【完結】ウマ娘プリティーダービー企画短編集ーAutumnー   作:またたね

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師走の花吹雪

 

 

 「努力は人を裏切らない」

 

 その言葉は間違っていないが正しくもない。

 積み上げた無数の研鑽の果てに、栄光や勝利がある。己を律し、身を一振りの刀として鍛え上げた先にようやく手に入るものが、夢への挑戦権。ことレースに於いて勝利者の栄誉を頂くためには、血の滲むような鍛錬は単なるスタートラインでしかない。

 

 成功する者は、皆(すべか)らく努力している。見える場所でも、勿論見えない場所でも。

 

 しかし、敗れた者が怠惰かと言うと決してそんなことはない。ターフに立つ者の中に、トレーニングを怠った者は誰一人としていないと断言できる。勝者と同等、あるいはそれ以上に頑張っている者さえいただろう。

 

 それでも、負けるのだ。

 

 勝者はたった一人。その他は敗者。

 観客からは見向きもされない。唯の有象無象。

 

 努力が、人を裏切ることはざらにある。事実として、そうなっている。

 それは日夜鎬を削るウマ娘達の前に、聳え立つ大きな壁となって立ち塞がる。

 

 学園での日々が報われるとは限らない。そんな可能性と隣り合わせの中、彼女達は走っている。

 

 ほんのひと匙の栄光と、その周りに無限に広がる夢の屍。

 その覇道の半ば。自らの器の底を見た者から、心を折られターフを去っていく。

 

 

 彼女もそうだった。

 

 幾度となく挑み、走り、そして敗れた。

 何度も。何度でも。数人分の両手足の数では到底足りないほどに敗れた。

 

 先輩には当然のように負けた。

 同期にはその背を追えず負けた。

 後輩には競ることもなく負けた。

 

 その才の差を見せつけられていく。

 

 しかし、彼女は立ち上がった。

 何度も。何度でも。負けた数と同じだけ立ち上がった。

 

 折れることなく。腐ることなく。

 さながら一本の大樹のように。

 

 

 そのウマ娘の名前は――

 

 

 

――――

 

 

 

 私は、俗に言う「落ちこぼれ」だった。

 学校の成績も下の中。容姿も下の中。何もかもが下から数えた方が早かった。

 そんな自分を変えたくて必死に勉強して、どうにか滑り込みで入ることができた中央トレセン学園。

 

 そこでも私の称号は何も変わらなかった。

 サブトレーナーとして数年の下積みを経て、自分のチームを持ってからも泣かず飛ばず。

 精々オープン戦に入着したウマ娘が数名といった、弱小も弱小チーム。

 それが戦績()。うだつの上がらない私そのものだ。

 

 恐らく私の人生のピークは、中央(ここ)への就職が決まった時だったのだろう。

 

 ただ毎日を無為に過ごし、ただなんとなく指導にあたり、ただそれっぽくメニューをまとめて。

 そんな日々。

 

 当然評価も芳しくなく、常にトレーナーを欲しているトレセンの実情にぶら下がっているだけの日々。

 正直、自分にも嫌気が差していた。

 いっそ辞めてしまおうか。ここは私にとって余りにも息苦しい。中央ライセンスがあれば、地方なら引く手数多だろう。もっとプレッシャーから離れられる環境でゆっくりと生きていければいい。

 

 甘言のような言葉が、頭に浮かんでは消える。

 

 

 

 ――そんな時に、彼女と出会った。

 

 桜の花弁が風に踊る4月。

 誰もいないグラウンドでぽつんとひとり、彼女は夕焼けに引き延ばされた影と並走していた。

 

 あまりにも不細工な走り方だった。大凡(おおよそ)レースをするためのフォームではなかった。

 あれでは勝てるものも勝てない。何をやっているんだと思いつつも、それを口にする気は起きなかった。

 他のトレーナーからは、私もあんな風に見えているのかもしれない。そんな言葉が脳裏を過ぎった時――

 

 目の前でそのウマ娘が、ぱたりと倒れた。

 

 それを見て反射的に駆け寄る。彼女を抱えながら、私もちゃんとトレーナーの端くれではあるんだなと他人事のように考えていた。

 

 桃色の髪。小柄な体躯。

 見ない顔だった。きっと新入生だろう。

 

 その時選抜レースですら見に行かなくなっていたことを自覚し、思わず顔が歪む。見覚えが無くて当然だ。何せ、自分から邂逅を拒否していたのだから。

 

 大量の発汗に手足の痺れ。朦朧とする意識。脱水症状の初期に見られる兆候だ。

 休むことなく、ただ我武者羅に自分を虐めていたのだろう。あんなフォームの走行など、何時間走っても時間の無駄だと言うのに――

 

 抱えて保健室に運び、常駐している校医に診てもらう。ベッドに寝かせて水を飲ませ、氷嚢で身体の各所を冷やしていく。脚の関節も、驚く程熱を持っていた。一体どんな無茶をしたらこんなことになるのだろうか。

 

「では先生、後はお願いします」

 

 この場を預けて立ち去ろうとした時――

 背を向けた身体に、僅かな抵抗感が。

 

 意図しての行動か。はたまた無意識か。

 彼女が、私の上着の裾を摘まんでいた。

 

「……」

 

 これは、どういう意味だろうか。

 私が困惑していると、ベッドから上体を起こした彼女がぽつぽつと語り出す。

 

 自分の足がとても遅いこと。

 同期達は既にチームの下でトレーニングを始めていること。

 トレーナーが見つからないこと。

 我流でトレーニングをしていたら、突然意識が飛んだこと。

 

 途中何度もつっかえながら。恐らく、自身の胸中を言語化することに不慣れなのだろう。

 等の本人はさも笑い話のように聞かせるが、入学早々結構なことが起こっている。

 問題は、それを私に聞かせてどうするつもりだろうか。嫌な予感がする。

 

「トレーナーさん?は、トレーナーさん、だよね?」

 

 恐らくそうなんだろうけど確証が持てないから一応、といった感じでお伺いを立てて来る彼女に、襟元のバッジを見せてそうだと告げる。

 

「わたしのトレーナーになって!おねがい!」

 

 嫌な予感とは当たるものだ。まさかとは思ったが、本当に逆スカウトされることになろうとは。

 

「たくさんトレーナーに声かけたのに、どこのチームにも入れてもらえなかったの!

 このままだとわたし、みんなと一緒に走れない!」

 

 そりゃそうだろう、なんてことはとてもじゃないが言えなかった。

 彼女の見せる切羽詰まった表情。その顔が、嘗ての私と重なる。

 

 ……いや、"嘗て"というのは間違っている。鏡で毎日突き合わせている今の私も、まさにこんな顔をしていた。

 

 この子をマネジメントするのは、メリットよりもリスクが勝る。なけなしのトレーナーとしての自我が、心のどこかでそう告げている。慢性的に人手が不足しているトレセン学園。人的リソースは有限なのだ。

 

 しかし、何故か放っておけなかった。無価値だと、切り捨てることができなかった。

 瞳の中にある桜色の花弁を模した光彩が不安げに震えるのを見て、私の首は横方向への可動を拒否した。

 

「……わかった」

 

 気付けば、口が勝手に動いていた。

 その時の彼女の顔は、今でもはっきりと覚えている。

 

 焦燥に駆られた(おもて)が、満開の花が咲いたかのように破顔した。

 

 

 

――――

 

 

 

 彼女のトレーニングを始めてわかったことがある。

 彼女は、本当の意味での()()()()()()()()()のだ。

 ウマ娘が持つ潜在的な欲求のまま、ただ身体を動かしているだけ。それに加えて、自身が元来持ち合わせてしまっている足の遅さが相まって絶望的な速度を醸しだしている。

 

 勝つための走りをしていない。走る理由の中に"勝ち負け"が一切含まれていない。

 これは競争ウマ娘にとって何よりも致命的だ。およそ2000人弱が在籍していると言われているこの中央トレセンにおいても、彼女ほど"闘争心"という言葉と無縁の生徒は恐らくいないだろう。

 

 流石にヒトよりは速いが、かなり際どいラインだ。人間基準での短距離だけなら、かなりいい勝負かもしれない。

 

 このままではいけない。私はまず、彼女の考え方(マインド)から変えていくことにした。

 

「いいかい?レースは勝負なんだ。出走する他の子達は、みんな一着になるために練習を積んでる。キミも走る以上、何かそういった目的を――」

 

「あっ!ちょうちょ!」

 

 

 

「そのフォームじゃ余計に疲れるよ。こうやって腕をしっかり――」

 

「zzz……」

 

 

 私の高説は、押し寄せる睡魔やひらひらと漂う蝶の前に完膚なきまでに敗北した。

 思わず崩れ落ちそうになる膝を支え、めげそうになる気持ちを揮い立たせて指導に臨む。

 

 中央に来るウマ娘は、全国から選りすぐられた生え抜きの精鋭――言わばエリート集団だ。

 今まで担当してきた子達も、結果こそ満足に残してあげられなかったとはいえ、言ったことをちゃんと実践できるだけの自力は最初から備わっていた。

 

 それが彼女はどうだ。赤子に歩き方を教えるかのように、手取り足取りという言葉が過言ではないほどに手がかかった。

 

 こうして担当になった教え子を悪し様に言うのは気が引けるが、あの熾烈な入試倍率を潜り抜けてこれたとはどうにも考えにくい。

 

 理事長にそれとなく聞いてみたところ、何と過去に前例のない「面接」で通ったという。

 裏口の間違いでは――と言いかけた口が、隣に立つ秘書の鋭い視線に封じられた。

 

 これまでに経験したことのない、実に手がかかる子であった。

 

 不格好に手を前へ伸ばし、どてどてと走る。この恰好で自動車くらいの速度は出るのだから、ウマ娘とは実に不思議な生き物だと改めて思う。

 

 閑話休題。

 

 

 それでも努力の甲斐というのはあるもので、私の涙ぐましい努力は牛歩のような速度であるものの、確実に彼女の力になっていった。

 

 10点20点の成績を50点にするのは、80点を90点にするのに比べて遥かに簡単なのは言うまでもない。

 千里にも万里にも思える道を、一歩一歩着実に進んでいた。

 

 

 しかし、時間は有限だ。

 この学び舎において、そんな速度では他の成長に追いつけない。

 彼女が一歩を進む内に、他のウマ娘達は十も百も先へ行ってしまう。

 

 ここは中央――時代のトゥインクルシリーズを担う傑物達が、覇を競い合う場所。

 その事実を突きつけられるのに、さほど時間はかからなかった。

 

 

 

――――

 

 

 

 勝てない。

 勝てないという言い方も正しくない。

 正確に言うのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「勝てない」というのは、掲示板に絡み、次こそはという状況を指している。

 自分の後ろにウマ娘がいないレースの結果を説明する言葉ではない。

 

 当然と言えば当然なのだ。

 頑張って10点を40点にしても、入学した時から既に60点だった子達に適う道理はない。

 

 幾分かマシになったフォームで走る彼女を嘲笑うかのように、他の出走者はその遥か前方を軽やかに駆けていく。

 

 足りない。このままでは。

 今のままでは、これからの3年という時間は、出るレース全ての尻を舐め続けるだけの結果になることは明白だった。

 

 しかし……

 

「また負けちゃったー!みんな速いね~」

 

 当の本人が未だにこの有様では、勝ち負け以前の問題だ。

 レースの結果を一々引き摺らないのはいいことだ。ウマ娘はメンタルがパフォーマンスにも大きく作用する。「やる気」が下がると、コンディションも悪くなる。彼女はそういった精神状態による影響を受けにくい。

 

 それに加えて、とても楽しそうに走るのだ。終始ニコニコしながら駆けていき、勝者を笑顔で称える姿は見ている側からしても気持ちが良い。

 

 

 だが、余りにも引き摺らなさすぎる。次の瞬間には、走り終えたことすら忘れ去ってしまったのではないかと思うほどけろっとしている。

 

 少しは反省や次回に向けて課題を自覚して欲しいのだが、それが叶ったことは今のところ記憶にない。

 

 

 

 それが、実に数か月の間続いた。

 

 

 

 最初こそ根気強く言い聞かせていたが、暖簾に腕押しと言うべき手応えの無さに、段々と苛立ちが増してきていた。

 

 

 ある日のレースが終わった時のこと。

 相も変わらず一番最後にゴール板を横切った彼女が、いつもの笑顔を浮かべながら戻ってきた。

 

「あ~今日も楽しかった!」

 

 

 その一言に、ついカチンと来てしまった。

 

 

「……何が楽しいの?」

 

「え?」

 

「勝つ気のないレースに出て、負けてヘラヘラして、何が楽しいんだって言ってるの!」

 

 その日は、私の虫の居所も悪かった。今となっては、それは言い訳でしかないが。

 やめろ。心が止めに入るより先に、言葉が口を突いて出てしまった。

 

「トレーナー……?」

 

「――っ、ごめん」

 

 咄嗟に出た怒声に被せるように、反射的に謝罪の言葉を重ねる。担当に八つ当たりなんて、トレーナーとして恥ずべき行動。いくら勝敗に無頓着でも、彼女は自分なりに精一杯やっているのに。

 

「……」

 

 私の鋭い言葉をぶつけられた彼女が浮かべていたのは――戸惑い。

 本当に、何を言われているのかまるでわからないと。そんな表情を浮かべていた。

 

 それを見た私は、理解した。

 あぁ、この子には何を言っても――

 

 諦めとも言い換えられる気持ちを胸に抱え、府中へと車を走らせる。

 彼女は帰路についている間、助手席から視線は外の景色へとやりながら、珍しく終始無言のままだった。

 

 

 

――――

 

 

 

 年末の中山。

 雪がちらつき時折身を切るような風が吹く中、今この瞬間のここは日本のどこよりも熱い。

 

 今年目覚ましい活躍を見せたウマ娘達が、人気投票によって一堂に介す夢の祭典。

 六月の宝塚記念と双璧を成す、年に二度行われる特別な()()()()()()()()

 

 

 「有マ記念」

 

 

 早々たる顔ぶれの出走に、観客の熱気もうなぎ上り。

 スタンド全体が大きなうねりとなり、ターフを駆ける優駿達にエールを送る。

 

「すごーい!すごいすごいすごーい!」

 

 私も彼女も、そのエネルギーを形成する構成員となっていた。

 

 目の前を通り抜けていく勝負服のウマ娘達を、目を輝かせてかじりつくように眺めている。

 先ほどから「すごい」しか言わなくなった彼女を見ながら、私は少し意外だった。

 

 日頃から表情もコロコロと変わり、天真爛漫と言った形容が相応しい彼女。しかし、ここまで大きな感情を露わにするのは珍しい。よほどお気に召したのだろう。

 

 感情的に彼女を怒鳴ってしまった後、学園に戻るまでずっと神妙な表情を浮かべていた彼女だが、その翌日からはいつもの彼女に戻っていた。

 練習もいつも通り。――レースの結果もいつも通り。

 

 関係性に罅が入ったということもなく、本当に従来のまま。

 そんな彼女を見て何かいい刺激になればと思い、このレースの観戦に誘ったのだ。

 

 

『一バ身半の差を付けて、今ゴーールイン!例年よりも数段ハイレベルな今年の有マ記念を制したのは――――』

 

 

 スタンドが爆発した。先頭で駆け抜けた今年のグランプリウマ娘に、割れんばかりの喝采が降り注ぐ。

 

「すごーい!おめでとー!」

 

 隣で無邪気に手を叩く彼女を見て、思わず頬が緩む。

 3年間しかない大事なシリーズの内、既に一年が経過した。されど一年。だが、たかが一年だ。

 あと三分の二も残っている。彼女にとっても、まだまだ始まったばかりだ。これから頑張っていけばいい。

 

 とにかく、まずはメイクデビュー戦で勝つところからだ。年が明けたら、神社に願掛けでもしに行こう。

 

 そんなことを考えていた矢先だった。

 

「――ねぇ、トレーナー」

 

 彼女から、驚くべき一言が出たのは。

 

 

 

「わたし、()()に出たい」

 

 

 

 無理だ。

 

 喉の先まで出掛かったその言葉を、鋼の意志で抑え込んだ。

 できるはずがない。

 正直、無礼(なめ)ているとしか思えない発言。聞く人によっては、気分を害することすらあるかもしれない。

 

 はっきり言って、無謀だ。

 メイクデビューを勝ったことすら――誰一人として抜き去ったことがないウマ娘が語る理想の範疇を遥かに逸脱している。

 

 容姿こそ幼く見えるが、彼女は既に本格化を迎えている競争ウマ娘。

 子供が思い描く、漠然とした夢物語とは違うのだ。

 

 現実を直視出来ていない、可哀想なウマ娘―― 

 

 

 しかし、彼女が浮かべる真剣な表情に、あの時と同じような感覚に陥る。

 私は、この顔にどうしても弱かった。

 

 無謀な目標を追うのは止めなければ。心はそう結論付けているのに、口は真逆を紡ぐ。

 

 

「……本気なんだね?」

 

「うん!」

 

「厳しいことを言うようだけど、今の君が有マに出られる可能性は殆どない。グランプリレースは人気投票で選ばれるんだ」

 

「ぐらんぷりん?美味しそう!」

 

「……とにかく、本当に出たいなら、これからもっと厳しいトレーニングをしなくちゃいけない。それにちゃんと付いてこられる?」

 

「うん!」

 

「途中で絶対に投げ出したりしない?」

 

「うん!」

 

「……わかった。そこまで言うなら、私も全力で応援する。年が明けたら、早速作戦会議をしよう」

 

「ありがとう!わたし、もーっとがんばるね!」

 

 ぱあっと花が咲くような笑みを浮かべて、私の手を引いて駅へと向かう。

 

 人たらしというかなんというか、

 どんなに無茶なお願いでも、どうにかしてあげたくなる。

 そんな不思議な魅力が、彼女にはあった。

 

 一際強い寒風が、私たちの間を吹き抜ける。

 これから先の困難を告げているかのように、小さく鳴った。

 

 

 

――――

 

 

 

 グランプリレースに出るために必要なこと。

 まずはとにかく実績を付ける必要がある。

 

 出走が投票で決まる以上、まずはレースファンに彼女の存在を認知してもらう必要がある。

 残り二年のトゥインクルシリーズ。必要な手順を逆算していけば、寄り道はおろか、脇目を振る暇も残されていない。

 

 結果は伴わずとも、とにかく楽しそうに走り、ファンを喜ばせる以外にも彼女は得難い素質を持ち合わせていた。

 

 ()()()()()()。毎週のようにレースに出ても、彼女のコンディションは全く損なわれない。まぁ、もともとのパフォーマンスがお察しという部分はさておき。

 「無事是名ウマ娘」という言葉があるように、怪我をしないというのはそれだけで立派な才能だ。

 

 そこを逆手に取ることにした。

 投票によって決まるということは、「全く勝てなくても出られる可能性がある」ということでもある。

 彼女の競争ウマ娘としての適性を完全に見限っているようで心苦しいが、とにかく利用できるものは何でも使う。

 

 手始めに、予定されているレースに片っ端から出走登録をした。

 とにかく彼女というウマ娘の存在を、ファンの頭に刷り込ませる。

 

 グラウンドでぽてぽて走る彼女の後姿を遠目に、そんな算段を立てる。

 

 また、芝と砂とが混在していた出走バ場を、ダート一本に絞った。

 あくまで個人的な見解だが、彼女はどちらかと言えばそっちの方が合っている――気がする。

 まずは、ダートから着実に実力を付けて行って最後の一年で芝適正を出来る限り仕上げる。

 

 百歩譲って念願の出走が叶ったとしても、由緒ある重賞で無様な走りを観客に見せることは避けたい。

 これに必要なトレーニングを足していけば、皮算用も裸足で逃げ出すくらい穴だらけのロードマップが出来上がった。

 

「ゴールイン!」

 

 思案に耽っている内に、どうやら指定した距離を走り終えたらしい。彼女が上げた声で、手中のタイマーを止める。ゴールした瞬間をちゃんと見ていてあげられなかったのは内緒だ。

 

「トレーナー、タイムは!?今のは結構頑張ったと思うよ」

 

 上がった息を整えつつ、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってきた。

 むふーと得意げな息を吐き、何やらやり切った感を醸しているが――

 

「……えーっと、全然ダメ」

 

「がーん!?そんなぁ!」

 

 がっくりと肩を落とす姿も見慣れたものだ。年が明けてから、彼女には今まで以上にハードなトレーニングを課している。

 

 半年以上の指導の結果、当初の冗談のようなフォームは流石に幾分かましになったし、駆ける姿は随分見られるようになった。

 

 結果は依然として伴わない。

 しかし、周りからの評判は上々だ。

 彼女が振りまく"楽しい"という気持ち。それは着実に、ファンの間にも広まってきている。

 

 そんな担当を見ていると、私が今まで感じていたプレッシャーとは何だったのだろうと思わされる。

 当然社会人として雇用されている以上、結果は残さなければならない。

 

 だが、私が今まで責務だと思って自身に課していたものは、己に期待されている以上のものを勝手に背負い込んでいただけなのではないだろうか。

 そう言えば、私の戦績に関して学園側から特に何か言われた記憶がない。周りのトレーナー達が当たり前のように獲っている重賞に焦り、自らのノルマ以上の重荷を担いでいたのではないか。

 

 溌剌と、それが至上の喜びであるかのように砂原を駆ける桃色の髪。

 それを見ていると、私の長年の悩みが本当にバカなことのように思えてくる。

 

 本当に、不思議な魅力のあるウマ娘だ。相変わらず足は遅いが。

 ()()が伝われば、もしかしたら――

 

 微かに浮かんだ唯一の光。

 それを形にするのが、トレーナー()の仕事。

 

 タイマーを握る手に、更に力が入った。

 

 

 

――――

 

 

 

 最下位がずらりと並ぶ彼女の戦績。一覧にしてみれば、10や20じゃきかないだけの数。

 一体いつまで続くんだろう。なんて思っていたある日――

 

 それが突然、()()()()

 

 真夏の、特に暑い日のことだった。

 地方で行われたレースで、彼女は最下位からひとつ前――所謂ブービーを獲った。

 

 あの彼女が。トレーナーである自分が言うのもアレだが、シリーズ中に脱するのは不可能だろうと思われていたこの子が。

 今年最高気温を更新した当日の気候にばてて最後に垂れたウマ娘を、ゴール板前ハナの所で躱したのだ。

 

 にわかには信じがたい光景だった。

 ゴール前を横切る瞬間、すぐ斜め前を走るウマ娘のことを見た彼女の顔。

 

 その後はいつものふにゃふにゃした笑顔で一着になった走者を讃えていたが、私は観客席でひとり、あの刹那に見せた顔が頭から離れずにいた。

 

 一年半以上共に過ごしてきた私が始めて見る。彼女が、初めて他のウマ娘を意識した瞬間だった。本人がそれを自覚しているかどうかはわからないが。

 

 

「お疲れ様。今日はどうだった?」

 

「すっごく楽しかった!みんな速くてすごいね!」

 

 私へと駆け寄る彼女からは、いつもの反応が。それはよかったと、頭を軽くぽんぽんと叩く。

 

「そっか。どこか痛むところは?怪我はしてない?」

 

「へーきへーき!げんきだよ!」

 

「今日は最後じゃなかったじゃない。すごいぞ!」

 

「えへへ。そーでしょ?わたし、今日もがんばった!」

 

 元気よくそう答えた後で。

 

「でも、なんかちょっと……」

 

「どこか痛いの!?」

 

 顔から血の気が引いていくのがわかる。やはりこんなペースでレースに出ることは土台無茶な話だったのでは――

 

 

 

()()がね。チクってしたの」

 

 

 

 ゼッケンのあたりをぎゅっと抱きしめて、ぽつりと。

 

「さいごにあの子を追い抜かしたとき、すごくうれしかった。わたしも少しは速くなったんだって。すごくすごくうれしかった。

 

でも、みんなはもっともっと速かった。どうしてそんなに速いのかな?

 

そんなことを考えるとね。ここがチクってしたの」

 

 どうしてかなー?と首を傾げる彼女に、私は何と言葉をかけたら良いかわからなかった。

 私よりも遥かに低い位置にある頭をゆっくりと撫でて、しばらく考え、口を開く。

 

「それはね、"くやしい"っていう気持ちだよ」

 

「くや、しい?」

 

 自己の中に突如として芽生えたそれに、戸惑いを隠せないといった様子。今日に至るまで、ただの一度として彼我を比べることもなく、自らのために走り続けた無垢なウマ娘。ぺたぺたと自分のジャージを触って頭にハテナを浮かべる彼女。

 

「それを大切にすれば、きっと今よりも速くなれるよ」

 

「ほんと!?」

 

「うん、本当」

 

「わかった!わたし、もっともっとがんばる!」

 

 殆ど諦めていた。きっと私が何を言っても、彼女が走る理由は彼女の中で完結してしまっていると。「走ること」そのものが理由であり、それ以外を欲することは決してないのだと。そう思っていた。

 

 彼女にも、あったのだ。

 ウマ娘が誰もが持っているはずの、「勝ちたい」という気持ちが。

 

 

 この日、彼女は本当の意味で走者となった。

 

 もう大丈夫だ。

 私の中で、そんな確信があった。

 

 

 そうして、瞬く間に月日は流れて――――

 

 

 

――――

 

 

 

 師走下旬、中山レース場――

 

 並々ならぬ熱気が膨れ上がり、その開放を今か今かと待ち望んでいる。

 今年を締めくくるGIレースの火蓋が、もうすぐ切って落とされようとしている。

 

 そのざわめきを遠くに聞きながら、私と彼女は()()を待っていた。

 

 

 

「トレーナー」

 

 彼女が、私の顔を見上げる。

 

「どうしたの?」

 

「ありがとう」

 

 "あの時"と同じ表情を浮かべていた。

 

「わたしが前に怒られた時のこと、おぼえてる?」

 

「まぁ……ね」

 

 あの時は私も当たり散らすように彼女を怒鳴ってしまった。あまり思い出したい光景ではない。

 

「あの時ね、ほんとうに何を言われてるかぜんぜんわからなかったの」

 

 真紅に塗られた指ぬきのグローブを嵌める。

 

「走ることはわたしにとってはたのしいことで、ただたのしいことだった。

わたしは遅いからずっとみんなのうしろをただ走ってただけだけど。それだけでよかった」

 

「勝つのも負けるのも、走ってたらどうでもよくて、ただ楽しいって。そう思ってた」

 

「でもだんだん速くなって、けいじばんにものるようになって。ほかのみんながどんなにがんばってるかわかってきて」

 

 やや丈が大きめなジャージの上着を羽織る。

 

「やっと、言われたことの意味がわかったの」

 

「みんな、走ることと同じくらい、"なんのために走るのか"が大切なんだって」

 

「みんな、勝ちたいって大切な気持ちのために走ってる」

 

頭に、真っ赤な鉢巻が巻かれる。

 

「勝ってうれしいも、負けてくやしいも、ぜんぶトレーナーが教えてくれた」

 

 両の花弁を大きく広げ、笑った

 

「わたし、今がさいこうにたのしい!みんなといっしょに走れて、みんなと()()()()()()()()、ほんとうにワクワクしてるの!

 

 あの時よりもずっと!だから、ありがとう!」

 

 自然と、涙が溢れていた。

 

「わわっ、どうしたの!?泣かないで!?」

 

「大丈夫、大丈夫だから……」

 

 裾で乱暴に目元を拭い、無理矢理笑って見せる。

 

「さぁ、最初で最後の有マ記念だ。目一杯楽しんでおいで!」

 

「うん!行ってくるね!」

 

 そう言って、彼女は駆けていく。

 

「あっ!」

 

 途中でくるりと振り返り――

 

()()()()()()!」

 

 

 

『さぁ、今日の主役はこのウマ娘を於いて他にいない!芝に転向すること一年!並みいる強豪を退け、まさかまさかの出走を果たしたこの子こそ――』

 

 盛大に煽る実況を聞きながらターフに立つ彼女を眺め、私はひとり感慨に耽っていた。

 

 これが。この子が。本当にあの夕暮れのグラウンドでたったひとり、無様に走っていたのと同じウマ娘なのだろうか。

 

 

 嘲笑があった。

 侮蔑があった。

 批難があった。

 

 それでも彼女は、今日ここに立っている。

 

 

 「努力は人を裏切らない」

 

 その言葉は間違っていないが正しくもない。

 しかし、彼女は「間違っていない」ことを身を以て証明した。

 

 灰色だった私の日々に、再び色を与えてくれた。

 自分を縛らず、ただ我武者羅に、目の前の目的に向かって進む大切さを再び教えてくれた。

 今を全力で生きれば、世界はこんなにも綺麗で、驚きに満ちている。

 それを教えてくれたのは、他でもない彼女だ。これでは、どちらがトレーナーかわかったものではない。

 

 

 想像を絶する研鑽の果てに、今日の切符を自らの力で本当に掴み取った。

 彼女は正に敗者の星――幾度となく敗れ、その度に立ち上がった()()()

 

 

「頑張れ――」

 

 彼女の名前を、力の限りで叫ぶ。

 

 

 そしてゲートが開き――

 

 

 暮れの中山を、麗らかな満開の春風が吹き抜けた。

 

 

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