愛媛県今治市、来島海峡。
JRNの理事長、トシマはある団体へと協力を求めるためにこの地を訪れていた。
その団体の名はタイヨーアライズ、日本で――いや、世界でもっとも強いと言われている海上ノリモン自警団体である。彼らは日本国籍の、日本企業の、そして日本の船主の船の安全を守るために世界中にネットワークを構築しているのだ。
その本部となる拠点が、ここ今治にある。
「ようこそお越しくださいました」
出迎えた者に案内され、トシマは応接室へと通された。
そこで待つように言われて10分ほど経った頃だろうか、ノックの音とともに1名のノリモンが入ってきた。
黄金のような黄土色のトップスに、太陽が如く鮮やかな黄かん色のスカートを履いた、やや痩せ気味で背が高いノリモン。トシマは彼女をよく知っていた。
「ご無沙汰しているよ、ゴールドフェリー号」
「こちらこそですわね、トシマ号」
「いや、こう呼んだ方がいいか? ルドルフ」
このゴールドフェリーがタイヨーアライズの現在の代表で、そして10年ほど前に彼女がJRNへと出向してきた際にトシマが直接教鞭をとった教え子なのだから。
ふたりは互いに微笑みながら握手を交わしてソファに腰掛けた。
「先生にそう呼ばれますと、懐かしい気持ちがしますわね」
「相変わらずお元気そうで何より。早速で悪いが、本題に入らせてもらいたい」
「えぇ、そうしましょう。たしか……」
ルドルフは机に備え付けられたモニターに目を通し、トシマから事前に送られていたメールを確認した。
「情報提供と、そして警戒のお願い……?」
「そうだ。地上での話ではあるが、昨年末に西国分寺で起きた事象は耳にしているだろう?」
「えぇ。……なるほど、わかりましたわ。それを引き起こした」
「話が早くて助かるよ。そのだな……」
トシマは一度部屋の中を見回した。その意図を察したルドルフは静かに頷いて、机越しに顔をぐっとトシマの方に寄せる。
トシマはルドルフの耳に口を近づけ、そして囁くように、しかしはっきりと告げた。
「スタァインザラブという者が率いるシエロエステヤードという団体だ」
「特に注目すべき団体のリストにはありませんわね」
体勢を戻して、ルドルフはそう答える。
事実JRNとは違って、タイヨーアライズの活動においてシエロエステヤードと相見える事態は過去には片手で数えられる程度にしか発生してはいなかった。その程度であれば、他に団体としてより意識すべきものが無数にあるような数だ。もっとも、表立って活動していなかっただけで同席していたことは当然あったと考えられるが。
ともかく、タイヨーアライズには現時点では情報はあまりなさそうだと、トシマは感じた。
「どのような団体ですの?」
「彼女らは力により現在の秩序を変更しようとしている。それが為されれば……」
「為されれば?」
ルドルフはゴクリと息を呑み、トシマの顔を見つめた。トシマはその視線を受けて、ゆっくりと口を開いた。
「何が起こるか、分からない」
「……とは?」
「本当に分からない。1つ確かなのは、私達ノリモンは今までのままでは決していられなくなり、その変化を受け入れざるを得なくなる。それだけだ」
頭を垂れてそうトシマは打ち明ける。
応接室を沈黙が駆け抜けた。ルドルフの目の前にあるのは、彼女の尊敬していた凛々しい恩師の姿ではなく、生まれたての子鹿のように未知の恐怖に怯える姿だった。
――今ならば、先生を。
ルドルフの脳裏に、少しだけ邪な考えが過った。
「協力は、いたしかねます。それでは積極的な調査は出来ません。……まぁ、消極的……たとえば、偶発的に遭遇した場合にお伝えする、といった形であればお力には添えるかと」
「それで構わない。今は少しでも多くの目が必要なのだ」
「……ですが、1つだけ条件があります」
トシマは首を上げ、ルドルフの目を見た。そこにあったのはかつて見た成ったばかりで右も左も分からぬノリモンの顔ではなく、タイヨーアライズの代表として成長したかつての教え子の顔だった。
「条件、とは」
「その前にお伺いしても宜しいでしょうか。JRNは、いつまで貴女を理事長なんかにしておくおつもりで?」
トシマには、その質問の意図が分からなかった。彼女自身では流石に今のポジションに長く居座り続けるのも如何なものだろうかとは感じ、後継の育成にも努めていたが、ルドルフの問いは明らかに彼女を責めているものではない。
そう少し困惑しているトシマに、ルドルフは言葉を付加する。
「貴女ほど優秀な方ならば、今の私のように調整や決断といった重荷のある仕事ではなく、もっと現場に出て解決に直接携わった方がよろしいのではなくて? それこそ、我々タイヨーアライズの先輩方のように」
トシマの頭には、かつての同僚であり、今はタイヨーアライズにて世界中を駆け回り活動している親友であるソウマの顔が朧げに浮かび上がった。たしかにそれも、1つの目標となる姿だろう。だが。
「まだ私には、すべきことが残っている。理事長としてのな。それを投げ出す訳にはいかない」
「それは貴女を理事長に縛り付けるためのホーサーではなくって?」
トシマの言葉が詰まる。キラリと、ルドルフの目が光った。
「まぁ、お伺いしたいのはそれだけです。閑話休題としましょう。JRNからの当該団体へのワッチの話、それをお受けする条件として、1つの条件。それは……」
立ち上がりトシマの隣へと回り込んでから、小声で彼女の耳もとで囁くルドルフ。
ゆらゆらと、ポンツーンのようにトシマの瞳が揺れた。
「……持ち帰らせていただきたい」
「今すぐに、とは言いませんわ。ですが、積極的なお返事はいつでもお待ちしております。その後で、かの団体についてわかったことがありましたらJRNへと直ちにお伝えしましょう」
ルドルフはそう微笑みながら、未だに揺れ動くトシマを置いて応接室を出たのであった。