「すまん。莫迦野郎を引っ張り出してくるのに時間がかかった」
成岩さんがべーテクさんを背負って出勤してくるまで、意外にもさほど時間はかからなかった。
成岩さんが背中で寝ているべーテクさんを床に放り投げると、アドパスさんがそのべーテクさんの口に焦げ茶色で粘性の高い謎の物体を放り込む。何故か非常に慣れている手付きだ。
「何を口に入れたんですか」
「マーマ「ウトマセップ」……あ、おはようございマース」
謎の声と共にべーテクさんが文字通り起床した。
「うぅ、口の中が苦いよぉ」
「寝ぼけてるのが悪い。ポラリス、鍵ありがとな」
「はいはーい」
「おかげで目は覚めたけどねぇ、元はと言えば君が遅くまでボイチャ繋げて来るのが悪いんだぞぉ!」
「いや3時前には終わらせたよな?」
うん、3時って。流石にこれは成岩さんが悪い。逆になんで成岩さんはこう朝から元気なんだ……。
「そもそもだな、べーテクが唐突にクソ影響でかいことをムグッ」
「喧嘩は、そこまでデス」
「ムゴ、ムゴギガガガギゴ」
アドパスさんは大さじ一杯の焦げ茶色の物体を成岩さんの口に放り込みながら、喧嘩を仲裁……仲裁なのかこれ? とりあえず、中断はさせた。
やっぱりいちばん怒らせちゃいけないの、アドパスさんなんじゃないかなぁ。
「昨晩の続きは昼にしようか」
「……そうだな」
そしてようやく、今日の活動が始まったのだった。
午前中は座学で、ポラリスやべーテクさんのような特殊な駆動形態の構造の研修からだった。午前いっぱいで座学研修を詰めてから、午後はそれを踏まえて実際にトレイニングして走る時間という予定らしい。
ポラリス達もクシーさんと同じように、走り出す時には電気モーターを用いる。だけど、その動きは面白いほどに逆転している。
先にクシーさんの駆動周りの仕様を言えば、まずバッテリーユニット――こんな名前がついているけれど、これは物理的な電池ではない――から単相交流の電気が流れ、それを変圧器を切り替えていくつかの低圧の電気にした後に直流モーターに繋いでいる。一方で、ポラリス達はリチウムイオン電池から直流の電気を流した後、それをPWM制御で三相交流にして交流モーターを回しているのだ。
ポラリス達の駆動周りはそれだけではない。速度が乗るにつれて、
そしてそのクラッチの部分で、モーターとエンジンの力を合わせて車輪を回したり、あるいは車輪へのギアをニュートラルにし、エンジンとモーターだけを直結させてリチウムイオン電池を充電したりしている。
なるほど、確かにこうやって聞いてみるとけっこう複雑な足回りで動いてるんだな。どうりで物理的にもゴツくなるはずだ。
「そんな訳で、純粋な電車のノリモンと違って物理的なリチウムイオン電池に電気を戻すから気をつけねーとすぐ回生失効する」
「それは君が回生の事考えずに充電しすぎてるだけだと思うけどねぇ。僕はめったにしないもん」
「……マジで?」
「何なら0まで回生だけでいけるよ?」
あの、教える側で認識の齟齬を起こさないでもらえますか? もしかして、エンジンブレーキを使わないってのも成岩さんだけの思い込みじゃ……?
恐る恐るそれを聞いてみれば、そこについてはふたりとも意見が一致して、そもそもエンジンブレーキは回生失効しない限りは使わないという答えが戻ってきた。なんか安心した。
そもそも、ブレーキについては回生ブレーキがメインで、他は基本的には空気ブレーキで補ってしまうらしい。一応、ギアで車軸とエンジンが繋がってるんだからエンジンブレーキも使えない筈はないんだけど、停まり続けるためにはどうしても必要な空気ブレーキとエネルギーロスの少ない回生ブレーキだけで停められるのならわざわざ使うまでもなく、使うとすれば下り坂が続いて想定よりはやく回生失効してしまったときくらいなのだそうだ。
いずれにせよ、どのタイミングだろうと回生と同時に使うことは決してない、ということだそうだ。確かに、言われてみれば回生ブレーキという奇跡のようなエネルギー効率のブレーキを使っているのに、他のブレーキを併用するというのは非常に莫迦らしい。それは折角得られた運動エネルギーを投げ捨ててしまう、ということなのだから。
ただし、べーテクさんでも回生ブレーキを使っている時に併用するブレーキがあるらしい。それはまさかの空気ブレーキ。
それは、回生失効した時に空気ブレーキに移行したとして、それが効かなくなってしまう状況を回避するための保険としての扱い。それがどういう時かと言えば、降雪時だ。ブレーキシューと車輪の間に雪が挟まっているということを防ぐために、高速域であろうと当てるだけの弱いものでいいから空気ブレーキを扱ってあらかじめ摩擦熱で雪を溶かしておく必要がある、とのことだった。そもそもラチ内で雪は降らないからあまり使うことはないかもしれないけれど、頭の片隅にきちんと入れておこう。
こうして、午前の座学研修の時間は順調に過ぎていったのだった。