第11.5話 daybreak
修行最終日の夜。明後日は皐月賞。全てのメニューを終えたのにも関わらずタイシンは自主練と言って外周をしている。
俺はというと荷物をまとめて帰る準備をしている。
相方は必至に練習しているんだから、それに付き合えと言われる状況なのだが、今回に関しては俺が正しいと反論する。なぜか。
「アイツは実力では誰にも負けない域に達してるからだ」
新聞に記載されている練習タイムをこの二週間追っていたが、ウイニングチケットやビワハヤヒデよりもタイシンに分があると読み取れた。
記事では『BWの対決に期待』とデカデカと書かれているが、そんなもん打ち砕いてやるよ、と胸の奥で思っていたりする。
山での修行に悔いはない。全力で練習して、遊んで、休んだ。精神的にも体力的にも完璧な特訓だったと自負している。
「だから、最後の壁はアイツ自身でぶち壊す必要がある」
気持ち。
そいつを固めりゃ誰にだって負けない。
「さて……」
荷造り完了。あとは寝て帰るだけだ。
ベッドに腰を落とし項垂れる。
「俺の方が少し緊張してるけどな……」
バタン——。
木の扉が静かに音を立てて開いた。夜だからよく響く。
「トレーナー」
「どうした?」
顔を上げずに訊き返す。
「今日が最終日だしさ、ちょっと歩かない?」
名残惜しいのか、緊張してるのか。呟く。
せっかくだ。決戦前にお互いの気持ちの清算をするか。
「いいぜ。行くか!」
「うん……」
◆
少し肌寒い空気を切って二人で肩を並べ(高低差はあるが)、皐月賞を模したトレーニングコースを歩いていた。
心地よくもある、しばらくの沈黙。下の少女に目を向けた。
「どうだったよ。この修行は?」
軽く訊いてみる。
「……良かったと思う」
少女は目を合わさずに呟いた。
「それだけかよ」
苦笑した。
「い、いや、そんなことなくって……! この四か月は楽しかったし、力は絶対についたし、絶対……強くなった! それは分かる!」
舌足らずな否定。そっから出た答えは、俺が間違ってなかって言ってくれてるみたいで結構嬉しい。
嬉しいのだが……自身を持って最高の特訓だったって言えない理由があるってことだ。
「ねぇ、こっち」
不意に袖を引かれて下を見る。
タイシンは林の奥を小さく指さした。
コースからは随分と離れる未知のエリアだ。
「どう見ても道じゃないが?」
「いいから来て」
ほんの少し強引に手首を掴まれて、暗い林の奥に引っ張られていった。
◆
けもの道を進み、暗闇を抜けた先に現れたのは大きな原っぱだった。
「へぇ……。すげぇな」
思わず声が出る。こんな場所が在ったのか。地図では林で埋まっている場所だった。それがこんな開けた場所だったとは。
「いつ見つけたんだよ?」
「夜、自主練してるときにさ、散歩してたら偶然ね。こっち来なよ。景色最高だから」
微笑し、手招きして誘われた場所は草原の中心地。円のように林が囲う世界の真ん中だ。
風が草をなびかせる。澄んだ空気が美味い……。
「いい場所だな……」
目を閉じて夜風を感じていると、どさっ、と芝が押しつぶされる音がした。
「でしょ?」
目を開けると、タイシンは大の字になって大空を見上げていた。
「トレーナーも見てみなよ」
「おう」
俺も隣に寝転んで、空を見上げた。
「すっげぇ……」
深い黒の空の中心に満月が輝き、その周りにこれでもかと星が満たされている。
この空をふたりじめできるなんて、すんげぇ贅沢だ。
「アタシさ、この場所が好き」
空だけを見つめて少女が話す。
「どんなに悩んでいても、イラついても、辛くっても、この空を見てると落ち着くんだよね……大収穫」
少女が空を指でなぞると、星が流れた。
「どんな悩みもこの空に比べればちっぽけ。それでも、悩みは大切なものだから、朝になったら思い出す。一瞬でも飲み込んでくれるこの空が好き。だからさ……」
そこで言葉は途切れた。
無音の世界。
星が瞬き、
首を横に傾けた。
そこにはタイシンの笑みが在った。
「ありがとう。ここに連れてきてくれて」
「……おう」
その微笑は三日月の弧のよう。気持ちがそのまま現れたみたいだ。タイシンのこんな笑顔、初めて見たぜ……。
しばらく固まっていると……。
「はあ……。ガラにもないこと言っちゃった」
吹っ切れたようにため息を吐き捨てて、体を起こし膝を立てた。
「できることはした」
少女は再び空を見た。
「必殺技はできなかったし、アイツらを追い越せなかった。でも、やることは全部やった」
視線を落とし、俺に鋭いまなざしを向けた。
「勝てるかは分からないけど、全力で戦うよ。皐月賞」
意志の強さと不安を抱いて、タイシンは小さな拳を胸に当てた。
「ああ。その意気だ!」
俺も拳を掲げて応える。
「がんばんぞ」
「おう……!」
夜の世界を起こさないように、静かに、大きく宣誓した。
修行最後の夜はこうして幕を閉じた。
◆
コンクリートを踏みしめ、太陽を全身で浴びる。
俺たちは東京に帰ってきた。
四か月ぶりの都会の喧騒はやけにやかましく聞こえる。良いんだか悪いんだか、最高の環境に居たことが一目瞭然だった。
「タイシンは……まだ来てねぇか」
集合時間まであと15分。アイツが来るまで、どうしようか。悩んだ瞬間、考え事に脳の回路がシフトした。
タイシンが山で修行してた弊害。それは他人の目が無く、タイシンを評価する者が自分と俺しかいなかったこと。劣等感に苛まれていたタイシンの走る理由は『見返したい』ってものだった。それを忘れちまった。牙を抜かれた状態で強くなったのだ。
もともと山での修行はそういった感情に焦らされている彼女を落ち着かせる、のびのび成長させるという目的もあった。一般的には健全だ。ただ……タイシンにとってそれは最適とは言えない。
タイシンの意識は勝ちを望んでいる。しかし、それはデビュー前とは違った感情。今のタイシンは本来の力の源が塞がれちまっている。
だから、俺は決めていた。心の底に眠る感情を引き出すってな。
「よし……っ」
博打に近いが、今のアイツなら大丈夫だ。全てを倒せる力がある。拳を握って、タイシンを信じ、打ち明けることを誓った。
「トレーナー」
噂をすれば。後ろから声を掛けられ、振り向いた。
「…………!」
あぁ……。俺の心配は杞憂に終わった。自信に満ちていて力強い瞳をしたウマ娘が居た。
「アタシ、思い出したよ。『ここ』を」
親指で自分の心臓を差した。
その姿を見て、体が震えた。全てが完璧になった。
「アタシ、勝つよ。皐月賞で、全部をひっくり返してやる」
覇気を纏ったその言葉は世界を震わせた。
「最高だぜ……タイシン!」
拳を強く握って、震えを抑える。
「ほら、行くよ」
顎で会場を差して、ポケットに手を突っ込んで足を進める。振り子のように揺れる肩から闘気があふれ出し、空間を燃える炎のように青く染め上げる。
思わず生唾を飲み込んだ。
体全身が痺れた。
力と意思が重なったとき、ウマ娘はこれほどまでに輝いて見えるのか……。
「タイシン」
その小さくて大きな背中に声をかけた。
「なに?」
片方の瞳を向けて、立ち止まる。早く勝負させろって目だ。
俺は確信した。
「実はな……お前、もうゲットしてるぜ? 『必殺技』を!」
そう告げると、彼女は目を丸くしたあと……
「知ってる」
笑って、返した。
「勝つよ。トレーナー」
そう言って決戦の地へ足を進める。
「ああ!」
俺は一つの希望を笑みを浮かべて追いかけた。
皐月賞が、今始まる——。