アドパスさんの走り方は……何というか、異様だった。特筆すべきはなんと言ってもその足捌きで、接地する場所が腰の位置よりもだいぶ前だ。そしてその強大なストライドを以て、体を大きく左右に揺らしながら加速しているのだ。
このままアドパスさんの不思議な走りを見てみたい気もするけれど、1周走って戻ってくるより前に僕は撮影の邪魔にならないよう移動しなきゃいけない。彼女の走り自体はベーテクさんが録画してるはずなので後で見させてもうことにして、僕はまた主電動機を唸らせてラッチコアへと向かった。
戻っていつも通りにブレーキをかけて停まるや否や、僕の視界は急に暗転する。前が見えん。
まぁ顔に纏わりつく感触とかから何が起きたのかはなんとなく予想はできるけどね。今は僕もトレイニングしてるから対処できるんだぞってことで、顔にひっついているポラリスを引き剥がす。
「わかってるよね?」
「しっかり停まった後なら、邪魔じゃないでしょー?」
……まったく、この子は。でも一応この1時間で考える余裕はできてるのか。ここでそれを拒絶したら逆戻りが見えてるし、今回は不問にしておこう。
引っ
「次はないからね?」
「はーい」
とりあえずポラリスのことはおいておいて、撮影の邪魔にならないようしゃがみこんでからまわっているアドパスさんを探せば、ちょうど3分の2ほどまわったところにいた。スコープを覗いて確認すれば、相変わらず体を振り子のように大きく揺らしながら爆走している。なんの意味があるのかはわからないけど、あれだけ振れて転倒しないんだからものすごくバランス感覚はあるんだな……。
「いや、やっぱりあの走り方はおかしいでしょ」
「口に出てるぞ。気持ちは分からんでもないが、アレがアドパスの加速だ」
「えぇ……」
なんでそれで加速できるんですかね? かの男子陸上短距離の王者もたいがい体が左右に揺れてはいるけど、それは彼の背骨に生まれつきの持病があるからで、本来は体重移動なんかにエネルギーを使うのは好ましくないはずでは?
これはあれか、考えるだけ無駄って奴なのか……?
「わけがわからないよ……」
「あんまり深く考えない方がいいぞ。ノリモンにゃ超次元の力が働いてるって言われてっから」
「それでも三次元の物理法則も当然働きますよね?」
「そりゃ働くに決まってる。でも超次元からそれを打ち消す外力を生み出せるんだよ」
トレイニングしたりするだけでどこからともなくパーツとか出てくるし、確かにそうなんだろうな。
……だとしたらこの実験なんの意味があるんだろう? 三次元のデータしか取ってないように見えるけど。当然三次元の影響がない訳はないはわかるけれど、それを超越する超次元のがあったらわざわざ測る意味はなに……?
「……ねく……」
わからん。頭の中を疑問符が埋め尽くす。
そもそも、僕はこの超次元の力だって感覚で使えてしまっているけど、そのメカニズムを完全に理解はできていない。そもそもおそらくヒトは思考することはできても認知はできないのだから解明だって厳しいんじゃないかな。
「山……く……」
それに、そもそもノリモンたちだってそこまで認知してやってるか怪しい。ただ単にこうすると力を引き出せるからそうしてるだけで、どうしてそうするとそうなるのかは理解していなさげだ。というのも、クシーさんからの研修の時の彼女の伝え方や、この超次元からというのを早乙女さんから聞いたときの彼の話しぶりからすれば、そっちのほうが蓋然的な気がするからだ。
「山根くん!」
物理的な衝撃と共に、僕の意識は思考の渦から抜け出した。
視界は完全に塞がっているのでポラリスを引き剥がすと、いつの間にやらラッチは開けられ、ベーテクさんたちが心配そうにこちらを見ていた。
「心配したよ、何度話しかけても、頬をつねったりしても、ポラリスを抱きつかせても反応がなかったからね」
「すみません……」
「今日は実験の、それも待機時間だから構わないのだけどね。現場で同じことをしたら、大変なことになるんじゃないかい?」
「待機時間で考え事をする余裕ができたからこうなってしまったんです、現場じゃ流石にしませんよ」
「そうかい。なら午後にその考え事の内容を聞かせておくれよ? あの場で考えてるということは、実験に関係のある事だろうからねぇ」
どうも撮影データとか測定データとかをラボのサーバに転送するために昼休みを前倒ししていたらしい。あたりを見回せば、確かに機材は片付けられているし、アドパスさんと成岩さんの姿も見当たらない。
……ってことは、休み時間に突入してるのにベーテクさんは僕の対応をしてくれていたってことか? なんだか申し訳ない事をしちゃったなあ。
そう伝えると、彼はポラリスの幸せそうな顔を見られたので別に大丈夫だと答えた。
検査用の手鏡を開いて、いつの間にか後ろからひっついて僕の頭の上に顔を乗せているポラリスを見る、……めっちゃいい笑顔してるなこの子。
「そういう訳だから、12時半までにはラボに戻ってきなさいよ」
「わかりました。 ……ポラリス、そういうわけだからそろそろ降りてくれない?」
「えー」
結局、昼休み中ずっとポラリスの面倒を見ることになった。