イギリス、ヨークシャー州。ペナイン山脈を超える西風のフェーン現象により比較的温暖で乾いているこの地域は農耕には適さない。かわりにこの地に根付いたのは畜産産業だった。犬のヨークシャー・テリアや豚のヨークシャー種、あるいは牛のショートホーン種などはそれらの動物を扱うならば知らない者はいないだろう。
時は産業革命。そんなヨークシャーにもうひとつの授かりものがあった。石炭やソーダを始めとした鉱物だ。そして根付いていた畜産の支えもあって、この地は大きく発展することになったのだ。
ひとつは、繊維産業。羊もソーダも豊富なこの地において、材料はすべてが整っていた。そしてもうひとつが、鉄道である。運ぶための製品に加えて、それを牽く馬もこの地で多く生産されていたのだ。
そして、時代は少し下り蒸気機関車の時代。南ヨークシャーのドンカスターの街に作られた車両工場は、ロンドンとスコットランドのエディンバラを結ぶ大幹線の旗艦工場として、数々の優秀な機関車を生み出していた。
St Simonもまた、その工場で生み出された機関車の1両であった。
ヨーク市リーマンロード、国立鉄道博物館。シモンの髪と同じアップルグリーンの塗装を纏った1両の蒸気機関車の横で彼女は待っていた。
「ようこそ、ヨークへ」
「……日本語を話されるとは思わなかったよ」
「半永久的とも言える私達の生涯において、どこに新しく学習することを妨げるものがあろうか?」
どうして彼女は日本語で話しかけたのか? それは彼女が待っていた相手が日本のノリモンであるイノベイテックだからだ。彼は先月末までの半年間、ダービーのThe Lancerの下に派遣され、彼の率いる団体の再始動のための指導を行っていたのだ。
「見習いたいね、その心は」
「JRNでは多くのノリモンが研究をしていると聞く。それも似たような動機によるものだろう?」
「そうかもしれないね」
そう恐る恐る発されたベーテクの答えに、シモンは少しだけ満足げに微笑んだ。
ベーテクは既に何度かシモンと顔を合わせていた。それにランサーからも彼女の性格を聞かされている。だからこそ、彼女の機嫌を損なうことの決してないようその受け答えはかなり慎重にならざるを得ないのだ。
「この博物館には、君に紹介したい機関車がいてね。ふだんはマンチェスターにいるのだが、今日は特別にヨークまで来てもらっている」
「その後ろの機関車かい?」
「60103……私の姉ではない。もっと君を驚かせる機関車さ。さぁ、ついてきたまえ」
エスコートするようにシモンはベーテクの手を引き、そしてバックヤードへと入ってゆく。それに逆らうという選択肢は彼は持ち合わせていなかった。
作業員たちに会釈しながら一度分解されて整備中の展示車両の間を抜け、奥へ奥へと進んでゆくシモン。そして一番奥、搬入用のシャッターの手前の古びた機関車の前へと辿り着いた。
「この機関車は、まさか……」
「そのまさかさ。レプリカではない、正真正銘の本物さ」
彼らの目の前の機関車は、奇妙なかたちをしていた。車両の前方には銅のポイラーが、そして後ろには逆台形の箱型のタンクが乗っている。2対の大きな車両のうち、タンク側の車軸の上には一対のピストンが置かれていた。
そんな奇妙な形ではあったが、ベーテクは確実にその機関車の名前を知っていた。
「Novelty」
それは五元神の1柱にして、ベーテクらノーヴルの派閥の神であるノリモンの名前だった。つまり目の前にある機関車は、いわば御神体とでも言うべきものなのだ。
「御名答。他にも我々はRocket号とSans Pareil号も保有している。残念ながらこの3両だけだけれどもね」
「解体されているはずでは……」
「一度はそうだ。黎明期の機関車であるがゆえ彼らはみなRainhill Trialの後に試行錯誤で改造され、オリジナルの部品は取り外されていった。ここにあるのはそしてそのオリジナルの部品を再び組み立てた……言うなれば、神の抜け殻」
「それは本当に本物なのかい? テセウスの船か、あるいはスワンプマンのようじゃないか」
機関車Noveltyの前で立ち止まり、まじまじとそれを見つめるベーテクの後ろで、シモンの目が少しだけ光った。
「Rainhillの五元神とは、一体何物なのか? 本当にノリモンなのか?」
「あなたは五元神を疑うと?」
「存在するのは真実だろう。だが彼らは我々の知るノリモンが成る条件に当てはまっていないにも関わらず人の姿を得ている。奇妙だとは思わないか?」
ベーテクは言葉を返さなかった。だがしかし、彼のテールライトがかすかに点滅するのをシモンは見逃さなかった。それだけで彼らの間の意思疎通には十分だった。
「君は来週には日本に帰るのだろう?」
「……金曜日の直行便でね」
「ならば覚えておいてほしい。まだオフレコではあるが、10月に日本に招待されていてね」
「10月……日本の150周年の何かかい?」
「その通りさ。その時には、君の……いや、君達の見解を改めて聞かせてもらおう」
ガバリとベーテクは振り返った。その目を光らせながら。
「それは……JRNへの依頼かい?」
「依頼ではないよ。ただ私から情報を与えただけだ。それと……少なくともシルドンにあるSans Pareil号は、Sans Pareil号として最後まで残った機関車を当時の姿に復元した姿であると伝えておこう」
ベーテクの目がまた、またたく。
「それを伝えれば、僕達は言われなくても考察を始めるだろうと?」
「違うのかい?」
「違わないねぇ」
そしてシモンとベーテクは握手を交わしてから、言葉なくバックヤードを去ったのだった。