鳥満絢太は、頭を抱えていた。
いや、鳥満だけではない。そのデータを見る者全てが、頭を抱えていた。
「のうスカイ、この数値、どう見る?」
「血液成分……ごく普通の健康的な男性のもので、異常な値は見られない。だが、だからこそ……」
「「次に何を調べるべきかがわからない」」
ふたりの声は重なった。念のため多めに採血し、その残りは冷凍保存してあるとはいえ、その全てを解明するには少なすぎる。それを行うには、山根真也5人分の血液を干からびるまで抜き取っても足りないのだから。
「何がじゃ。何がこのフラックスを生み出しておる。事象には、それが発生しておる以上必ずや原因が存在するはずじゃが……」
その呟きが消え、研究室の中の音が機械やパソコンの動作音のみになった時。コツンコツンと、扉を叩く音が響いた。
「お邪魔します」
「邪魔するなら帰れ、俺達は忙しいんだ」
「まぁ待てスカイ、彼は生物に明るく、また山根君をよく知っておる協力者じゃよ。待っておったぞ、程久保君」
鳥満はそう言いながら程久保を案内し、そして印刷しておいた測定データを渡した。
「これが、山根の……」
「どうじゃ。君から見て彼の肉体データに気になることはあるかの」
「少し目を通す時間を下さい」
そう言って程久保はデータを咀嚼する。
彼は数年前から山根の異常性に気がついていた。だからこそ、それを客観的に示すこのデータを見て一種の感動を覚えていたのだ。
「肉体組成は……一般男性のそれ。筋肉や骨格も頑強ではあるもののまぁ普通。次は……トレッドミル運動負荷試験もやったのか。負荷の……んん?」
「何か、彼のデータに異常な点が?」
「いいや、
「
「……は?」
程久保は思わず声を出した。
無理もない。そこに記されているグラフの縦軸は、常軌を逸した数字が刻まれていたのだから。
「負荷速度、20
「え、あの彼人間じゃないのか」
「いいや、生物学的には人間さ、多分。だけど、生み出される力が生物学的には説明がつかないのさ」
生物の場合、速く走れば走るほど1ストライドあたりに足が地面に接している時間が短くなる。そして速度が上がっていけば、やがてはこの接地時間を短くしていく限界速度に到達する。
なぜか。脳から神経、神経から筋肉に信号が伝達し、筋繊維が実際に収縮するまでの間には僅かではあるがタイムラグが存在するからだ。それが間に合い筋肉が収縮せねば、あらゆる生物は前へと進むことは能わない。
「ダチョウの足を知っているかい? 彼らはヒトと同じように二足走行をしているのに、そのスピードはヒトよりも遥かに速い。それは彼らの踵から先が遥かに長ければ、指だって長いからだ。あらゆる関節はそれより先の長さが長い方がその末端のスピードを出しうるし、可動域だって広くなる。そうすれば足を接地しうる時間的余裕を稼ぐことができる。もちろん、ヒトにはそんなことは不可能だ、物理的にね」
アメリカ・Southern Methodist大学のWeyandらの研究によれば、人間の骨格と足の長さで立脚走において到達しうる限界速度は、
だがしかし。ここにあるデータはどうだ。20メートル毎秒というのは、キロメートル毎時に直せば72だ。この数字は69よりも大きい。
「……何が言いたい、要するに」
「つまり、こうだよ。彼は間違いなく
「……結局、そうなるのじゃな。じゃがなぜ唐突にダチョウの話を……?」
鳥満は怪訝な顔で程久保に問うた。
「ダチョウを例に挙げたのは、単純にこの前ダチョウから成ったノリモンに会ったからに過ぎない。ノリモンはだいたいそうだけど、彼の足の構造は間違いなく人間のそれだ。なのに、
「まぁ、ノリモンじゃからな」
「でも、ダチョウだけじゃない。アジアゾウ、イエウマ、ナイルワニ、ニホンジカ、バンドウイルカ、ヒトコブラクダ……。多くの
「じゃから、それはノリモンじゃからじゃ」
「そう、ノリモンだからだ。……鳥満博士、この程久保はまだ若造で知識もない。だからこそ、突拍子もない事を言うかもしれないが、大目に見て頂きたいし、誤りがあったら指摘して頂きたい」
そう前置きして、程久保は持論を展開した。
――
「……そんなことが、あり得るというのか?」
「いや、だが。機関車だってノリモンになるし、この世界には人車軌道というものが存在する。頭ごなしに否定できる話じゃないかもしれない」
鳥満とスカイは、その投げかけられた仮説に、背筋が冷えるかのような感覚に襲われた。