「責任、とは」
桃色の眼を光らせながら、ベーテクさんは僕の肩を掴む。
「なぁに、かんたんな事だよ。ポラリスに正しい走り方ってのを教えてやってほしいってだけの話さ」
「それはノリモンの方が適任なのでは?」
「いいや、君に頼みたい理由が3つあるんだよ」
ベーテクさんはもう片方の手を僕の前へと出すと、まず人差し指を立てた。
「まずは1つ。走り方と言っても、正確に言えば大地を蹴って進む走り方を教えてほしいのだという点。これはノリモンより人間の方がはるかに優れている」
「そうなんですか?」
「ノリモンが意識を持つのは車両でいる間だからねぇ、最初からその形だった人間には到底かないっこないよ」
そうなのか……?
でも人間だってだいたいの形は似ているとはいえ、そのサイズや強度は成長によってぐんぐんと変わっていく。その分、成った時点で姿が固定されるノリモンの方が、逆に同じ体との付き合いは長くなりそうなものだけど……。
そんなことを考えていると、目の前にある人差し指の隣に中指が立つ。
「次に2つ目。それは君が安定を望むロケットのトレイナーだということ」
「それこそ走りそのものに重きを置くノーヴルの方が適任なのでは……?」
「ノーヴルの走り方は確かに研究の末先進的ではあるけれど、初学者には毒だよ、うん、毒。それにこの前、君に試験線を走ってもらったね? その時の加速度センサのデータを見ると、君の走行フォームは明らかに同じ速度での僕達より安定していたし、速度も悪くはないんだよ」
「それは僕のキールがクシーさんだからってだけですよ、僕の力じゃない」
走行フォームがきれいなのは、クシーさんにそう指導されたからだ。『美しいものは、速い』。研修が始まってすぐは、彼女はそう言って僕のフォームの改善だけやっていた。
そして速度が高いのも、これはクシーさんが高速鉄道車両のノリモンだからに他ならない。いくらノリモンの最高速度が理論的にはもとの車のそれには依らないとはいえ、すでにノリモンになっているような古い車の持つ電動機には定格回転数というものがあって、一定以上の回転数を出そうとするとそれだけで性能が落ちる。体が軽い分、だいたいのノリモンやトレイナーは車軸に繋がる歯車比をいじって高速よりに設定をするのだけれど、どうしてももともと高速回転ができる車だったノリモンの方にアドバンテージが残る。
「クシー号の指導があったとはいえ、君の走行が安定しているのは事実だろう?」
「でも、遅いですよ? 前に計った時は僕自身の脚の出力だけでは5kmを走るのに5分19秒1もかかっていますし」
スクールの1年次末での評定に使うためのレースでの記録だから、もう3年も前の話だけど。ただその時の同期の中には4分半に迫るやべーやつがいたのもまた事実。まぁその人今のユニットメンバーの北澤さんなんだけど。
それを伝えると、ベーテクさんは目を瞑って頭を左右に揺らした。
「分かってないね。スピードなんてのは、後からでもどうとでもなるんだよ。今のポラリスに必要なのは基礎だ。その基礎を突き詰めているのは、君達ロケットじゃないか」
「僕はロケットで研究してた訳じゃないですが」
「それでも、君の走りは安定しているのは事実だよ。それは認めるね?」
「データがあるならそうなんでしょうが、きちんと教えられるとは限りませんよ? 僕は他人に何かを教育するという経験は無いですから」
「それでも構わないさ。それは3つ目の理由が、ポラリスが君に懐いているからだね」
ベーテクさんはそう言いながら、追加で薬指を立てた。
……懐いている? ポラリスが、僕に?
「ありえないですよ。だいたい僕がポラリスとまともに話をしたのは、昨日が初めてですよ?」
「初めてでも、2時間もぶっ通しで話してたらしいじゃないか。懐くには十分だよ」
「チョロすぎやしませんか」
ベーテクさん、あなた一応ポラリスの保護者みたいなものですよね? もう少し心配すべきなのでは?
「あのねぇ、彼女は君が思う以上に君のことを見ていたよ。君が資料を探し出している間も、僕の実験に付き合ってセンサをつけて走っている時もね」
「そうなんです?」
「君が来てる日は毎晩僕に君のことを尋ねてきたぞ? 正直嫉妬するくらいにね」
えっ何それは。昨日もなんかこの子怖いって思わさせられてたけど、追加の情報が余計に怖い。
「……辞退していいですかね?」
「首を縦に振るまで逃さないよ」
「世間体がそれは許さないと思いますが?」
「そんなものを気にしてたら、僕は今でもスピードを捨てた大地に囚われていただろうねぇ。それに、僕はポラリスが幸せなら正直他はどうでもいいんだよ」
うわ、言い切っちゃったよこのノリモン。今までに聞いたベーテクさんの発言の中で、間違いなく最低の発言だ。倫理観というものは存在しないのか?
「と、言いたいところだけど、今日はここまで。早乙女さんとの約束がある」
「そこは律儀なんですね」
「約束したからね。ルールと約束は守るものだろう?」
何を当たり前のことを? とでも言いたげな表情で、ベーテクさんは僕を見て、肩から手を外した。訂正しよう、倫理観は最低限だけはあるらしい。
「ほら、早く戻らないと約束の時間に間に合わなくなるぞ?」
「怒られるのはあなたですよね」
「今、送り出そうとしているところをライブで早乙女さんに流すことだってできるよ?」
ベーテクさんはそう言いながらラボの扉を開ける。
……なんか、調子狂うなぁ。早乙女さんやユニットメンバーにも迷惑をかけるわけにもいかないので、僕はそんなもやもやを抱えながらも部室へと戻ることにした。