汝、獣を恐れよ 作:貴公、かねて人を恐れ給え
──なあ、知ってるか?
──何をだよ?
──また、出たってよ
──またって、またか?
──ああ、今日の新聞にでかでかとな
──またかよ……。今月に入って何回目だ?
──数えてねえよ。……噂だと、見つかってないだけで、まだまだあるかもって話だぜ?
──はあ、嫌になるぜ。この街は何時からこんな物騒になったんだ……
その街は、寂れたというには人が多く、しかし栄えているというには、特筆した産業がないよくある田舎の街だった。
だがその街は平和で、街をぐるりと囲む鉄道と、もう消え始めていた中世の街並み、過去と未来の混在する街として観光客で賑わっていた。
そう、賑わっていた。
観光都市として、街を挙げて売り出していたのは、もう過去の話。今は古い街並みと、その中を縦横無尽に張り巡らされた老朽化が始まった旧式の鉄道。
今は亡き先代と先々代の市長の遺した負の遺産、街の人々は口々に囁いた。
今はまだ、観光都市として機能はしている。だが、それが限界である事は、誰の目にも明らかな事だった。
古臭い、周囲から置いていかれた街。日に日に進んでいく衰退と、人々の諦感から生まれる腐敗。
そして腐敗から生まれた毒は、もう隠れる事も止め、人々の目に映る様になっていた。
「……どうだ?」
「見ての通りですよ、警部殿。まったく、どういう神経なら、こんな真似が出来るのやら……」
「人の死に方、というのがあるなら、これはそうではないな」
二人の男が吐き気を催しながら、半ば睨み付ける様に見るのは、街の裏路地。正確には、その裏路地に広がる惨状だ。
「まったく、この仕事を始めてもう十年以上になりますが、こんなのは慣れませんやな」
「慣れる方がどうかしてる。っと……」
「すみ、ませ……」
二人が睨み付ける路地から、一人の若い女が飛び出す。
まだ新しい制服、今年から男の部下になった女だが、仕方ない事だ。
この広がる惨状を見れば、まともな神経の人間なら、誰もがこの女の様になる。
「……えっ……あ……」
「無理をするな。そして、慣れようともするなよ。お前が吐いてるのは、お前がまともだという証拠だ」
絶えず嘔吐を繰り返す女の背を擦りながら、男は惨状にもう一度目を向ける。
古臭い煉瓦造りの建物の間、先に続く売春窟に繋がる裏路地には、そこを塗り潰すかの様に血と肉、臓物が撒き散らされ、残る持ち主だった体も、人間の頭が無ければ判別出来なかったとはっきり分かる程に、まるで獣に食い散らかされた様に無惨な形と成り果てていた。
──狂いめが
男は忌々しい目で、事件現場を睨む。
そして、その場に深々と刻まれた切削痕を見て、この事件〝も〟自分達では解決出来ないと悟った。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
この街、カルッセルは平和だった。
古臭い時代に取り残された街だが、それでも平和だった。
だが、ある日を境に次々と凄惨な事件が発生し出した。
街の裏路地、地下水路、廃屋。凡そ人目の付かぬ場所で、まるで獣に食い殺されたかの如く、血と肉を引き裂かれ、骨を割られ、臓物を引き摺り出された死体が何十と見つかる様になった。
その痛ましい事件に民衆は恐怖し、有りもしない事を口々に囁いた。
曰く、前王朝の遺産を蔑ろにした呪いだ。
曰く、よそ者が持ち込んだ異教の仕業だ。
曰く、外から入ってきた獣の仕業だ。
曰く、
曰く、
曰く……
根拠の無い噂がまことしやかに囁かれ、それらは人々の恐怖を苗床に日に日に肥大していった。
もう平和な古臭い観光都市カルッセルは無い。鉄道の吐き出す黒煙と蒸気、古い隠された街並みに潜む狂気に怯える廃都だ。
「あの、警部。〝ハンス〟警部!」
「……どうした? 〝ヴィオラ〟婦警」
「本当に、〝それ〟で解決するんですか?」
「ああ、その事か。大丈夫だ、解決はする。……俺達の望まぬ形でだがな」
二人が進むのは、人目の付かぬ裏路地の更に奥の奥。通常、否、脛に傷がある者すら寄り付かぬ暗い暗い街の底。
二人の鼻を容赦なく襲うのは腐臭か死臭か、それを知るのは二人の側を流れる水路の汚泥に浮かぶものだけ。
足元を這い回る溝鼠に、ヴィオラが驚く事数回。先を行くハンスは何する者ぞと、中身の詰まった紙袋を二つ脇に抱え、溝鼠と汚物を蹴散らし先へ進んでいく。
「いいか、ヴィオラ。お前は俺の直属の部下になった。今回の事件でこの意味を理解する事になる」
「あの、ハンス警部。それはどういう……」
「着いたぞ。……相も変わらず、場違いな家だ」
曲がり角を曲がった先、そこには暗い裏路地には似つかわしくない小さな家が建っていた。
「え? 可愛い……」
「そうか、可愛いか。家主に言ってやれ。……きっと狂喜乱舞して喜ぶだろうよ」
その家は見るからに異質で、まるで劇場のセットかと思う様なファンシーな煉瓦造りの家だった。
ヴィオラの知識にあるものに例えるなら、童話に出てくるお菓子の家が近いだろうか。
扉の前に灯された角灯に照らされ、これまたそれらしい煙突からはもくもくと煙が上がっている。
「〝アイリーン〟居るな」
そんな場違いなお菓子の家の扉を、ハンスは力任せに蹴り開けた。
「ちょっ!? ハンス警部……!」
ずかずかと家に入るハンスを追って、ヴィオラの目に入ったのは赤い、血をぶちまけたかの様な真っ赤な頭巾だった。
「ハンス、君は文明や文化というものを知っているのかね? そう、ノックという文化だよ」
「そのノックという文化を行使しても無視する奴が、何を言ってる。それよりも、アイリーン。仕事だ」
そして、その頭巾の持ち主に驚愕する。
アイリーン、ハンスにそう呼ばれた人物は、ヴィオラよりも更に若い、まだ十代の少女であった。