「へえ、あの子をねえ」
クモエコロは生徒会からの連絡を受けてそう呟いた。
きっかけは昨日の夕方の事。彼の仕事場に、後輩にして教え子でもあるトウマがその子を背負ってやってきたのだ。
◆
「どうしたトウマ? その子は? 見ない顔だけど」
「さっき空に穴が開いて、そこから落ちてきたの」
「は?」
トウマは嘘をついている。その言葉を聞いてクモエコロはまず直感的にそう思った。だが、少し息をおいて考えるとそれはそうではないかもしれないという可能性にも至った。
第一に、トウマはいたずらで嘘をつくような人ではない。これはクモエコロが指導者として、彼女の人となりをみてきたからこそ間違いがないと言えることだ。
第二に、トウマの顔は真剣そのものだった。それに彼女のまとう雰囲気も然り。人をだまそうとしている者のそれとは、大きく異なっていた。
「……とりあえず、そこのベッドは使っていいことにしよう」
それに弱っている人を放っておくこと自体、クモエコロの養護教諭としてのプライドが許しやしなかった。
パッと見今すぐに何かしらの外科的な手術が必要なほどの大きな怪我をしているわけでもなければ、顔色が極端に悪かったり発熱していたりするわけでもない。目が覚めてうごけるようになるまでは独断でここに置いておいても罰は当たらないだろう。クモエコロはそう考えたのだ。
「ありがと」
「その代わり、何があったのかは聞かせてもらうけどね」
トウマの連れてきたその人間の青年を触診を兼ねて楽な格好にしてからベッドに寝かせ、布団をかけるクモエコロ。心拍数も穏やかなので、しばらくすれば目を覚ますだろうと判断し、カーテンを閉めて区画の外に戻った。
その頃ちょうど、トウマが紙袋に青年の所有物を纏めていたところだった。そこにクモエコロが脱がせたいくつかのものを入れようとしたとき、ふとその中のものに目が行ってしまった。
「……車輪?」
僕達ならともかく、なぜふつうの人間がこのようなものを? クモエコロは訝しんだ。
その様子をトウマは見逃さなかった。
「ね、へんな子でしょ?」
「まぁね。聞かせてくれるよね、この子を見つけた時の事」
「もっちろん。だってその時から変だったんだもん」
トウマはしっかり頷きながらそう答えて語りだした。
それは生徒会の業務を終えて、トウマが寮に戻ろうとしたときのことだった。普段は通らない道だけれど、なぜか今日は広場の方を通って寮へと戻っていた。
そして広場に差し掛かった時、誰かの声が聞こえたような感覚に襲われた。その広場には五元神の彫刻がそれぞれ置かれていて、トウマが感じた声の方を振り返ればそこにはSans Pareil様の彫刻が鎮座している。
トウマはその彫刻の方に駆け寄って、自然とお祈りを捧げていた。そして今度こそはと寮に戻ろうとして振り返った時、広場の真ん中の空に奇妙な穴が開いていたことに気がついたのだ。彼女はその穴から目を離せなくなった。
そして間もなく、その穴から投げ出されるようにこの青年が飛び出してきて。トウマが危ないと思って駆け寄って彼を受け止めた時には、空にあったその穴は消えてしまっていた。
その話を聞いたクモエコロは、そんな莫迦なことがあるのかと率直な感想を抱いた。
だがしかし。その五元神の広場では不思議な体験をしたという生徒が多いのもまた事実。それはかつて生徒だったころのクモエコロ自身もまたそうであった。
「だとしたら、あの子はどこから」
「わかんない。だけどさ、聞いたことがあるんだ。平行世界ってものがあるかもしれないよって」
「まーたシャイの戯言かい? 莫迦莫迦しい……と言いたいところだけども」
もしかしたらこの場合は本当に実際にシャイに話を聞いた方がいいのかもしれないな。そんな考えがクモエコロの頭の中をよぎった。そしてそれを確かめるために紙袋の中に手を突っ込んだのだった。
「なにしてるの?」
「一応、あの子の持ち物の中に連絡先が分かるものがないかをね。うちで保護してることは伝えておいた方がいいでしょ?」
クモエコロがポーチの中を失礼すれば、そこに財布を見つけた。そしてその中を開き、連絡先の記されているものはないかとカード類を抜き出す。
「これは銀行キャッシュカードで、これはポイントカードで。これは……おっ、職員証だ。山根真也というんだね、彼は」
そしてその職員証に記されている電話番号に、クモエコロは電話をかけた。
……
「嘘でしょ?」
「どうしたの、先生」
「電話が繋がらない。電話番号が使われてないんだ」
そしてまじまじとその職員証を見れば、山根真也が所属していることになっている組織と所在地の組み合わせにも違和感を覚えた。東京都小平市小川東町に、こんな名前の独立行政法人はあっただろうか? 仮にこれが偽物だとして、こんな精巧な偽物を作ってまで財布の中に常駐させるだろうか?
これは本当にシャイに話を聞いた方がいいかもしれない。この時初めて、クモエコロは彼を頼ろうと思ったのだった。
「もしもし、シャイ? クモエコロだけど。……いや、お叱りではないよ、君に意見を聞かなくちゃいけないかもしれなくなってね。流石に今日はもう遅いから明日の朝か昼あたりで……いつでもいいの? じゃあ朝8時ごろそっちに行くから」
「先生、もしかして……」
「うん。彼は本当に、この世界の人じゃないかもしれない。この荷物は生徒会の方で預かってもらえるかい?」
「わかった」
そしてクモエコロはカードを元通りに戻してから、トウマに荷物を託したのだった。