薄暗い森の中。持ってきた大荷物を下ろして一部だけ手に持つと、うっすらと光る半球状のドームに、星野貴大はeチッキ端末を押し付けた。するとそこから光が彼をつつみ、そして消えていった。
その様子を、彼を追いかけてきていたFairwayは見ていた。そして星野と同じように腕をそれに近づけ、そして離してを繰り返す。だがしかし、彼と同じように彼女を光が包むことはなかった。
「……どうなってるのかしら?」
その呟きに応える者はいない。その半球の内側はこの次元とは隔絶された
そう、この半球はラッチだ。それもかなり小さなもので、ラッチコアの直径はわずか数メートルしかない。星野はなぜこの次元において、この次元の者たちが出入りすることの能わないラッチを使う必要があったのか? その理由は、ラチ内を見れば自ずから明らかとなる。
エキステーションにより直径10m強ほどまで拡張されたラチ内は、生活感に溢れていた。そしてその中にはトレイニングを解いている星野の他に、もう1つの人影が。
「どうだ参宮。『神』との交信は」
「なかなか難しそうですね。JRNに戻ってからも継続する必要はありそうです」
「それすらいつとなるか分からんのにか……」
そう、このラッチの中にいたのはこの次元において不幸にも指名手配されてしまった参宮五十鈴であった。彼は新興宗教団体により勝手に神と崇められてしまっていたのだ。
信仰というものは仮にそれが偽りであったとしても、信者のその信じる心自体は存在してしまっているものだ。そしてその信心の強さは幸か不幸か、参宮を1つ上のステージにポワしてしまったのである。
――参宮の脳裏に、声が響く。
『ふぅん、まだ耐えよるのか。早く私に体を預けてしまえばいいものを』
「誰が渡すものですか」
その少女と思しき特徴を持つ声を参宮が始めて聞いたのは、脱出の後に森の中を飛び、そして小川のそばに降り立って一息つこうとしたときだった。その時、彼の周りには誰一人とて存在しないにも関わらず、しかしどこかで一度だけ聞いた声が、鼓膜を介さずに彼の頭の中へ流れ込んだのだ。新興宗教の
一体この声の主は何者なのか。参宮がそう考えたとき、その思考を読むかのようにそれは語りかけた
『吾のことが気になるか、吾が依り代よ』
「おれはおまえの依り代になった覚えはありません」
『吾と繋がっているおぬしの肉体は、同じく吾を降ろしうる依り代としても機能している。それは紛う事なき事実じゃよ』
その言葉を否定する材料を参宮は持ち合わせていなかった。何しろ一度気を抜けば彼の肉体の制御はそれに奪われて、彼の意に反して動き出すのだ。その事象がそれの意志によって起こされているのである。星野により発見され、ラチ内へと半ば封じられるように保護されたころには、彼の心は擦り切れる寸前であった。
「おれの身体を奪ってどうするおつもりで」
『人聞きの悪いように宣うの? おぬしが吾に身体を預けたところでおぬしがおぬしであることには変わりはのうて。同時に吾の身体となるだけじゃ』
「まるで意味がわかりませんが」
『そもそも、吾ほどの存在にもなれば今でも依り代の肉体を好むがままに弄ることも可能とではあるがの』
次の瞬間、かようにという言葉が響くと同時に参宮の右手が変形し、そして元に戻った。それを見て、それがまったく痛みを伴わなかったことも含めて彼は冷や汗をかいた。その様子を見ていた星野もまた目を凝らす。
『安心せい、手を加えることはせぬよ。おぬしに興味が湧いたからの。吾好みにしたところで、それでおぬしの味が塗りつぶされてはそれこそつまらぬというもの』
「できればおれとしてはすべてを諦めてもらいたいのですがね」
『それは飲めぬというものよ。これほどまでに馴染む存在も類稀でのう』
それは無慈悲にそう告げた。それはつまり、参宮の体から出ていく気は更々ないということである。
この厄介な同居人にどう対応すべきか。参宮にとっては、JRNへの帰還以上に厄介な問題だった。
「……すみませんね、星野さん」
「この次元においては数少ない同郷で同じJRNに属する者だ。互助は当然だろう」
「おれは何もできてませんよ」
「後輩だからな。お前がお前の後輩と同じ状況になったときにそうしてやれ」
そう言いながら、星野はラチ外へと出場した。そこにはアップルグリーンの長髪を持つ人影があった。
「フェアーか。なぜこんなところまで」
「これだけの大荷物を持って森の中に入っていったらそりゃ目立つわよ」
「……それもそうか。ご覧の通り、キャンプに荷物を運んでいただけだ」
小分けにした荷物の一部を持ち、ラッチに再入場しようとする星野。そんな彼にフェアーは声をかけた。
「手伝おうか?」
「その必要はない。そもそもお前は中に入れんぞ」
「……あなた何者なの?」
そのフェアーの問いに、星野はこう答えながらラチ内へと入った。
「まだ何も成していない。何物にもなれなかった成れの果てよ」
それから何度かラッチを出入りして荷物をすべて搬入するのを、フェアーは言葉もなく静かに見続けていた。