「全ての可能性は存在する。それが存在しないのだとすれば、私達がそれを観測できないだけ、観測するリソースを持ち合わせていないだけだ」
シャイ先生の続けているのは、ものすごく哲学的な話だ。僕の脳はそれらの話の一部を理解することを拒み、そして気が遠くなってきたような気さえしてくる。まるでスパゲッティの怪物が僕の思考をスパゲッティにしてくるかのような感覚だ。
「でもそれって、いんちきじゃないですか? 観測できないものの存在を議論する意味って」
「だが事実、君は私が今まで観測しえなかったところから来たのだろう? もちろん、私の理論上はその存在は否定はされていないよ」
そう言われて、僕はそうかもしれないと思った。それと同時に、そうじゃないかもしれないとも思った。そしてそのどちらもが、シャイ先生の理論には存在していた。
「まぁ、観測しえないというのはこちらの話だ。君たちがこの世界を観測できていたのかどうかすらは、それこそ私の観測できる埒外だ。でも、君があまりにも落ち着いているということからして、君が前もってこの世界の存在を考えることができていたというのは事実のようだがな」
「それは、まぁ……事実ですね」
「ふぅん?」
シャイ先生の目が、ピカリと光った。
……対応を間違えたかもしれないな、今の。こうなったらもうやけくそだ、向こうが理解できないほどの話をして困惑させてやる。
「なら聞かせてもらおうか、どうして君はそうも落ち着いていられる?」
「僕は元の次元の外側に超次元的に飛ばされた――そのこと自体はこの次元に着く前から認識していた事実です。そしてこの次元でも僕が力を借りることができるのだから、僕の元いた次元からこの次元までは超次元的な繋がりを有することができる。繋がっているのなら、来ることができたのだから同じ事象を発生させて同じ経路を逆走すれば帰ることができる。それが分かっていたからこそ、僕は落ち着いていられたんです」
「超次元か、なるほどね。君はそういう解釈をしているんだね」
……あ。駄目だ。普通に受け入れているしなんならこの考え方自体既に持ってそうな反応だこれ。
そう思って目線を斜め下に向けてシャイ先生の顔を見ると、首を少しだけ傾けて頭の上に疑問符が乗っていた。そして何かを期待するような目で、僕の方をじっと見つめているのだ。
「……なんですか?」
「それだけかい、君の落ち着いた理由は」
「それだけですね」
「なるほど、君は相当肝が座っているようにみえる」
そう言いながらシャイ先生は2枚の厚紙を重ねて、僕との間においた。
「だけどそれを論じる前に1つ、確認しておきたいことがある。『超次元』という言葉が指すものだ」
「たしかに、その認識がずれていたらまともには……」
「だろう? さて、私は君の言葉から少なくとも2つの意味での超次元を連想したよ」
1つは、幾何学的な超次元。つまり、この3次元よりより高次な空間のことだという。
そしてもう1つが、複数の『次元』を超えているということ。これは僕が彼女の言う世界のことを次元と呼んでいることから、そっちの意味で使っているのではないかという考えだ。
……確かに、そう言われてみれば僕は今まで超次元という単語をそういうものだという認識ていた。指摘してもらえばこれは何らかの前提があって初めてそうだといえるものだ。
「専門にしていた訳ではないので詳しくは知らないんですけど、もともとは前者の意味で話を進めていくうちに後者の意味での異次元の存在を認めることになるって感じなんじゃないですかね」
「ふむ、ということはもともと高次元の仮定のあとに多元宇宙論に移行したのか。そしてその転換地点には何らかのファクトがある……うん、いい知見だ」
スラスラとそうやって言葉を紡ぐシャイ先生。彼女は論理という面ではどちらかというと、網羅的にあらゆる仮説を把握してどれが正しいのかを見極めるタイプの詰め方をするの方みたいだ。
「確認させてほしい。君の地元では、多元世界仮説――いや、君の言葉で言おう。他の次元の存在を認知しているんだね?」
「そうですね、認知しました」
実際に認知したのはつい数日前、中泉さんからeチッキで連絡があったのが初めてで、そもそもその頃には僕はもうここにいたんだけど、今現在で認知しているのは事実らしいのでそう答える。するとまた、シャイ先生は目を物理的に光らせて何らかのメモをとった。文字が汚すぎて僕からは読めないけれど。
「なるほどなるほど。ということは、君は既に別の次元に行ったことがあった、だからこそ慌てていない。違うか?」
「いや、別の次元にたどり着いたのはここが初めてですよ。そもそも仮にそうなら僕はとっくに帰ってますって」
そう伝えると、ハッとした様子でそれもそうだねとシャイ先生は返した。そして少しだけ考える素振りをしてから、更にもう1つ問を増やしてきたのだった。
「君はここが別の次元であることを認識してから、自力で帰れないことを自覚するまでにかかった時間はどれくらいだった?」
「1分もないですよ。無理ですもん」
「つまりそれを判断できる材料が君にはあったわけだ。となると……」
ペラリ。シャイ先生のメモ帳は次のページへ。それもまもなく埋まる程に、彼女は論理を練っていた。
その後もいくつかの質疑が続いて。そしてようやく結論が出たのだろう。メモ帳を一旦閉じると、僕の方を向き直したのだった。
「君の認識と論理はだいたい分かった。残念ながら私からその論理の正誤に関しては明確な答え返すことはできない――なぜならば私もわかっていないからだ。君達の論理に反証しうる材料を私は持ちえていないのだよ」
「つまり……?」
「君達の論理を信用しよう。君の言葉が正しいのなら、私達――いや、学園にとっても大きな進歩となりうるからな」