ。「関係ないあんたは帰りなさい」と、突き放す――だが確かな気遣いを魔理沙は感じた。

 体が震えた。

 最初に霊夢も確かに、正体不明ではあったがこの大妖怪に恐怖していた。しかしそれでも強がって巻きこむわけではなく突き放す。それができる彼女の強さなのか、自己犠牲なのかはわからない思考に、魔理沙は震えていた。

 そして、魔理沙は不敵に笑ってみせる。

 

「お遊びじゃ済まなくなるかも知れないぜ? 最近の人間は物騒だからな」

「全く、あんたは……」

 

 魔理沙の不敵な笑みに、霊夢は微笑を浮かべていた。

 いつも通りだ。

 どんな困難に直面しても、決して背中をみせない相棒のその態度に、霊夢も気を奮い立たせる。

 

「意気込みやよし」

 

 可畏はそんな二人の瞳を読み取って、告げる。

 

「ならば参れ!!」

 

 鬼の合図で、巫女と魔法使いは宙に舞う。

 真剣な二人とは対称的に、鬼は喜悦を浮かべている。

 

「お前達の気概を見せてみろ!!」

 

 それに呼応するように、光弾の雨霰が降り注ぐ。

 

 

 

 霊夢と魔理沙は焦り始めていた。開戦からまだろくな時間が経過したわけではないのだが、可畏の見せる圧倒的な力の差に焦りを募らせているのだ。

 開幕早々上空へと飛び上がり、大量の光弾を放つ二人だが、可畏は手にした青龍戟を振り回すことで全て弾き返していってしまうのだ。

 避けるわけでも、防ぐわけでもない。ただ弾き返すだけという余裕を醸し出しながらの行為に、霊夢と魔理沙はこのままでは勝てないという認識が入りこむ。

 それの認識の正しさを裏づけるように、可畏は大きなあくびをしてみせた。

 それを見て頭に血を登らせかけた魔理沙を霊夢が手を伸ばして抑える。

 あの鬼の攻撃方法がわからない以上、無闇矢鱈に突撃するのは危険行為だからだ。あといくら攻撃方法がわからないといっても、伝承では鬼は大木を易々と引き抜き、振り回すほどの強力の持ち主とされているので、下手な接近戦を仕掛ければ、一瞬で挽肉になる可能性が高いことも理由の一つだ。

 霊夢達は可畏がどのように動くかを見るために遠距離から弾幕を展開しているのだが、ただ淡々と弾かれては、直に霊夢と魔理沙のガス欠に繋がってしまう。

 さてどうしたものかと霊夢が思案するために顎下に手をつけた。その時反対側に位置取る魔理沙は、手を一杯に広げてようやく掴むことができる八角形の道具を取り出した。

 彼女のその行動に呆気にとられた霊夢だが、魔理沙と目をあわせた際には彼女の挑戦的な笑みを見て、しょうがないわねと了承の笑みを浮かべて見せた。

 霊夢の了承を得たからか、笑みをより深めて魔理沙は道具を掴んだ手を、下にいる可畏に突き出した。

 道具の中の魔力が煮え沸るように大きくなっていく。その道具を中心に魔法陣が現れ、霊夢は一つため息を吐いた。

 

「やっちゃいなさい! 火力馬鹿!!」

「応! 馬鹿は馬鹿らしく、正面突破だぜ!!」

 

 二人の軽口の後に、魔理沙の手から先が眩い白光に包まれ、その強すぎる光が彼女達の視界を傷つけていく。

 

「吹き飛びやがれぇ!!」

 

 マスタースパークと名づけられたこの魔法は、霧雨魔理沙という人物をよく表した、まさに彼女の魔法だと霊夢は考えていた。

 真っ直ぐで、馬鹿力で、邪魔する者は押し倒してでも突き進む。我儘という訳では決してない。ただ正しいと信じたことや自分でやると決めたことを貫き通す。魔理沙という人間はそういう人なのだ。

 そんな彼女の代名詞と言える大火力の魔法をここで使ったのは、ひとえに戦闘があのまま膠着してしまうのを嫌ったからだ。

 また、軽い牽制弾しか撃っていなかったので、大技は来ないと可畏が油断しているのではないか。こちらには大火力の攻撃手段があると見せつけ、相手の恐怖を誘いたかった。という理由もあるが、この一撃を放たれては何かしらのアクションを起こさずにはいられないだろうという確信が最も大きな理由だろう。

 動くということは同時に隙を見せるということにもなり得る。

 下手に霊夢達が有効打を与えられる可能性があると言っても、接近すれば鬼の強力を喰らうという危険性が出るというのがこれに近いだろう。

 マスタースパークの対応を可畏がすれば、その行動に合わせた方法で攻めていけば有利になるだろう。

 そういう目論見があるからこそ、霊夢はこの場面での大技の使用を許可したのだ。

 そして可畏はマスタースパークが迫って来るのにあわせて跳躍し、飛行し始めた。

 

「逃すかよぉ!!!」

 

 魔理沙が雄叫びをあげて腕を動かして、避けた可畏を追うようにマスタースパークを動かすが、多くの魔力を使用して放つマスタースパークを簡単に動かそうというのには無理があるので、その動きはどうしても遅い。

 だがそれで十分だと霊夢は内心で思い、行動を開始する。

 袖から十数枚のお札を取り出すと、それを可畏に向かって投げつける。

 今まで放たれていた光弾とは違う飛翔物に可畏は笑みを浮かべるが、当たらなければ意味はない。可畏は青龍戟を使って突き、払い、そして吹き飛ばすことで、お札全てから体を守った。

 

「どうした!? その程度かっ!!?」

 

 迫り来るマスタースパークから逃げながらでも一切の迷いなく牽制を対処する。ただならない戦鬼だと戦慄するが、それでも挑むことに変わりはないのだ。

 

「そんなわけないでしょうが!!」

 

 だからその恐怖を怒鳴るような声で吐き出しながら、霊夢は目の前で印を刻んでいく。

 可畏の顔が怪訝なものになった瞬間、彼の周囲に結界が展開された。

 

「なるほど、札はフェイク――いや、破壊されてこそ効果を発揮するものであったか」

 

 冷静に考察する可畏であったが、狭い結界に因われたため、長い青龍戟を満足に振るうことはできない。だがマスタースパークは容赦なく迫って来る。

 いくら鬼とはいえ、魔力を垂れ流しているような攻撃を喰らうことは避けたい。しかし身動きのできない現状は可畏にとってして見ればピンチ以外の何ものでもないだろう。

 しかし――可畏利益は笑みを浮かべていた。

 

「この程度の檻でこの俺を捕らえられると思ったか!? 人間!!」

 

 裏拳が、結界を大きく揺らす。

 可畏の放った一発の裏拳。その一発だけで、結界においては既に先代を凌いだとされる霊夢の結界が、無惨にも崩壊していく。

 常識など鼻で笑うほどの強力だ。

 

「わかってたわよ」

 

 だが、博麗霊夢は動じない。

 それが鬼という種族だと割り切って、自らの得意とする技さえ勝利への布石として使い捨てる。

 彼女の、勝利への執念がそうさせるのだ。

 結界を破壊して、得意気になった可畏の油断をついて、霊夢は背後に移動していた。そして手持ちの大麻を振り下ろす。

 背後という絶対的死角にもかかわらず、可畏は霊夢がいることを感知したのか体を逸らして攻撃を避けようとした。

 その行動に驚く霊夢だが、それでも大麻を可畏の胴体へ当てることはできた。

 大麻は、本来お祓いなどに用いられる道具である。当然そのための術が施されているため、憑かれている人間や妖怪が触れれば、妖気が強制的に消されてしまうため激痛が走るのだ。

 それはいくら強力無比の鬼とて例外ではない。

 雷が体の中を駆け回る感覚。同時に激しい痛みに襲われてもなお、可畏は楽しそうな笑みを絶やさない。

 可畏は前へ飛び出し、大麻の範囲から早々に逃れる。だが羽織うジャケットには焦げついたような跡がついていた。

 霊夢は可畏の背を追った。それを感じ取ったのか、より深い笑みになる可畏は、振り向くと同時に回し蹴りを放つ。

 咄嗟に霊夢は沈みこむことでそれを回避する。回避と同時に視界に飛びこんで来た空間の断層で、霊夢は大麻で防がずによかったと安堵する。

 空間さえ切り裂くほどなら、たとえ足に触れなくても木の棒くらい叩き落とすことが容易に考えられるからだ。

 沈みこんだ勢いを利用しながら霊夢は体を回転させ、下から可畏を蹴り上げる形になった。俗に言うサマーサルトキックだが、可畏は易々と霊夢の脚を掴むと、叱責するように言う。

 

「どうした!? お前の兄の蹴りはそんな生優しいものではなかったぞ!!」

「あなた、やっぱり兄を知っているようね。言いなさい!! 兄は今どこにいるの!!?」

「この程度の気概では、まだ……足りんなぁ!!」

 

 振り下ろされる青龍戟。受け流す霊夢。だが脚を掴まれている以上霊夢はまともに動くことができず、距離を離すこともできない。

 一発二発と受け流せたが、腕はビリビリと衝撃が残り、動きも悪くなっていく。鬼の強力を身を持って体感している霊夢だが、彼女はまだ少女。限界は近づいていた。

 三発目。流石にそろそろ受け流すことが困難になってきたためか、体のほうに衝撃が残るようになってきた。

 あ、次は流石にマズいかも。そんなどこか他人事のように考察していた霊夢だが、体は既に悲鳴を上げている。壊れかけているのは明白だったのだ。

 だが霊夢の目には、光が映っている。

 可畏も流石に感じ取ったようだ。膨大な魔力の波動と、空気を震わす爆音を。

 

「霊夢~!! 死んでっかぁ!!?」

 

 なんとも失礼な言葉だ。そんなことを思っている最中にも可畏と魔理沙は交錯し、霊夢の脚は自由を取り戻す。

 高速で離れていく魔理沙動揺距離を取る霊夢だが、脚に走る痛みに思わず顔をしかめた。

 

「あいつ……思いっきり握ったわね……」

 

 おそらく肉が圧縮されて細くなっているのだろう。話を聞くだけならいいのかも知れないが、圧力で血管が破裂しているだろうから素直に喜べるはずもないと苦笑。

 魔理沙との交錯から、瞬時に体勢を立て直した可畏は、周囲に飛び散った星型の光弾を弾きながら霊夢に迫って来る。

 どうやら、魔理沙のマスタースパークは戦況を確実に激変させたらしい。

 目論見通りの成果を喜べつつも、可畏の接近を阻むために弾幕を張りつつ後退していく。また捕まったら確実にお陀仏になると、衝撃でまだ痺れている霊夢の体は訴えている。

 そうして後退を続けていると後ろから光弾が流れ始め、魔理沙と合流することができた。

 

「死んでなくて残念?」

「まさか、死んでたら生き返らせてやろうと思ってたのさ」

 

 皮肉を軽く流して屈託なく笑う相棒の横顔を見て、霊夢の顔には安堵が浮かぶ。

 

「キツい目覚めになりそうだから、それは遠慮しとくわ」

「そうか」

 

 二人の目の前には二人分の、分厚い弾幕が張られている。

 だが弾幕の向こうにいる敵が崩れる気配がないことは二人とも察していた。

 

「霊夢、わかっていると思うが長くは保たないぜ」

 

 それは霊夢もおおよそ検討がついていた。先ほど撃ち込んだマスタースパークを長時間持続させたこと、そして自身の加速のために逆噴射していたからだ。

 

「いいや、魔力はまだ大丈夫だ。だがこいつがな……」

 

 呆気に取られた霊夢が次の瞬間目にしたのは、真っ赤に染まった魔理沙の右腕だった。

 

「っ!? 魔理沙……いつ……?」

「さっきだ。あの野郎、交錯する一瞬で引き裂いてきやがった。しかも私の攻撃は避けながらだぜ? どういう化け物だよ」

 

 長いリーチの青龍戟では素早い標的を仕留めるには不向きと判断した可畏は、霊夢を掴んでいた手を離し、その爪で魔理沙を引き裂いたのだ。

 霊夢は魔理沙の攻撃が当たったから解放されたものと思っていたが、どうやら相手はまだ霊夢の与えた攻撃しかろくな傷を負っていないようだ。

 

「霊夢――」

「わかってるわよ。あいつは強い」

 

 霊夢の言葉に魔理沙はうなづく。それは偽りならざる彼女達の本心だった。

 

「タイムリミットは迫ってる。なら――」

「あぁ、派手に構すぜ!!」

 

 二人は張り続けて来た弾幕を消し、可畏に向かって一直線に進んでいく。

 

「あわせなさいよ!」

「もちろんだぜ!」

 

 彼女達は勝負を決めにかかっていることを察せないほど、可畏利益は鈍くはない。

 ならばこの攻撃をかわせば有利になる。――そんな考えは彼にはなかった。

 彼は空中で静止する。そして両手を広げ、まるで包容を待ちわびるような体勢で迫り来る彼女達を待つ。

 

「心地好い闘気よ」

 

 その顔は恍惚としている。

 

「さぁ見せて見ろ! お前達の気概を!! そして俺のこの体にお前達の全てを刻みつけてみせろ!!!」

 

 その挑発めいた言葉に答えるのは、少女達の声にならない雄叫び。

 彼女達は自分を殺しにかかっている。正確には殺してでも踏み越えるという気概が、彼の頭に、肌に、本能に語りかけてくる。

 彼女達を駆り立てるのはそうしなければ勝てないという負けん気からだろうなと、可畏は想像して笑みを零す。

 それが人間だからだ。

 妖怪と比べたらあまりに限られた時間を生き、あまりに脆弱な器で活動する彼ら。だからこそその生き方、意地を貫き通さんとする際の耀きを、彼は至福として求めているからだ。

 紅白の巫女が前に出る。白黒の魔法使いをかばったつもりなのだろうが、可畏の余裕の笑みは止まらない。

 青龍戟で突いて、薙いで終わりだ。たとえ巫女がかわしたとしても、本命である魔法使いに連続攻撃を加えればいいだけ。

 そして巫女が可畏の間合いに入る。そこから巫女が髪の毛ほど動いた時には、可畏の青龍戟は彼女の顔を串刺しにできる。

 

(さぁ、どう避ける!?)

 

 王者の笑みで挑戦者の対応を待つ可畏。だが、彼が次に感じたものは、自分の青龍戟の一撃をそのまま喰らった巫女に対する驚きだった。

 有り得ない。

 確かに命を取り合うことはないと言ったが、それでも先ほどの一撃は人間を即死させるには十分過ぎる威力を持っていた。

 それを理解せずに喰らうほど頭の悪い人間だったのか。

 驚きと同時にそう思考してしまったことで、可畏は肝心なことを失念してしまった。

 巫女を刺した手応えが、全くないということに。

 

「こいつで――」

 

 巫女の背後で不敵に笑う魔法使い。彼女は箒に魔道具を取りつけ、先ほどのレーザーを刃のように仕立て、箒を振りかぶっていた。

 

「――終わりよ」

 

 そして背後では先ほど刺したはずの巫女の声が響く。

 その姿を見ることはできないが、どうやら全力で持って攻撃を放とうとしていることは明らかのようだ。

 どうやらここまでか。可畏は笑う。

 遊びのつもりでかかっていたが、どうやら遊びで相手をするには少々辛い連中のようだ。彼女達を認め、可畏は満足げに笑っていた。

 そして食人鬼は、戯れでは使わないと決めた能力を行使した。

 

 ――そして、世界が反転した

 

 

 地面に倒れ伏し、博麗霊夢は何が起こったのか必死に思い出そうとしていた。

 奥義「夢想天生」を使用して可畏の背後に回りこみ、最強の一撃を魔理沙とともに放とうとしていた。そこまでは覚えている。

 だがそこまで追い詰めてから一転、どうしてこの状況になっているのか。隣で倒れている魔理沙も、起き上がることを放棄して考えているようだ。

 そんな二人を、可畏利益は豪快に笑った。

 

「いやいやいや、人間にしてはなかなかの気概だったよお二人さん」

 

 本当に上機嫌そうにそう言うものだから、すがすがしいとまで聞いている側は感じてしまう。

 

「いやぁ満足満足。戯れのつもりだったが、これだけ満足できればついつい口が滑ってしまうものだ。……この紅い霧はお前さん方が感じた通り日光を遮るためのもの。日光がなくなって一番特をする者。俺の同類のところに行け! もっともそこにはもう一匹、そいつとは真逆の鬼が潜んでいるがな」

 

 そう言い残して、静止の声も気かずに可畏は姿を消してしまった。

 異変の元凶を比喩的に言ってくれたようだが、そんなことよりも彼女達は彼が何をしたのか。そちらのほうを気にしていたため、二人の顔にはやるせなさが宿る。

 だが呆然と留まることはできなかった。

 鬼という巨大な支配者の手から解放され、この周辺に妖怪達が我先にと集まって来ているからだ。

 

「魔理沙」

 

 先に口を開いたのは霊夢だ。

 

「私はこのまま茶農家のところに行って、人里にお茶を届けるつもり。ついでに人里で治療を受けようと思ってる」

 

 あんたはどうするの。という疑問の声が後に続くが、これは提案であることを魔理沙はよくわかっていた。

 だが、彼女はその提案に乗ることはできないのだ。踵を返し、魔理沙は霊夢の瞳を見ることなく言う。

 

「悪い霊夢。私は家に戻ってあいつのことを調べたいんだ」

 

 どう調べるんだと自分でツッコミたくなるほど拙い理由だが、霊夢はいつも通りに相槌を打ってから続けた。

 

「帰りは気をつけなさいよ」

 

 そう言って飛び立つ彼女の背に、何も言えずに魔理沙は独り立ち尽くしていた。

 ようやく彼女が「私が雑魚に遅れを取ると思っているのか?」と口にした時には、霊夢の姿は当然ない。

 自分自身に悪態をつきつつ魔法使いも飛び立った。

 一分、一秒でもいい。できるだけ速く家に戻りたい。そんな魔理沙の思いをくんで、箒は加速していく。

 

 

 

 

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