金波宮での一コマ。
「こういうのって、どうするべきなのかしらねえ……」
目の前の光景に、少女は腕を組んでむうと唸った。
白磁の肌に紺青の髪。端整な顔立ちの少女は、この金波宮で女史として王の傍に仕える身である。
若き女王に心酔し、執務や諸事を手助けすることを己の使命として日夜励んでいるが、時折、王というより妹にでも対している気分になる。
「無理にでも起こすべきかしら……」
眉根を寄せて呟いたとき、こつこつと堂室の扉が叩かれた。
失礼します、と入ってきた人影に振り返る。
「あら、楽俊」
「どうした祥瓊、そんなところに突っ立って」
黒い目を瞬く青年に、溜息をついて衝立の奥を示した。
「あれ」
指差した先には、書類の山に埋もれて書卓に突っ伏す景女王。
「ちゃんと牀榻に寝かせたいんだけど、声をかけても起きないの。どうしようかしら」
「しょうがねえなあ」
苦笑した青年が陽子、と呼びながら肩を揺すったが、陽子に目を覚ます気配はない。
「こりゃあよっぽど疲れてるな」
「いくら仙だからって、限度があるわよねえ」
ここのところ、朝には面倒な案件が多い。
浩瀚や諸官は寝る暇もないほど忙しいようで、そんななかひとり安穏としていられるような陽子ではない。またぞろ根を詰めて懸案の検討でもしていたのだろう。
女史の祥瓊はもちろん、
勤勉なのは王として得がたい資質だとは思うが、気力だけでなにもかもできるわけではないから、少しは休んでもらいたいというのも本音である。
溜め息をついた二人の心配も知らず、いっそ気持ちよさそうに眠る陽子に、楽俊はくすりと笑う。
「楽俊」
「ん? あ、すまねえ」
横から紫紺の瞳に睨まれて、青年は笑んだままの口元を押さえた。
なんだかんだ言いながら、楽俊は陽子に甘い。
多少彼女が無茶をしても、それで自分が納得できるならと容認したりするから、陽子の体調を案じついつい厳しくなる祥瓊からすれば、甘やかしすぎる、ということになる。
ふんと口を尖らせて、祥瓊がまた腕を組んだ。
「やっぱりたたき起こそうかしら。もう遅いし、どうせこんなに疲れてたら仕事にならないもの」
「だって、起きねえだろ?」
「そうだけど、ちゃんと牀榻で寝ないと疲れも取れないでしょ?」
「まあなあ」
「でも、起きてくれないのよね……」
困惑しきりの祥瓊に楽俊はちょっと肩をすくめる。
陽子が後生大事に握り締めている筆をその手から取って、今度は起こさないよう静かに椅子から抱き上げた。
緋色の髪が揺れ、陽子の頭が楽俊の肩にことんと乗る。
完全に寝入ってしまっているのか、この期に及んでもまだ目を覚まさない陽子を抱きかかえて、祥瓊を振り返った。
「しょうがねえから、このまま寝かせちまおう。開けてくれるか」
「あ、ええ」
ぽかんとなりゆきを見ていた祥瓊が、慌てて隣室を隔てる衝立に駆け寄る。
先に牀榻に入り、鈴が整えておいた衾褥を大きくはいでおいて、連れてこられた陽子の靴を脱がせた。
深夜の私室ということで公服ではなく楽な格好だから、衣服はこのさい構わないことにする。
陽子を臥牀に降ろした楽俊が、かいがいしく動く祥瓊に
「……楽俊?」
「あれ、目が覚めちまったか」
間近で笑う黒い目に、状況がつかめていないのか陽子が幾度か瞬く。
「わたし、書卓にいなかったっけ?」
「そうだなあ。で?」
「……途中で、意識がなくなったような?」
「そうだ。書類に突っ伏して寝てるのを、祥瓊がちゃんと寝かせなきゃあって心配するんで、こっちに運んだんだ」
くすくす笑いながら説明する楽俊を、陽子が上目遣いで見た。
「楽俊が、運んでくれたの?」
「まあな。祥瓊じゃ運べねえだろ」
言われて、う、と衾褥のなかで肩をすくめる。
「ごめん、重かったでしょう?」
「そんなことねえさ、気にすんな」
笑って首を振り、それより、と陽子の額を軽く小突いた。
「謝るんなら、もう書卓で寝るようなことはするなよ? 自分のやるべきことを投げねえのはいいけど、何事にも限度ってもんがあるだろ。根をつめすぎればみんなに心配かけるし、お前が休まねえことには祥瓊だって下がれねえんだ。なにより、疲れを取らずに休憩抜きでやってりゃあ効率が悪い。わかるな?」
「はい、ごめんなさい」
「祥瓊には?」
「……ごめん、祥瓊」
陽子に謝られて、衝立のあたりで二人のやり取りを見ていた祥瓊が、まったくだわ、としかつめらしく頷いた。
「いくら仕事だからって、夜更かしが過ぎて朝議で居眠りするような羽目になってもしらないから」
「肝に銘じます」
神妙に頷いた陽子に、楽俊が苦笑する。
「なんでも自分でやらなきゃ気がすまねえ性分なのは知ってるが、それじゃもたねえだろ。そのへんをうまいことやりくりしねえとな」
早い話が少し手を抜けと言われて、生真面目な景王はちょっと頬を膨らませた。
「楽俊には言われたくないけど」
仕事も勉強も人一倍こなす青年は、だがたじろかない。
「おいらは好きでやってんだからいいんだ。第一、陽子はそれ以上にやることがあるだろ」
開き直った物言いに、陽子が笑った。
「楽俊て勉強が趣味なの?」
「いいじゃねえか。人生なんて勉強の連続だぞ」
「ええ?」
「と、大学の豊老師が仰っていた」
「なにそれ」
衾褥に埋もれながらくすくす笑う陽子に上掛けをかけなおしながら、楽俊も笑う。
「ほら、もう寝ろよ。明日の朝、寝坊しても知らねえぞ」
「うん。ありがとう、楽俊。祥瓊も」
「はいはい」
微笑んだ祥瓊が、ひらひらと手を振る。楽俊の手が緋色の前髪をかきあげて、陽子の頭を軽く撫でた。
「じゃあな。おやすみ、陽子」
「ん、おやすみなさい」
「こっそり衾褥抜け出して、書類読んだりしないでね」
祥瓊がしっかり釘を刺す。前例のあることで、陽子も楽俊も思わず吹き出した。
「しませんしません」
おどける陽子に、笑いながらもういちどお休み、と言って、二人は牀榻を出た。
書卓を片付け灯火を消して、堂室を退出する。廊屋を歩きながら、祥瓊は隣の青年をちらりと見上げた。
「楽俊て、本当に陽子に甘いわね」
へ、と驚いたような顔に柳眉を上げる。
「なあに、自分でわかっていないわけ?」
「いや……だって、けっこううるさいこと言ってると思うぞ?」
まあそれはたしかだけれど、と祥瓊は頷く。
だが、自業自得とはいえ、かつて初対面であれだけ厳しいことを言われた身としては、あの程度の説教など説教のうちに入らないのではないかと思ってしまう。
本人がどう思っても、あれではとても叱っているとは言えない。
これが景台輔なら怒涛の大苦情大会だろうし、そうなると陽子も同じ勢いで返すのが常なのだが、同じ内容でも楽俊の言うことはおとなしく聞いている。
頭ごなしにあれもこれもいけないと言われるのと、穏やかに諭されるのでは自然反応も変わるとはいえ、時には浩瀚や遠甫の説法よりも効果があるようで、最近では陽子の説得はほとんど楽俊に任されている始末である。
そのほうが話が早いと見て、まわりが押し付けている、と言うべきか。
当人たちはそれで特に異論もないようで、まあ結構なことである。
「やっぱり、甘いわね」
「……」
困ったように頭をかく同僚に、仲がいいのはいいことだと、祥瓊は諦めにも似た気分で溜息をついた。
初稿・2005.03.20
自サイトには、40000Hit御礼として掲載いたしました。
イロイロ悩んだのですが、せっかくの「楽陽!!」なので、楽俊の内豎設定を使わせていただきました。(脚本集5巻参照)
本当は100のお題の後のほうで使う予定だったんですけどね。
うちの設定では雁大学卒業後、慶で内豎やってます。最終的には秋官ですけども(多分……)
途中、必要ないところで意図的に使った言葉がひとつ。
いや、ホントにしょーもないところですよ。