シャドウイメージは悩んでいた。
計算上、シエロエステヤードが帰るために必要な超次元の褶曲。それは計測された彼の力とトウマの力とを合わせれば確実に発生させられるものだった。あとはその大きな力同士をどのようにぶつけていくか、そこの検討がつけば問題は解決してしまう。
だが、ここにきてシャイの中には、本当にシエロを帰してしまっていいのかという邪な思いが浮かび上がってきていた。それはシエロの召還が現実的なものになったからこそ生まれた思いだった。
「あれだけの力を生み出せる人を他に見つけなければ、シエロエステヤード君が去ったら……」
学園の南エリアへと繋がる、東八道路にかかる陸橋の欄干によりかかりながら、朝の通勤時間帯の道路の往来を眺めるシャイ。来る者があれば往く者がある。それは自然なことだった。彼の下を通り抜ける車のように。だけれど。
そのとき、大きな音がした。シャイがそちらに視線を向ければ、ハイブリッド自家用車が1台と、まるで観光バスのように荷台と運転台が一体になっている大きな貨物自動車が衝突事故を起こしていた。
ため息をつきながら、警察に通報するシャイ。その下では、事故車両に阻まれて流出することができなくなった車列が滞留している。
どす黒い邪な考えが、シャイの腹の奥底に、それはぎらつく油のように注がれる。こびりついたそれは、もはや振り払おうとしても簡単には落ちないぎらつく油汚れだ。
「この計算結果を知っているのは、まだ私だけだ。これを伝えなければ、いくらあの2人が手を組もうが超次元への褶曲は起こり得ない。だが……」
それは果たして、正しい行いだろうか。シャイはそうは思わなかった。むしろ倫理的には決して正しくない、自らの欲に塗れた誤った行いであると……それは、彼女本人が一番よくわかっていた。
遠くで、サイレンの音が響いている。事故処理に駆けつけた警察のものだろうと、シャイは思った。事実そうだ。だが彼にはには、その邪な考えを振り切れと言っているかのようにも聞こえた。
「……戻るか」
ボソリと呟いて、シャイは北へと戻ろうとした。そのために顔を回したとき、彼は彼の後ろにその紫色の女がいることに初めて気がついたのだ。
「……なんだい、じっと見てて。私に何か用でも?」
あぁ、成績に関する苦情は受け付けないよ。そうシャイは言おうとした。だが、言えなかった。いや、言わなかったのだ。言う必要が無いと分かったから。
その姿の持ち主が誰であるかは、学のあるものならばすぐにわかることだ。いや、無くともこの威圧感を放つ存在が少なくとも只者ではないことは判別できるだろう。
それほどまでに、格の違う存在だった。
シャイの背中に、冷や汗が走った。なぜそれがここに居るのか、彼女には理解できなかった。
「はじめまして、かな? シャドウイメージさん」
そう呼びかけて、Cyclopedは微笑んだ。
「はじめましてだと思うのなら、名乗ったらどうだ?」
「必要ないでしょ? 君はわたしを知っている」
「人違いかもしれないじゃないか」
平然を装って対応するシャイであったが、内心に余裕はなかった。
「そうだね……わたしのことはロペって呼んで」
「それは愛称か何かだな? まあいいよ。それでロペ、あなたは私に何の用で」
ロペは帽子をの前のつばをくいっと上げた。2人の目線を遮るものはなくなった。紫色の瞳が、シャイを捉えた。
「君の願いを叶えに、かな」
「……ならばお引取り願いたいが」
「
ロペの帽子の中で、何かがモゾモゾと動いて帽子を揺らす。シャイにかかる威圧感がさらに強くなった。
「君は彼を……山根真也を帰したくないと思ってるんだよね」
「……そんな幼名は知らないね」
「へぇ。彼もこの次元のルールに従ったんだ」
シャイはロペの『彼』が指す者が誰なのかを直ぐに理解した。理解した上でとぼけてみせた。それは一時的な関係であるとはいえ、教師と生徒という関係を壊してしまうものだったから。
「じゃあ言い方を変えるね。君はわたしがここに連れてこさせた青年を知っている。超次元の水先人に」
「……さぁな。あいにくホームルームは持ってないんだ、生徒個人の家庭事情なんて覚えてないさ」
「そうだよね、生徒になったからこの次元のルールに従う必要があったんだよね」
ロペは満面の笑みを浮かべていた。シャイはしまった、と思った。
そしてその答えは、シャイの間違いであってほしいとの願いを完全に否定するものでもあった。
「わたしは君のその願いを叶えることができる」
「断るね、そんな陰謀には私は乗らない。あなたが彼を引き止めたいのなら、直接彼に話をするべきだ」
「どうして? 君はそう望んでいる」
「あなたには分からないだろうが、教育者には教育者の論理と倫理がある。私はそれに反することはできない」
いくらロペが威圧感をかけようと、口では毅然とした態度を貫くシャイ。その足はすくみ動けなくなっているが、それこそが余計にその手を取ることができない理由となっていた。
その信念が心の灯火となって、ぎらつく油汚れを焼き尽くした。
「それは……素敵な心がけだね。そうだね、君の手は借りないよ」
意外にも、ロペはあっさりと引き下がった。シャイは内心ホッとする一方で、ロペが別のターゲットに同じことをするだろうとの憶測が新たな懸念材料となった。
「私だけではない。学園の誰しもその陰謀には乗らないよ」
「うんうん、わかったよ。でも、これだけは忠告しておくよ」
コツンコツンと、ロペの鉄の靴が陸橋を叩く音が近づいてくる。シャイの足は動かなかった。
「今日から45日。それよりも前に彼をこの次元の外に出しちゃいけない。それは決して彼のためにならないし、そうしたら彼は間違いなく不幸になる」
シャイの耳元でロペはそう囁くと、徐ろに