中央鉄道学園、通称として内部的には学園、外部的には英字の頭をとってCTSCと呼ばれる機関。その学園に飛ばされてきて数日が経ち、だいぶ学園の生活にも慣れてきた。年末年始だというのに不足していた什器の搬入も終わり――もともと倉庫に在庫自体はあったようだ――、きれいだった部屋はだんだんと僕の色が見え始めている。
そして、日が進むにつれて朝晩の食事に集まる生徒の数もだんだんと少なくなっていた。全寮制とはいえ、みんなは学園の外にも帰るべき場所があるんだ。
でも、僕は? 地元以外で年明けを迎えることは、はじめての経験だった。父さんが待っている家に今年も帰る予定だったけど、その予定はなかったことになってしまった。寮には帰る交通費が足りなかったりして残る生徒もいるけれど、そもそもまだどうやって帰ればいいのかすらわかっていないのは僕くらいだった。
「……何やってるんだろう、僕は」
1人、部屋の中で呟く。
JRNの方では、着々と調査や解析が進められていると聞いている。進捗があるかといえばまだ役立つ進捗かはわからないというのが正直なところらしいけれど、それでも何一つ為せていない僕なんかよりはよっぽどまともだ。
本部からの伝言では、身の安全を守れる環境にいるのならば無理して帰還手段を探す必要はないとのことだった。かわりに指示されたのは、この次元でのノリモンのあり方を歴史や公民の教科書から学び報告を持ち帰ること。文化が違えばそこに気づきが生まれて、外の文化の者からしか見えないその差にこそ本質的なものが眠っている可能性があるのだとか。
……まぁ、そんなのは建前で。本部からすれば、できれば僕たちにあまり動いてほしくないってのが本音なのだろう。下手に動いて安全な所に戻れなくなるよりは、本部が僕たちを迎えに行くことができる技術を開発できるまでは安全な場所にとどまってほしい。通信が可能ならばなおさら。これは、次元を超えない事故などでの遭難なんかのマニュアルにも書かれていたことだ。
まぁ、でも。
それって、裏を返せば無理をしなければ――安全な場所に居続けさえすれば、帰る術を探してもいいということだ。
そうと決まれば。
「失礼します」
「おやおや、誰かと思ったら。シエロエステヤード君ではないか」
僕が訪ねたのは、シャイ先生のいる数学科準備室だった。
とても数学とは関係のなさそうな書籍や器具が雑多に棚に並べられているその部屋の奥でシャイ先生はけだるそうに佇んでいたが、入室した僕の姿を認めるや否や急に打って変わって元気に部屋の入口の方まで飛んできたのだった。
「リドルからもらったのを見たよ。やっぱり、君はストレンジャーだ」
「リドル……?」
誰だそれ。少し考えながら数少ない共通の知り合いの名前を思い浮かべる。
あてはまりそうなのは……あぁ、いた。シンカ
「会長さんってことは、模擬戦のですか」
「そう、それだ。さて、私からも聞きたいことは山ほどあるし、君もそうだから来たのだろう? そこに座っ……」
そう言いながらシャイ先生はきょろきょろと何かを探している。
「椅子……椅子……どこやったっけ?」
「えぇ……」
「この部屋に長居するのなんて私くらいだからねぇ。一応用意はしてあったはずなんだけど」
だからといって自分から座ってと言ってから気付くのはどうなのさ。喉まで出かかったその言葉を押しとどめられたのは、我ながらにしてけっこう頑張った方だと思う。
結局、シャイ先生が部屋の奥からパイプ椅子を見つけ出すまでには数分ほどがかかった。どうも案外いい加減な方のようだ。
だけどその僕の評価が覆されるのにかかる時間は、そんなに長くなかった。
「さて、何から話そうか。……そうだね、まずは君に1つ聞いておこう。君は無限を考えることは、不必要な事だと思うかな?」
僕が椅子にかけるなり、シャイ先生はそう僕に問いかけてきた。
質問の意図はこの段階では全く分からなかった。だけど、その質問には自信をもって答えることができた。
「必要に決まってるじゃないですか」
「それは私が数学科だからそういうのだろう? ならこうしよう、医学の先生が同じ質問をしてきたら君はどう答える?」
そう聞かれて、僕は答えに困った。
数学の問題じゃ、無限は絶対になくてはならない概念だ。だけど、医者が無限を考える必要があるのかと言われたら? おそらく、ないだろう。だけど……うーん?
そんな僕の様子を見て、シャイ先生は得意げに言葉を紡いだ。
「ほら、答えに困るだろう? 無限は数学において必須であるが物質的世界にはあり得ないというのは、100年強前の数学者の言葉だよ。でも、それが本当にあり得ないのかはわからない。ただし私達が観測し、認知しうる範囲というのは高々有限に過ぎない。だからこそ、考える必要は無いとも言えるし、あるともいえるのさ」
……うーん? なんともかっちりとしていて、そして適当な論理だ。
どちらかといえば数学者より哲学者が考えそうなことだ。だけれどその内容は論理的で、そして非現実的なもので。
そして、シャイ先生が続けて放ったことは、それと関係のある数学的な事実だった。
「たとえば、君が何かを考えたとしよう。だがその君が考えた事を、どんな形でもいいから数字として暗号化すればどのようなものであれ私はその数列をすでに複数持っている。それは円周率であり、自然対数の底であり、そして2の平方根でもあって、それらの無限に続いていく小数点以下の数字の列の中には、必ず君の考えたことが含まれている。いや、君の考えたことだけじゃないさ――」
この世界のすべては、その数値というアカシックレコードに記されている。シャイ先生はそう言った。
そして、そのアカシックレコードから引用されたものこそが今目の前に発生している事象なのだとも。そして全てが記されているからこそ、全てが発生する可能性は否定できないのだ、と。