「お疲れ。俺がいない間にもまた一段といい走りができるようになってるじゃねぇか」
高尾山口でポーラーエクリプスを関係者として待っていたのは、超次元に消えていた成岩富貴であった。
「富貴!? どうして。いつ帰って……」
「大事なレースだってブライトに聞いてさ、じゃあ黙っとこうかって」
「おかえり!」
ポラリスは成岩に飛びついた。そんな彼女を成岩はタオルで受け止めて、そして優しく包み込んだ。タオルに隠れる形で、彼女の目からは溢れるものがあった。
そのまま控室に通されると、ようやく成岩はポラリスのタオルを取った。そして椅子に座らせると、自分は扉の横の壁に寄りかかる。
ポラリスはじっと、そんな成岩の顔を見ていた。
「富貴、帰ってきたんだね。本当に」
「あぁ。ただいま」
そう成岩は呼びかけた。しかしポラリスは、少しうつむいた。
「……どうした?」
「ねぇ富貴。真也も帰ってくる、よね?」
成岩の帰還。それはポラリスの願いを現実に近づける出来事でもあった。だがしかし、それ故にそれが果たされないという恐れすらも近づけてしまったのだ。
成岩は静かにしゃがんで、ポラリスに目線を合わせた。そして俯く彼女の肩に手を置いた。
「帰ってくる。いや、俺達が探し出して連れて帰る。その為に俺が異次元で手に入れた力を使うんだ」
一瞬、成岩は視線をそらした。ポラリスはその両目に注目して不安を見た。それは彼女も同じだった。そして切望とそれに声を震わせた。
「異次元で……」
震える視線を、成岩は戻した。すると入れ代わりに今度はポラリスが視線をそらす。
「ねぇ。帰ってきた富貴は富貴だよね。じゃあ、帰ってきた真也も真也なのかな」
超次元を経て、山根真也とポラリスは定期的に交信していた。それが山根とJRNを結ぶ唯一の経路だった。だが。
「真也と話をしてて、こう思っちゃったんだ。真也が真也じゃなくなっちゃうって」
山根が超次元で過ごすうちに、その在り方が変わっている。交信の中で、彼の感覚や雰囲気が少しずつ変わっているようにポラリスは感じ取っていた。
「……それはコダマ号には?」
「言ったよ。でも『お年頃の人間とはそういうものですわ』って」
あまり似ていない声真似で伝えるポラリス。そのおかしさに成岩はぷっと吹き出しそうになったが、いつになく真剣な彼女の顔を見てそれをぐっとこらえた。そして言い聞かせるような穏やかな語り口で話しかけたのだった。
「そうだな。俺達はそういうものだ。それにポラリス、お前だってそうだ」
「そうかな?」
「そうだ。帰ってきてお前を見て驚いたさ。明らかに雰囲気とか変わってたからな。ベーテクが会ったらもっと驚くんじゃないか?」
成岩はワシワシとポラリスの頭を撫でる。しかし彼女の表情は晴れないままだ。
「なーんにも、変わってないよ、ポラリスは。だけど真也は変わってるんだ」
「んなことねぇよ。ロイヤから聞いたぞ? 今日のレースの作戦だとかも独りでぜんぶお前が考えてたんだってな。それで勝てたんだから」
すると急にポラリスは癇癪を起こしたように反発して、そして力強く成岩の目を睨みつけた。その目力の強さに、成岩はさらに彼女の成長を感じ取った。
「それでも! ブライトみたいな作戦は作れなかった。
そこからさらにポラリスは言葉を続けようとした。だが成岩の言葉がそれを遮った。
「そりゃそうだ。お前はブライトじゃない。スーパーブライト号にある経験が、お前にはない。だが経験なんてこれから積んでいけばいいんだ。お前はそうすれば強くなれる。ブライトだってそれを認めてくれると思うぞ」
そう微笑んで、ぷくっと頬を膨らませて不満げなポラリスの頭に手を置く成岩。彼女は強く抵抗することはなくその手が乗るのを受け入れた。
ポラリスはじいっと、成岩の目を見つめていた。彼女にとって成岩はイノベイテックの次に馴染みが深い者で、そして最も長い時間を共にしたトレイナーだ。相性が悪くトレイニングはできなくとも、彼女は彼を信頼しているのである。
「それに、今日のレースでお前を見てたのはブライトだけじゃねぇよ。お前がこの冬そば杯を制したという事実は何万人もの観客が見てたんだ。ここで観戦していた、そして中継を見ていた、な。そいつらや協会にとってお前が納得いこうがいくまいがお前は勝者なんだよ。つまりなんだ、ポラリス、お前の走りはお前が思う以上に認められてる、強かったってな」
成岩は時計を見た。表彰式の時間は刻一刻と近づいていた。そろそろポラリスを仕上げるべきだと判断して、そして立ち上がってそのまま彼女を持ち上げた。
「ちょ、ちょっと富貴!?」
懐かしい感覚が、ポラリスの中によみがえっていた。スーパーブライトはポラリスを対等なチームメイトとして見ていたがゆえ彼女をそのように扱うことはなかったし、ナマラシロイヤは感情を出すのがあまり得意ではなく機械的だった――そもそも機械ではあるが。それに対して、彼女がまるで親戚の妹であるかのように接してくる成岩は、ポラリスにとって貴重な存在の1人だったのだ。
それを思い出したのか、ポラリスの表情は自然と少しだけ解れていた。
「それでいい。やっぱりお前は自然に笑っている姿が一番似合う」
「……あ」
ポラリスがこうして笑えたのは、いつぶりだろうか? 少なくともこの1月半、彼女がこのような笑顔を浮かべたことがあっただろうか?
セゾンスーパースプリントで優勝したとき、ポラリスは満たされなかった。だが今は満たされている。
ポラリスを下ろしたとき、成岩が彼女の雰囲気に再会した時から感じ続けていた違和感はいつの間にやら薄らいでいた。
「ほら、そろそろ時間だぞ」
「うん! 行ってくる!」
そして扉を勢いよく開けて廊下へと出ていくポラリスを、ホッとした様子で見送ったのだった。