ベーテクさんが僕を呼びに来たのは、もう9時を回ってからのことだった。
誘われて中に入ってみれば、机の配置がダイナミックに変化しているし、ポラリスは椅子に縛りつけられている。何したんだこの子……。
「あ、酷いよ真也! ポラリスのものなのに、勝手に逃げるなんて」
「おいポラリス、いまの自分の立場分かってんのか?」
拘束されているのにその上から成岩さんとアドパスさんがふたりがかりで押さえつけて、彼女の口をタオルで封じた。元気な子だこと。あと僕は僕だけのものであってポラリスのものじゃない。
というか、ベーテクさんだけじゃなくて成岩さんもアドパスさんも肩で息してるんだけどどれだけ暴れていたのさ……。
「ポラリス。いい加減にしろよ?」
「どうしちゃったんデースか?」
訂正。だいぶ暴れていたらしい。反応がすごい。
しかもアドパスさんの反応見る限りじゃ明らかに今までは見られなかった傾向っぽい。
これ、アレかなぁ……。
「ベーテクさん。1つ確認していいですか」
「ポラリスの事なら何でも答えるよ、流石にね」
「じゃあ単刀直入に聞きます。ポラリスって、車だったときにどれくらいの期間営業してました?」
「……ほう? なしてそれが気になるんだい?」
ベーテクさんの目が妖しく光る。
かなりセンシティブな情報かもしれないけれど、佐倉さんから聞いた事を考えると聞かなきゃ判断ができない。
「サイクロの知人に聞いたんです。今まで人や他の車との関わり合いが乏しくて、他者に影響を与えられていないノリモンは、特に自分が影響を与えやすい特定の対象に執着心を示すことがあると」
佐倉さんの言っていたことを、僕なりに解釈した結果がこれだ。彼女はポラリスが恐らく旅客車であるということからこの説を棄却していたけれど、その根底となる理論には旅客車を除外すべき理由は無かった。
……正直できればこの例に当てはまっていて欲しいという願望もある。そうであれば対処方法は既にわかっているし、逆にそうじゃなかったらポラリスがただのやべーやつだということになってしまうからだ。
ベーテクさんを見る。彼は目を瞑って、頭を抱えている。そして少し間をおいてから口を開いた。
「そうだね、まず質問に答えると、まさに君の考えている通りだよ」
あぁ、よかった。過去は良くなかったのかもしれないけど、少なくとも現状に対しては良かったと言える。
ならば、解決できる。僕が『
「なら、僕はポラリスを元に戻す手段を聞いています。新人とはいえ、僕だってトレイナーなんです。これも一つの、トレイナーの仕事です。やらせて下さい」
早乙女さんには事後報告になるけど仕方がない。先週からわずか一週間でこんなことになるのだから、これはこのまま放置すると間違いなくさらにひどいことになるパターンだ。独断でやらせてもらう。
視線をベーテクさんから外してポラリスの方へと移すと、押さえの成岩さんと目があった。
「おい山根、何考えてる。トレイナーだったら……」
「この場では、僕にしかできないことです。ポラリスを
「まるで意味がわからんぞ? ベーテクも早まるな、山根はまだ新人もいいところだ」
成岩さんはベーテクさんをそう諭すけれど、その声はきっと届かないだろう。なんせこれは、僕とベーテクさんと、そしてポラリスとの間の話なのだから。
「山根くん」
「はい」
「やはり君にはポラリスのことをすべて話しておかなきゃいけないね」
この反応は、
それに気づいた成岩さんの顔が面白いことになっているけど、後でいろいろ話すから。
「……さて。ポラリス」
腰に下げたケースから2枚を取り出しながら、完全に拘束されているポラリスの前に立つ。
彼女は椅子をぐらぐらとさせながら、拘束から抜け出そうとしている。
「んー! ん!」
「ポラリス。これがなんだかわかる?」
ポラリスの目の前に、うち1枚を呈示すると、彼女は鼻息を荒げて体を揺らすなど激しい威嚇行動をとった。
この反応ならたぶんきちんと認識しているな。よしよし。
「なら、これが何かもわかるでしょ?」
呈示するものを入れ替えれば、ポラリスはピタリと体を揺するのをやめた。そして敵意に溢れた硬い目線はトロットロに解れて柔らかくなりながらもそれに吸い寄せられている。息は已然荒いままだけど。
「でもね、悪い子にはこれは使えない。ポラリス。3人にきちんとごめんなさいして、そして今日、今度の金曜、来週の月曜、この3回の実験中に僕を捕まえようとしたり、悪いことをしたりして僕やみんなを困らせなかったら、これを使ってもいい。いや、使うと約束したっていい」
ポラリスの目が揺れる。
……そろそろ、言葉にしてもらおうか。僕は一旦その2枚を机において、ポラリスの口を封じるタオルに手をかけた。
「ポラリス。君の答えを聞かせてよ。……ほら」
ポラリスはタオルを外しても、喋らずにずっと机の上のチッキを見ている。その未使用のチッキを持って虚空で縦横無尽に動かしても、口を半開きにしながら蕩けた目でそれを追いかけている。
……なんかポラリスの意識が完全にチッキだけに向いている気がするなぁ。話、聞こえてたのか怪しい気がしてきたぞ。とりあえず2枚ともチッキケースに戻そう。
そうして気付けにポラリスの前に猫騙しを入れれば、ようやくポラリスと僕の目が合った。
「ポラリス、君はどうしたい?」
「ぁ……」
「ここで僕と約束をして、トレイニングするか。それとも約束できずにこのままコダマさんに縛られたまま引き渡されて、最終的にサイクロに連れてかれてそういう現象を研究をしてる人たちのモルモットになるのと、どっちがいい? そうなっちゃったら、もう二度とベーテクさんや僕には会えないと思うけどね」
もちろん後者はハッタリだ。そもそもそんな人達がいるかどうかすら知らない。だけど、ポラリスは
一旦仕舞った空のチッキをもう一度取り出して選択を迫れば、再び彼女の目が蕩けて、そして彼女はかすれるような声を出した。
「……すゅ」
「聞こえないなぁ」
「真也とトレイニングする!」
「だ、か、ら?」
ここから先の、一歩踏み込んだ言質を取るのが、今僕がすべきことだ。
「約束、守る!」
「迷惑かけない?」
「うん!」
「ごめんなさい、できる?」
「できる!」
「よく言えました」
とりあえずこれで、一件落着、かな?
【TIPS:ノリモンの世代交代】
ノリモンそのものに寿命は存在せず、不老ではあるが不死ではない。
それゆえ、世代交代は当者が望むか、クィムガンに堕ちる、あるいは不慮の事故などにより見納めとなる形で行われる。
また、ノリモンは自らの痕跡を、模倣子の伝播によって次世代へと遺す。それゆえ、かれらにとって存命中に模倣子を他者へと伝播させることは、生物が自らの遺伝子を次の世代へと遺す行為と同値である。特に他者のメンタルモデルの中へと入りこみ、その地位を確立するさまを認知するのは筆舌に尽くしがたい快感を発生させるらしい。