1レ前:無茶
東京都町田市野津田町、町田市立野津田公園。
北澤百合は、彼女の地元たるこの地で修練に励んでいた。
「休みなよ、百合」
攻撃の手を止めて、マチッコはそう北澤を気遣う。事実北澤の足はプルプルと震えており、既にその運動能力の限界の訪れがすぐそこにあることは疑いようもなかった。
だが。北澤はそれを指摘されてもなお、ウェポンをマチッコに向け、継続の意志を見せている。
北澤の中には焦りがあった。あの日超次元の先に消えた同僚が――彼女の恩師たる早乙女遊馬やスクール時代からの同期である山根真也に名松一志などが五体満足である可能性は日に日に減っていくのだ。にも関わらず、いくらどこでもないゾーンを彷徨おうとも彼らの手がかりは何一つとして得ることができていないのだから。
いや、もう既に助からないかもしれない。そんな不安すら、何度彼女の頭をよぎったことだろうか。何度超次元へと探訪してなお、一度たりとも別の次元に辿り着けていない現状が、北澤の希望を奪っていった。そして超次元の穴が閉ざされたあの日、全ての希望は失われてしまったかのようにも思えた。
だが、しかし。
超次元の彼方へと消えたはずの成岩富貴が戻ってきた。そして彼により再びどこでもないゾーンへの、超次元へのアクセスの術が得られたのだ。それはいつまで続くのかはわからないが、それでもJRNに再び希望を抱かせるのには十分すぎるものだった。
「走れないトレイナーには、決してターンは回ってくることはありません。まだ、休むわけにはいきませんのよ」
そう言って、北澤は走り出した。彼女は、自分達がいくらどこでもないゾーンを彷徨おうとも他の次元にすら辿り着けていないのは、自分達の――とりわけまだ新人たる自分自身と、そして綾部綾の実力が不足しているからであると考えている。綾部は巫山戯た人間ではあるが、本当に大切なことに関しては人知れず努力を重ねていることは、スクール時代の学級委員長の経験から知っていた。ならば、自分も彼に負けるわけには行くまいと、足を引っ張るわけにはいくまいと自らの体を苛めているのである。
それこそ、やりすぎるほどに。
「頑張り過ぎだって! 百合はトレイナーだけど、そもそも人間なんだよ?」
「いいから、続けなさいませ!」
「……《安全鉄則 先ず止まれ》」
しぶしぶといった形で、マチッコは北澤の動きを止めた。
マチッコの目にも、北澤がオーバーワークを自らに課しているのは明らかだった。そもそもマチッコ自身、地元のサッカーチームのスタッフとしてその練習を支える立場にあり、そこのプレイヤー達が人間の肉体の限界を攻めている姿を見ている。そこで養われた目は確かだ。
「っ! まだ……まだまだぁっ!!」
北澤はその技に抵抗し、動かんともがいている。そんな彼女へ、心配混じりの目をマチッコは向けた。
「姑息な手はおやめなさいまし! この技が何もできないことは私だって理解していますわ」
「そうだね。《安全鉄則 先ず止まれ》に囚われたら何もできないよ。ボクも百合も。
「ならどうして」
「もー! これじゃボクがトレイナーみたいじゃーん!」
マチッコは、北澤に無理をしてほしくない。それが彼女のためにならないのは明らかなのだから。勿論彼女に退っ引きならない事情があることは――それを彼女から打ち明けることはなかったが――知っていた。だからこそ、マチッコは。
「百合。ボクはね、卑怯だよ。だから姑息な手を使ったんだ」
「それはどうい……」
「待たせたなマッチー! そして委員長、頭を冷やせ、《ビジネスエコー》!」
隣の森から、空気の波が北澤を襲った。彼女はそれにすぐに気がついたが、それを回避することはマチッコの技により封じられていた。そして衝撃は彼女のシールドを直撃する。
「どうして……どうしてあなたがここにいるのよ!?」
――綾部君!
そう叫びながら、北澤は波の来た方を見ようとした。しかしその必要はなかった。彼女を攻撃した彼――綾部綾は、彼女の視界の中へと自ら飛びこんできたのだから。
そして綾部はマチッコの隣に着地すると、その横に立って北澤を見た。
「
「そういうことだぜ、委員長。早乙女さんや山根に会いたいのは分かるが、だいぶ無茶してるらしいじゃねぇか」
にやけながらそう言う綾部に、北澤はカチンときた。もともとオーバーワークで腱炎を発症して半年以上療養し、座学研修のみとなっていたのは綾部の方ではないか、と。
「あなたには言われたくないわね」
不機嫌な声色でそう返すと、綾部はニヤリと笑う。
「そうだろーな。
その言葉は逆に彼女に彼女自身の状況を客観視させることになった。自分が過去の綾部のようになったら? 彼のそれは平時だったからこそギリギリ笑い事で済まされたが、今のこの深刻なタイミングでそうなったら?
そんなの、
「……綾部君」
「なんだ?」
「ありがとう」
「んあ? お礼はココマ号に言うんだな。俺ちゃんは彼女からアンタが無茶してるって話を聞いただけだ」
意外な名前が綾部の口から出てきたものだから、北澤は少し驚いた。
ココマは――仲間を失った北澤たちのことをずっと気にかけてくれているノリモンだ。北澤の目にはそんな彼女のことは、少しだけお節介な方だなと映っていた。
そして、ココマは山根らが超次元の彼方へと飛ばされていたことを知っている。つまりは彼女には上層部からその情報を与えられる理由があるのだろう――そのこと自体が、北澤たちにとって彼女のお節介を信用して受け入れる材料にはなってはいた。
「ココマ号が、か」
「あぁ。俺ちゃんは直接言えばいいって思うんだが、どうも彼女は俺ちゃんが止めた方が効くって思ってたらしくてな」
「……効いたわね、実際。アンタなんかに心配されるだなんて」
「どういう意味だよ」
「胸に手を当ててかんがえたら?」
そう言って、北澤はクスリと笑った。
「でも、ありがとう。止めに来てくれて」
「そういうところは本当に真面目だよな。その言葉は受け取っとくぜ」
さて、ココマ号に報告に……。
そうJRNへと戻ろうとする綾部を、ちょっと待ってと北澤は引き止めた。
「……なんだよ」
「絶対に、見つけ出そうね」
「当ったり前だろーが。そのために俺ちゃんはウルサに入ったんだ」
そう改めて確認して、綾部は似合いもしないような爽やかな笑みを見せた。
「……あんたにその笑顔は似合わないわね」
「は? なんだよそれ」
「そのまんまの意味よ」
そんな2人の様子を、少し離れた所からみている者がいた。
「なんかいい感じだからボクはここで失礼しよ。じゃ!」
マチッコだ。
そして2人に背を向けて、彼女は走り出したのだった。