迷った末にこうなりました。
冷房によって適温に保たれた部屋のなかで
『──少佐と会って何を話した』
執拗に繰り返され続けている質問だが、相手は尋問担当の目を見ていた。
『誰だ。そんな奴は知らん』
『何度でも繰り返してやろう。──少佐と会って何を話した』
『知らんといっている!』
『あの男の本当の名前は?』
『誰の事を言っているんだ』
『お前が今日、──少佐の後に会っていた奴だ』
『誰とも会っていない!』
『嘘を付くのか?』
『そんな男とは会っていない!』
『──少佐と次に会うのはいつだ。どこで会う?』
『知らん、忘れた!』
相手の目にはまだ生気がある。
──まだ折れないのか。
遠山曹長はそんなことを考えた。この尋問は既に十二時間にわたってぶっ続けで行われていた。単調な質問を繰り返しているように見えて、その反応を確かめていた。意識を失ったのも一度や二度ではない。その度に叩き起こされ、質問が繰り返されていた。尋問自体は三日間行われていたから、工作員の疲労は尋常ではないはずだ。
ただし、捕らえた工作員の口は固かった。恐らく、強度の薬物か、魔法的な洗脳の可能性が高い。それでも相手の反応からある程度の推測は可能だった。
部屋には遠山曹長を含めて数人の技術下士官が詰めていた。いずれも市ヶ谷の職員で、尋問のために基地から派遣されていた。だが、部屋には市ヶ谷の、情報機関の存在を思わせるものは、一切持ち込まれていなかった。そして、遠山曹長を含む全員が私服だった。
それはこの場所が表向き、民間施設の看板を掲げているからだ。だが、実質的には市ヶ谷の支部だった。地元警察は勿論、警察庁にも秘蔵された市ヶ谷のセーフハウスだから、踏み込まれる心配はない。周辺にはSSO(特別治安警保官)と呼ばれるパートタイムの非正規職員が配置され、警察無線も横聞きしていたから、何かあっても対応できると思われた。
だから、死体を目の前にしても、さほど驚きはなかった。工作員は遠山曹長と直属のチームが到着する直前に死んだ。それは最初から予想できていた事だった。
──たぶん、事前にセッティングされていたプロテクトを越えていたのだろう。肉体的な限界ならまだ余裕があったはずだ。
これまでの経験から、そのように考えていた。
直接的な死因は尋問が原因だが、自分達が殺したという実感はなかった。工作員自身も死を覚悟していたはずだ。具体的には工作員を送り込んだ組織がこの人物の心臓を止めるプログラムを事前に組んでいたのだろう。身柄を拘束される直前、工作員は強度の薬物を飲み、自分の記憶を抹消することを試みていた。それが結果的に工作員の身の安全を確保していた。ただし、そのように失われた記憶を引き出す方法は存在しているから、安全とは言えなかった。
そこで相手は二重に罠を張っていた。情報を引き出すための尋問に負けて、プロテクトが破られそうになったときに備えてプログラムに引っかかる単語を用意していたのだろう。結果として記憶を引き出すことに成功しそうになった直前に、工作員の心臓は停止した。
だが、工作員の最後の一言は重大な秘密を漏らしていた。国防軍の内部に協力者がいたらしい。具体的な名前は不明だったが、〝
──これは壮大なドブ浚いになるかもしれない。
その報告を聞いたとき、遠山曹長はそう思った。
遠山曹長が捜査を担当していたのは国防軍の経理データを含めた機密情報の漏洩調査だった。当初は単なる操作ミスによる漏洩と思われたが、一高の事件の直前に国防軍の一士官が自殺したことで市ヶ谷の注意を引いた。その士官の所属は厚木基地の所属だったが実家は八王子にあり、最近は頻繁に往復していたという基地隊員の証言が取れたが、実家の家族によれば、しばらく帰宅していないという。この時点で、市ヶ谷は非公開捜査を開始した。
漏洩の疑われる経理データだけでは国防軍の動きを掴むのはあるむつかしい。ただし事前の情報蓄積があれば、ある程度可能になるが、もちろんそれだけでは追いきれない。そこで公開情報も含めた複数の情報ソースから得られるファクターを合わせることで情報の確度をあげることができる。特に艦隊の運用や航空機の改装などは莫大な経費がかかるため、動きが分かりやすい。加えて消耗品などの状況も判明すれば、動向の追跡が格段に易くなる。敵対組織にとっては大きなメリットが見込めた。
しかし、国防軍の情報システムは市ヶ谷にある防衛省本部によって集中管理され、そのガードは極めて硬い。だが、危険を分散させるために呉基地、そして松島基地にサブシステムが構築され、有事では相互に補うことになっていた。それに加えて秘蔵されているサブシステムも存在している。運用には多額のコストがかかるが、それを行う価値はあった。もし狙われたとすれば非公開の施設と考えられた。非公開の施設は、非公開であることに意味があるから、存在を明らかにしないためには注意を払っていたが、内部のセキリュティーは公開施設に比べ脆弱だった。そして非公開施設の一つは厚木基地に隣接している。これまでいくつかの非公開捜査に従事してきた遠山曹長から見て状況は限りなく〝クロ〟に近いといえた。
第三次世界大戦の引き金の一つとなった第三次ウクライナ侵攻では、開戦壁頭に行われたサイバー攻撃によりライフラインは各所で寸断され、連絡すら覚束なくなったところに物理的な侵攻を受けた。その経験は先進各国に情報セキュリティの強化が必須と認識させるには十分だった。実際、対馬、佐渡、沖縄といった各地への侵攻時にはサイバー攻撃を受けていたことから、国防軍の上層部も事件の捜査結果を注視していた。
部屋に別の下士官が入ってきて遠山曹長にいった。
「最初に情報を漏らしている人間についてと、次に合う会合場所と時間について集中的に尋問しました。結論から言うと、情報を漏らしている人間についてはネガティブですが、次に合う会合場所と時間についてはポジティブです。彼は次に合う場所について、隠すことに非常に大きな努力を払っていました。
詳細については全く知らないと思われます。恐らく末端の人間なのでしょう」
遠山曹長は無言で頷き、先を促した。
「運んでいる人間についても反応はポジティブで、会合場所については十時間ほど必要でしたが、引き出せました。ただし、相手の詳細情報は不明です。運んでいる人間については
受け渡し役は暗号名を使い捨てている可能性が高い。無理に捜索すれば、相手にこちらがどこまで掴んでいるのかを与えかねないから、遠山曹長はその方針での追跡を諦めることにした。ただし、それは口にしない。目の前の下士官はそれを知る権限がないからだ。
だから別のアプローチが必要だった。遠山曹長は所持品について確認した。
「所持品のメモリーカードのデータは
下士官は事実を隠さず伝え、遠山曹長は即断した。
「できなくとも構いません、やってください。必要なら私のチームからも人を出します」
市ヶ谷には防衛省の技術部門と異なる技術部門があるため、秘密は保つことができる。あとは〝F〟が誰であるかだった。もし〝F〟が将官級なら捜査する範囲はぐっと狭くなるが、触れることができる情報の範囲は大きくなる。工作員が所持していたメモリーカードのデータが復元できれば、元データと付き合わせることで、どこから漏洩したのかを確かめることができる。そのためにはメモリーカードのデータの復元が必須だった。
──もし〝F〟が市ケ谷の関係者だったら。
考えたくない想像だった。
ただ、いずれも秘密裏に運ぶ必要があった。理由は警察が把握すれば踏み込んでくるからだ。当然ながら警察も捜査は秘密裏に進めるだろうが、警察が軍を捜査するとなると事前の調整が不可欠だった。しかし、事前の調整を行うとなると、メモリーカードのことを含めて公開しなくてはならない。それでは機密に触れる事ができる人間が多くなりすぎる。そこまで話が進めば〝F〟も察知するだろう。地下に潜られたら、捜査に進展は極めて困難になる。
更には軍の警察機関である警務隊も絡んでくる事が予想でき、三者入り乱れての捜査は確実に混乱を招くだろう。
もっとも、遠山曹長は警察を完全に出し抜けるとは思っていない。警察はその発足時点から、軍の動きを監視していた。戦前の五・一五事件や二・二六事件、戦中の宮城事件といった苦い記憶もあって警察には自衛隊を監視するマル自と呼ばれる監視班が存在していたが、国防軍となった今も変わらず存在している。すでに経理データの漏洩に関しては掴まれている可能性が濃厚だった。
それでも、事件の詳細まで掴まれてはいないと思われる。もし、詳細に掴まれていれば、確実に乗り出してくる。国防軍内部の情報漏洩ゆえに、事実を隠蔽される可能性を指摘して、捜査の主導権を握ろうとするのが予想できる。そうなれば、また調整に時間がかかる。
遠山曹長はその調整にかける時間が一番無駄だと嫌っていた。
「〝H〟については?」
ディスプレイには工作員が逮捕される直前に接触が確認できた〝H〟と思われる人物の不鮮明な写真が標示されていた。解像度をあげ、画面を明るくしても不鮮明なままな写真は、それだけ相手が慎重に動いていることを示している。
「〝H〟と思われる人物は口元の動きも不鮮明で、間違いなくプロでしょう。こちらから把握できる情報量は少ないため、捜索は困難です」
この工作員の身柄を確保した時点で、〝H〟とみられる人物の確保に動いていた。しかしこちらは空振りだった。〝H〟は二時間以上も尾行を振り回したあげく、行方をくらました。地理を知り尽くしていたらしく、その手際は遠山曹長から見ても鮮やかだった。そのため〝H〟の情報はほとんどなかった。一応、これまで市ヶ谷が掴んできた国内の工作員たちの画像との照合は行われていたが、候補が多すぎて絞り込めない可能性が高い。当分はプレッシャーをかけ続けるしかなかった。プレッシャーをかけ続けられれば、それだけで潜伏している工作員は動きにくくなる。消極的でなにより攻め手に欠けるが、ほかに有効な手はない。
「こちらでデータは本部へ転送します。分析は継続して下さい」
支部の職員たちに指示を伝えてから、遠山曹長は追加でもう一つ、プレッシャーになりそうな手段を思い付いた。手元の端末を手早く操作して、メッセージを作成し、今は静岡に来ているはずの相手に送った。するとすぐに受信確認が帰ってきたのを確認して、端末を閉じた。遠山曹長は相手のレスポンスの早さが嫌いではなかった。
感想ありがとうございます。
原作ではなぜか国がとんでもない無能扱いされてますが、本作ではそんなことありません。
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次回は話が主人公達に戻る予定です。