「おっ、目を覚ましたか」
クモエコロは、ベッドから出てきた生徒にそう声をかけた。
競技会のシーズンともなれば、勝者にせよ敗者にせよその衝突により負傷したり、あるいは力を使い果たして倒れてしまう生徒はどうしても普段よりは多くなる。そうなると保健室の養護教諭たるクモエコロのもとには多くの生徒が集まることになるのだ。
「だいぶ楽になったよ、すまなかったね」
「何、それが僕の仕事だよ。そもそも君だって生徒の1人なんだからここを使う権利はあるさ、シンカリムドルナ君」
身体を起こしてそう言葉を交わすのは、生徒会長たるシンカリムドルナだった。
「まあ、申し訳ないと思うんだったら、適度に休息をとることを覚えておいてほしいね」
「……本当に、すまないね。でもこちらにも休む訳にはいかない理由があってね」
その言葉を聞いたクモエコロは、すぐさまベッドに駆けつけてリドルを寝かせた。しかし彼女は不満げな顔をしながら抗議の声をあげる。
「私はもう大丈夫だが……」
「ダメだね、まだ休みなさい。声色だって本調子じゃないよ?」
「……だが」
そう言い返そうとするリドルを見て、クモエコロは溜め息を吐いた。
「タスクが溜まっていて、それで昨日は競技会にも出場して。一応聞くけど、最後に6時間以上寝たのはいつだい?」
「……一昨日だ」
「嘘だね」
その場しのぎの嘘は、すぐに見破られた。そして嘘をついたということ自体が、その裏に話したくない真実があることを裏付けてしまっているのだ。
クモエコロはまっすぐと目を覗き込んだ。目を逸らすリドル。その先へと顔を動かすクモエコロ。その無言の小さな追いかけっこはしばらく続いた。そして少ししてから観念したようにリドルは答えた。
「……正月休みだ」
その答えにもう2月だぞと呆れるクモエコロ。そもそも本来は生徒会長とてそれほどハードワークを要求される役職ではない。だがリドルはお節介からか自分で仕事を増やしてしまい、そして自らを追い詰めてしまっていたのだ。
「ディザイアまで担架を転がそうか」
リドルはすぐにも休息をとる必要がある。それがクモエコロの見解だ。しかしリドルはこの期に及んでそれをよしとしなかった。
「必要ない。歩けるからね」
「生徒会室に行くつもりじゃないだろうね?」
答えることなく、沈黙する。それが肯定の意味を持っているのは誰の目から見ても明らかである。
クモエコロはまた呆れたように溜め息をついた。
「図星かい? ダメだよ休まなきゃ。送るからね、ディザイアに」
いくらリドルが生徒会長だとしても、彼女は所詮生徒で、そしてクモエコロは教諭なのだ。そのパワーバランスが逆転する機会は決して頻繁に発生するわけではない。ましてや、このような明らかに彼女の方に原因がある状況においてそのようなことがありうるだろうか? いや、ない。
リドルは諦めたように呟いた。
「全てお見通しか」
「観察眼がなきゃこの仕事は務まらないからね」
そう軽く……本当に、軽い気持ちで返したクモエコロ。だがしかし、その言葉への返しは、彼の想定の外側に出ていた。
「ならば……教えて頂きたいことがあるのだが」
キリッと、リドルの纏う雰囲気が変わる。クモエコロは彼女の目を見た。何かをごまかそうとしているそれまでのあやふやな弱い目とは打って変わって、強く芯の通った目線が彼を指している。
まるでその観察眼があるという言葉をひきだすのが目的だったかのような動きに、クモエコロは少し驚きつつもしっかりと対応した。
「なんだい、言ってごらん」
「シエロエステヤード、という生徒についてだ」
「……年末に突然
「そう、その彼だよ。先生から見て、最近の彼はどう映っている?」
もちろんクモエコロは覚えていた。昨年末にトウマが連れてきた見知らぬ不思議な彼のことを。
シエロエステヤードを名乗り学園に編入した彼も、他の生徒と同じように何度か保健室を訪れていた。だけどその度に、クモエコロの中には不思議な違和感が生まれていた。
「彼は……変わってしまったね」
「変わった、か。どのように?」
「編入生ならよくあることなんだけどね? 初めてここに来たとき、彼は明らかに異質な存在だったよ。でも今は、1人の生徒として自然に溶け込んでいるように僕には見えるんだ」
まぁ彼の異質度合いは他の編入生よりも強かったけれどもね、とクモエコロは付け加えた。実際、シエロは初めてここに来たときにクモエコロの知らない公園の名を挙げて、そしてそこから来たと言っていたのだから。さらに彼を運んできたトウマも、空中に突然開いた穴から落ちてきたと供述していたことも考慮すれば、彼がもともとこの世界ではないところから来たという非現実的な答えがもっとも現実的な解釈になる。
そんなシエロでさえ、今は立派な学園の一生徒なのだ。それは学園という組織がなせるものなのか、それとも彼の環境への適応性が強いのか。どちらかはクモエコロには分からなかったが、彼がここに来た頃から変質している、というのは確かなことなのは明らかだった。
「……そうか」
「今も生徒会で保護しているのかい?」
「保護というほどではないが、定期的に顔を合わせているよ。だが、私は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないな」
リドルはどこか遠くを眺めるような目で、そう呟いたのだった。