死ぬほど洒落にならない怪異達とガチバトルしています 作:ばぶ
『次は……活造り……活造りです……』
「──は?」
きさらぎ駅。
日本で最も有名なインターネット発のオカルトの一つ。
ある日普段乗っていた電車がきさらぎ駅、いわゆる『異界』に繋がった……というものであり、そのバリエーションは多岐に渡る。そこで何かに出会ってしまった者、無事に帰れた者、消息の分からぬ者。
外部との連絡もままならなくなった状態で未知の異界へ連れ込まれるというだけで危険な怪異ではあるが、このアナウンスは明らかにきさらぎ駅のそれとは違う。
違和感を感じ辺りを見回す。内装が明らかに先ほどと違う。真新しかった筈のシートもどこか古く毛羽立っていて……まるで
「やられたな……」
一つ前の車両から啜り泣く声が聞こえ始めた。怪異は派生によってその様相を変える事はあるが、概ね原典に沿って活動する。きさらぎ駅はあくまで駅に降り立ってからが本番だ。つまり車両内で既に何か異変が起こりつつあるこの状況は極めてイレギュラー。
耳を塞ぎたくなるような絶叫が響いたかと思うと、止んだ。すぐに排泄物と臓腑の混じった錆のような臭いが前方から漂ってくる。
『次は……抉り出し……抉り出しです……』
アナウンスと共に席を立つと後方車両へ一目散に走り出す。鉛のように重くなった身体が、既に敵の汚染区域に足を踏み入れているのだと警鐘を鳴らす。
そもそも最初から辻褄が合わない点が多過ぎた、きさらぎ駅はバージョンに違いはあれど数十人という大人数を悪意を持って取り込むという逸話は定着していない。
被害拡大に派生したからだろうと一人納得していたが、どうやらそれが間違いだったようだ。
これはきさらぎ駅なんかじゃない。
「『猿夢』かよ……!」
猿夢、きさらぎ駅と同じく駅や電車をモチーフとした怪談の一つだ。
夢の中で電車に乗っていると、流れるアナウンスに合わせて小人達に乗客が『活造り』や『抉り出し』によって殺されていくというのが簡単なあらすじ。
きさらぎ駅よりも初出は古く大衆からの認知度も低いが、こちらには底知れない悪意がある。
耳を劈くように喧しく鳴り響くアナウンス、後方から迫り来る何か。
本来、猿夢の中では金縛りのように身動きが取れなくなるのが定説だ。だが今この空間の中では確かに走って後方車両へ移れている。逃げ場などないと諦めるのは少々時期尚早だったのかもしれない。どこかぶつけたのか、頭から垂れる血を汗と共に手で拭う。
「確かに
車両ドアを開けて数多の小人達がなだれ込んでくる。血走った目、各々の手には活造りやら抉り出しに使うのであろう物騒な得物が握られている。
「俺がお前の縄張りに入ってきたんじゃない。お前が
俺が確信を持って言い放つと同時に、捩じ切るような金属音と共に電車が急ブレーキをかける。慣性の法則に従って宙を舞い──まるでそう仕向けられたかのように都合良く開いたドアから外へ投げ出された。
突然の事にまともに受け身も取れず地面に転がって3回転半、げほげほ咳込みながらようやく立ち上がる。下ろしたてのスーツはあちこち裂けているし傷から血も滲んでいる、痛い。
つまりここは夢じゃない。
止まった電車の扉に張り付くように小人達がケタケタと笑っている。爆音のアナウンスが嘲笑う。
『逃げるんですか? どう頑張っても貴方はここで最後ですよ』
電車が動き出す。悪夢を乗せてトンネルの向こうへそれは消えていったが、戻ってくるのは時間の問題だろう。痛む身体を引き摺りながらベンチに座ると改めて周囲を観察する。殆ど確認する必要もないだろうが、この仕事は情報が文字通り命綱だ。
文字化けした時刻表、人の気配のないホーム、そして錆び擦れてはいるがその案内板だけは読み取れる。
きさらぎ駅。
これはきさらぎ駅じゃない、猿夢だ。そう結論付けたのも早計だったらしい。靴音を鳴らしながら誰かが自分の方へ近付いてくる。
チロリアン型の帽子を目深に被り、ダークネイビーを基調とした制服を身に纏った女性。外見だけ見れば20代程だが、きっと当てにならない。
にこやかにそれは微笑む。
「ようこそいらっしゃいました。私が『きさらぎ駅』でございます」
「はは……」
笑うしかないだろ、こんなの。
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怪異は基本的に己の意思を持たない。奴らに共通しているのは人々を戦慄させ、より大衆に自分達を認識させる事だ。それは生物が子孫を残そうとする本能と何ら変わらない。
だが物事には例外が付き物だ。例えば
もう一つは派生によってその在り方自体が変わった怪異。これは有名所に有りがちだが、人々がそれに恐怖以外の側面を見出す事で怪談ではない別の『何か』に変質する事がある。
そうは言ってもかなりのレアケースだ、俺だって実物を見た事ないし。
「というか駅なのに人じゃないですか。そこん所もよく分からないんですけど」
「この身体ですか? これはあくまで貴方達との交渉用のインターフェイスの様なものだとお考え下さい。顔立ちも好まれやすいよう整えてありますがお気に召しませんでしたか」
「残念、俺好きな子いるからそういう努力意味ないですよ」
交渉にインターフェイスと来た。怪異の癖に一応人間ではある俺よりよっぽど学あるんじゃないかこいつ。警戒を続けながらも駅員室で出された紅茶を口に含む。温かい。美味い。
「敵意はございません、私共も存続が懸かっておりますので。貴方も勘付いているのでしょう?」
「まあそれなりには……そもそもきさらぎ駅さんは……」
「呼び辛ければ駅員で結構です」
駅員が語るには同じ古株である怪異『猿夢』が突如その行動を活発化させた事がこの事件の起因らしい。
これは意外に思えるかもしれないが、怪異達はその行動原理は共通しているものの決して交わる事はない。当然と言えば当然で、己の名を知らしめる事が目的なのに他の奴らと手を組めば一体当たりの恐怖は半減するのは道理だ。YouTuberやアイドル同士のコラボじゃあるまいし、お互いのファンを取り込もうなんて訳にもいかない。ファンも何も死んでるし。
そう考えてみると猿夢の行動は合理的だと言える。
同じロケーションである『きさらぎ駅』への侵食。先に挙げたように怪異として弱っていた彼女……まあ彼女か……への侵攻は未だ現役である猿夢にとってそう難しくなかったらしい。
そもそも猿夢の弱点を挙げるなら、やはり夢の中の電車1台という活動範囲の狭さだろう。しかしどの電車からも繋がり、尚且つ相手を帰さない性質を持つきさらぎ駅を取り込めば。
「人間は好きなだけ攫い放題、余った奴はホームに置いておく、定期的に帰りの電車のふりでもしてれば困った人間が勝手に乗ってくる。完璧じゃないですか」
「
「ふーむ……でも俺が出張ってきたって事はわざとあいつが逃がした人間がいるって事です、今回は使い物にならなかったみたいですけど。理由分かります?」
「あれはきさらぎ駅などではなく、猿夢だったと言わせる為でしょう? 駅での怪異としては私の方が格上なので、一人もそう証言する人間がいないと私の手柄になりますから」
「逆に言いますとこれ以上奴の好きにさせてれば駅員さんは……いや、きさらぎ駅は。その内喰われて死にますね」
便宜上自分達の仕事を『怪異を殺す』と表現してはいるが、少し違う。花乃さんが殴り殺した口裂け女は4体目だし、その内またリスポーンするだろう。あくまであれは対症療法、本来の意味で奴らを殺すには一つしか方法が無い。
全てに忘れ去られた時、怪異はその存在を保てずに消滅する。文字通り風化するのだ。
それなら徹底した情報規制で怪異を全て殺せば良いではないか、そう声高に提言した者もいた。実際問題、少し考えてみればそれは物理的にほぼ不可能だ。だが溺れる者は藁をも掴む。
ある町の小学校で流行っていた別段特筆する事もない怪談『■■■■■■』。知っている者が少ないからこそ加熱していく噂の中で発生したその怪異に対怪は目を付けた。大してまだ人を害する力もないそれだからこそ、彼らは試せるのではないかと考えた。
生徒達を始めとした件の小学校関係者への徹底した薬剤投与と情報規制、どう考えても犯罪だ。
だが実験は成功した。その怪異の名前も、どんな筋書きだったかも覚えている者は誰もいない。
残るのは結果だけ。
人間が初めて怪異を殺した日から一週間、その町を中心とした列島全域で降り続いた豪雨が日本全体にダメージを与えた事態から対怪はこう結論付けた。
怪異とは即ち大衆社会の歪みであり、大なり小なりそれを消し去ってしまえば皺寄せが来るのだと。かといって放っておけばどんどん派生して取り返しが付かなくなる、だから俺達が雇われている。
「このまま猿夢がきさらぎ駅のネームバリューを喰っていけば、何年後になるか知りませんがあなたは死ぬ。そしてそれくらい大きな歪みが消えれば多分俺達もパアだ」
「ええ、それはお互いに困ります。だから私と取引しましょう」
駅員が指を鳴らすと同時に、奥の扉が開いた。寝息を立てている数十人が山積みとなっているのが見える。
「猿夢が連れてきた人間です、私が保護しています。奴らを撃退するのに協力するならば無事にお返ししましょう」
「断れば?」
「どの道猿夢がいれば貴方達はここから出られません」
「分かりました、やりますよ」
溜息混じりに天を仰ぐ。まさか怪異と協力して怪異を倒す事になろうとは。報告書に何て書こう、そんな事を取り留めもなく考えていると。
『……次は挽き肉、挽き肉です』
駅員室のスピーカーが喧しく騒ぎ立て始める。磨りガラスの向こうには数多の小人が蠢いていた。
「駅員さん、ホームはあなたの領域なんですよね?」
「思ったより状況は逼迫しているようですね」
「澄まし顔やめてくれませんか」
苛立ちながら後ろ結びにしていた髪を解く。少し色褪せた茶髪が湿った空気の中で揺れた。これ自体に特に意味がある訳ではないが……まあ気分だ気分、かっこいいし。
「駅員さん、本当に俺に害意はないんですよね?」
「ええ、まあ」
「嘘ついてるならさっさと逃げた方が良いです。正直者ならそこ一歩も動かないで下さい」
すっと目を閉じる。脳裏に思い浮かべるのは扉を開くイメージだ。ここではない何処かに繋がっているその重厚なドアを押す。開いた先にあるのは別に救いの神でも何でもない。
再び目を開けると霧のようなぼんやりとした人影が辺りを満たしていた。
「これは……」
人影は困惑している駅員を押し退けるようにして辺りを動き回っていたが、小人が群がっている扉を見つけるとそれを万力の如き膂力で引き裂いた。そこから先は語る程の事もない。
数分もしない内に夥しい数の圧死した小人の死骸が地面に散らばった。
巣くうもの。
寄生型の怪異であり、宿主に対して害意を向ける怪異を全て排除する殿堂入りの一つだ。それ以上でもそれ以下でもない、奴にとって俺は都合の良い住処程度なのかもしれない。けれど別に何の取り柄もない自分が第一線で戦えているのは全て奴に取り憑かれているからだ。
「本当に俺に対して悪い事しようとか考えてなかったんですね、こいつが手を出さないのなら」
「貴方、結構人が悪いんですね」
詰るような口振りをひらりと躱しながら血塗れのホームへ出る。
「それじゃやりましょうか。