1コーラス、2コーラス、スタート。
「《ハイブリッド・アクセラレーション》」
「《足柄》」
「《
三者三様のスタートダッシュ。スプリント重点ということもあり、成岩さんが使ったのは《早々来々》の方だった。
《ハイブリッド・アクセラレーション》は数秒分の加速度の積分を瞬間的に与える技なのに対し、《早々来々》は踏み込みを強化することにより、継続的に数秒間加速度そのものが上がる技。瞬発力では《ハイブリッド・アクセラレーション》には劣るが、中期的にスプリントし続けなければならない状況では《早々来々》の方が有利だという判断なのだろう。
そして、それを使ったという判断自体が、僕に成岩さんの認知する状況を知らせてくれる。その選択自体が、メッセージなのだと。中途半端な速度じゃ、追いつかれてしまうぞ、と。
車輪を回す。脚を回す。そのどちらもやらなくてはならないのがこのスプリントという動きなのだ。
スピードをある程度まで上げ、コースの一番長い直線の出口でちらりと後ろを見る。
真後ろに、ぴたりと北澤さん。その後ろ、少し離れて成岩さん。青い光に包まれて少し速度を上げている。
そしてその後ろ、後方およそ500m。そこには3つの人影が固まって走っている。
「山根君、前!」
「へっ?」
その声に前を見る。そこはスタートから1800m地点……つまりマイナス600m、ドラコのスタート地点だ。
そうだった、氷川さんはそういう人だった。そこにある氷を見て、僕はそれを思い出した。
もうエンジンの加速余力はそんなに残っていない。これは空転を起こしにくいという意味では有り難かった。
それならば、走行抵抗が少ないほうがいい!
「まだブレーキをかけるときじゃない、この氷、使わせてもらいます!」
「えぇっ」
「大丈夫、いけるはず」
フランジの外側に取り付けられたゴムタイヤは、そこまで横幅が大きいものではないし溝が入っているわけでもない。だから横滑りの耐性は皆無だ。
ゆえに氷上では、直線は良くてもカーブは難しいと言わざるを得ない。速度が上がれば、上がるほど。
……
僕はコジョウハマに手をかけた。
「僕の答えは、これだっ!」
コジョウハマを右脚の内側に取り付け、車輪を外側に向けて氷を切り取る。僕はアイススケートのように曲がり、その後には轍が残るので後続もそれ以上は滑ることがない。
意図に気がついたのか、後ろを振り返れば2人ともきちんとその溝に引っ掛けて滑りきった。
「危ないことさせやがって」
脚にとりつけたコジョウハマを取り外して車輪の傾斜角を戻していると、後ろからそんな声が聞こえる。
「文句を言える程度には余裕があるようで、良かったです」
「はっ、氷で速度があんま落ちねぇからな」
「じゃあ速度上げて大丈夫ですかね」
「おうよ」「ええ」
後ろからの声を聞き、ギアを4速に上げてさらに速度を上げる。今さっき一周目は土の上を走っていたレースコースを、氷を掴んで駆け抜ける。
しかしこうも氷上できちんと走れるのなら、下手したら氷川さんはゴムタイヤすら履かずに氷の上にフランジを直で載せて走ってるんじゃないだろうか。氷じゃフランジそんなに傷つかないし、ゴムでも横滑りしてしまうのだからもはや鉄輪でも関係ないし。
仮にそうだとすれば、氷川さんが異様な高速で移動できるのも理解ができるというものだ。何しろまだ融けていないなめらかな硬い氷と鉄輪の崩れない頑強な固体どうしで、実質的に常に軌道上を走ることができるようなものなのだから。
でも、彼らが走りやすくしてくれたおかげで、僕達もまた走りやすくなっているのは事実。佐倉さんがいたらこれもボコボコにしてそうだけど、僕は使わせてもらうまでだ。
「速度を上げ続けるので、無理そうなら言ってください」
後ろにそう伝えて更に加速する。カーブのたびにコジョウハマをセットするのが微妙に面倒だけれど、速度を落とさずに対応はできる。それでこのコースの曲線半径とこの足元なら、250くらいまでならば巡航できるはず。
気がつけば、あっという間にもう1周。足元では氷が分厚くなり、より走りやすい環境になる。
「まだいけます?」
「これだけ地面が固まってるなら余裕よ!」
「角を曲がれるかの方が怪しいかもな」
「なら」
「勿論、曲がれねえなんて無様なことをする訳ねえだろうが、俺達トレイナーなんだからよ!」
心強い声が後ろから聞こえる。
唸れターボ、唸れモーター! この頃になると、もはや後ろから追いつかれる恐怖なんてものは消え去って、僕の目にはもう前から後ろへ流れる景色しか映っていない。
さらにもう1周が終わって、4周目。泣いても笑っても残りはたった5キロ弱。
ラストスパート……と、言いたいところだけど、氷の上でスプリントしたって滑ってしまうだけ。ここは安定をとって速度を維持、減速度を意識……いや、これは氷の上から退けばいいか。ともかく進行あるのみ。
最終周回に入った頃、前方にはサギッタリウスの姿が見えた。でも、焦っちゃ駄目だ、ゴールには600mの差がある。無理に追いつこうとはせずにただ、滑らないように走り続けるだけ。
ドラコのゴールを越えた。残り600。少し走ってから氷上より横に抜けて、減速の動きをする。ゴール後201m以内に停まることができなければ、その時点で失格だ。
後ろにいた北澤さんが、成岩さんが横に並んでくる。減速度は僕が1番強いから。
「停まれ、停まれーっ!」
横一列になって3人一緒にゴールを超える。50m強過ぎたところで僕は停まった。そして90m程で成岩さんが、180m程で北澤さんが停まり、僕達のゴールが確定した。