「どういう事ですか……?」
「そのままの意味さ。ただ、勘違いしないで欲しいのは、君がノーヴルではないという条件の下ではこの10分7秒というタイムも十二分に早いというのも事実だということだ」
それは褒めてるのだろうか? 正直いい気はしない言い回しだ。
「さて、君の走りを分析しようか。加速と減速、この2つは非常にスジがいい。そして走行の安定性については非の打ち所がないレベルだ」
「そりゃどーも」
「怒らないでくれたまえ、今はまだ単純に褒めてるんだぞ?」
なんでそういちいち脊椎を羽毛で撫でるような言い回しをするんですか?
そんな僕の心情をよそに、べーテクさんはラップトップコンピュータの画面を指さしながら言葉を続ける。
「足りてないのは、最高速度だ。130しかでていない」
「……無茶を言わないでください。あれ以上出したら脱線しますよ」
そもそも、曲線半径が300のカーブの制限速度は65キロ毎時だ。その倍も出せばそれはもう十分攻めている走りといえるんじゃないだろうか?
「脱線? 車両ならともかく、トレイナーの君が脱線したところで君のからだはシールドに守られているだろう?」
その言葉を聞いたとき、僕の怒りの感情は、スカッと変異をとげた。
ああ、なるほど。
正直覚悟はしていた。していたけれどその想定が足りていなかったようだ。
僕とべーテクさんは、いや、もっと言えばロケットとノーヴルは、根本的な考え方が全く違う。ロケットはあらゆるリスクをほとんど許容しないが、ノーヴルは小さなリスクを許容する。これは恐らく、他の派閥もそうで、そしてロケットの研究者が少ない理由だ。研究をする上で、リスクというものはつきものなのだから。
なんだろう、もう笑いしかでないや。
「どうしたんだい山根くん。突然笑いだして」
「いや、一日目にして全然違う世界にいるという重大な気付きを得ることができたので。もう一回走っていいですか? 今度はノーブルのルールで走りますから」
「……なるほど、許可しよう。ちなみに僕が想定してるタイムは」
「言わなくていいです。目標にしてしまうので」
「ふぅん。まぁそれも一興」
二回目。今度はどこまでもどこまでも加速する。遅い来るr300の横Gは、カーブの内側、左の線路の上に重心を置いて、右足をピンと伸ばして右のレールを掴んで耐える。この半径300mのカーブの場合、物理的には重心高さ1.6mの空載の鉄道車両だとおおよそ130キロメートル毎時を越えると脱線してしまうという。床下の軽い付随車*1や、床上が重くなる満員電車だとさらに重心の高さが上がって脱線しやすくなってしまうので、実際はそんな速度を出すことはまずない。逆に身長が1.7mの僕の場合、重心が低いからその1.5倍強は出せるはずだ。
そして、5つ目のカーブを曲がるころ、速度は200キロに到達。でも、まだいける。根拠はないが、そんな感覚がした。6つめのカーブ。フランジがレールに強く打ちつけられて火花が散る。7つめ。左脚がわずかに浮き上がる。これ以上は危険だ!
維持すべき速度は掴んだ。ならば残るはブレーキだ。加速をして、その速度を維持するのは莫迦でもできる。でも止まるのは違う。定められた位置に止まることができて初めて、一人前のトレイナーなのだ。
そして正しい位置に止まるためには、早めに強いブレーキをかけ始め、時間が経つに連れてブレーキを緩めて制動距離を伸ばして微調整するのが教科書通りの方法だ。
でも、今回は別の止め方にチャレンジしてみよう。それは即ち、最大制動力で停止まで持っていくという極限まで攻めたブレーキ。
鉄輪を強く線路に押し付けながら、車輪につながるモーターを、バッテリーユニットに逆向きに繋ぎかえる。すると速度を上げるための機械はたちまち速度を奪うものに変貌する。体が前方に飛び出そうとするのをぐっとこらえ、最後の20番目のカーブを曲がり、そしてブレーキ圧を込めて……走り出した場所で、速度が0になった。
ブレーキ圧を抜き、線路を降りる。そこにはべーテクさんの他に、倫理研修から戻ってきていた成岩さんがラボに残っていたはずのふたりをつれて合流していた。
「お疲れ山根。いい走りだったぞ」
「かっこよかったよー」
山根さんとポラリスちゃんの声は聞こえている。けれど、反応することができなかった。僕の意識は、その先で画面に目を向けている彼に向いていたから。
「べーテクさん」
「記録は6分43秒。想像以上だよ」
その言葉を聞いた時、プツンと糸が切れるように全身の筋肉が緩む。すかさず成岩さんが受け止めてくれたので、幸いにも地面に激突はしなかった。
「タイム、いくつを想定してたんですか」
「7分半を切れば上出来だと思っていたさ。今となっては言わなくてよかったと思っているよ、君の言った通りね」
まだ言うことをあまり聞かない左腕で、僕は小さくガッツポーズをした。
そんな僕に、べーテクさんはラップトップを鞄にしまって、手を差し伸べて呼びかけた。
「山根くん。ようこそ、僕達のラボへ」
僕は彼の手を取り立ち上がった。続けて後ろから拍手の音が聞こえる。
「ミーたちはあなたを歓迎しマース!」
「これから、よろしくね!」
「そして、だ。強引に引き入れようとた俺が言うのも何だが」
拍手の元であった成岩さんたちは、そう言いながらべーテクさんの横に並んだ。
「「「「ようこそ、ノーヴルへ」」」」