紗耶香への事情聴取の優先順位は繰り上げられて行われることになった。理由は重要人物と見なされた司甲が怪我でとてもではないが、事情聴取など出来ない状況だったからだ。思いの外重症で少なくとも病院に搬送されたというから、どうみてもやり過ぎだったのだろう。そのため、紗耶香への事情聴取が先に行われることになったらしい。
だが、紗耶香が提供できる情報は少ない。そのような情報は暢にほとんど伝えられていたからだ。それは真由美や克人達も把握しているはずだが、紗耶香から直接聞きたいのだというから、彼女達の焦りが透けて見える。生徒の一部が手引きしたという不祥事は速やかに地中深くに埋めておきたいのだろう。ましてや一高が武力攻撃を受けたなどという事実は世論にどのように作用するか予測するのが難しい。
事件の早急な幕引きをはかりたいのだろうがそのために必要な前提情報が不足していた。紗耶香はそのなかで真由美達が用意できるなかでもっとも期待できる情報源だった。
事情聴取はありきたりな脅し文句から始まった。
「壬生。お前は未成年で当校の生徒だ。我々も警察に突き出すような真似はしたくない。だから正直に答えてほしい」
克人の声に紗耶香は俯けていた顔を持ち上げる気になれなかった。理由は単純。真由美は勿論、克人に対しても信頼は不可能だったからだ。日本の魔法師のなかでもっとも優れた閥族、つまり十師族である、という偏見から紗耶香は逃れられていなかったし、それはある意味で事実だった。
十師族の直系後継者が絡むこの事件は確実に隠蔽される──。それはこの事件の根底と言うべき学内での二科生差別さえも闇に葬られることになる。
その事は彼女のなかで確定した未来に位置付けられていた。
正直に答えたくなかったし、答える義理もない。紗耶香はなげやりにそんなことを考えた。司甲のあの憎悪に満ちた視線を理解できてしまっていたからだ。
一歩間違えれば、自分があの場所で、あの視線を向けていたという事実に。
「嫌です」
自然と、滑り落ちるように拒絶が溢れていた。
「隠蔽されることがわかっていて、協力しろと?」
「出来ない、というのか? どうしても?」
半ば喧嘩腰で紗耶香は冷たく見下ろす克人に目を向けた。摩利も喧嘩腰は一緒だったが、真由美が静かだったのが気になった。やがて克人は深くため息をつくと、もういいな、というように真由美や摩利と視線を交差させた。
「わかった。穏便に済ますべきかと思っていたが、そこまで頑ななら仕方ない。
こちらもそれ相応の対応をとらせてもらう」
摩利が凄む。それに、見ていた達也が驚いたように口を開いた。
「警察に引き渡して家裁送りにするのですか?」
「必要ならやむを得ない」
「本気ですか?」
今度は暢が強引に割り込んだ。タイミングを図っていたのだろう。すらすらと意見と提案を並べていく。
「壬生先輩が利敵行為を働いた証拠はありません。しかも校内の不祥事です。壬生先輩達が退学、逮捕となれば、十師族から不当な圧力がかかったと思われますよ」
「庇うのか? 国光」
すでに生徒会やその周辺では暢が紗耶香と繋がりがあることは周知されているらしい。複数の視線が突き刺さるなかで暢はみえみえの建前を被せてきた。
「壬生先輩は我々生徒会との協調派で、武力攻撃に反対していた。しかし、事件は強硬派が無理やり強行したか、壬生先輩は鎮圧に功績があり、一高襲撃には無関係。一高生徒会は一科生、二科生の差別撤廃のため複数の暗黙の了解を公平に改訂し、かつ明文化して公平さの維持に努める。加えて学校側に対して一科生、二科生体制が真に教育機関のスタンスとして適当であるかどうかの研究機関として第三者機関を設置し、その研究結果を必ず公表することを求める。
それでいいじゃないですか」
「無茶を言うな。だいたいそんな建前が通じるとでも?」
「無理とは言わないのですね」
揚げ足をとられた克人がじろりと暢に視線を向けたが暢は臆さず、追撃する。
「なら裁判にしますか? マスコミに嗅ぎ付けられて炎上しますよ。一高がマスコミに囲まれて、叩かれてもいいんですか?」
「……脅しか? 国光」
「まさか。ただ、けじめは必要です。だからといって、やたらと内部粛清すればまた揉めます。穏便な落としどころとして一高生の逮捕者を出さない代わりに、壬生先輩達のバックグラウンドを警察への土産にするべきでしょう」
「それで警察が納得するか?」
「しますよ。面子を潰された以上、黙ってないでしょうが、国内に入り込んでいるブランシュなどの普段手を出しにくい連中を叩ける口実が手に入ったんです。ここは恩を着せて先輩達をフォローして、公平であるという事実を知らしめる必要があると思います」
克人は、わかったと言って引き下がる。それ見届けてから暢は紗耶香の方を向いた。
「という訳で。壬生先輩、裏にいる組織を教えていただけますね?」
紗耶香に否は残されていなかった。
その後は暢の提案通りに進んだ。紗耶香達剣道部を隠れ蓑にして校内に入り込んだ差別撤廃のため非公開サークルのバックグラウンドがブランシュであることが特定されると、速やかに警察に情報を引き渡し、引き換えに紗耶香達一高生から逮捕者を出さないという取引をすると、警察は一挙に機動隊を使ってブランシュの本拠地に捜索をかけようとした。だが、察知していたのかブランシュは自分達の根拠地ごと自爆。証拠は焼け残った後から見つかった武器弾薬の部品や一高内部の詳細な地図といった状況証拠だけだったという。それでも警察は追跡の手を緩めず、糸を手繰り続け、何人かの幹部を逮捕、最後は追い詰められた司一の自殺という形で事件は幕を下ろした。
ブランシュ日本支部は壊滅し、警察は面子を保つことに成功した。一高襲撃事件そのものは隠蔽できなかったが、紙面の一面を飾るようなことはなく、小規模な事故として処理された。
一高でも七草体制の変更こそなかったものの、暗黙の了解だったいくつかのローカルルールは削除、そして一科生二科生を問わないということを明文化されることがひっそりと定められた。学校側も今回の件を重く見ており、一科二科の体制の廃止も含めた将来への研究を行うことを確約し、紗耶香達の目的もひとまず完全ではないもののある程度達成されることになり、校内の混乱はやがて終息していった。
「これを狙っていたの?」
紗耶香は開口一番、そう問いかけた。
5月の初旬、既に校内での出来事は風化しつつある。それは厳重な箝口令が敷かれたことと九校戦が近づいてきたのが大きい。特に箝口令はその出所が七草と十文字ならなおさらだった。司甲は自己都合で転校しその他数名も転校という扱いで学校を去ったのはかなり穏便な終わらせ方だったといえる。警察の手が入らなかったのはひとえにブランシュの情報提供だろう。引き換えとなる情報があったからこそ、警察は一高から手を引いたのだ。
ブランシュが容易に侵入できたのが偶然なら、一高襲撃者に一高生は参加しておらず、そもそも校内に存在していたのはブランシュとは無関係な差別撤廃運動だった。あくまで二科生の待遇改善が目的で非合法な活動などしていない──。警察が口裏あわせをしてくれている以上、一高もそれに乗っかり、『一高生が手引きした襲撃事件』は『一高生が巻き込まれた事故』に書き換えられた。
もとより警察という第三者にとって、十分に納得できる動機、物証があればブランシュを法で裁くことなど造作もない。捕まった幹部の自供もあればなおさらだった。しょせん、真実は当事者にしかわかりようがなく、後から黒が白にひっくり返るようなことがないと確信が得られれば警察にとって真実の追求など無意味だったのも取引に乗っかった理由の一つだったのだろう。
この間、事態の進捗に気を揉んでいたのだろう紗耶香はようやくほとぼりが冷めつつある事件を再び掘り返したのは彼女自身、納得できない事だからだろう。
簡単なの事情聴取のみで解放された紗耶香には監視の目が付いていた。だがそれくらいは許容してほしいと暢は思っていた。建前では紗耶香は協力者の立ち位置だが、実際にブランシュに加わっていた以上、やむを得ないことだったたからだ。公安のブラックリストに載らなかっただけマシといえる。
『壬生先輩は要求を通し、七草先輩や十文字先輩は学校の公平さをアピールでき、警察は大手を降ってブランシュを制圧できる。三者得しているじゃないですか」
「だからよ。強引すぎるのよ。本当は最初から狙っていたといわれても驚かないわ」
『流石に違いますよ。強引な着地点なのは認めますが皆が幸せになる嘘に何か問題がありますか?』
端末越しの暢の声は張りがなかった。疲れているのだろうか、と紗耶香は思った。
「……ないけど。納得がいかないのよ。国光君に助けられっぱなしだし、それにそれだけのことをした自覚があるから余計に」
『罪を償いたい、と?』
暢は疲れたように重いため息を一つ吐き出してから言った。
『傲慢ですね、先輩。
なら、俺の仕事を手伝ってもらえますか?』
既に紗耶香も暢が伝があるというレベルではないことは感づいていたし、おそらく公権力側の人間であることも薄々察していた。
「それで、いいの?」
『そもそも先輩は無罪放免です。償うもなにもないですから。それでも、どうしてもというなら、付け込むようで気が進みませんが、俺を手伝ってください』
紗耶香は即断した。
「わかったわ。国光君、助けてくれてありがとう」
『では失礼します』
その時、紗耶香は一つ思い出した。
「ちょっと待って。父が国光君に挨拶したいって言ってるの。空いている日を教えてもらえない?」
『………………』
返事はなかなか返ってこなかった。
ブランシュへの逆襲なんてやらせません。