軽い気持ちで、生暖かい目でご覧下さい。
放任主義なんて言えば聞こえはいいかもしれない。
しかし実際は喜び、悲しみ、夢、絶望、それら全ての共有の拒絶と変わりない。
私は幼い頃に両親をなくし、田舎の叔父の元へ引き取られ、数人の親戚と共に暮らしていた。
ウマ娘としての私の体は非常に恵まれたもので、圧倒的な速度、バ群を掻い潜る為のパワー、その両方を兼ね備えていた。
故に運動会や地元のかけっこ大会的なものには負けたことがなかった。
田舎も田舎なのだからそもそもウマ娘の数が少ないので当たり前の事だったのかもしれないが、それでも私はその勝利が堪らなく嬉しかったし、彼らが私の走りにも勝利にも興味を持ってくれないことがとても悲しかった。
そうした日々を過ごす内に私は少しずつ狂っていった。愚直にも私は、もっと速く走れば振り向いてくれると、もっと勝利を重ねれば褒めて貰えると、そう思っていたのだ。
毎日毎日近くの山を走りまくった。
それ以外に方法が分からなかったから。
結局彼らの目が私を映すことはなかったが。
それでも存外私の足の速さは噂になっていたようで、とうとう小学5年生になる頃には地方のトレセンからスカウトが来る程だった。
地方トレセン学園のスカウトというのは本来、中央のトレセンが見落としていそうな田舎を周り、そこそこ速いと思われるウマ娘に片っ端から声をかけ、1000m程度走らせてタイムをはかり、ある基準を超えた優秀な者には筆記試験免除などの処置を行う。
スカウト達が考えていることなど、「あのウマ娘は俺が連れてきたんだ!」という将来的な自身の地位向上くらいなものだろう。(今はそんな事微塵も思っていないが、あの頃は本気でそう思っていた。)
しかし、彼は違った。
忙しなく私の家に押し掛け、そうそうに叔父に話を通すと、戸惑う私に向かって、自己紹介もせずに
あれだけの走りをどのように身につけたのか、貴女がしているトレーニングを是非とも見せて欲しいと。
かけっこ大会を観戦していたのか、どこかで録画を拾ってきたのかよく分からないものの、早口に私の走りの特徴、素晴らしさを捲し立て、ハッとしたようにこういった。
「わたくし、日本ウマ娘トレーニングセンター学園でスカウトをしております、丹波です。わたくしは地方のトレセン所属のスカウトですが、貴女の走りならクラシックを目指せます!中央、目指しませんか!?わたくしが全力でサポート致します!」
おかしな話である。地方のスカウトはあくまでも地方のトレセンの職員であり、中央トレセンへの入学をどうこうする権利なんてもちあわせていないはずだ。
サポートって...具体的には?
「わたくしは地方のトレセンのスカウト。中央トレセンの入学試験の免除や緩和を行う権利はありません。なので、私に試験までの約1年、トレーニングを観させてください!」
ただただ驚いた。
「安心してください!わたくし一応トレーナー免許も持っているので!
しかし、いくらトレーナーと言っても学園外のウマ娘にトレセンの施設を使ってもらうことは出来ないので、知り合いのトレーナーに少し稽古をつけてもらった、程度のものですが。
走りの技術、知識を少し身につければ貴女は中央のウマ娘と互角以上に戦える。私は貴女の走りに一目惚れしました。なんとしてでも貴女には中央に行って欲しいのです。」
彼の真摯な訴えは長らく家族の愛に触れてこなかった私の心を少しだけ溶かしたのかもしれない。
二つ返事で私は彼のトレーニングを受ける事にした。
そして私は怪我をした。
信じられなかった。医者によると全治5ヶ月、トレセン学園の入学試験まで残り半年を切っていた。
腱を痛めてしまったのだ。
原因はオーバーワークによるもの。
半年をすぎて焦った私は丹波さんの用意してくれたメニュー以上のトレーニングを自主トレと称してし続けていた。ろくに休みもせずに。
ごめんなさい...ごめんなさい...丹波さんは...私を...信じてトレーニングをしてくれてたのに...ッ!
私は...私は...!
泣きじゃくる私を彼は抱きしめ、
「いや、謝るのはこっちの方だ。そりゃ不安になるよな。貴女の精神状態に気づいてあげられなかった。貴女の練習をちゃんと把握できてなかった。ごめん...ごめんな...」
彼は震える手で私の背中をさすってくれた。
私...もう...間に合わないのかな...?
「いや、間に合わせてみせる。丁度いい機会だ。今は筆記試験の勉強に集中しよう。
トレーナーとしての経験上...骨折以外の足の故障はリハビリさえちゃんとすればなんとかなる。」
今度こそ彼の言葉を信じなくてはならない。
入院生活も終わり、とうとうリハビリが始まるという頃、私は筆記試験の勉強と並行して、ウマ娘の体の研究をはじめた。
自分の体について知らなくてはならないと思ったからだ。
そして、私は理解した。
私の足は故障しやすく出来ている。
高校2年生になる頃に、恐らく走れなくなるだろう。
これは遺伝的なものでどうすることも出来ない。
これだけ坂路を走ってきて今まで怪我をしなかったことが不思議なくらいだ。
同時に、私は決意を固めた。
この『遺伝』とやらに抗ってやろうと。
そして今日、4月1日。
間に合わせてやったぞ...丹波さん...
そう呟いた。
門にはでかでかと
『日本ウマ娘トレーニングセンター学園入学式』
と書いてある。
桜吹雪舞うここ、東京都府中市で私は宣言しよう。
私は負けない、と。
超高速の粒子を胸に、鉄の女の意志を継ぐ。
私の名前はアグネスアイアン。
史上最強のウマ娘。
アグネスアイアン
父 アグネスタキオン
母 イクノディクタス
この世界では存在しなかったがどこかの世界では存在した牝馬。最後のアグネスタキオン産駒。
デビュー前はどうせタキオンタイマーだと揶揄されていた。
しかし、怪我での回避が多かったとはいえ、史上初の無敗牝馬三冠を達成したことで評価は一変、最強の牝馬として名を馳せた。
その後は不調が続いたものの、ステイヤーに転向してから再び調子を取り戻し、幅広い距離適性を証明した。
天皇賞・春で惜敗したマンハッタンカフェ産駒、アイワナビーウィナーにリベンジを果たし、有馬記念を連覇した後、彼女は引退した。
怪我から何度も立ち上がり、常に勝利を飾り続けた彼女を人々はこう呼んだ。
遺伝子の奇跡
アグネスアイアン