7号館地下の広い演習スペースの一角を借りて、成岩さんが僕達4名と測定用の機材を囲んでラッチを張った。
ポラリスの鎮静化に時間を取られてしまったので、もとの予定から1時間弱ほど遅くなってしまったものの、ベーテクさんの提唱した新しい実験がはじまる。多分終わりも伸びるだろうけど仕方がないね。
「中から見るとこんな感じだっけか」
「初めてなのかい?」
「ここのところは外から張ったりや入ったりすることばかりだったんですよ」
自分ひとりで体動かす時や、クシーさんとの研修の頃は僕が張る側だった。そして演習だと入場そのものも演習の一環に含まれるので既に張ってあるラッチに入るパターンが多い。
だから誰かに最初からラッチに入れてもらうのは、そもそもラッチをあまり上手く貼れていなかった頃や、トレイニングができなかった頃以来な気がする。
しかしまぁ、こう改めてラッチが張られるさまを内側から見てみると、なんとも謎な技術である。もともとよ張る時のラチ外での範囲と同じだけの広さのコア部の外側に、拡張されたエキステーションと呼ばれるだだっ広い空間が広がるのだから。
まぁ、それを言い出したらわりとキリがないんだけど。そもそもどうしてトレイニングするだけでなんで髪の色や服が変わるんだか。
「山根くん、君もそろそろ走る準備をしなさいよ」
「すぐやります」
そういえば時間が押してるんだった。
ここのところもういい加減慣れてきた手つきでトレイニングをして、声のした方を振り返れば、ベーテクさんとアドパスさんのふたりはふだんラボで見る姿から少し変化している。
ベーテクさんは煙管服が白に変わり、逆にその上の白衣が前の開いた紺色のベストに変わっている。アドパスさんは白黒のワンピースの色の境目に赤のアクセントが差さっているほか、スカート部も赤色のチェック柄のものに変わっている。
ポラリスは……ラボでのとあんま変わっていないな。そう思ってベーテクさんに聞いてみれば、ブランクが長いので今日は彼女は走らずに観察に徹するから姿を変えていないだけとのことだった。
そしてエキステーションの果てから、前を開けた白衣を多靡かせて成岩さんが走ってきた。こうやって見るとカラーリングこそ同じだけどベーテクさんは紺が外側、成岩さんは内側で意匠がまるで逆なんだな……。
「すまん、できる限りで半径拡げて張ってみたら拡げすぎた」
「……一番外側は?」
「2400」
……は? エキステーションってそんな拡がるの……? そのrだと一周15kmくらいない?
僕がふだん出すときはもっと小さいし、今まで拡げたのでもその3分の1くらいしか使ったことがない。それでもJRNの敷地よりは広いけど。理由は単純で、そんなに広くしちゃうと入場してからコアまでたどり着くのに時間がかかってしまうし、何よりそんなに広い空間を有効活用することができないからやる意味がない。
「半分で十分でしょうよ、乗り心地*1じゃないんだから」
ベーテクさんはあきれたようにそう言う。
実際に車を走らせるならともかく、ノリモンやトレイナーが走る分には1200でも十二分に大きなカーブだ。せいぜい800程度もあれば今の僕の出せる最高速度なら特に姿勢とかを意識しなくても、線路を踏み外しさえしなければ余裕で曲がりきることができる。僕より速度が高いであろうノーヴルの各位でも、流石に1200を普通に走って脱線するレベルの速度までとなると出せる者はほとんどいないんじゃないかなぁ。2400ともなればもはや論外だ。地に足つけて出す速度じゃない。
だけど、それはラチ外での話。ラチ内のレールには、速度を出すにあたって致命的な問題が1つある。
「ラチ内はカント*2ついてねーんだよ、同じ速度でも5度ある線路と比較すっと倍以上半径は要る」
「あれ、そうだったっけか」
そう、ラチ内はどこまでも平坦だった。そもそもラチ内のレールは、どちらかといえば普通の線路よりも、踏切だとか、あるいは路面電車の走る併用軌道だとかのほうが近いのだ。
「でも、今回はそこまで高速で走る必要はないんだよね。全員真ん中らへんを2から3周回くらい走って、今のフォームを撮影するだけだよ」
ベーテクさんは全員に双眼鏡を渡しながらそう言った。
順序はまずは言いだしっぺのベーテクさんから。次に成岩さんと僕のトレイナー2人、そして最後にアドパスさん。
ベーテクさんが走る姿は実験で何度か見たことはあるけど、アドパスさんはそうではないので個人的には一番気になっている。もちろん、他のふたりの走り方にも新たな発見はあるとは思うので、きちんと見るし考察もするけど。
第一走者のベーテクさんが走り出した。セオリー通りの前傾姿勢だけど、特筆すべきは足の運びだ。よく見ると、左右の足の動きが少し違って、右足の方が左足と比べて接地時に膝が伸びている。左回りに走っているのだから当たり前じゃないかと言われればそう感じるかもしれないけど、曲線半径を考えると左右の差が1パーミルに満たない大きなカーブでそれをする必要はあんまりないと思う。
となると、無意識下のクセか、あるいは何か意図してやっているのか。実験の意図から考えるとこの後確実にコメントを求められるだろうから、その時に聞いてみよう。
そうしてベーテクさんは3周まわると待機していた成岩さんの前に停まる。そして次の成岩さんが恐ろしい起動加速で走り出すと、ラッチコアへと戻ってきたベーテクさんと入れ替わりに僕が周回の線路の方へと向かって、走る準備を整えた。