汝、獣を恐れよ   作:貴公、かねて人を恐れ給え

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組合

 昇降機のワイヤーが滑車に擦れる音の中、アイリーンは飴玉よりも一回り大きい砂糖菓子を、口に放り込んだ。

 

「あの、いくら甘いものが好きでも食べ過ぎですよ?」

「放っとけ。そいつは重度の砂糖中毒だ」

「ふむり、アルコールと煙草の依存症の男に言われたくはないね」

 

 けたたましい揺れの中、また砂糖菓子を噛み砕くアイリーンを、心配そうに見るヴィオラだが、欠片も気にする様子も無く、アイリーンは袋に詰まった砂糖菓子を次々と噛んでいく。

 

「ふむり、やはりあの店は味が良いね」

「菓子の味はいいから、続きを話してやれ」

「そうだね。婦警、人狼病を語る上で、灼血病という史上最悪の疫病は忘れてはならぬものだ。何しろ、あの病から人狼病は始まったのだからね」

 

 灼血病(しゃっけつびょう)、そう呼ばれた疫病が嘗ては存在した。それは熱病の一種であり、人の命の源でもある血液を灼く病であり、発症すれば助からぬ。

 ヴィオラも、否、この世界に生きる誰もがその名を知る病であり、嘗ての人口の約四分の一を奪い去った死病でもある。

 しかし、その病は既に根絶されており、今の世を生きるヴィオラは、史学の中でのみ灼血病の存在を知るのみだ。

 

「あの病に対抗する為に、嘗ての人々はありとあらゆる手段を講じた。薬草を始め、東方より伝来した生薬や鍼灸と言ったもの。中には部族や土地に伝わる呪いまで試し、果ては神にすがったが駄目だった」

 

 それはヴィオラも知識として知っている。

 灼血病はその始まりから終わりに至るまで、徹底的に人命を奪い、そして人から正気すら奪っていった。

 灼血病による死者の内、その半数近くが人の手によるものだったという。

 

「今の史学でも、語られている事だろう。人は未曾有の恐怖の前に我を失い、一匹の獣に成り果てる。……近代史に残る最悪の愚行、魔女狩りが始まったのだ」

 

 アイリーンのその言葉と同時に、昇降機が一際強く揺れ、目的の階に着いた事を報せるベルが鳴った。

 シャッターが開き、第二資料室と呼ばれる階層が露になる。

 そこにあるものは、ヴィオラの常識を破壊するには充分過ぎる光景だった。

 

「婦警、灼血病はどの様に終結したのか知っているかね?」

「…………」

「婦警」

「は、はい! 灼血病に対する特効薬が開発されたんですよね?」

「左様、そしてその特効薬が、我ら狩人の始まりである」

「それは、どういう……」

 

 ヴィオラの問い掛けに答えず、アイリーンとハンスは迷い無く、人の狂気を詰め込んだ部屋を突き進んでいく。

 第二資料室の中に並んでいたのは、書籍の類いではない。

 薬液に満たされた硝子瓶と、その中に浮かぶ人体、その一部であった。だが、その浮かぶもの達はただ一つとして、ヴィオラの知る人の形をしていなかった。

 

「話は変わるが、ここに並んでいる者達は、全て人狼病患者だ」

「患者って、そんな事が……」

「我らが間に合わず、狩るしかなかった者達。その者達をここに保管している」

 

 アイリーンの顔は深く、そして強く歪んでいた。

 それは怒りよりも、遥かに強い悔恨の色だった。

 

「アイリーン、あまり気に病むな。人狼病患者を助ける事が出来るのは稀だと、お前が言った事だ」

「……君に、そんな事を言われる日が来るとはね」

「言ってろ」

 

 そう言い、舌打ちをするハンスも、棚に並べられた硝子瓶の一つの前で足を止めた。

 その硝子瓶には、二つの手が契りを交わす様に結ばれ、離れる事無く浮かんでいた。

 

 〝ジョージ・ホプキンス、メアリー・ホプキンス〟

 

 瓶に貼られたラベル、そこに記された名前に、ヴィオラは見覚えがあった。

 確か、ハンスが担当した強盗殺人事件で、子供を喪った夫婦の名前であった。

 

「ちっ」

 

 舌打ちし、歯を噛む。

 ハンスの表情は、ヴィオラからは見えない。だが、短い付き合いながら分かる。ハンスは怒っていた。

 それは、強盗殺人犯でも硝子瓶に浮かぶ夫婦でもなく、この場に立つ自分自身にだ。

 その様子を見ながら、アイリーンは溜め息とまではいかない息を吐いて、夫婦の瓶に黙祷を捧げた。

 ヴィオラは二人が夫婦と、どの様な関係があったのか知らない。だが、ホプキンス夫婦はこのカルッセルでも有名な資産家であり、同時に慈善家でもあった。

 故に、夫婦が痛ましい事件で子供を喪った時は、カルッセル住人がその死を悼み、夫婦の悲しみが一日でも早く癒える事を祈った。

 

 やがて、黙祷を終えたアイリーンがヴィオラに視線を向ける。

 

「……婦警、人狼病とは通常の病とは異なる。病原菌やウィルスの類いで感染するのではない」

「え、病原菌やウィルスじゃないって、病気なんですよね?」

「それが、かの灼血病の特効薬、その原料が原因なのだ。その始まりは、とある錬金術師……、いや、今の言葉にするなら科学者であるね」

「科学者、ですか」

 

 また、話が飛躍した。と、ヴィオラは今までの情報を整理する。

 まず、現在ハンスと二人で追っている連続殺人は、人狼病なる特異な病の罹患者である。

 その人狼病という特異な病は、肉体ではなく精神に関する病気で、それに感染し発症した人間は、例外無く凶悪になる。

 そして、それら罹患者に対応するには、専門家である狩人と呼ばれるアイリーンの協力が不可欠であり、現状の施設を見る限りは、警察組織は古くから狩人に協力していた。

 簡単に纏めると、現状はこうなる。

 

 そして今は、その人狼病の原因となったという、灼血病の特効薬の話に移っている。

 

「何故、科学者。当時は錬金術師と呼ばれた人達が、特効薬に関係するので? 医師ではないですよね」

「あの当時は、医学と科学は同じ様に考えられていてね。まあ、まだ科学という学問が未発達で、魔術と混同されていた時代の話だからね」

「はあ?」

「そんな時代、ある錬金術は発見してしまった。人狼病の原因となるものを、あるものと一緒にね」

「それは一体?」

「彼は優秀で、それ故に必死だった。今のままでは人は亡んでしまう。何か手はないのかと、必死に抗った」

 

 アイリーンが砂糖菓子を噛んだ。

 

「そして、ある地下遺跡にて発見した。人狼病の特効薬、その原料となる遺物をね」

「遺物って、薬の原料が地下にあったんですか?」

「当時の薬学では、鉱石の一部を擂り潰して使う事もあったのだよ。ましてや、あの当時の彼の必死さは尋常ではなかった。藁にもすがる思いで、その遺物を用い、その結果、灼血病は根絶出来た。だがね、その地下遺跡の遺物はそんな生易しいものではなかった」

 

 アイリーンが嘆息する。嘆きと後悔の入り交じった顔は、不覚にも美しく、一種の美術品の様でもあった。

 

「彼が調べた地下遺跡は、墳墓の類いではなかったのだ。あれは封じていたのだよ」

「なにを、ですか?」

 

 ヴィオラが問う。地下から掘り出したものを薬に使うなど、尋常の事ではないと分かる。

 だがそれでも、ヴィオラは問わねばならなかった。

 アイリーンの答えは、今の世を揺るがしかねない真実なのだから。

 そして、その答えはあっさりと、しかし重々しく告げられた。

 

「……我ら狩人が〝災禍の獣〟と呼ぶ原初の人狼をね」




真実、それが何を意味していたとしても、人はそれから逃れられないのだよ
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