東方弦月帳   作:Lie

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紅魔郷編:後編

 ため息を一つ吐いてみた。

 すぐさま自分に戻って来るその音に少年は嫌気が差したのか、もう一度ため息を吐きそうになったのだが、自制する。

 目の前に広がるのは鉄格子。その先に広がる大きな空間と、高級な絨毯。金箔があしらわれた家具の数々。いずれも少年のいる鉄格子の中と、同じ部屋の中のはずなのに全く違う雰囲気を醸し出しているそれらを見て、気分が悪くならないほうがおかしかった。

 試しに少年は四肢を動かしてみる。ガチャガチャと耳障りな金属音がなって、それだけだ。

 少年の手足は動かない。両手両脚に枷が嵌められていて、鉄格子の中も自由に動けないほど行動を制限されているからだ。

 さらに厄介なことに、現在この部屋の灯は鉄格子の中で光る蝋燭二本だけだ。

 この部屋に窓はない。さらに大きな灯もない。

 無機質なのに傲慢なほど自己主張する反射の光はまだしも、蝋燭という心許ない灯だけでは、少年の神経に疲労が蓄積されるばかりだ。

 少年は、闇夜には慣れているという自負があった。だが、ここに捕らえられて何日が経過したのかもうわからないほどの時間を鎖に繋がれて、さらには心許ない灯だけで生きてきたので、その顔には疲労が色濃く写し出されている。

 いかんともしがたい疲労感が彼を襲った。

 まるで、鉛を全身で背負いこんだような、そんな耐えきれない疲労だ。そんなものが何もしていないのに襲ってきたことに疑問を抱きつつも、少年は床に横たわることにした。

 一応同じ部屋なので床は外と同じ高級絨毯なのだが、もはや忘れるほどの月日をともに過ごしているので、特別な感慨が起きるはずもない。

 少年はこのまま沈むように眠っていくのだろう。

 何もすることがなく、何もできないこの状況で少年がやれることは眠るくらいなのだ。だからおそらく経過した日数以上は行っているとわかっていても、少年は眠りにつくことを選ぶ。

 しかし、ここで少年がピクリと反応を示した。

 特に何か部屋の中で変化があったわけではない。ないのだが、少年は枷を鳴らしながらその体を起こし、先ほどと同じ体勢で座りなおす。

 すると部屋の扉が開き、部屋全体が照らし出されるほどの光とともに少女が中に入って来た。

 両手で食事の乗った盆を持ち、上機嫌なのか青みがかった銀髪を揺らしながら少女は鉄格子のほうに向かっていく。

 その少女こそ、少年が見られる唯一の生物なのだが、今はもう何の感慨もわいて来なくなってしまったので、少年は無気力な視線を投げるだけだ。

 どこをどう見ても寝間着にしか見えない彼女の服装に関して疑問に思うことも、もうない。

 

「七夜、食事を持って来たわよ」

 

 毎回毎回この少女は満面の笑みを浮かべて話しかけてくるのだが、少年――七夜からして見ればどうでもいいことだ。

 鉄格子の扉の鍵を開け、中に侵入してくる少女。これもいつものことなので、七夜は特に反応せず、ただ無気力な視線で見つめるだけだ。

 少女は床に盆を置いて、七夜の開いた脚の間に入りこむように体を差しこんだ。

 二人の体と体が触れ合うほどの至近距離。見降ろせば、幼いながら魔性の魅力を持つ少女がいるというのに、七夜は全く反応を見せず、ただ無気力な視線を投げるだけだ。

 そんな七夜の態度に少女は思わず小さなため息を吐いた。

 

「七夜、あなたは私のモノになってから――いいえ、ここに来てからずっとそう。そんな調子で、何もしようとしなくなったわね」

 

 七夜の胸に手を当てながら少女は言う。

 その言葉に先ほどまでの機嫌のよさなどどこにもないのだが、七夜は特に反応せず、沈黙を守った。

 

「どうして私と一緒に日々を過ごそうとしてくれないの!? どうしてここでの、私との生活を拒むの!? 私が吸血鬼だから? あなたが人間だから!?」

 

 少女の言葉には、いつしか激情が乗っていた。

 だが七夜は特に反応を示さない。

 

「でもあなたが助けた人間はあなたのことを忌み嫌っているのよ!? 化け物だの死神だの……あの赤い夜だってそう。あなたは巫女よりも多くの吸血鬼を殺した英雄なのに、人間はあなたに何をした!! 恐怖し、蔑まれ、遠ざけられていたじゃない!」

 

 その様子を実際に少女は見ていたのだ。

 人里にフラりと立ち寄った七夜が理不尽にも追い出される様子を。出掛けた先で人に会えば逃げ出されてしまう様子も。

 見ていたからこそ、彼女は怒りを表にしていた。

 

「助けられたくせに、恩を仇で返すような連中の肩を、どうしてあなたは持ち続けるのよ! この私、レミリア・スカーレットの名の元に生きていくと言ってくれれば、あなたの満足する生活が手に入るのに、どうしてそうしないのよ!!」

 

 少女には――レミリアには七夜の考えが全くわからなかった。

 そして自身が涙を流していることに気がつくと、慌てて立ち上がり、背を向けた。

 

「ごめんなさい。少し感情的になりすぎたわね」

 

 震える体で言葉を紡ぐレミリアの背を、七夜は無気力な視線で捕らえていた。

 

「また来るわ。だけどよく考えておくことね。あんな下衆な種族の肩を持つことが如何に無意味か。私とともに歩むことが如何に有意義かを」

 

 そう言い残して駆け足で部屋を出ていくレミリアを見つけても、七夜は特に感慨がわくことはなく、いつも通りに座っていた。

 だが、視線を落して、七夜はゆっくりと口を動かし始める。

 

「知らないよ」

 

 随分と久しぶりに声に出した言葉は、自身への問い掛けであった。

 特別人間の肩を持っているわけではない。少なくとも七夜はそう思っている。

 彼は妖怪と敵対するしかなかったため、結果的に妖怪を敵としている人間の肩を持っているように映っていただけなのだから。

 だがふと思う。別に人間の要請を受けてから妖怪を対峙する必要はなかったのではないかと。

 ここに来るまで彼は、神社の巫女のサポートという形で妖怪と戦ってきたが、別に彼の独断で妖怪と相手をしてもよかったはず。

 なのになぜ自分は人の要請を受けてから動く巫女のサポートという形を取り続けていたのか。

 巫女の力が強かったからだろうか。

 それはない。彼にとって、どんな束縛が施されても体が自由に動かせるのであれば、それは即座に無意味となるからだ。

 ならばどうしてだろうか。どうして自分は、人間のいいように妖怪と戦って来たのか。

 レミリアに肩を持っていると言われても仕方がないような行動をとっていたのか。

 

「あぁ……そうか……」

 

 そこまで考えて、七夜は今まで忘れていた理由を思い出していた。

 人の願いを叶えた時の彼女の笑顔。自らを危機に追い越んでも他のために全力を尽くす彼女の姿。訳がわからない生き方をさも当たり前のように、楽しそうに行う彼女の生き様を。

 

「これは、この感情は……」

 

 それを知りたくて、空っぽの自分を埋められるような気がして追い続けた感覚を。

 そしてそれを掴むために、捨てたはずだった思いを――

 

「これは……未練か」

 

 ――未練を思い出した彼の頬には、水滴が伝っていた。

 

「本当に……下手だね。俺は」

 

 自嘲しても、心に生まれた虚無感はなくならない。

 それに今この状況では何もできないのだ。自覚してしまったから質が悪い。やりたいことがあるのにできない。そんなもやもやが爆発的に広がっていき、自身の情けなさで嫌になりそうだった。

 

「Yo,buddy.Still alive?」

 

 見上げた視線の先には、奇抜な格好をした男が立っていた。

 まるで測ったような登場に、七夜は胡散臭いあの女性の姿を思わず思い浮かべてしまっていた。

 

 

 

 魔理沙と別れ、一人で抱えられるだけの茶葉を持って人里に戻った霊夢は、彼女の思惑通りのVIP待遇で迎えられた。

 これで紅い霧を除去すればお供えものもお賽銭も望むままに手に入るだろう。

 そんなこんなで満面の笑みになっている彼女だが、まだ異変を解決した訳ではないので騒ぎたい気分にはなれず、慧音のところに駆け込んでいた。

 もちろん、人々の好意はしっかりと受け取っているのだが。

 

「そうか、あの可畏利益がな」

 

 貰いものの饅頭を食べながら、まるで我が家のようにくつろぐ霊夢。そんな彼女に苦言を一つも言わずに、潰れた脚に包帯を巻きながら、慧音はそう呟いていた。

 

「慧音、あいつを知ってるの?」

「……一応、な」

 

 さも自然に問い掛けた霊夢だが、実は慧音が可畏のことを知っているだろう期待した上での問い掛けだったので、驚いているようには聞こえなかった。慧音はいつも通り淡々と返答したのだろうと判断したようだが。

 可畏は戦闘の最中に兄のことを口走っていたので、可畏のことと関連して、兄のことも聞けるのではないかと思い、霊夢の内心はそわそわしていた。

 

「あいつはこの幻想郷の中でもトップクラスの実力者だ。……正直、よく戦って生き残れたなとしか思えん」

 

 そう語る慧音の顔からは血の気が引いていた。

 

「最強の始末屋と言われたお前の兄と引き分けてから、あいつはひたすらに力を追い求め、その果てであの八雲紫をも退けるほどの力を手に入れた怪物だ」

「ふーん、実は紫よりも上だったってわけね。あいつ」

 

 言葉ではそう言いつつも、霊夢は動揺していた。

 八雲紫は個人的に好ましく思っていない妖怪ではあるが、こと実力に関しては先代巫女と肩を並べて戦うことができるほどのものを有しているという点では認めていた。

 というか、幼少の記憶故に母の存在は相当に美化されており、その母と対等の存在である紫の評価はある意味で確固たるものなのだ。

 それほどの実力者を上回るというのは、その強さはもはや雲上の世界のように感じられてしまうので、霊夢は内心の動揺を悟られないよう、仏教面を取ろうと集中していた。

 

「だがあいつは十年前から特に目立った活動はしていなかったはずなんだがなぁ……それが茶農家と人里を繋ぐ道で……」

「鬼の考えなんて、私達にわかる訳ないでしょ」

 

 それもそうだが。と言いつつも、より考えこんでこんでしまう慧音に、霊夢はやれやれとため息を吐く。

 学者気質のもの特有のものだが、なんでも納得しようとするのはどうなんだろうか。

 そんなことを霊夢が考えていたが、ふと可畏の言葉が頭をよぎった。

 

「ねぇ、慧音。最近あの鬼と勝負をした人間っているの?」

「お前は何を言っているんだ?」

 

 真面目な問いだったが、慧音は相当頭が不出来な生徒を見る目で霊夢を見つめた。

 

「鬼という種族はもう地上にはいない。少なくともそれがここの常識だ。それを覆しかねない証拠を持つやつがいたら、もっと騒ぎになっているはずだろう?」

 

(決まりね)

 

 霊夢は急に立ち上がると、外へ向かって勢いよく飛び出した。

 慧音はまだ応急措置が終わっていないことを叫んでいるが、飛んでいれば関係のないことだと内心で返答しておく。

 そんなことよりも大切なことに、霊夢は気がついていた。

 あの鬼は確かに、誰かに負けたからあの場所で寝ていたといっていた。そして慧音曰く人里で鬼と勝負した人間はいない。

 これらの条件から、あの鬼に命令した人間は人里にいない人間であることがわかるわけだが、妖怪がはびこる幻想郷で、人里というコミュニティに所属しないというのは自殺行為に等しい。

 例外として博麗神社の巫女である自分と、魔法使いの魔理沙がいるが、二人とも自分の身を守れるから独りで大丈夫なのだ。

 ということは、あの鬼と賭事をした人間もそれだけの力を持っていなければ不自然だ。さらに独りで暮らすような人間の数はそこまで多くない。

 否が応でも、そう言った人間の独りである兄が一枚噛んでいる可能性が浮上してくる。

 という思考に至った霊夢は、ようやく掴んだ兄の手がかりを手繰り寄せたい思いで一杯なのだ。

 自然と飛翔速度も釣り上がっていく。

 

「あら? そんなに急いでどこに行くのかしら?」

 

 そんな時に、彼女の声を聞いてしまったのだから、霊夢はたまらず重いため息を吐いていた。

 目の前にある空間の裂け目。その中は気味が悪い目玉がギョロギョロと蠢く、全く、というより気味悪さしか感じないところから上半身を出している彼女――八雲紫は、誰が見ても絶世の美女と讃えるであろうほどの容姿をしているだろう。

 だがその性格は知識ある者の性というべきか、難解な言葉で相手を惑わしたり、軽くあしらったりするなど、性格がいいとはお世辞にも言うことはできない。

 

「急いでいるって、異変が起きてるのよ。急いで解決に行って何が悪いの?」

 

 そう反論する霊夢だが、本心では兄に関する手がかりを探そうとしていた。

 一方紫は、ニコニコと笑みを浮かべているが、恐らく霊夢の内心を見透かしてのことだろう。

 

「そう、じゃあ異変の首謀者の目星はついたのかしら?」

「目星をつけるために急いでるの。もう行くわよ」

「――紅魔館」

 

 踵を返して飛ぼうとしていた霊夢だが、紫のその一言で霊夢は金縛りにでもあったように止まった。

 紫はその様子をさも楽しそうに見つめて、続ける。

 

「もちろん知っているでしょう? 霊夢」

「えぇ、先代の言いつけだもの。そこには近寄るなと」

「なぜ、先代がそんなことをあなたに言ったかわかるかしら?」

「それはあんた達が勝手にそことドンパチやって負けたからでしょうが!」

 

 何を今更。そんな怒りにも似たニュアンスを含ませた言葉を吐き出しながら振り向く霊夢。

 紫はそんな霊夢の強い視線を、口元を扇子で隠しながら受け流していた。

 

「そうね。だけど勘違いしないで頂戴。あの吸血鬼は私には勝てないわ」

「今更言い訳?」

「紅魔館には鬼がいる。一体は吸血鬼。けれど、もう一体は吸血鬼でも、鬼でもない」

 

 紫が歌うように呟いた言葉を、霊夢はなぜか真面目に聞いてしまっていた。

 

「そ、それがどうしたって言うのよ!?」

「聞いたことないかしら? 人里で流行っていたのだけれど……あぁ、あなたはあんまり人里に降りなかったわね」

 

 勝手に震える体。勝手に出てくる汗。そして勝手に上擦ってしまう声。

 いずれも不審なものばかりで、そんな霊夢を紫は微笑ましそうに見つめている。

 

「私でも敵わなかったのはそのもう片方のほう。あと吸血鬼と、そのメイドと門番。魔法使いが揃ってちゃ、藍もその式も歯が立たなかった。だから私達は負けたのよ」

 

 本当、あいつがいなければとぼやく紫だが、この幻想郷を霊夢とともに支える、境界を操る大妖怪を退けられるような存在がポンポンいるような非常事態は、おそらく未来永劫存在しないだろう。

 必然的に、そんなことができる存在というのは限られてしまう。だからこそ、最悪な事態が霊夢の頭に浮かび上がるのだ。

 そもそも霊夢の中で紫と対抗できる存在は母と兄しかいなかったのだ。最近そこに鬼の可畏が入ったが、可畏と紫の言葉から、彼もしくは彼と同種の存在である鬼は除外される。

 そして、力の衰えから引退した母――先代巫女も除外される。すると消去法的に兄しか残らない。

 もちろん他の力ある妖怪ということも考えられるが、可畏曰く、その鬼は吸血鬼とは真逆の鬼であるという。

 このことから考えられるのは、その鬼は人間の血を吸わない鬼だと言うことだろう。

 だが、そもそも妖怪は人間を食べる存在だ。目の前にいる紫だって、人を食べたことはある。というか、それが自然の摂理なのだ。

 結局のところ、人の血を口にしないのは神格化した妖怪か、人間くらいなものなのだ。

 そして、霊夢の兄にはとある二つ名があった。

 血濡れた新年という最悪の始まりをしたあの時、彼は先代巫女と紫とは違い、グール化した人を助けずに殺すことを選んだ。

 グールを人間に戻すという手間がかかる二人に対して、ただ殺すだけの彼は圧倒的な処理速度でグールを殲滅し、彼の活躍がなければ人里は壊滅していたと言われるほどの戦績をおさめたという。

 だが、隣では巫女がグールを救っていたのがまずかった。

 グールから人間に戻る様子を見て、人里の人達はグールを人間と同一視してしまったのだ。本当は人間の血を求めて彷徨う死人だが、終始安全だった彼らにはグールを敵とは思えなかったためだ。

 故にグール=人間を大量に殺した彼を、人々は新年の朝日を見つめながらこう呼んだ。

 

 『殺人鬼』と。

 

「どうやら、理解したようね」

 

 背中を向け、紫はそう呟いた。

 

「霊夢、紅魔館に行きなさい。そこに異変を起こした張本人がいるわ」

 

 そう言い残して、彼女は裂け目の中に入って行ってしまう。霊夢の静止の声も聞かず、その裂け目は閉じ、彼女の姿は見えなくなってしまった。

 霊夢は、見知らぬ土地で独り投げ出された子供のように呆然と立ち尽くしていた。

 紅魔館に行ったとしても、兄が自分に刃を向けるかも知れない。そんな不安が彼女をその場に縫いつけていた。

 だが、どちらにせよようやく兄と会って話をする機会が来たと自分を奮い立たせ、霊夢は紅魔館へと飛んでいった。

 

 

「そうよ霊夢。あなたは異変を解決すればいいの。他のことは万事私が上手くやるわ。もちろん、彼のこともね……」

 

 

 霧の立ち籠める湖の先。そびえ立つ真紅の館に近寄ることなかれ。

 彼の館の名は紅魔館。三匹の鬼が住むその館は、何人もの干渉も阻む魔境。

 立ち寄るというのなら、一切の望みを捨てるべし。

 鬼に挑むというのなら、一切の憂いを捨てるべし。

 彼の館の名は紅魔館。一度入れば二度と陽の光を浴びることのできない、鬼の魔窟。

 

 人里で子供達に教えてもらった歌を小さく口ずさみながら、霊夢は湖を抜け、その紅の館を見つめていた。

 よく見なくても紅い霧はあの館の周囲が一番濃い。太陽の陽が入って来ないために全てが赤く光っているように見えてしまうほどだ。

 ここまでハッキリとここが中心だと示されているのに、誰も――ゴシップ好きな天狗でさえも紅魔館がこの異変の原因だと言わなかったのは、ひとえに紅魔館陣営が八雲紫達を撃退したせいである。

 目下最強の勢力とされていた八雲紫達を撃退する。しかもそれは紅魔館陣営が八雲紫を殺したらマズいと判断し、温情で撃退という形にしてあげた。という、八雲紫達の完全敗北と言われても仕方のない幕切れの結果だ。

 それを聞いて他勢力は恐怖し、且つ紅魔館側は刃向かうものは武力で解決するという方針を持ちだしたせいで、誰も紅魔館側に反論できず、抵抗できず、紅魔館側の我儘が全て押し通る、独裁状態に突入した。

 当然独裁は今なお健在であり、誰もがわかっていたとしても紅魔館を話題に出さない状況にある。

 一方霊夢も紅魔館にかかわらぬなと先代から厳命を受けている立場なのだが、仕事だから仕方ないじゃないかと言い訳しながら、噂の館に向かっていく。

 左右対称の立派な館を見上げながら、霊夢は正門付近で立ち止まる。門番がいることはわかっていたからだ。

 

「紅白の衣装……博麗の巫女ね」

 

 紅魔館の門番に相応しい紅いロングヘアーに、緑の中華風の服を着た女性は静かに拳を握る。

 

「確か先代巫女の言いつけでここには来ないと聞いたけれど、反抗期?」

「異変があればどこであっても駆けつけろ。そう教わったのよ」

 

 軽口を叩き合いながらも、両者はともに構えをとっていた。

 相手がいつ動き出すのか、互いが互いを注視している中、霊夢の中に渦巻く感情は悲しみだった。

 信じたくはなかったが、誰にももらしたことのない先代の忠告を知りえるような存在は他にはいないのだ。

 

「紅魔館門番、紅美鈴」

「博麗神社巫女、博麗霊夢」

 

 名乗りを上げた美鈴にあわせて霊夢も名乗るが、妖怪は真剣勝負のときに名乗る風習でもあるのかと、密かに疑問に思っていたのは余談である。

 そんな霊夢に、美鈴は花束を投げた。霊夢はそれを受け取らなかったので、当然花束は地面に落ちる。

 

「……何のつもり?」

「あいつの真似。『受け取れよ。あんたへの、手向けの花だ』ってね」

「そう、だったら――返すわ!!」

 

 霊夢は花束を拾って、投げ返す。

 それがゴングとなって、両者が動き始めていた。

 霊夢は浮き上がり、弾幕を放つ。対する美鈴は重心を低くして距離を詰めてくる。

 瞬間、美鈴を先ほど戦った可畏と同様、接近戦が得意な妖怪なのかと思考する。だがしかし、妖怪は基本的に人間よりも肉体的スペックが高いこと。巫女という職は通常、接近戦ではなく遠距離を得意としていることを鑑みれば、美鈴の取った行動は理に叶っている行動とも言える。

 しかし美鈴は霊夢の張った弾幕を潜り抜けるのに苦労しているようだ。ひとまず接近される心配が薄れたことで、霊夢は安堵していたのだ。

 というか先ほどの相手がマズかったのだ。通常ならば自分の弾幕は通用するのだと、霊夢の中で自信がわき起こった次の瞬間だった。

 美鈴の気合いの発声とともに撃ち出された白に薄い青が混じった色の光弾が放たれた。光弾は霊夢の放った弾幕を打ち消しながら直進していく。

 弾幕は、あくまで牽制のために放つものであり、大量の弾をばら撒くため一発一発の威力は高くできないのだ。そのため、美鈴の重い光弾で打ち消されてしまったのだろう。

 だが霊夢の弾幕は全て直線的な弾というわけではない。円運動する弾によって、即座に空いた穴を埋めつつ、霊夢自身は美鈴の光弾を回避する。

 美鈴の瞳は、霊夢の動きを逃さなかった。

 美鈴は跳び上がり、埋まりつつある弾幕の穴に向かって飛びこんでいった。脚に纏った闘気で立ちはだかる弾を撃ち落とし、霊夢に向かって一直線で突き進む。

 まさか直線突っこんで来るとは思っていなかった霊夢は、その美鈴の行動に驚愕したが、無理矢理体を捻って直撃は避ける。

 しかし霊夢は次の瞬間に呆気に取られることとなる。二人が交錯したその瞬間、美鈴が急降下し、無理な体勢で避けた霊夢には、彼女が消えたように映ったからである。

 霊夢の下に潜った美鈴は、そのまま上昇し、霊夢の脚を掴んで地面へと投げつける。美鈴の顔には「してやったり」と言いたげな笑みが浮かんでいた。

 地面に追突する寸前でなんとか静止に成功した霊夢の顔は緊迫したものなので、美鈴のその表情は戦場に相応しくないものという印象が強まった。

 

「やっぱり初見はひっかかるものよね。これ」

 

 そう言って、次の瞬間には顔を引き締め、霊夢に闘気を纏った蹴りを叩きこむために急降下していく。

 横に大きく移動して蹴りを避ける霊夢。避けながら大きな光弾を水平に放つが、着地と同時に放った回転蹴りで、それらの弾を全て弾き返していく。

 弾を撃ち落とすことが可能な以上、純粋な弾幕や正直な攻撃が通ることは難しそうだ。母と兄の反対を押し切って、肉弾戦の修練をもっと積むべきだったのではないだろうか。といった後悔をしつつ、目の前にいる敵をじっくりと観察する。

 彼女が次に起こした行動は、前進。

 あくまで近距離にこだわっている相手に、霊夢は一回舌を打つ。

 牽制として今度はお札を投げる。扇状に広がっていくお札を、美鈴は大きく脚を振るうことで叩き落とす。お札が水平に並んでいたため、一回の蹴りで十分だったのだ。

 だが霊夢は笑みを浮かべ、霊力をこめる。

 霊夢の霊力に反応し発光するお札たち。それらは、美鈴の蹴りの勢いが強かったため何枚かは彼女の脚にひっついていたのだ。

 美鈴が光る自分の脚を見て異変に気がついてももう遅い。

 彼女の片足は、何重もの結界で封じられてしまった。

 

「し、しまった!」

「博麗の巫女の実力、甘く見るんじゃないわよ!」

 

 一生懸命結界から脚を引き抜こうとする美鈴を尻目に、霊夢は紅魔館の中に入っていく。

 無くした宝物を、取り戻せると信じているその横顔が同時に彼女の焦りを表していた。

 それが自らを破滅に導く危険性を、彼女には考える余裕も猶予もない。

 彼女は、所詮年端も行かない小娘なのだ。

 

 

 

「あぁ……糞っ! 畜生!!」

 

 自宅に戻り、救急箱を取り出しながら、魔理沙は独りそう悪態吐いていた。鬼にやられた右腕が力なく垂れ下がり、彼女を苛立たせる痛みを発していた。

 だが何よりも彼女を苛立たせるのは、先ほどの鬼との戦いと彼女も気づいていない何かだった。

 自分には特別な才能がないことも恵まれた修行環境がないことはわかっていた。だからその分人一倍、いや三倍は努力をして己の力を――魔法を磨いたつもりだった。

 だがしかし、鬼に結局傷を与えられず、自身は右腕が動かなくなるほどの重傷を負ってしまった。霊夢は傷を負ったといっても軽傷で、その後に人助けに行ったというのにもかかわらずである。

 己の力不足を、魔理沙はひたすらに痛感せざるを得なかった。

 だが相手はあの伝説の鬼であり、戯れとはいえ正々堂々の真剣勝負をして生き残ったのだから凄いことである。そう自身を慰めることは簡単だが、魔理沙は慰めを求めていなかった。

 目指している高みがあり、その高みに届いていない。

 彼女の焦りはそんな自身への叱責から来るものだからだ。

 不意に彼女の口から悪態が漏れた。

 止血しても右腕から出血は止まらず、さらに利き腕ではない左腕一本だけでの応急処置は困難を極め、全く進行していないからだ。

 

「これが、今の私ってことか……」

 

 そうぼやいたとしても、自体が好転する気配はない。出血はなおも進み、視界に若干のかげりも出てきた。膝に力が入り難くなり、このままでは倒れてしまうかも知れない。

 そんなコンディションで、処置が進むはずもなかった。

 血は木製の床の上を容赦なく広がっていく。このまま染みにならないよう、早くふかないといけない。

 そんな現実逃避をしている最中に、膝に籠めていた力が急に抜けた。

 咄嗟に机に左手をかけるが、勢いがよすぎたのか医療道具が飛び散ってしまった。

 荒くなる呼吸。朦朧とする意識。左手に籠めた力さえ、もうすぐ尽きてしまうのではないか。

 それは嫌だな。と思っていたところで魔理沙の体が不意に浮かんだ。

 何が起こったのか魔理沙が疑問に思った時には魔理沙の右腕は光に包まれ、痛みが引いていく奇妙な感覚に襲われた。

 同時に血量も増えているのか、視界も意識も、力も正常のものに戻っていく。

 医療魔法か何かだろうか。そう考えたところで自分を支えてくれている存在が秀麗な男性であることに気がつき、途端に恥ずかしくなった乙女がいた。

 

「あっ!? あのあのあの――」

 

 もはや自分でも何が言いたいのかわからない奇怪な言葉を出してしまっていた。だが男は真剣な面持ちのまま魔理沙を支え続けていた。

 そして、光は消える。

 

「これでもう大丈夫でしょう。無茶をしても傷口が開くこともありません」

 

 そう言ってニッコリと微笑む男の顔をマジマジと見つめた魔理沙だが、見れば見るほど秀麗なその顔は、ひとりでにため息を吐きたくなってしまうほどのもので、女であっても嫉妬の情抱いてしまいかねないほどのものだ。

 その男に促されて一人で立ってみると、先ほどまでは力が入らず、フワフワとした心地だったというのに、今は健康な状態そのものの体調に魔理沙は目を丸くする。

 

「嘘だろ……むしろいつもより体調がいいくらいだぜ」

「それはよかった」

 

 思わず呟いてしまった言葉に再度顔を赤くした魔理沙だが、チラリと見た男の格好はかなり独特だったので、思わずこちらもマジマジと見つめてしまっていた。

 男は白い束帯を着ていたのだ。白い烏帽子に白い尺。白銀の髪に唯一黒い靴をはいた、完璧な上流階級の人間。

 そんな彼が、どうして人里から離れた魔法使いの森に訪れたのか。というかそもそも、人里にそんな貴族風な人間がいただろうか。

 そこまで考えたところで魔理沙は、男の背後で銀色の尻尾が揺れていることに気がついた。

 

「うげげぇ!!? あ、あんた妖怪だったのか!?」

 

 魔理沙が盛大に驚いたのは、この男から妖気を全く感じなかったからだ。先ほど彼は術を使って魔理沙を治療したが、その際も彼女は妖気を感じ取れなかったので、てっきり魔理沙は陰陽師か何かだと判断したためである。

 そんな慌てふためいた様子の魔理沙を男はキョトンとした様子で見つめていたが、やがて納得したのか、両手を勢いよく併せて音を鳴らした。

 

「あぁ、そういえば自己紹介をしていませんでしたね」

「いや、そういう問題じゃないんだが……」

「私の名前は封城(かねしろ)廉と言います。それと、残念ながら元妖怪です」

 

 まるで生徒の簡単な間違いをともに残念がる教師のようにションボリとした顔になる廉。若干天然なのかも知れないと魔理沙が感じているところで唐突に烏帽子を取り、「耳もありますしね」と上に長い三角の耳を笑顔で立てて見せた。

 

「私は俗に言う化け狐の妖怪だったのですが、人間のみなさんの信仰を得て、神格化したんですよ」

「へ、へぇ。頑張ったんだな」

 

 しかしそうなると廉は狐の中でもかなり高齢で且つ強力な狐ということになる。なぜそんな狐が魔理沙のところへやって来たのか。魔理沙は警戒して、床に落ちた道具達がどこに行ったのかを確認する。

 

「実は私、博麗の巫女のことを気にかけていましてね」

 

 そんな魔理沙の内心を見破ったのか、廉は微笑みながら続ける。

 

「先ほどの一戦も、こっそり見ていたんですよ」

「それで、けがした私の後をつけてきた……って?」

「その通りです」

「そっか、サンキューな。神様にできるような大層なことはできねーけど、茶でも出そうか?」

 

 たとえ誰であろうと恩人に何もしないで返すのは気が退けるので、魔理沙はどこかにしまったはずの茶葉を探すため、廉に背後を向けた。

 魔理沙の背後を見つめて、廉はおもむろに――けれど何かを確信したように口を開いた。

 

「そんなことよりも、この異変を解決しなくていいんですか?」

 

 ビクりと動いた魔理沙の動揺を、廉は決して見逃さない。

 

「博麗の巫女は今人里でチヤホヤされていることでしょう。出し抜く好機ですよ」

「あ……あんた何言って――」

 

 振り返った魔理沙の目の前には廉の顔があった。その秀麗な顔も、間近にあれば恐怖を覚えてしまうので、魔理沙は咄嗟に足を引くが、廉に踏まれていて下がることができない。

 

「魔法使いよ、湖の先にある血濡れた館を目指しなさい。あなたの望むものはそこにあります」

「あんた……私に何をさせようっていうんだ!?」

 

 廉の瞳は怪しく光っている。だが魔理沙は彼の術に負けないという強固な意志を持ってそう切り返す。

 だが、彼の瞳には慈愛の笑みが浮かんでいた。

 そして彼は後ろへ、体のどこも動かさずに移動する。突然足の痛みがなくなったことに安堵する魔理沙だが、次の瞬間には彼を睨みつけていた。

 

「ただ弱き人の恋路を助けたいだけですよ。魔法使いよ、吸血鬼に因われた王子を救うための装備は用意してあります」

 

 廉が指を指したのは机の上で、魔理沙はすぐに確認する。そこには確かに見馴れないトランクが置いてあった。

 

「魔法使いよ、血濡れた館を目指しなさい。あなたの願いはそこでようやく叶うのです」

 

 廉はそう言い残して、魔理沙の静止の言葉も聞かずに壁を通り抜け、外へと出て行ってしまう。

 急いでドアを開けて外に飛び出した魔理沙だったが、廉の姿はどこにも見当たらなかった。

 何かしらの術を使ったのだろう。普通の魔法使いである自分に後を追えるはずもないと諦めた魔理沙は部屋に戻り、机の上に置いてある古ぼけたトランクに目をやった。

 罠かも知れない。何が仕掛けてあるのかわからない。そんな警鐘を頭では鳴らしているにもかかわらず、魔理沙の腕はトランクに伸びていた。

 

『あなたの願いはそこでようやく叶うのです』

『吸血鬼に因われた王子を救うための装備は用意してあります』

 

 あの狐が自分の願いを知っているとは思えない。だが、行方不明になった彼がどこかに因われている可能性は否定できない。

 彼を因えているのが、吸血鬼という可能性だって。

 そしてトランクは口を開けた。中には銀のナイフや小瓶、そして円のピンがついた円柱状の筒がいくつか入っていた。廉の言うことが確かなら、これらは吸血鬼に効果的なものなのだろう。

 そこで魔理沙は思いついた。妖怪の種類は数あれど、太陽と苦手とする妖怪で最も有名なのは吸血鬼であるという、当たり前過ぎることを。

 

「なら、異変に関与してなくても旨味は十分吸ってるわけだよな」

 

 その顔に喜悦の笑みが浮かんでいた。

 ならば別に叩きのめした後から話を聞いてもいいだろう。どうせ向こうも何か悪さをしているに違いないのだから。

 そんな独善的な思考を咎める者は生憎とここにはいなかった。

 故に魔理沙はトランクの中身をポケットに突っこんで、外に飛び出した。箒に又借り、湖に向けて一直線に飛んでいく。

 

「いいぜ。お前の思惑に乗ってやるよ!!」

 

 魔法使いの横顔には、確かな笑みがあった。

 それも何かを企んだ――そんな笑みが。

 

 

 

 紅魔館には近づくな。

 誰がそう決めたわけでもなく、お触れがでたわけでもない。それがいつの間にか当たり前のことになっていたのだ。人間にも。妖怪にも。

 それは魔法使いとして一人で生活している魔理沙でさえその認識を持っていることからも拡散具合をうかがうことができる。

 その魔理沙は、紅魔館のすぐそばまで近寄っていた。

 

「今思えば、なんでこんな面白そうなところに来なかったんだろうな」

 

 好奇心のために竜の巣に侵入する程度には命知らずな彼女は、紅魔館の上空を周回しながら肉食獣の笑みを浮かべている。

 見つめている紅魔館は不落を誇る名城といったところだろうか。

 見るもの全てを威圧し、萎縮させる。まさに帝王のたたずまいをしているその城の中には何が隠されているのか。

 それを想像するのも、それを如何にして奪うのかを思考するのも、挑戦者の昂揚を誘う絶好の美酒なのだ。

 それを口にして、頬を緩めるなと言うのが酷というものだろう。もっとも、瞳と口元は砥澄まされているのだが。

 その狩人の目で魔理沙は紅魔館の周囲を見つめている。

 これは決して臆病風に吹かれた訳ではなく、紅魔館周囲に張り巡らされている結界の分析のためだ。

 初見の挑戦において重要なのは、如何に挑戦する前に情報を集められるかだと、魔理沙は数々の挑戦から実感していた。似たようなこと書いてあったを本で読んでいたような気がしたが、忘れてしまった。

 そうして紅魔館上空を何回か周回し、魔理沙は唐突に顔をしかめた。

 

「結界に穴があるが……フェイクじゃないみたいだな」

 

 その発言は、自分で言っておきながらも考えられないことである。

 この紅魔館は多くの者に近寄るなと言われていて、それを物語るように侵入者を感知し、侵入を妨害し、侵入者の力を削ぐ、極めて緻密で繊細な結界が張られている。

 見た目だけでなく、しっかりとその実力を示しているのだ。

 しかしそんな完璧な結界に穴があけられたような綻びがあった。それも、結界の濃い裏口のところに。

 結界の濃いところに穴。まるでそこから入ってくださいと言わんばかりに空いた穴は誰がどう見てもトラップなのだが、じっくりと観察して見るとどうやらその穴は外的要因によって無理矢理こじ開けられたものであることがわかった。

 だがそこで不可解なことが持ちあがる。

 結界に引っかからずに侵入したい。気づかれずに侵入したいというのは侵入者ならば誰でもが思うことだ。

 しかし、結界をここまで派手にぶち壊して侵入することに意味があるのか。という疑問が同時に浮上する。

 簡単に言えば魔理沙のマスタースパークをぶちかまして侵入するようなものだ。それほど大出力で空けられたと推測できる穴を空けた際、普通なら誰かに気づかれるだろう。

 しかし、この穴を空けた者はそれをやり、且つ侵入しているのだろう。

 

「ま、素人ってことなんだろうな」

 

 魔理沙はそう結論つけると、その無謀な先人の功績にただ乗りすることに決めた。

 あの紅魔館にバレバレの方法で潜入したのだ。既に殺されているか、まだ殺されず、騒ぎになっているだろう。その混乱に乗じて、当主である吸血鬼を討って彼を助け出せばいい。

 ただそれだけのことなのだ。

 

「私が吸血鬼を討つまでは生きていてくれよ」

 

 そう呟いて突入する魔理沙にはわかるはずもないのだが、その穴はわざわざ空けられたものではない。

 先人が侵入する際、仕方なく相手しまったものであるのだが、普通の魔法使いにはそんなことを考えることはできなかった。

 だが先人が潜入の素人であるということは間違いないのだろう。

 そんな技が必要ない程度には別格な存在なのだから。

 

 

 難無く、あっさりと、拍子抜けするほど簡単に紅魔館に潜入した魔理沙は、想像と現実とのギャップにため息を吐いてしまう。

 

「そりゃ裏口が粉々になっているのは見てビビったが、これはないだろ……」

 

 問題がないことは紛れもなく良いことなのだが、困難がないというのは魔理沙という挑戦者には問題なのだ。

 感覚的な話だが、挑んでいる気がしないのだ。

 挑戦し、それに成功した時の快感を、この現状からは想像できないのだ。

 そんなのは、面白くない。

 一人叫びたかったが、本末転倒になるのでグッと堪え、屋敷の中を進んで行く。

 

「流石に中まで結界だらけ……なんて頭の悪いことはしないもんな」

 

 結界は侵入されたくない場所に張るもの。

 全ての場所に張り巡らせるくらいなら、要所要所に重点を置いて張るのは常識だ。

 そんな有り得ないことを期待し始める程度には彼女は退屈しているらしい。妄言ついでに文句が飛び出す辺り末期なのだろう。

 しかし、魔理沙の顔は険しくなる。

 妖気と魔力。それも互いにぶつかり合っているのか、強い力になっている。それらが漏れだして魔理沙のいる場所ではようやく感じられるほどの微弱なものになっているのだろう。

 魔理沙は冷汗を書いていた。

 魔力のほうは細かく分ければ二種類あり、片方はあの緻密な結界を張っている凄腕の魔法使い。もう片方がその魔法使いの流れを組む何かだろう。

 その二人に対峙することのできる妖怪。

 どちらも化け物であることは容易に想像できてしまった。

 

「ど、どうやらまだ死んでいなかったようだな。よかったよかった」

 

 気がついたら引き攣った顔で独白していた。

 

「なら私は吸血鬼を探すことにするぜ。ラスボス退治は主人公の役目だもんな」

「あら、人間風情がいったい誰を退治するのかしら?」

 

 突然かけられた声。そしてその声によって気づけた、背後に立つ者の持つ強大な魔力に戦慄して、魔理沙は反応することも、振り返ることもできずにいた。

 

「パチェに話があるからわざわざ出向いてみれば、侵入者に出会すなんて……パチェと門番は何をやっているのかしら……」

 

 ぼやきのセリフを聞き流し、意を決して振り返る魔理沙の瞳に飛びこんで来たのは――少女だった。

 青みがかった銀髪と真紅の瞳を持つ、十年も生きているのか疑わしい少女がそこにいた。

 だが近くにいるだけで肌がピリピリしてくるほどの魔力と、広げれば少女の体ほどの大きさになる蝙蝠のような羽を見て、魔理沙の表情は驚きから畏怖。そして歓喜のものに変わっていく。

 

「お前、ここの主か?」

 

 そう呟く魔法使いの言葉は、酷く重い。

 

「知らないで来たの? 愚かね。でもいいわ、教えてあげる。いかにも、私がここの主、レミリア・スカーレットよ」

「そうか、それを聞けて安心したぜ。私の名前は霧雨魔理沙。お前を、殺す魔法使いの名だ」

 

 嘲笑交じりの言葉は彼女に届くことはなく、返事として投げつけた言葉には、重く鋭い決意があった。

 その瞳は一点のみに焦点をあわせ、全機能をそこに集中している。

 その視線を、少女は軽くあしらってみせる。

 

「人間風情が吼えるじゃない。でも挑戦を許可するわ。私を楽しめることができたのなら、あなたの血を吸ってあげる」

 

 どこまでも挑発的な言葉だが、魔法使いは揺るがない。

 そして掲げた一本の指に、少女は首を傾げた。

 

「挑戦料はコイン一個でいいか?」

「それだけじゃあ、あなたの命は買えないわよ」

「お前がコンティニューできないのさ!!!」

 

 

 

 心地好い風が吹いている。

 目の前には湖。周囲には草が生い茂り、一本だけ大きく伸びた木は遊び疲れた時の休憩場所にちょうどいいだろう。

 豊かな自然に囲まれ、のどかな時間を過ごす。

 まさにそれをするためだけにあるような場所。だが、紅い霧が暖かな太陽の光を遮り、冷たい紅で周囲が一杯なため、その魅力も半減しているように見える。

 それでも木の真下にて、仲良く談笑する集団があるようだ。

 

「うーんおいしい! やっぱり七夜の淹れるお茶はサイキョーね!!」

「チルノちゃん、それは使い方が違うんじゃ……」

「大ちゃん。バカの言うことに一々目くじら立ててちゃキリがないよ」

「そうそう、気にしな~い気にしな~い。だから七夜、おかわり頂戴」

「茶菓子よりも紅茶をガバガバ飲むのもどうかと思うが……?」

「気にしな~い気にしな~い」

「……やれやれ」

 

 小学生位の女子三人と、高校生位の少年一人という少し疑問の残る組み合わせだが、彼女達は彼の出すお茶や茶菓子をおいしくいただいているだけなので、特に問題はないだろう。

 だが少女達は皆個性豊かなようで、年上の少年――七夜は、執事服という外見通り彼女達に振り回されているようだ。

 ため息を吐きながら金髪のショートボブの左側頭部に赤いリボンをつけた少女――ルーミアにお茶を注げば、薄めの水色の、ウェーブがかかったセミショートヘアーの少女――チルノには茶菓子の追加を要求され、それをかわしたら緑のショートヘアーに黄色のリボンをつけた少女――大妖精の追撃が入る。

 もっとも、それらを華麗にさばいて見せる辺り、彼は相当こういう場面に手慣れているらしく、少女達は満足げに至福の一時を過ごしている。

 

「七夜! おかわり!!」

「ルーミアちゃん、ちょっと飲み過ぎだよ……」

「あーっ!? ルーミアばっかりサイキョー茶飲んでてズルい!! 七夜! あたいにも!!」

「チルノちゃんまで!?」

「いいよ大ちゃん。気にしなくて」

 

 七夜のそのやんわりとした言葉に大妖精は呆気にとられていた。

 七夜は二人のカップに紅茶を注ぎ、そんな彼女に苦笑する。

 

「何か心配事でもあるのかい?」

「いえ、その……その紅茶は、元はと言えば紅魔館の……」

 

 返答を紡ぎながら、チラチラと大妖精が流し見る場所の先にある建物のことを思い出して、七夜は微笑を浮かべた。

 

「あぁ、そんなことを気にしてくれてたのかい?」

「気にしますよ! 七夜さんはあそこの人で、あそこにいる一番偉い人に頼まれて紅茶を取ってきているのに……」

「別に気にする必要はないよ」

 

 彼のことを気遣ってくれている大妖精の顔は悲痛なものになっていた。彼女の頭に手をのせる七夜の顔にはそんな彼女に対する感謝があった。

 

「俺は、今日であそこの執事をやめることにしたからね」

「え……?」

 

 手を退け、困惑する彼女の瞳を覗きこむ彼の黒い瞳に後悔はない。

 

「だから気にしなくていいんだよ」

 

 それでも事態の急変を瞬時に呑み込めるほど彼女は単純ではなかったようで、七夜に質問をしようと試みるが、言葉にならず、喉でつかえてしまう。

 

「じゃあさじゃあさ」そんな中、単純なチルノは真っ先に声を発した。「これからは七夜と一杯遊べるの?」

「そうなるな。少なくとも今までよりは遊べるだろう」

 

 それを聞いて体全体で、且つ声まで出して喜びを表現するチルノ。しかし大妖精は素直に喜ぶことができなかった。

 

「七夜。お前はそれでいいのか?」

 

 彼女の複雑な胸の内を、言語化したような声だった。

 

「お前が仕えて十年。私達ならともかく、お前は何かしら思うところができる時間をあそこで過ごしたはずだ。それを――」

「後悔はしてないよ」

 

 その返答は、実際に質問しているルーミアよりも大妖精に向けられたものだった。

 

「元々こうするつもりだったからね。そもそも、俺が吸血鬼の下につくって時点でおかしかったんだ。それを、元に戻すだけだよ」

 

 七夜はふと、ルーミアに対して微笑んだ。

 

「それにしても、お前が俺の心配をしてくれるとはね」

「勘違いするな。私はお前の中にある力が解放されるのを恐れているだけだ」

 

 ルーミアは慌てて顔を背けながら続ける。

 

「それに、わたしのほうはお前に何かあったら心配するからな」

「そういうことか。なら仕方なさそうだな」

 

 長く息を吐いて立ち上がる七夜を、チルノは疑問で、大妖精は不安気に見つめている。そっぽを向いたままのルーミアを含め、全員に七夜は笑顔を見せた。

 

「七夜、行っちゃうのか?」

「そうだな。あんまり遅いと恐いご主人様に怒られてしまうからな」

「七夜さん。あの……その……」

「大丈夫だよ大ちゃん。長い夢を、終わらせに行くだけさ」

「七夜。お前はそれでいいのか? 本当に、後悔していないのか?」

「この時のために、必要な条件は全て揃っている。だから後は――」

 

 ――己であった証を、刻みつけるだけだからな。

 

 そう言い残して歩き出す彼の後ろ姿を、三人は見えなくなるまで見つめ続けていた。

 

 

 

 この館はどうなっているのか。

 何回抱いたかわからないその疑問を、何回も抱いていることを自覚しながらも、博麗霊夢は毒つくように疑問に思っていた。

 門番を足止めし、紅魔館に入りこんだ。ここまではよかった。

 中に入れば、博麗神社と違って高級そうな内装や家具があったので、むしゃくしゃしたから弾を撃ちまくってめちゃくちゃにした。ここまでは完璧だった。

 だがしかし、そこから先は惨劇だった。

 

「撃ちかたよーうい」

 

 もう何度目だろうか。

 現実逃避をしながらも、もう聞き慣れた警鐘のため、対処するために体勢を変えるのも慣れたものだ。

 

「撃てぇー!!」

 

 そして一斉発射される光弾達。しかし一直線にしか行かない弾幕で、霊夢がひるむことはない。

 速度を緩めることなく突き進み、前方にいる妖精達を手の平から放射する光で薙払い、一気に無力化する。

 

「全く、しつこいわね……」

「第十二分隊がやられてます!」

「構うな! 第三分隊は突撃。我々は弾幕で援護する!!」

「うげ……まだいるわけ?」

 

 倒しても倒しても、限りなしに湧き出て来る妖精達。

 霊夢が遭遇した惨劇の元凶である。

 この紅魔館は、家族で暮らすにしては十分過ぎるほどのスペースがあり、とても掃除が行き届かないほど大きな館なので、それらの雑用を、吸血鬼の膨大な魔力で従わせていたのか、妖精達が行っているようで、霊夢がしばらく暴れていたら一気に彼女達が押し寄せてきたのだ。

 しかし、妖精の戦力はたかが知れている。

 様々な妖怪が住んでいる幻想郷でも、妖精は命を取られる危険のない妖怪と言われている。妖精は悪戯好きであるが、悪戯までしかできないのだから。

 先ほど霊夢が妖精達を一蹴したことからも、妖精と彼女との間に大きな力の差があることを――妖精の戦力の程度を表している。

 だが、ここの妖精達は――違った。

 

「撃てー!!」

「突撃ー!」

 

 一人一人の戦力が小さいことを自覚し、個でなく数で。相手よりも確実に多い数の力を一方的に押しつける、物量戦術を徹底してやってきているのだ。

 その様相は鰯の群れの魚影を彷彿とさせる。

 個を捨て、集団として磨かれた戦い方は個からして見れば非常に嫌なものだ。

 大きな魚影を叩いても、分裂しまた大きな魚影を象ったり、中くらいのいくつかの魚影になったりと変幻自在で、倒しても倒しても数が減らず、長期戦を余儀なくされる。

 圧倒的数の有利を持つ集団が可能にする物量戦術は、相手の心身ともにすり減らす。故に強力であり、嫌なものなのだ。

 そんな相手と戦っている霊夢の心境は当然穏やかではない。

 手の平くらいの妖精達が持てる程度の大きさの西洋槍を構え、突撃してくる。まるで砂浜に打ち合がる波のように迫る妖精達を、霊夢は大麻を振るい、前方に霊力を放射することで撃退する。しかし、その後ろからは光弾が向かって来ていた。

 狭い廊下を埋めつくすように放たれた弾幕。回避は困難と咄嗟に判断し、防御の体勢を整える。

 視界の隅に違和感を覚えた。

 霊夢が首だけを動かして側面を確認すると、そこには先ほど撃退した妖精達の姿があった。槍を構え直し、再突撃の体勢を整えている。

 おそらく反対側にも相当数いるのだろう。なぜ撃退したはずの彼女達が瞬きの間に体勢を立て直せたのか。純粋な疑問が浮かぶが、それよりも早く霊夢が確信したのは、現状が危険な状態であるということだ。

 光弾が正面の防御陣に襲来する。急遽左右と後ろに張った防御陣には、予想通り槍が突き刺さってきた。

 削られていく霊力。妖精の攻撃はたかが知れているが、それが数多く降り注げば、防ぐにしても疲れるというものだ。

 さてどうする。

 霊夢の頭は淡々と論理を紡いでいた。そして顔を歪めることなど一度もなく、見開いたその目には決心の光。

 

「こいつで……終わりよ!」

 

 その宣言とともに霊夢の周囲に七つの光弾が、霊夢を囲うように周回しながら出現する。それらの光弾の周回速度はドンドン上がっていき、回転の余波で防御陣を破壊すると、妖精達や妖精達が放った弾幕を飲み込みながら前と後ろに飛んでいき、残りの妖精達を飲み込んでいく。

 敵が一斉に攻勢に出て、攻撃に集中していたからこそできた力技での反撃だ。大技を放っておいて取りこぼしが出るのは痛いので、確実に当てられるこの瞬間に放つ。結果は目論見通りだ。

 囲っていた妖精達は全員白眼をむいて気絶している。完全に無力化できたようだ。

 だが重い心労と霊力を消費したことによる疲労が霊夢に重くのしかかっていた。

 妖精達と連戦するのは避けたほうがいい。いや、もう遭遇しないほうが望ましいだろう。そこまで霊夢は考えて、これらの苦労を吐き出すように大きく息を吐いた。

 ずっと追われていたため、じっくりと周囲を見渡すことはなかったのだが、改めて周囲を見渡して見るとこの屋敷の異常さをありありと見せつけられるようで、いい気にはならなかった。

 赤紅朱紅赤朱。

 目に入ってくる基本的な色は赤で、他の系統の色は壁付近に取りつけられている蝋燭の白くらいなものだ。そんな不気味な廊下が、見る限り延々と続いているのを見ると、流石の霊夢も『辟易』としてきた。

 だがこれだけ長い廊下ならば、先ほどのような物量戦術も機能しやすいだろう。上手く誘いこまれたものだと霊夢は苦笑する。

 しかしその苦笑はすぐ止まる。いくら敵の目論見はぶち破ったとはいえ、霊夢の目的は吸血鬼の打倒なのだ。気をよくするにはいささか早い。

 

「だけど……どこにいるのかしらねぇ。問題のボスさんは」

 

 思わず心境が口から漏れた。

 先ほどまで妖精達に追われ続けていたわけだが、それでも廊下に終わりはなかった。かなりの速度で飛翔していたのだが、それでも突き当たりが見えない廊下を有するほどの屋敷をくまなく調べる労力は想像を絶するものになるのだろう。

 どこか他人事のように考えていた霊夢は明後日の方向を向いていた。本当は外を見たかったのだが、生憎と近くに窓はなかった。

 

「その衣装……あなたが博麗の巫女ですか?」

 

 軽い現実逃避を謳歌している最中にかけられた声。残念ながら霊夢は返答できず、首だけを向けただけに留まった。

 その目とあったのは、青い瞳を持つメイドだった。しかも、人間の。

 

「お嬢さまがあなたとお会いしたいとおっしゃっているのですが、いかがでしょうか?」

 

 決して強くは言わず、淑やかに相手の同意を誘う。そのたたずまいといい、笑みといい、メイドという存在を知らない霊夢からして見ても、これが完璧なメイドなのだとわかる彼女の態度に、霊夢は毒気が抜けてしまったようだ。

 そのメイドが、霊夢には天使に見えたという。少なくともこの瞬間には。その時が来るまでは。

 

 

 

 すぐそばに床があった。

 床は平行にあって、壁は当然垂直にある。そんな不可思議な現象が、自分が横になっているのが原因だと気づくのに、霧雨魔理沙は少々時間を要した。

 何をバカなと、他ならぬ彼女が自分に言いたくなったのだが、霞がかかってきた視界と朦朧としてきた意識から、今自分は正常な状態ではないのだろうとどこか他人事のように理解した。

 どうしてこうなったのか。

 末端に全く力が入らず、冷たくて鳥肌が立っている。ブルっと無意識に体が震えたが、それでも末端は動かなかった。

 

「あぁ……糞っ! 畜生!!」

 

 どこか懐かしい言葉が零れていた。

 そして瞳から涙が零れ落ちるのだが、それを拭おうとしても腕は動いてくれなかった。

 魔理沙は思い出していた。

 彼女は吸血鬼を倒そうと紅魔館に潜入し、運よく潜入早々に吸血鬼と遭遇し、そして――負けたのだ。

 腕にやんわりと伝う温もりは、彼女から流れていく体温だ。体温が流れ出ているので彼女自身は冷たくなっていく。――かなり危険な状態だと自覚するのに時間はかからなかった。

 腕を動かそうにも動かない。

 脚を動かそうにも動かない。

 よしんば動けたとしても長くは保たないだろうし、傷の治療は行えない。

 

「……畜生」

 

 知らず知らず、涙が溢れていた。

 

「畜生が……っ!」

 

 彼女にできるのはもうすぐ訪れる死を待つだけ。

 そんな無慈悲な現実と何もできない自分の無力さを噛み締めても、魔理沙ができることは涙を流すことだけ。

 

「畜生……畜生……。霊夢に勝ちたい。勝ちたいと思ってるのにこの様かよ……」

 

 圧倒的だった。

 吸血鬼の強さは彼女の想像の彼方にあり、魔理沙は吸血鬼に全く歯が立たず、されるがまま敗北した。

 その圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、彼女の命が今もまだ繋ぎ止められているのは、ひとえに家を出る前に渡された、対吸血鬼道具の賜物だ。

 それを理解しているからこそ、激情は際限なく流れ続ける。

 だが、意識は次第に遠のいていく。限界が迫って来ているのだ。

 

「やれやれ、予想通りの弱さで安心しているのですが、これではね……困ったものです」

 

 眠りにつく直前で、少女は嫌味な言葉を聞いた。

 これが最後に聞く言葉なのだとしたら。そう思った時、嫌だなという直感的な感想を抱いて、少女は眠りについた。

 

 

 

「こちらにて、お嬢さまはお待ちになっています」

 

 随分と歩かされたわ。そんな軽口の一つでも吐いてやろうと、憎々しげに案内してくれたメイドを見据えるが、疲労や弱味を一切見せず、出逢った時と何一つ変わらない優雅な笑みのまま話す彼女を見て、そんなことを言う気にはなれなかった。

 まるで負け惜しみのようで、そんなことを言うのは嫌だから、霊夢は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

「あんたに会うまで、たくさんの妖精に襲われたわ」

「そうでしたか」

「あんたはいいわけ? 私と戦わなくて」

 

 代わり霊夢が吐いた軽口に、メイドはスッと視線を細めた。

 

「お嬢さまの命は我々メイドの中では最優先すべきことですから」

「でしょうね」

「ただ――」

 

 瞬間、メイドの瞳が赤く染まる。

 

「――あなたとはいつか戦いたいわ。でも今はその時じゃない。私とあなたの立場が逆になった時。その時は思う存分殺し合いましょう。その時まで、今は……」

 

 その言葉は、先ほどまでの完璧なメイドの言葉ではなかった。もっと汚く、目を背けたくなるような存在の言葉。

 聞く者を惑わす悪魔の甘言だ。

 

「あっそぅ。でも私が異変を起こすわけないでしょう? バッカじゃないの?」

 

 霊夢の返答は淡々としていた。

 そんな妄言を真面目に聞くと思っているのかと言いたげな、突き放す返答。

 しかしメイドの歪んだ笑みは止まらない。その笑みのまま、彼女は扉に手をかけた。

 

「あなたには一つだけ感謝しているの。彼をお嬢さまの楔から解き放ってくれたことはね。でも、必ず奪い返すわ」

 

 呪詛のような呟きとともに、扉は開かれた。

 

「それまでせいぜい死なないで頂戴」

 

 振り向き、一瞬だけ優雅な笑みを浮かべたメイドは、すぐに正面へと向き直り、扉の向こうへと歩いていってしまう。

 一方の霊夢は、彼女の言葉の中に出てきたキーワードに反応し、それの詳細を聞こうと慌てて前に一歩踏みこんだ。

 メイドの背中へと手が伸びる。その背中を掴み、声をかける。ただそれだけのことをするだけだったのだが――

 

「あら、どんな化け物が来るのかと思ったけど、ただの小娘みたいね」

 

 ――膨大な魔力を惜しげもなく見せつけ、明らかに高圧的な言葉を聞いて、霊夢の動きは止まる。蛇に睨まれたカエルのように。

 だがメイドはズカズカと歩き続けていく。

 霊夢達がいるばしょは、屋上だった。

 後ろにふりむけばすぐ大きな時計に目がいくところだろう。そんな大きな時計塔を除けば、紅魔館の中で一番高い場所。そこに彼女達はいた。

 空は赤く、星を全く見ることができない。唯一欠けているところがどこにもない、完璧な月は赤い霧に覆われてもなお力強く光り続けている。

 不気味な外の景色を一望できる屋上で、本当に幼い少女が高そうな椅子に座って霊夢を待ち構えていたようだ。

 

「吸血鬼って聞いてたからどんな化け物が出て来るのかと思ったけど、ただのガキみたいね」

 

 霊夢は色々な理由で覚えた怒りの一部を乗せて、嫌味ったらしく少女へとぶつけた。一方の少女は余裕を見せつけるように笑って見せた。

 少女が椅子から降り、霊夢の下へ歩み寄ってくる。

 青みがかった銀髪に真紅の瞳を持つ、背丈や容姿で見ればまだ二桁も生きていない人間の少女にしか見えず、これがあの吸血鬼ですと言われても大衆の理解は得られないだろうなと、霊夢は内心苦笑する。

 しかし霊夢は油断せず、少女の一挙一動を逃すまいと見つめている。彼女の溢れ出すほどの魔力と、片翼しかないが、大きな翼が彼女をただ者ではないと雄弁に語っているような気がするからだ。

 そんな霊夢の様子を見てか、少女は哄笑を響かせた。

 

「それで、あなたは私のモノを奪っただけでは飽きたらず、何をしようっていうのかしら?」

「そうね。強いて言うなら邪魔なのよね、あんたが」

「……それはどういう意味かしら?」

「出て行って欲しいのよ。この世から」

 

 不快感を隠すことなく、霊夢はそう断言した。一方の少女はそれを聞いて笑う。

 

「生憎とそれはできない相談ね。私は奪われた私のモノを取り返すまで死ねない。たとえ幻想郷を壊わすことになっても取り返す。それが私達の運命なのだから」

「あんたの夢はもう終わっているわ。私に退治されて終わりよ」

「終わってない! 終わらせない!! この紅い夜で、私の夢は一生続くのよ!」

 

 唐突に激情を表にした少女。それに一瞬驚いた霊夢だったが、すぐに平静を取り戻し、告げる。

 

「それも、あんたの運命?」

「当然よ」

「なら、終わらせるわ……夢を終わらせる、この迷惑な夜と一緒にね」

「終わらせないわ。だって、今夜はこんなに月が紅いんだもの。だから――」

「えぇそうね。だから――」

「――本気であなたを殺すことができる」

「――本当の月を取り戻すわ」

 

 その言葉とともに駆け出した両者。二人が交錯する直前、霊夢は大麻を、少女は腕をそれぞれ振りかぶり、交錯の瞬間にそれらが衝突する。

 交錯の瞬間、少女が不敵に笑っていたのが見えた。圧倒的な力の差を自負し、弱者を見つめる上から目線の傲慢な笑み。

 しかし少女の自惚れがただの自惚れではなく、事実であると霊夢はその直後に知ることができる。

 

「そう――私の一撃をバカ正直に受けても壊れないの。流石は博麗の巫女といったところね」

 

 値踏みするように少女は呟くが、大麻を握る右腕は強い痺れに襲われ、痛みをともなっている状態だ。その言葉を軽く流すことも受けとめることもできない状況に、霊夢は歯を食い縛っていた。

 

「もっとも、先代だったら逆に私を壊したんでしょうけど……まぁいいわ」

 

 一人言を呟いて、少女は霊夢と再度向き合った。

 

「私の高貴な名前を聞かせてあげる。我が名はレミリア。レミリア・スカーレット。紅い悪魔の異名を持ち、同族からは虐殺姫と恐れられた、吸血鬼の生き残り。すぐ壊れないよう頑張りなさい。人間」

「ようやく宣戦布告? まぁいいわ。博麗神社が巫女、博麗霊夢! ……押して、参る!!」

 

 今度は霊夢から肉薄を開始する。それに答える形で加速する少女――レミリアは、嘲笑の笑みを浮かべていた。

 笑いたければ笑えばいい。霊夢はそう内心で切り捨てた。

 母の口上を借りなければ恐怖に押し潰されてしまいかねないほど、吸血鬼という存在に恐怖していることはしっかりと自覚していた。

 少し前、鬼と一戦を交えた時とは何もかもが違う。ヒリヒリと肌を刺す殺気。命を奪われる恐怖。

 それらを見ないために、自らを奮い立たせるための口上だ。どう思われようが、どうでもいい。

 

「えぇ、本当に下手よ。私は」

 

 思わず自嘲したこの言葉も借り物なのだから、自嘲は思ってた以上に染みていた。

 だが、自覚したからこそ、目の前の存在をしっかりと見据えることができるようになっていた。

 生き残るために生存本能を呼び覚まし、生きるために最適な一手を模索するために全神経を集中する。

 互いに向かって加速する両者は当然再度交錯する。

 交錯の直前にレミリアは爪を振り上げるが、霊夢は交錯の一歩前で止まり、後方へ跳ぶことで回避する。レミリアの爪の先の軌跡は紅く彩られていた。

 それは一撃一撃に魔力を籠めているという証。さらに先ほどの交錯で鬼と同等の力を持つとわかった以上、魔力を籠めたレミリアの攻撃を喰らう気はなくなっていた。

 一瞬意外そうな顔をしてきたレミリアだが、すぐに追撃の体勢を取った。だが霊夢はその時行動を予測していたので、レミリアの目の前でお札を展開する。

 可畏と美鈴という、身体能力が人間よりも上の妖怪は、いずれもトドメを刺しやすい近距離での戦いを好んでいたので、身体能力はトップクラスに高い吸血鬼も同様の戦法を取って来るだろうと踏んだためだ。

 レミリアは目の前で展開されていくお札を見て、後方に跳躍。足が地につくまでの間で掌中から赤い光で槍を象らせ、霊夢の対応を注視している。

 門番よりも勘の鋭い相手に舌を打っていた霊夢は、レミリアが一瞬で形成した赤い魔力槍に危機感を募らせていた。

 手に霊力を籠め、お札に書かれた式を作動させる。ぼんやりと光り始めた文字を見てそれを察したレミリアは後方へ距離を取るとともに、握っていた槍を投げつける。

 式が展開され、札を中心に陣が形成されていく。だが、形成された陣はまるで紙のように飛んできた槍に引き裂かれていく。驚愕とともに体を逸らす霊夢だが、左側に異臭と痛み。

 距離を取りつつ確認すると、魔力槍にかすったのか、それとも近かったからかはわからないが、左腕が焼けていることが確認できた。

 やはりこいつもデタラメだ。そう判断した霊夢だが、目の前にはもうレミリアの姿があった。

 左右の手で十字の軌跡を描くレミリア。一歩下がって後退する霊夢だが、取り残された袖がひっかかり、引き裂かれる。その跡からは火が発した。

 

「後退ばかりね。臆病風にでもやられたのかしら?」

 

 余裕の笑みを浮かべ、レミリアは詰め寄ることはせず、その場で魔力で十字の弾を構成し、撃ち出した。

 霊夢はその弾を見て走り出す。体勢を低くして体を少しだけ捻ることで回避すると、そのまま滑りこんでレミリアの足下を狙う。

 余裕しゃくしゃくといった態度で跳躍し、霊夢のスライディングをかわすレミリア。だが霊夢は折り畳んだ左脚の平をしっかりと地面につけ、片脚の力だけで跳躍して、レミリアを追う。

 そのままサマーサルトキックを放つが、これはレミリアに脚を掴まれることとなってしまう。

 レミリアの口角が上がる。持ち前の力で握り潰してやろうという腹があるのだろうと理解した霊夢は、レミリアにもわかるように笑ってみせた。

 レミリアの反応を見る前に、霊夢は掴まれているのとは反対の脚をレミリアの肩へ叩き落した。突然の反撃で驚いたのか、レミリアの力が抜けた手から脚を引っこ抜くと、後方へ跳躍しながらお札をばら撒いた。

 状況を理解し、霊夢を逃さないよう追撃を仕掛けるレミリアだが、それを見て霊夢は霊力を籠め、撒いたお札を一斉に爆発させる。

 爆煙に包まれたレミリアを見て、好機と霊夢は光弾を放ち攻勢に転じた。爆煙の中から赤い光がチラリと光ったが、瞬間移動で位置を反対側へ入れ替える。

 霊夢が元いた場所へ魔力を纏ったレミリアが突進する。どうやら魔力を纏うことで光弾を避けたようだが、霊夢は瞬間移動で反対側に退避しているため無傷。

 爆煙という視覚が効果をなさない状況から飛び出したとはいえ、霊夢の姿が見当たらない状況に困惑した様子のレミリアを見つめ、霊夢は霊力を開放する。

 

「夢想封印……っ!」

 

 そのかけ声とともに、大きな光弾が展開され、レミリアのもとへ殺到していく。

 光弾の存在にレミリアが気がつくのは一刻ほど遅く、レミリアは展開された光弾全てをモロに喰らってしまった。

 それは霊夢に確かな手応えを与えるには十分な事態だった。

 思わず小さくガッツポーズを取っていた。だが、霊夢のその手応えは聞き覚えのある哄笑が掻き消していく。

 レミリアは立っていた。服はところどころ破けているが、相変わらずの高圧的な態度のまま。

 

「いいわ。あなた、人間のくせにやるじゃない」

 

 最も得意とする技を喰らっても平然としているレミリアの姿を、霊夢はいつものように、無関心そうに見つめていた。

 ボロボロになったスカートの裾を摘み上げながら、レミリアは続ける。

 

「ここは大事な服をこんなのにされたことを怒るところなんだけど――」

 

 まるで自分の世界に酔っているようだ。レミリアは霊夢のことを気にも止めずにそう続けていく。だが霊夢もレミリアのことを気に止めてはいなかった。

 なぜレミリアに夢想封印が効かなかったのか。そのことに関して思考していたからだ。

 博麗の巫女が使用する夢想封印。バリエーションは豊富にあるものの、いずれも妖怪が嫌う、人間からすればとてもありがたい効用がある光を妖怪にあてる技で、妖怪はこの光を耐えることはできないので大変強力な技として、霊夢も全幅の信頼を置く技なのだ。

 しかし今、レミリアはその夢想封印を受け、あまつさえ平気そうな顔をしている。

 霊夢には衝撃と、動揺が走っていたのだ。

 それを感じ取っているのかいないのか、レミリアは饒舌になっているが、生憎と霊夢の関心の外のことなので霊夢の思考は止まらない。

 だが結局答えは霊夢には見つけられなかった。

 妖怪と戦ったことはあれど、吸血鬼クラスの大妖怪との戦闘経験は限りなくゼロの霊夢に、大妖怪側の事情がわかるはずがないのだ。

 強いて思いついたことはと言えば、宗教が違うから効果がなかったのではないかという暴論に近い思いつきくらいだ。

 そして霊夢は自身の立っている場所を理解する。

 ここは窮地だ。荒波の中の離れ小島とも断崖絶壁とも言える窮地。

 夢想封印がダメならば、この窮地を脱するには奥義夢想天生しかない。夢想天生を使わなければ生き残れない窮地に、霊夢は知らず知らずのうちに立っていたのだ。

 

「――そうね、あの白黒のコソ泥よりはマシよ。あれは遊び相手にもならない粗悪品だったから、あなたはまだ壊れないでいて欲しいわ」

 

 思考の中にいた霊夢。だが、思考が唐突に消えてなくなってしまったように感じられた。

 まるで後頭部を殴られたような衝撃に襲われたようだ。頭は前よりハッキリとしているのに、どこかで靄がかかっている。奇妙な感覚に襲われたが、霊夢は自然と、吸血鬼の姿を見つめていた。

 体は固くなっていた。力みで強張ったからである。その力みで体は小刻みに震えている。

 

「そう――」

 

 酷く、冷たい声が出た気がする。

 自分でも自覚できるほどの呟きが漏れたことに内心自嘲する霊夢だが、レミリアは忙しくしていた口を休め、ジッと霊夢を見つめていた。

 

「――わかったわ。あんたは、必ず倒す」

 

 その冷たい決意は、意識せずとも固まっていた。

 霊夢の姿が消える。一瞬のできごとに目を見開くレミリアだったが、次の瞬間には不敵な笑みに戻っていた。

 ゆっくりと一歩を踏み出して、反転しながら爪を薙ぐ。してやったりと嘲笑を浮かべ、その視線の先には歯を食い縛り、嫌な汗を滴らす霊夢がいた。

 

「しょせんあなたも下等生物。妖怪の中でも最上級種族である吸血鬼の前ではコソコソと卑怯な手を使わないと勝てないことなんてわかってるわ」

 

 細い腕でも、レミリアが軽く力をこめただけで霊夢の体は宙を舞う。

 その様を悦楽の顔で見ているレミリアの腕には紅い槍があった。

 

「ほらほら! 不様に逃げ惑いなさい!!」

 

 その言葉とともに投擲された槍だが、霊夢は手慣れたように紙一重で避けて見せる。だがレミリアが手を掲げると、霊夢の周囲に紅い槍が展開される。

 驚愕と愉悦が交差した。

 無情にも握り締められた小さな手。それを合図に槍達は一斉に襲いかかってくる。青ざめている時間さえない。霊夢はなんとか回避しようと試みるが、全方位から襲いかかって来る槍は、人間が感知できる限度を越えていた。

 衝突し合う槍達。不気味に響く、武器と武器との交わりとは思えない鈍い音。それらが起こるほんの数刻前、霊夢を不可思議な爆発が襲ったのだが、どうでもいいと切り捨てた。

 瞬きのうちに始まり、終わった刹那の攻防。それと比べたらなんとも静かな戦闘の余韻だ。槍と槍とが交錯し、組み合わさってできたオブジェからは血がしたたって落ちていく。

 

「あら、もうおしまい? あれくらい耐えて欲しかったんだけど、期待外れね」

 

 カラカラと笑う少女の独白は止まらない。

 

「ま、しょせん人間の枠組にいるやつらはそんなものか」

 

 興味が失せたのか、めんどくさそうに呟いたレミリアは、振り向きながら光弾を飛ばす。

 この一撃で死ぬだろう。そう確信しながら放った一撃の行方を見届けず、自室へ帰ろうと歩みを進めていく。

 だが、レミリアは予期せぬ感覚に思考が一瞬停止する。

 その感覚は痛みだ。

 何事かと見開いた瞳の前には、見覚えのある紅白があった。

 

「そんなっ……バカな……」

 

 口の中に鉄分が広がっていく。

 赤い飛沫を飛ばしながらも、レミリアは驚愕を紡いでいく。

 

「お前の運命を操作して、必ず当たるようにしたのに……」

「残念だけど、私の能力の前ではあんたの能力なんて無意味なの。それが答えよ、吸血鬼」

 

 言葉を紡ぎ終わり、霊夢は体に溜め込んでいた霊力を一気に開放した。

 それは、レミリアにはただとてつもない光が視界を埋めつくしたとしか思えないほどのもので、喰らっているにもかかわらず、自分がどうなっているのか理解できないまま、レミリアは意識を手放すこととなった。

 

 

 まだ冷めない熱気を吐き出すように、大きなため息を吐いて、霊夢は膝をついていた。

 博麗神社に伝わる秘術の中でも奥義の名を冠する夢想天生を、制御せずただ自ら持つ力全てを使って放ったのだ。

 霊力はすっからかん。歩くことさえおぼつかない。満身創痍まではいかないが、似たようなものだろう。そう自嘲してみせるものの、そのかいあってか、霊夢の視線の先にいるレミリアは、両手両足を投げ出して動かなくなっていた。

 もう一度ため息が漏れた。だがそれは紅魔館に来てから初めて吐く、心からの安堵をしめすため息だ。

 上を見上げると、紅い霧も引いていく。異変は、無事解決した。

 その達成感を感じ、気恥ずかしくなったのか苦笑していた霊夢だが、不意にその顔は真剣なものへと引き締まる。

 レミリアの元へかけよる、あのメイドの姿を見たからだ。

 

「あんた、私を殺さないわけ?」

 

 興味なさげに、何気なく投げかけた言葉だが、メイドは霊夢の元を振り返り、完璧な笑顔を浮かべた。

 

「その時が来れば望まずとも殺してあげるわ。それに今は無理ね」

 

 そう言いながらも、メイドは霊夢に向かってナイフを投擲していた。

 言っていることとやっていることが違うじゃないかと文句を口にしようとしたその時、メイドの投げたナイフは、突然現れた手に掴まれた。

 

「殺し合いは二人きりのときにしたいもの」

「あらあら、まさか私がいることがバレてたなんてね」

 

 その手が不自然に動くと、腕、胸、顔。そして全身がどこからともなく現れた。霊夢を紅魔館へと導いた、八雲紫が現れたのだ。

 

「彼がいなくなった以上、あなたがお嬢さまを連れていこうとすることはわかっていたもの」

「あらそう。話が早くて助かるわ」

 

 紫は役所事のように淡々と告げると、メイドに向かって手を差し伸べた。

 

「それじゃあそのお嬢さまをこちらに渡してくださらない」

「わかったわ」

 

 即答すると、メイドは立ち上がってレミリアから距離を取る。

 紫はメイドと視線をあわせ、うなずくとレミリアの体は下に落ちていくように消えていった。

 

「ちょっと待ちなさいよ! 何勝手に話進めているわけ!?」

 

 事態を全く飲み込めていない霊夢の叫びで振り返った二人は、まるで霊夢の存在を失念していたような、呆気にとられた顔をしていた。

 

「一体これはどういうことなのよ紫!!」

「あぁ、ごめんなさい霊夢。でもあなたの役目――異変解決はもう済んでいるし、このことはあなたの管轄外のことでしょう?」

「そんなこと知らないわよ! ただ私はあいつに聞きたいことがあるのに――」

「あなたの兄なら、もうここにはいないわよ」

 

 冷水のようなメイドの一言は、霊夢の感情を一気に沈静化させた。

 

「ついさっき、彼はここの執事をやめて出ていったそうよ。もっとも、彼の行方はこのスキマ妖怪が知っているでしょうけどね」

「あら初耳。久しぶりに挨拶したかったのに、残念ねぇ……」

 

 どうだか。と呟いた霊夢だが、一方の紫は笑みをまま霊夢に言葉を投げた。

 

「お疲れさま霊夢。しっかりと異変を解決して――先代も鼻が高いでしょう」

 

 とても胡散臭い、取ってつけたような賛辞とわかっていながらも、霊夢は頬が赤くなってしまっていることを自覚していた。

 それを微笑ましそうに見る紫を筋違いな怒りをこめて睨みつけつけるが、彼女は優雅に微笑んで流した。

 

「ただこの虐殺姫――レミリア・スカーレットには、今まで強いてきた暴虐、圧制の数々を清算してもらわなければならないの」

 

 紫の瞳が、細くなった。

 

「だから後は私に任せて。いいわね」

 

 それは有無を言わせない――いやそれ以前の、返答さえ許さないという意志がこめられた、本能に訴えかける警告だった。

 これ以上踏み込むことは許されないのだと。

 それを受けた霊夢には、ただ首を縦に振ることしかできなかった。

 そんな霊夢の答えに満面の笑みを浮かべた紫は、背中を見せながら「疲れたでしょう。藍に送らせるわ」とだけ告げると、空間の裂け目の中に入っていった。

 胸の中ではやりきれない感情が渦を巻いている。

 確実に不完全燃焼を起こしていた。異変を解決したというのに、蚊帳の外に置かれているという意識が、霊夢の中でそれらの感情を湧き上がらせていた。

 だが、それを原動力にして動き出す力は残されていなかった。

 全力で放った夢想天生は、どうにもし難い疲労を刻みつけていたのだ。

 メイドが何か囁いたような気がした。

 だがそれを聞き取ることは霊夢にはできなかった。

 糸の切れた人形のように、霊夢はゆっくりと倒れていったからだ。

 

 

 

 あの動乱から三日が過ぎた。

 誰だかはわからないが、先の異変は「紅霧異変」と名づけられ、当代博麗の巫女の初めて遭遇した異変であったことに加え、霊夢が打倒したのが妖怪達の実質的な盟主であった吸血鬼であることも含めて、ゴシップ記者達は競って号外を出し続けた。

 だが、人々の目に最も多く触れたのは、霊夢もこの三日分と号外分を残している文々。新聞だろう。

 霊夢が神社に戻ってすぐに幻想郷中にばら撒かれたというその発行速度の違いが最大の理由とのことだが。

 吸血鬼支配の終焉。

 異変解決直後に出た号外の見出しとその内容は、まるで霊夢を希代の英傑とするような書き出しだ。

 間違ってはいないだろう。社会では吸血鬼は誰も敵わない強敵とされてきたのだから。だが、実体は違う。言ってしまえば吸血鬼は霊夢でも打倒しうる相手でしかなかったのだ。

 そう認識しているから、霊夢は人々からの賛辞を純粋に受けとめることができないでいた。

 

「おい霊夢。そんな辛気臭い顔してたら、幸運が逃げちまうぜ」

 

 さも当然のように神社の一室、霊夢とは対向の場所に座る魔理沙のお節介に、霊夢が取った行動はため息。

 

「もう一生分の幸運がお賽銭箱に入ってるからいいの」

「……確かにその通りだな」

「こら、そこで納得しないの」

 

 言いつつも笑っている霊夢につられて魔理沙も笑った。

 彼女はレミリアとの戦闘で大きな傷を負ったらしいのだが、翌日にはいつもの顔で神社に顔を出しに来たので問題はないだろう。

 問題があるとすれば、それは霊夢のほうだ。

 

「お前、まだ新聞を集めてるのか?」

「結局、霖之助さんと同じ文々。新聞しか読んでないけどね」

 

 茶化すように言う霊夢だが、魔理沙の真剣な表情は変わらない。

 

「霊夢。異変を解決したのは他ならない、お前だろう? そのお前がそんなことする必要なんてないだろう。もう終わったことなんだぜ?」

「言ったでしょう、実感がないのよ。ただ吸血鬼を倒してはい終わり。じゃ納得できないわ」

「そういうものなのか?」

「そういうものなの。私は、あいつがなんで異変を起こしたのかさえ知らない訳だし……」

「それにも書いてあるだろ。吸血鬼なんだし、太陽を隠したいと思うことにおかしなところはないだろう?」

「それは……そうだけど……」

 

 尻窄み気味に言う霊夢の態度が、納得しきれていない霊夢の心情を如実に表していた。

 一方の魔理沙はというと、今回の異変の裏に何者かの影がチラついているような気がしていた。

 霊夢には口が裂けても言えないが、魔理沙は廉という狐にそそのかされて紅魔館へと向かった。さらに霊夢は紫の助言で紅魔館へ行ったという。――何者かが意図的に二人を紅魔館へ集めたと見てもあまり違和感はない。

 もっとも、もう異変は解決し、いつも通りの生活が戻ってきているので気にしてはいなかったのだが、霊夢がこの様子ならば話は別だ。

 

「なら行こうぜ」

 

 霊夢の手を握りながら魔理沙は言う。

 

「行くってどこへ?」

 

 いきなりのできごとにも淡々と尋ねる霊夢を見て、魔理沙はたまらず破顔する。

 

「調査だよ調査。この異変の裏に何があるのか、私達で解き明かそうぜ!」

 

 立ち上がり、外へ向かって駆け出していく魔理沙。繋いだ手から抵抗感は感じず、スムーズに外まで来た。

 無言の同意が嬉しくて、声を出さずに大きく顔を崩してしまっていた。

 そう、魔理沙は霊夢に納得してもらわなければダメなのだ。その第一段階がクリアされたことに対する笑みであることを、彼女は知らない。

 

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