前世から君を 作:等速ステイヤー
ここは美浦寮。
トレセン学院に二つある寮の一角。
あれから検査入院やらを経て、僕の戸籍がないことがわかったりで一悶着があったけれど。
『今後の処遇が決まるまで、この子は私の部屋でお世話します』
と言いはるセレストにあれよあれよと話を進められ、気がついたら同居人になっていた。
ザァ……
通り雨だろうか。
ぽつぽつと控えめだった雨脚は、瞬く間に力強さを増していく。
夏の熱気で火照ったアスファルトが、夕立に冷やされて湿気を吐き出していた。
窓の外が光り、程なくして轟く雷鳴。
「ひっ」
と思わず息を漏らしてしまったのは、やはりこの体に慣れていないからだろうか。
後ろから、くすりと控えめな笑い声が聞こえる。
優れたウマ娘の聴覚と、大きな音の相性はすこぶる悪い。
『お友達』には音対策で耳カバーを付けている子もいるので、今度僕も融通してもらおうかな。
ベッドの上で外を眺めつつそんなことを考えていると、
「今、他の女の子のこと考えてました?」
なんて声がかけられた。
振り返ると、むすーっとした表情の芦毛が見えた。
それに苦笑を返しつつ、「そろそろ支度しないと出遅れますよ、私が」という言葉に、慌てて飛び起きる。
「ごめんね、セレスト。すぐ支度する」
といっても、その支度の大半がセレスト任せなのは情けないし申し訳ないけれど。
仕方ないじゃないか。
女の子の体に慣れてるわけなんかないし、そもそも今の僕は……
ウマ娘なんだから。
結局僕のことは、記憶喪失ということで片付けられるようだ。
実際、『人間の男だった』頃の記憶もあちこち欠けているので嘘ではない。
ここ最近で必死に集めた『一般常識』によると、彼女らは中央に属する『ウマ娘』だとか。
スポーツ選手とアイドルを足して割らない彼女らは、それを支える職員も含めれば非常に広いコネを持っているわけで、それを総動員して僕の来歴を調べてくれたようだった。
それでも、結果はわからず終いだったようだけれど。
僕という人間がいた痕跡はおろか、『僕』というウマ娘がいた痕跡すら、何一つ見つからなかった。
「不覚ッ!まさかこれだけ調べても、藁一本の情報すら掴めないとは!」
「話の断片を照らし合わせると、日本の、それも関東の出身なのは間違いないと思うのですが……」
記憶の混濁もあるので、一概にそうは言い切れないと思うけれど……黙っておいた。
少なくとも、僕の認識では日本生まれ日本育ちなんだ。
……その日本が、今いる日本と同じだとは到底思えなくても。
『つまりここは、前世によく似た異世界!心躍るな我が半身よ!』
そして時折脳内に響いてくる声。
……どうやらこれは、ソウルのお導きというやつらしい。
『くっくっ、人の体躯、知性に◇のパワー、ウマ娘とはまっこと面白い!前世では、鞍上はともかく我が知能に渡り合える同胞がおらずに退屈しておったのだ!』
でも、僕のそれはやかましいのだ。すごく。
ゴールドシップさんも理事長さんもテンションが高い……でも、僕の脳内ウマソウルはそれに輪をかけて暑苦しい。
『不可思議なのは、ウマ娘とやらは牝しかおらんことだが……まあ、どうでもいいな!牡しかおらんよりは万倍マシである!口惜しいのは、我が聖槍が一度も抜かれることなく失われたことであるが……』
聖槍?何のことを言ってるんだこいつはと思ったけれど……ああ、なるほど。
品がないなおまえ!
『やかましい!この命、戦場で尽きるならばまだ納得もいった!私たちは戦士であったからな。だが、戦わずして散るのは許せん!凱旋門!引退後の種◇生活!次世代を己の血で染め上げる愉悦!私はずっと楽しみにしておったのにッ!!』
「……あの、スティアラーさん?」
「はっ、すみません!ぼーっとして……!」
僕の顔を覗き込むたづなさん。
しまった、話を全然聞いてなかった。
「心配ッ!まだ体調が優れぬのかもしれない!君の戸籍や転入のことなどはこちらで話を進めておこう!部屋に戻っているといい!」
理事長さんにまで余計な心配を与えてしまっているようだ。
まったく、人の脳内で騒ぎ立てるなら時と場所を選んでほしい。
「すみません、何から何まで。お言葉に甘えて、部屋で……?」
そういえば話は変わるけれど、たづなさんから先ほど呼ばれていた、スティアラーという名前だけれど……多分この自称戦士のものだろう。
戦士ソウルが『私の名はスティアラー!よって、我が半身たるそなたもまたスティアラーである!』と言っていたし。
自分の名前もわからない上、やけにしっくり来たのでそのまま名乗っている。
「……」
視線に気づいてそちらを見やると、黒髪の女性が立っていた。
正直めちゃくちゃタイプだ。
彼女はこちらの視線に気づくと、思わずドキっとするような笑みを向けてきた。
……ので、会釈する。
『……ほう、我が半身よ。そなたはあのような乙女を好むのか?』
頭の中で、茶化すような声がした。
それを振り払うように、
「失礼しました!」
とだけ言って、僕はその場を離れる。
顔が真っ赤だ。
こいつは、本当にっ!!
『くふっ、生娘のような反応をするな!まったぬ、そなたが我が半身でなければそそられているところだ!』
うるさい童貞!ばかっ!!!
『貴様ッ!それを言ったら戦争だろうが!!』
相変わらず、こちらの同居人とは仲良くなれる気がしない!
「あーらら、あたし嫌われちゃいました?」
「否定ッ!照れていただけだろう!」
「ですよねー!安心しました」
常と変わらない、おちゃらけた態度。
それは皆が知っている、彼女の表向きの顔。
だが、『トレーナー』としての彼女の本質は、狡猾で情熱的。
そして
「ところで理事長、あいつ……どう見ます?」
そこには先ほどの軽い雰囲気は欠片もない。
未来のスターを見極める、まさしくプロの眼光だった。
「困惑ッ!不審なところはないが、これだけ調べて尻尾が見えぬのは不可解だ!」
「そうじゃなくて……競争バとして。理事長、あいつをここに転入させるつもりなんですよね?」
「相変わらずッ!君は耳が早いな!熱心なのはいいことだが、いったい誰から……まあ、今更か」
理事長の無言の追及に、目を逸らすたづな。
まあまあ、と嗜めるトレーナーに、理事長はそっとため息をついて切り替える。
「彼女は優秀ッ!競争能力も、学力も編入基準を大幅に超えている!ならば、『わたしの養子』であっても裏口入学とは言わせない!」
「ああ、成程。理事長の養子として、あいつの戸籍を用意されるんですね。それは知らなかったなー?」
「うっ、失言ッ!くれぐれも、この事は内密に……!!」
「ふふ、大丈夫ですよ。何にせよ、面子に余裕があったらうちが欲しいぐらいです。まだレースは見てませんが……走りますよ、あいつは」
不敵な表情。
自信に溢れたそれをするようになったのは、いつからだろう。
「同意ッ!あの君がそこまで言うならそうだろうな!なにせ……」
彼女とその愛バのひとりはジュニア、クラシック、シニアでの八つの冠にくわえて、URAファイナルズの初代優勝者でもある。
彼女に見初められ、その栄光を手に入れた少女は『皇帝』でも、『最高傑作』でもなかった。
誰も預かり知らぬことだが、それは『ソウル』の素質をも遥かに凌駕した偉業。
それを達成した、
「『キングメーカー』の、君が言うのだから」
トレーナー、獅子王アリサは天才だ。