《念の為対空戦闘を用意せよ》
回想
駐屯地西部 滑走路端
権田二等陸士
あれは基地周辺の測量を行っていた時だった。
自分、権田康介(ごんだこうすけ)の所属する施設科は
と言っても本当に基地の目と鼻の先、西方面の飛行場の延長線上でしかない。
それ以上の進出は計画されているらしい大規模偵察作戦までお預けだ。
測量はかなり緊張した。
なにせVADS対空砲2機と重MAT3機のバックアップを受けながらやるのだ。少し心配になる。
襲撃が起こった際自分はその場にいなかったが、無視できない被害が出たというのは聞いていた。そして東方面の修復に向かったときに戦いの壮絶さや敵性生物の恐ろしさを知って身震いしたのを覚えている。
であるからして、これだけの兵器に囲まれても過剰火力とは思わなかった。小隊規模の弾幕射撃を受け、挙げ句に40mmを何発も撃ち込まれてようやく倒れるような怪物に出し惜しみする事は無いだろう。
バックアップによる若干の安心感を糧にナタで藪を切り開き、測量機器をセット。水平をとって相方に合図をしようとしたとき。
「にゃあぅ」
なんだかネコの鳴き声がした気がするが緊張と疲れからくる幻聴だろう。基地に住み着いていたネコたちは
自分は気のせいだと首を振って作業を再開し……
「にゃ」
鳴き声とともにズボンの裾を引っ張られた。気のせいではない?
このあたりには野生のネコが生息しているのか。
「やぁネコちゃ……」
そして振り返った自分の前にはネコが居た…否、立っていた。
後ろ足で体重を支え、直立ではないにしろ立ち上がった状態で静止している。
しかも1匹だけではない。ざっと見て20くらいは居る。
それもみんな器用に彼らの身の丈ほどもあるどんぐりを抱えていたのだ。
「え」
状況が飲み込めない。
そういえば数日前に二足歩行するネコが見つかったという噂があったが…
それでも突然のことすぎて自分は固まってしまった。普段ならばすぐに上司へ連絡していたところだが、目の前の出来事はあまりに異質すぎる。
そんな自分をよそにネコたちは前に進み出て口を開く。
「ンニャア、ンゴミャコニャア、ニャオミャーオ…ンニャア!」
そこから発せられた鳴き声は何らかの文法に沿った法則性のあるもので、彼が何かを必死に伝えようとしているということは理解できた。しかし内容の方は全くもって理解できず、何よりネコが喋りかけようとしている事実の方に押されて頭に入ってこない。
僕が話の内容を全く理解できていないことを察したのか今度は黒っぽい毛色を持つネコが進み出てきて、今なお夢中で話し込んでいるネコをぽかりと叩いた。
「ンルル…」
叩かれたネコは渋々といった感じで引き下がり、今度は黒っぽいネコが口を開く。と、そこから発せられたのは鳴き声と区分するには文法的に出来すぎているものだった。
「ヤー!××××アイルー!××××××…」
これは間違いなく言葉だ。ネコが喋っている。しかし全く耳に馴染まないのは先ほどと同じで、いくつか聞き取れた単語もあったが断片的すぎてほとんど理解できない。
「えーと…こんにちは?」
「こん…?にゃ?」
試しに言葉を返してみるが、ネコたちはみな首を傾げる。向こうもこちらの言葉がわからない様子だ。
彼らはしばらくこちらの発した言葉を繰り返し、首を傾げてお互いの顔を見合わせた後で少しがっかりしたように肩を落とした。
が、今度は手に持っていた巨大どんぐりをこちらへと差し出し始めた。
全員で。
「にゃあ!」
「うわぁ!」
「おい、計測遅いぞ…って何だ!?」
「権田!しっかりしろ!」
そのタイミングで施設科の仲間達がやってきて、ネコとどんぐりにもみくちゃにされる自分を目撃した…
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「ということがありまして…」
「なるほど」
頷きつつも困惑を隠せない基地司令。
こんなことがいきなり起これば誰でもこうなるだろう。
「歩くネコが目撃されたという情報は掴んでいたが、生で見るのは初めてなのでな…」
基地司令はネコをまじまじと見つめる。
ネコの身長は人間の腰の高さくらい、毛色はブラウンとベージュと白。
骨格は普通のネコとは違うところも多く、これはネコというよりも『こういう生き物』だと解釈したほうがいいだろう。
いったいどのような進化を辿ってこの姿に行き着いたのかが気になって仕方ないが、そういう調査はお門違いか。
「彼は君に、その、話しかけたわけだな?」
「はい、理解はできませんでしたが…」
「そうか…言語を持ち、二足歩行する…と」
司令は顎に手を当ててしばらく考え、
「そして、道具も使う」
ネコたちの持っていた巨大ドングリをちらりと見て付け加える。ドングリにはなにかの絵がびっしりと描かれ、それが自然のものではないのは明らかだった。
塗料を使って色を付け、意味のある図形を描き出すという行為。それをできる動物を自分はすでに1種知っている。
人間だ。
彼らも同じことができるならば…
「この世界の知的生命は…ネコなのか」
ネコのような種族が支配する世界…とても想像できない。
彼らの身なりや服を見るにその暮らしは原始的なようだが、あの恐ろしい森の中で生き残れる力を、知恵と道具を使う能力を持っているのだろう。
どのような存在なのか慎重に見極めていかなければ。
「ところで他のネコたちはどうしたんだ?君の話だと彼以外にもいたようだが」
「今のところは施設科で面倒を見ていますがどうしましょうか?」
「正直なところ、これは私も扱いに困るぞ…彼らが我々と同じように見て聞いて感じるならば人道的に扱わないとならん」
と、足元でおとなしくしていたネコが司令に歩み寄っていく。
「にゃ!」
その両手には例のごとくでかいドングリが辛うじて収まっている。
表面に描かれた絵はよく見るとなかなか緻密で美しく、民族画のような独特のタッチと味のある色彩で彩られていた。
…と、これは『赤』だろうか。
頭の横の膜を広げて威嚇しているところが描かれている。
その隣に描かれているのは銃を構えた人間。
ん?
「これは我々か?」
司令がその絵を指差して訊くとネコは嬉しそうな顔をする。
他の絵を見ると、走る人間、逃げる『赤』、大型の『赤』と戦う人間…
これは時系列的に描かれているらしい。
だとするならば。
「おい、君は他のネコたちもドングリを持っていたと言ったな」
「…!っはい!今すぐ持ってまいります!」
傍らのネコは興奮する自分たちを楽しそうに見つめていた。
ドングリ絵巻物。