「ねえ。君はぼくが異世界からやって来たって言ったら、信じてくれるかい?」
「突然変なことを言うじゃんか」
冬の真っ赤な夕焼けの中で飛び出た中泉良平のその言葉に、鈴鹿稲生は吹き出した。
だけれど不思議と、鈴鹿にはその言葉が嘘だとは思えなかった。
思い出してみれば、中泉には初めて会ったときから謎が多かった。ときどきマシンに話しかけたりするし、それで意思疎通ができると思っている。いや、違う――本当に意思疎通ができているとしか思えないように不調の原因を言い当てるし、改良点を見いだす。
そんな不思議な彼だからこそ、鈴鹿は中泉を自らのチームに招き入れたのだった。
「……でも、信じるよ」
「じゃあさ、ぼくがそっちに帰らなきゃいけないとしたら?」
鈴鹿は中泉の目を見た。
真っ直ぐで、据わっていて、真摯な目だった。マシンに向き合う時のように。突拍子もないことを言っているかのようだけれど、その目は嘘を言っているようには見えなかった。
「その時が近づいてるのか?」
「わからない。でも、近いうちにそうなると思うんだ」
「……そっか」
だからだろうか。中泉が長期契約を結びたがらなかったのは。それどころか、3ヶ月契約ですら長いと拒んだのは。
そして鈴鹿は――ふと、気になった。中泉があんな不思議な観察眼を養うに至った世界の事が。
「じゃあさ、教えてもらえるか? その世界の事を」
「そうだね。君には語っておくとするよ。不思議な友達、ノリモンのいる世界の事を」
そして中泉は語りだした。鈴鹿の耳には、それははじめはあまりにも嘘くさいなと感じるような、まるでフィクションのような御伽話に聞こえていた。だけれど中泉が話を進めていくうちに、その細かで実際に体験したことのあるかのような――本当に彼は実際に体験しているのだが――話しぶりに、中泉はいつの間にか聞き入ってしまっていた。
中泉の話が終わりを迎える頃にはとっくに日も落ちて、彼らのいる丘は静かな真っ暗闇に包まれていた。そして鈴鹿は初めて中泉と会った時のことを思い出していた。
あの寒い雨の夜。身なりもきちんとしていた割にはほぼ一文無しで首都高の高架下に佇み、立ったまま眠っていた中泉の姿を。
「それで俺が聞いたときに帰る場所がない、と」
「あの時は嘘をついた。そこは申し訳なく思ってるよ。でも……」
「まぁ、そうだろうな」
正直に言えるようなたどり着きうる帰る場所は、確かにあの時の中泉には無かったのだから。仮に正直に話していたとして、当時の鈴鹿がその言葉を今のように受け入れられるとは――今も半信半疑ではあるが――思えない。それは鈴鹿自身が一番良くわかっていたことだった。
「今なら……少しくらいなら信じてやってもいいかな」
「……そっか。そうだよね。嘘みたいだってのはぼく自身が一番わかってる」
「でも、だ」
バン! と、中泉の背中を叩く鈴鹿。驚いて振り向く中泉の目をと鈴鹿の目が合ったとき、改めて鈴鹿は言葉を紡いだ。
「その話が本当なら、お前は疾く走れるんだろ? 俺はそれを見てみたい」
中泉は拍子抜けしたような顔で鈴鹿を見つめると、ぷっと吹き出した。
「おい、なんで笑うんだよ」
「ごめんごめん。でも、いいよ。走ろう。だけど今じゃない。あの子を連れてきてくれないかい?」
その投げかけのあと、2人の間を静寂が通過した。そして一度瞬いた鈴鹿の目は、本気の様子を見せていた。
★
その次の夜。ヘルメットを被りマシンに乗り込んだ鈴鹿は、サーキットに立つ中泉をキッと見つめた。
すると中泉は、緑色の光に包まれてその姿を変え始めた。鈴鹿が瞬きをする間に、彼は普段の姿からはかけ離れた白と青の装いと機械に身を包んでいる。
そして中泉は、鈴鹿のもとへ駆け寄った。
「3周でいいかい?」
「あ、あぁ。その姿は……変身?」
「ちょっと違うかな。でも、格段に力が出せるんだ。……さぁ、君の好きなタイミングででていいよ」
そう言う中泉の顔には、余裕の色が見られた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
鈴鹿は走り出した。中泉と出会ってから、格段に調子が良くなったそのマシンで。
確実に手応えを感じる。この力なら、もっと鮮やかな景色を見られる。その事に関しては、中泉に感謝しないとな。
そう思いながらミラーをちらりと見たとき。そこには人形の何かがぴったりと鈴鹿の後ろにつけていた。
「嘘だろっ!? なんでこんな速さで……いや! 負けねぇ。俺は負けねぇ!」
ミラーの向こうで、中泉は笑っていた。はっきりと見えた訳ではなかったが、そんな確信があった。手足のように思いのままに動くマシンを操り、全力で逃げる鈴鹿。だが、中泉はじわりじわりと並んでくる。
その時間は永遠のように長く、一方で過ぎ去るように一瞬だった。
やがて鈴鹿の顔の横に、ガラスを挟んで中泉の顔があった。そしてファイナルラップに進んだそのタイミングで。
――先に行くね。
鈴鹿の耳には、そんな声が聞こえた気がした。
そして中泉は、弾丸のように前へと飛んでいった。鈴鹿が必死に食らいついたところで、その背中を眺めることしかできない。だからこそその背中は、鈴鹿の目に強く焼き付けられた。
そして鈴鹿がコントロールラインを駆け抜けた時もまた、その視界には変わらず中泉の背中があったのだった。
その背中を、鈴鹿は引退のその時まで忘れることはなかった。