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國光暢という生徒
「相席、よろしいですか?」という声に壬生紗耶香はふと顔をあげた。見たことのない男子生徒だったが、その視線に何か強いものを感じなぜか頷いてしまった。頷いてからしまったと思ったが、相手は向かいの席に座る。すでに断る時機を逸していた。
風紀委員会が〝馬鹿騒ぎ〟と表した新入生勧誘活動習慣から一週間が過ぎ、第一高校近くのカフェで思考の海に沈んでいた紗耶香に声をかけたのは線の細い、まだ少年と形容できる眼差しの若者だった。几帳面に綺麗な三角形のネクタイ、一番上まで閉められたボタン、汚れ一つない整えられた真新しい制服に包まれ、柔らかな表情を見せているのに、硬い印象を受ける。どこかちぐはぐなものを感じる少年の胸元には花の意匠が付いていた。
──一科生か。
その瞬間、押し込めていたものが内側からざわめいた。
「何かしら?」
自分でも驚くほど攻撃的な口調になっていた。ざわついていた神経が「こいつを信じるな」とささやく。
だが、相手は気にした様子もなく、「コーヒーを一つ」と頼んでから、「先輩はいかがですか」と聞いてきた。その心遣いすら疎ましく思い、手元のカップに手を運ぶが中身は空で、虚しく宙をさまよう。それをみてとってか、男子生徒は「同じものを」を頼んだ。店員を見送ってから、男子生徒は制服の内ポケットに手を入れ、学生証を目の前に差し出す。
学生証には写真と名前、学年とクラスが記載されている。学年は一年生で、クラスはA……。唐突に嫌悪感が沸いた気がした。なぜこんな唐突に? 学生証を見ただけなのに……。
木が風に揺らされて、陽がカフェの中を一瞬明るくする。
はっとして自分の中の
──
「壬生紗耶香先輩ですね。先程は不躾な真似を失礼しました」
先手を取られた。そう思った瞬間、國光暢という男子生徒はこれまでの行動を計っていたことに気がついた。油断できないという思いと、何の用があるのか、紗耶香はここまで手の込んだ事をする理由が気になった。
さりげなく暢の様子を窺うと暢と視線がかち合う。先に視線を切ったのは暢だった。顔を上げれば店員が運んできた。店員が去ったのを確認して、視線で先を促す。暢は運ばれてきたカップを手に付けず、紗耶香の様子をじっと凝視し、やがて「単刀直入に伺います」と静かに答えた。
「壬生先輩が反魔法師運動に参加しているという噂がありまして、その確認に伺いました」
「あなた風紀委員会? それとも生徒会かしら」
「後者ですね」
挑発的な紗耶香は視線には冷たい敵意が主な成分になっていた。だが、暢は躊躇わなかった。
「当校生徒による不法な活動は、生徒会としても見過ごせません」
「私がやっているのは1科生による差別撤廃運動よ。反魔法師運動じゃないわ」
「承知しています。ですが、壬生先輩の参加している差別撤廃運動の活動母体は国際反魔法師団体の事実上の傘下にあるのはご存じでしたか?」
「……反魔法師団体? どういうことよ」
──見透かされた?
根拠はないが、紗耶香はそう感じ、暢の気配を探ることに努めたが、暢に変わったところは見受けられなかった。気のせいだったのか、暢を探ろうとした視線を向けたとき、暢との視線が紗耶香と交わる。先に視線を切ったのは今度も暢の方だった。
「詳細は明かせませんが、先輩は自ら首を絞めているのではありませんか。ですから、教えていただきたい。先輩達に何があったのかを」
お願いします。そういって真摯に頭を下げる一科生に紗耶香は狼狽えていた。内心を悟られないようにカップを口許に運び、表情を隠す。
「先に話しておきますが、生徒会長や風紀委員長はこの事を知りません。
ただ学内で二科生による運動が激化しつつあるという認識だけです。このままでは、先輩の声は届かず、適当なガス抜きが行われて終わりです」
「……どうして、私にそんな事を」
「長期的視野に基づく、自衛というところでしょうか」
「自衛……ね」
「えぇ。いずれ、そう遠くない時期に壬生先輩達が実力行使にふみきる、というのが私の予測です」
「実力行使とは穏やかじゃないわね。どうしてそう断言できるの? 情報を集め精査しても君の予測通り進むとは限らないわ」
「その通りです。しかし、複数の予測を立てて対策をすることは出来る。つまりは多数のセンサを設置して予兆を感じとるわけです。今回もその一つに引っ掛かったので、こうして伺いました」
疑う視線を受け止め、暢は調査結果を反芻する。すでに新入部員勧誘週間が始まってから一週間以上経過していた。生徒会の端末から学校の内部データベースを総ざらいし、司波達也をはじめとする風紀委員会、生徒会、部活連が摘発した生徒から事情聴取により得た情報と、剣術部に強権発動までして押収した記録をふるいにかけて複数の検討を重ねた結果は、どれも同じだった。不確かな推論の余地なく、その結論は導かれている。
この状況が継続すれば、あと一週間、長くても二週間前後で学校は争乱状態に突入する。おそらく背後の反魔法師団体は内部対立を煽り、一科生の暴発を望でいる。その暴発で二科生に対する弾圧の発生を望んでいるのだ。そして〝平等〟をことさら語る彼らはそれこそ嬉々として2科生支援を大義名分に実力を以て介入すると思われる。そうなれば一高は完全に秩序を失い、一科生対二科生という全面戦争すらあり得た。
状況は深刻だったが、既に正攻法による対応は困難に近い。だからこそ、暢は壬生紗耶香という、キーポイントに、相手の内懐に直接飛び込んだのだ。
「釘を刺しにきたと?」
「いえ、そうではありません。
本題に入りましょう。私は認識の擦り合わせをしたい。一科生と二科生の間には根本的なズレがある。そこをまず埋めなければ、前に進むことも儘ならない」
違いますかと問う声に反論はない。それを確かめてから暢は再び口を開いた。
「まず、壬生先輩の語る一科と二科の差別について確認させてください。あらかじめ伝えておきますが、これは確認です。2科生はこのように思い、一科生はこのように考えるという共通認識を作りましょう。我々は残念ながら、そこから始めなければ交渉すら儘ならない」
「じゃあ、まず一科生は二科生を差別していると思っているの?」
「端的に申し上げると、そもそも差別とすら思ってさえいません」
「どういうこと?」
「これは、融和を掲げる七草先輩も同様ですが、一科と二科に別れるというのは実力の差であり正当なもの。これが一科生です。強いから正しい、とは申しませんが、実力があるのだから区別は当然。これが一科生の考えです。これは多かれ少なかれ、一科生達の共通認識であると考えてもらって結構です」
「それは……」
頭から冷や水を掛けられた思いだった。凍りついた沙耶香に暢は諭すように語りかける。
「今、先輩が絶句しているように、一科生と二科生はあまりに互いを知らなすぎます。今は自分と壬生先輩がしているような齟齬を認識できずにいます。だから、一科生から見れば区別であり、二科生から見れば差別になる。
現段階において事の正否はどうでもよいことです。必要なのはまず、互いが考えの多様性を認める、いわば違う言語で共通の意味の辞書を作る必要があります」
暢には時間と何より信用があまりに不足していた。警備体制の増強は既に提案されていたが、服部副会長により却下されていた。二科生は魔法の実力に劣る以上、鎮圧は容易、というのが服部副会長の要旨だったが、暢からすれば信じがたいほどの楽天家としか見えなかった。相手が一科生だろうが二科生だろうが、警備に手を抜く危険性が理解できていないのか。
──相手を侮り、滅んだ国はいくらでもあるが、まさかそれを目の前でみせられることになるとは思わなかった。
それが暢の率直な感想だ。
「……わかったわ。だけど國光君。貴方の本音を聞かせて」
強い意志が感じられた。いつもは内心に仕舞いこんでいるのだろう。揺るぎない、というより揺るがぬことを以て自らを律している。暢にはそう思えた。
ここは誤魔化すべきではなかった。ここで誤魔化せば、暢は今後紗耶香の信頼を得ることは不可能になる。無視されるにせよ、拒絶されるにせよ間違いなく、これで決まる。何がという主語を欠いたまま、暢は覚悟を決め、紗耶香は覚悟してその反応を待った。静かに見据え、紗耶香の視線を毅然と受けた暢はやがて「……わかりません」と重い口を開いた。
「一科と二科の垣根を越えて協力。……とはいっても
一科生でも、二科生でも人と人との付き合いですから、意見が食い違っても話し合うことはできると思って」
といってあっさり白状すると暢は改めて強い視線を沙耶香に向けた。
「これをごまかしというのならごまかしなのかもしれません。でも俺はこんな方法しかわからなかった」
「情けない事ですが」と暢は再びカップを口許に運び、沙耶香の視線から逃れた。
「先輩がどのような過去を抱えているのかは存じません。なぜ一科生を
いずれお話ししていただければ幸いです、と続けた暢は紗耶香が飲み込み、肩の力を抜いたのを確認してから、本題に話を戻す。
「学内である事態が進んでいます。この事態には一科生と二科生の協力が不可欠です。互いに疑心暗鬼で、情報交換どころか会話すら満足にできない。この上、反魔法師団体が事態に絡むとなれば、先輩のおっしゃられる差別撤廃運動どころではなくなります。それがこの学校に、何を引き起こすのか……。もうくだらない対立にかかずらわっている時ではありません。一科生と二科生が真の協力関係を築かなければ乗り越えられないかもしれません。
現状、共通の意味持つ辞書を作るところから始めなければならない。しかも辞書を作り、それを多くの生徒に読んで、理解してもらなければなりません。しかし、そんな時間は無い。だからこそ次善の策として、双方に架け橋になる人が必要なんです」
それは紗耶香にとって信じがたい光景を目にする。
暢は僅かに視線を下げ、姿勢を正す。
「壬生先輩にその役目を努めていただきたいのです。先輩にならそれが出来る」
疑義を差し挟めない声と目を保って暢は言った。そして躊躇いなく頭を下げた。どうか協力していただけませんか、と。
紗耶香は躊躇うことなく「もちろん」と答えてから、目の前に差し出された手を取った。それは何の打算もなく、自然に成されたことだった。暢の手は久しぶりに感じた、確かな人間の温もりがあった。少なくとも、
カフェから出た時には互いの手は
紗耶香の頭のなかには先ほどの暢の頭を下げた光景が、目に焼き付いていた。紗耶香が出たをのを確認してから、暢は目礼する。
「これから、生徒会室に伺わねばなりません。お時間をとらせて申し訳ありませんでした」
明日も、よろしいですか。そう言われて暢を見返した。
「こちらこそ」
言葉は自然に出てきた。足早に去る暢の姿が不意に少年のように見えた。見てくれではなく、大人びた振る舞いで、すべてを飲み下した振りをして自分は平気だと言い聞かせる。そうしなければ立っていることさえ儘ならないほどの負荷が暢にはかかっているのだろう。
──その負荷とは一体なんなのだろうか。
知りたい、そう思ったが、それは暢の望まぬ事であろうということくらいは理解できる。だが、いつか、それを知ることができた時に背負えなくとも、支えるくらいは出来る先輩でありたい。なんとなく、てらいもなく思った。
次も遅くなるのかなぁ……。
……多分。