【完結】ウマ娘プリティーダービー企画短編集ーAutumnー   作:またたね

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Who am I.

 

 

 

 

 その日の雲は、鈍い灰色で濁っていた。

 

 見た者の心を鬱屈とさせる、鉛の空。

 

 頬を撫ぜる風は余りにも鋭く、冷たい。

 

 吐き出した溜息は、白く濁って虚空へと消えていく。

 

 

 

 

 彼はふと隣を見る。

 

 そこには朱が差した頬で俯きながら口をきゅっと結ぶ彼女がいる。

 

 普段の態度からは想像できやしない──学園で敬意と畏怖を以って慕われる、冷静で隙のないあの佇まいからは。

 

 いっそ夢だと言われた方がまだ現実味のある光景、だがしかし。

 

 繋いだ手から伝わる温もりが、夢と現の境界線を明確に示してくれていた。

 

 そして彼と彼女は消えて往く。鳴り響く雅楽と、賑わう人々の喧騒の中へ。

 

 

 

 

 

 ──謹賀新年。

 

 

 それは“始まり”。

 

 

 一年の、二人の、()拝の。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このスーパークリークってウマ娘おっぱいデケェよな」

「開口一番何を言ってるんだ、貴様は」

 

 某年、一月一日。

 ウマ娘特集が組まれた男性ファッション誌をコタツに下半身を突っ込んだままペラペラと呼んでいた俺の呟きに返ってきたのは、汚物に唾を吐きつけるような侮蔑の声。

 俺は首を持ち上げて、声の主の方──キッチンと視線を向けた。そして口に入れずともわかる美味な匂いと白い蒸気を纏いながら、切長の目を細めてこちらを睨みつけるウマ娘──()()()()()()と目があった。

 

「お、そろそろ完成か?」

「話題を逸らすな。貴様の先程の発言にしっかり落とし前を付けろ」

 

 おぉ、怖い怖い。

 融通が効かないのはいつまで経っても変わらないな……なんてことを思いながら、俺は鼻を鳴らして彼女へと捲し立てる。

 

「いや、実際ヤベェよ。メロンじゃなくてスイカだぜコレ。殺傷兵器だよこんなん」

「お望み通りに殺傷してやろうか?」

「え? 下ネタ?」

「は? どこが……あっ」

 

 どうやら俺の言いたいことに気づいたらしい。彼女は俺の望み通り殺傷兵器(B90cm)で殺傷してくれるらしい。無論そんな意味で言ったわけではないということはわかっているが。

 

「ち、違っ……! 私はそういう意味で言ったわけではっ」

「一思いにヤッてくれ」

「失せろッ!!」

「ァアっッツゥィァァ!!」

 

 怒りに我を忘れた彼女はお玉を握り、グツグツと煮立った液体を俺へと飛ばしてきた。

 それは的確に俺の顔面へと直撃し、あまりの熱さに声にならない悲鳴を齎す。

 

「あっ、あッ、あああああああァァァァァ!!!!」

「フン、無様だな。貴様の末路にはお似合いだ」

「こっ、氷を、くれ……」

「知らん、私は忙しいんだ。自分で取れ」

「鬼! 悪魔! エアグルーヴ!!」

「そうとも、私がエアグルーヴだ」

 

 フフン、と彼女は憎らしげに笑った。

 

 

 

 

 ──エアグルーヴ。

 

 『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』通称『トレセン学園』に通う彼女は、俺と専属契約を交わしたウマ娘だ。

 端正かつ剛殻な雰囲気、華奢な肢体と反比例するかのような力強い走り。才能に胡座を掻くこと無く、生まれ持った宝石を磨き続ける姿勢。そんな彼女を、人々はこう呼ぶ──“女帝”、と。

 

 端的に言えば、一目惚れだった。

 

 無論容姿の話ではない。彼女を彼女足らしめる心の芯が表れたその走る姿に、心を奪われた。

 最初信頼なんてモノは俺からの一方向しかなくて。彼女は俺のトレーニングメニューの構築力を評価しているだけだった。そんな彼女に認められたくて必死に藻掻いて、足掻いて。

 それから、もうすぐ二年になる。

 

 

 

 

「ほら、出来たぞ」

「そろそろだと思ってたよ」

「……貴様先程までの狼狽は嘘か」

「お前のお雑煮が食えると思えばこんな痛み屁でも無いさ、ハハハ」

「おべっかだけは一流だな」

 

 嘆息と共に、エアグルーヴは言葉を返した。

 彼女は規則正しい生活を重んじる。故に季節の行事に、異常な程敏感なのだ。

 それがわかったのは、昨年の冬──クリスマスと正月だ。基本的に季節感もなく、仕事が無い日には怠惰を貪る俺の姿を見て、彼女はキレた。いやいつもキレてるけど殊更。『メリハリのある生活をしろ』が彼女の口癖になったのもこの頃からだ。

 しかしその時食わせてもらったお雑煮が、死ぬほど美味かった。故になんだかんだ言いながらも俺は彼女の料理を、心の底から楽しみにしているのだ。

 

「よし、完成だ。待たせたな」

「うおおぉぉぉ……!」

 

 そして炬燵に並ぶ、料理の数々。お雑煮に加え、重箱一杯に敷き詰められたお節が二つ。後者に関しては数日前から仕込んで寮から持ってきてたらしい。やばいな。

 

「……これ、幾ら位すんの?」

「何を言っているんだ貴様は……私が作ったんだ、値が付くわけがないだろう」

「いや、材料費だよ材料費。えげつないくらいするんじゃないの?」

「……まぁそれなりに、だ。それとも何か? 私がそれを言えば貴様は払ってくれるのか?」

「ば、そんなつもりじゃ」

「ならばうだうだ言ってないで早く食べろ。折角の料理が冷める」

「あ、あぁそうだな……いただきます」

 

 しっかりと合唱してお辞儀。そんな俺の様子を見てエアグルーヴは苦笑を浮かべていた。

 まずはお雑煮。お椀に注がれた熱々のそれを、ゆっくりと啜るように口内へ流し込む。

 

「ンまいッ!!」

「当然だ」

 

 お雑煮は、場所によって個性が出る。具材は勿論、汁のベースとなる味から何まで千差万別。そんな中でも彼女が作ったお雑煮は、地方から上京してきた俺の地元の味に合わせた、顎出汁を用いた醤油ベースのすまし汁。そこに椎茸や昆布、鰹節を合わせることでサッパリとしながらも濃厚な味わいになっている。

 俺はさらに具材を一口頬張る。それは俺の地元では必ずと言っても良い程お雑煮に入ってくる──()()だ。出世魚の代表格とされるブリが、縁起物としてお雑煮の中へと入ってくるのだ。そこに添えられるのはブリと相性の良いかつお菜。さらに椎茸や里芋と最後に茹でた丸餅。これらが揃って、我が地元のお雑煮となる。彼女はそれを、完全に再現しきっていた。

 

「お前、俺の話だけでよくここまで再現しきったよな。なんかこっちに居るのに帰省した気分だわ」

「去年作った時に口煩く指摘したのは貴様だろう。私はその通りに作ったまでだ」

「いーや、それだけじゃなくて相当練習したと見たね。負けず嫌いで完璧を求めるお前のことだ、去年俺にやんやん言われて相当悔しかったんだろ。っていうか去年も普通に美味かったし、俺そんなに言ってないし。どう? 当たってる?」

「屠るぞ」

「ンン〜シンプルな殺意ィ」

 

 旗色が悪くなってきたので退散します。南無。

 

「……ある程度食べたか。ならこれを入れてみろ」

「ん、これは?」

「生七味、というやつだ。高級料亭でも使われる薬味で、通常の七味よりも風味が出る。お雑煮に良く合うはずだ」

「へぇ〜、初めて見たわ」

「ん……貴様湯呑みが空ではないか。ほら、貸せ。暖かい番茶を入れてやる」

「あ、悪い」

 

 そして彼女は机上の急須へと手を伸ばし、俺の湯呑みへと注ぎ直して再び俺へと手渡した。

 

「ほら」

「ありがとな」

「フン……その調子だとお代わりもするつもりだろう、そろそろお雑煮も温め直さなければな……」

 

 そう呟きながら、彼女は自分のお椀へと手を伸ばして、お雑煮を口に含んだ。一つ一つの所作が余りにも美しく、思わず見惚れそうになる気持ちを堪えて、俺は一つ感じたことを彼女に告げた。

 

「……なんつーかお前ってさ」

「なんだ?」

「お母さんって感じだよな」

「ブフォァッ」

 

 わ、なんか出てきた。

 口から盛大にお雑煮を発射したエアグルーヴは、窒息しかねない程の勢いで蒸せ返し、涙と汁を──いや、彼女の名誉のためにここでやめておこう。

 そんな彼女に俺はティッシュを箱ごと渡した。咳き込みながら彼女はそれを受け取り、一枚取って目と口周りを拭うと。

 

「フンッ!!」

「あぎゃぁァァッ!?」

 

 箱を真一文字に振り抜き、思い切り俺の顔面を切り払った。

 

「言うに事欠いて貴様っ……お、お母さんだと!? 私は貴様より年下だろうが!!」

「いやそんなことよりさぁ!! 今角!! 角で来たよね箱の!! 殺す気かよお前!!」

「貴様に受けた恥辱の方が上だ!! 心配して欲しいならせめて泣き喚いて見せろ!」

「うわぁ〜ん!! 痛いよママァー!!」

「雑煮の具材にしてやろうかお前」

 

 あ、やべ。これ本気でキレてるやつだ。

 なんか出てる。体から青いのが出てる。ついでに顔にも出てる。ビキビキって。

 

 

「あ、そういえばさあ」

「この流れの話題転換は無理があるぞ」

「や、ガチな話。初詣行かね?」

「……初詣?」

「そ。お前もまだ行ってないだろ? 今日が年始初日だし。近くに神社あるからそんな遠出しなくてもいいし。規模は小さいけどあんま人が多すぎてもアレだしな。折角だから今年も二人で行こうぜ」

「……!」

 

 俺の提案に、驚いたように目を見開くエアグルーヴ。そして数瞬の間を置いて、彼女は微かに頬を染めながら極めて不本意そうな声で呟いた。

 

「……悪くないな」

「だろ? じゃあこれ食ったらそのままの勢いで行こう」

「承知した。では私は支度をするから貴様は皿洗いを頼む」

「えっ」

「食べた分くらいは働け。太るぞ」

「ぐぬぬ……!」

 

 唸りながらお節へと端を伸ばす俺の姿を見たエアグルーヴは、溜息を吐きながら笑っていた。

 

 

 

 

「さっぶ」

「言い出したのは貴様の方だろう。シャキッとしろ」

 

 外に出て、神社までの道のりを二人で歩く。寒さを予想して最近買ったコートではなくダウンジャケットを着て来たのだが、それでもひんやりとした風に当てられると体が震えるのを止められなかった。

 そんな俺の様子を見たエアグルーヴはやれやれと言わんばかりに首を横に数度振った。

 

「や、逆にお前は? 寒くないわけ?」

「寒くないと言えば嘘になるが……別に貴様のように震え上がるほどではない」

「ウッソだろお前。今日の気温知ってるか? 2℃だぞ」

「そこまで言うなら家に篭っていれば良かっただろう」

「まー、そりゃそうなんだけどさー……」

 

 俺はダウンのポケットに両手を突っ込みながら小さく呟いた。この分だと、俺が初詣を提案した()()()()()に、彼女はまだ気づいていないらしい。

 

「……つーかお前、()()()()()()()()()?」

「七時だ。貴様の起きてくる二時間半前だな」

「俺が悪りぃみたいな言い方やめろよ。言っとくけど休日にそんな時間に起きるお前の方こそ少数派だからな」

「休みだからといって起床時間をズラすから体内時計が狂い体調を崩すんだ」

「かー、流石優等生。言うことからしっかりしてるわホント」

「……喧嘩なら買ってやるぞ」

「褒めてんだよ素直に受け取れ」

 

 ……今の会話でわかったかもしれないが。

 

 この女、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「フンフーフフンフンフーフフンフーフーフフーフーフー……」

 

 12月31日、午後11時27分。

 年明けの近づく深夜帯に、俺はテレビから流れる日本放送なんちゃら(N○K)をぼーっと眺めながら、炬燵に両足を突っ込んで鼻歌を歌って居た。

 

「フーフー……くぁぁ……」

 

 両足から伝わる優しい温もりに、睡魔が込み上げて耐えきれずに欠伸が漏れる。まだ眠るわけにはいかない。新年を眠ったまま迎えるなんてまっぴらゴメンだ。

 

「んー……今年一年、あっという間だったなー……」

 

 そう呟いて、机上のみかんへと手を伸ばす。白い部分が身に付き過ぎないように丁寧に皮を剥きながら、一年間の出来事へと思いを馳せた。

 

 

 

 担当であるエアグルーヴはクラシック級へと上がり、目標だった『トリプルティアラ』への挑戦が始まった。

 【桜花賞】で一着を取った後、彼女の夢の一つ──母娘での戴冠──である【オークス】が近づくにつれて気負いから調子を崩してしまったものの、友の発破で気を引き締め直し、見事に彼女は“樫の女王”となった。

 そして三冠目である【秋華賞】も弛まぬ鍛錬で己を鍛え続け、一着。“女帝”は見事に名前に恥じぬ立派な冠──『トリプルティアラ』を戴冠することができた。

 “女帝”と呼ばれるに相応しい、見事な戦績。彼女はこの結果に満足こそすれど奢ることなく前を見据えて走り続けている。目を閉じれば浮かんでくる、俺より遥かに前に立つ、彼女の後ろ姿。そして背中を見せたまま、首だけで後ろを振り返り不適な笑みを浮かべたまま俺に問いかけるのだ。

 

 

 

『──付いて来れるか?』

 

 

 

 彼女はいつも、そう俺に言う。

 『自分は此処では終わらないぞ』という、彼女の明確な意思表示であり、俺に対しての発破でもある。

 

「──これでも必死だよ、凡人なりにな」

 

 回想の中の彼女に、苦笑と共に返事を返した。

 彼女は心技体、どこを取っても隙が無い。

 練習量に裏打ちされた揺るぎない自信にレースセンスが、そのセンスを発揮する為に身体能力が、その身体能力を支えるように揺るぎない自信が。三項が相互で支え合い、“女帝”と呼ばれる彼女が完成する。

 さらに生徒会の副会長を務め、自主的に後輩の指導を買って出る。その多忙極まるスケジュールに、契約当初は眩暈を起こした。

 “全てのウマ娘の理想になる”という宣言に、嘘偽りは全く無い。これ程までに言動を体現することのできる存在を、俺はこれまで見たことがない。

 そんな彼女を、支えたい。だが自分が彼女に相応しいかと聞かれれば迷わず首を()に振る。まだまだ俺は未熟で、“女帝”と呼ばれる彼女の隣に立つには、何もかもが足りていない。

 

 それでも、他の誰でもなく。

 

 ──()()、彼女を支えたいのだ。

 

 だから俺はこの一年間、凡人なりに必死に足掻いてきた。ヘマもしたし、その度に彼女に怒鳴られた。

 それでも彼女は、俺を見捨てないでいてくれた。俺が共に歩むことを、赦してくれた。

 だから、これは俺の“挑戦”なのだ。

 

「来年も、頑張らないとな」

 

 口に出すことで、決意を新たに漲らせる。

 そして剥き終えたみかんを一粒千切り、口へと放り込んだ。小ぶりだがしっかりと甘く、そして舌に残る僅かな酸味が俺の意識を覚醒させた。

 

 

 

 ──ピンポーン。

 

 

 

「ん……? 誰だこんな時間に」

 

 不審に思いながらも、俺はインターホンへと向かい、通話を承諾した。結構古めのマンションだから、ビデオカメラはついていない。

 

 

「はーい……」

『夜分遅くにすまないな』

「……はい?????」

 

 聞こえて来た声に、耳を疑った。

 

「エアグルーヴ……?」

『ああ、私だ。開けてくれ』

「嫌だって言ったらどうする?」

()()()()()()()()()()()

「はぁーいすぐ開けまーす!!」

 

 何の? 何の覚悟なの??

 問いただしたい気持ちをグッと堪えて、俺は自動ドアの解錠ボタンを破壊しかねない勢いで連打した。

 待つこと数分、今度は部屋への来訪を告げるインターホンが鳴る。それには出ることなく、俺はドアを開いて彼女を迎え入れた。

 

「い、いらっしゃい……?」

「済まないな、こんな時間に。少し早いが……あけましておめでとう。旧年中は世話になったな」

「あ、はいあけましておめでとう……じゃなくて、いやホント。どうしたんだよお前、こんな時間に」

「……」

「おい、エアグルーヴ?」

 

 玄関先で俯いたまま、彼女は何も答えない。

 

「もしもーし、エアグルーヴさーん?」

「喧しい、聞こえている」

「じゃあ返事くらいしてくれよ」

「……どうせ貴様のことだ、炬燵に足を入れてダラダラと年の瀬を迎えていると思ってな。年越し蕎麦でも作ってやろうと思って来ただけだ」

「……はぁ」

 

 早口で捲し立てられ、俺は閉口する。余りにも無礼な物言いに思うところが無いわけではないが、概ね彼女の言うことは的を射ていた為うまく言葉が返せない。

 

「それに私が見ていないと貴様はまた去年のようにダラダラと寝正月を過ごして満足するだろう。故に私が見張りに来たと言うわけだ」

「えー……」

「……不服か?」

「や、別にそう言うわけじゃないけど……あれ、もしかして手に持ってるソレって……」

「ん、これか? お雑煮の材料とお節だが」

「足元にお気をつけてお上がりください」

「何だ貴様」

 

 傅いてスリッパを差し出す俺の姿を見て、嫌悪感を隠すことなく彼女は言った。

 

「まぁ待て、まずは年越し蕎麦だ。異論は認めん。お雑煮は明日作ってやるから我慢しろ」

「……え? 泊まってくつもり?」

「……さっきも言っただろう。目を離すと何もせずにダラダラと寝たまま正月を過ごしそうだからな、貴様は」

 

 言ってることは間違ってないし、それは嘘のない本心なのだろう。ただ何か……いや、思い過ごしか……?

 

「ふーん……まぁ良いよ。そこのソファ使いな。俺はベッドで寝るけど」

「フン、たわけが。貴様がソファで寝れば良いだろう。私がベッドで寝る」

「あれ? お前俺のベッドで寝たいの? 俺の、ベッドで」

「な……! 誰がそんなことを言った!?」

「いや言ってるじゃん今、お前が。やー、意外っすわ、あの天下のエアグルーヴ姐さんがまさか男のベッドで寝たあああああああああいッ!! いきなり目潰しすんじゃねぇ!!」

「貴様が適当なことを吐かすからだろうが!!」

 

 その後暫くぎゃあぎゃあと言い合って、俺がベッド、彼女が来客用の布団で寝ることで話は纏まった。いや最初から布団出せよって話なんだけどね。

 そして二人で蕎麦を食べながら新年を迎え、暫し談笑した後に就寝のタイミングが訪れた。

 

「じゃあ暖房のリモコン枕元に置いとくから。朝方寒くなったら点けな」

「……感謝する」

「キッチンは勝手に使ってくれ、多分お前の方が起きるの早いと思うから。じゃ、おやすみ」

「ああ……おやす、み」

 

 ぎこちない返答を受け取り、俺は自室へと歩き出した。

 

「……トレーナー」

「ん?」

「……なんでもない。おやすみ」

「は?」

「なんでもないと言っているだろう! 早く寝ろ!」

「いや、お前……はぁ、わーったよ。おやすみ」

 

 意味深な呼びかけだったが、これ以上答えてはくれないだろう。

 俺はそれ以上追求することもなく、再び自室へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「げ……こんな神社でも結構人多いな」

「まぁこの時期の神社は大抵がこんな様子だろう」

 

 そして辿り着いた神社。俺の家から歩いて十分程度の場所にあるここはさして大きいわけでもなく、人が少ないんじゃないかと踏んできたが……見当外れだったようだ。

 

「まぁしょうがないか……行くぞ」

「あぁ」

 

 俺が歩き出せば、彼女は大人しく半歩後ろをついてくる。本殿へと向かう間、他愛ない話を持ち掛けたが、何処か会話が弾まない。

 

「……」

 

 ふと隣を見れば、エアグルーヴはぼんやりと前を見つめていた。

 元々口数が多いわけではないが、それを加味しても何処か様子おかしく、上の空。神社に来てからその様子はさらに顕著だ。

 昨日から抱いていた疑念は、もはや確信に変わる。

 俺は意を決して、改めて彼女へと声を掛けた。

 

「エアグルーヴ」

「ん……なんだ?」

「……手」

「は?」

「寒い。手ぇ貸せ」

「は……はぁ!? 何故私がっ」

「いいから、早く」

「……」

 

 俺の剣幕に押され、彼女は恐る恐る手を差し出した。

 そしてその手を、ゆっくりと握る。細くしなやかな指と、柔らかい手のひら。その指先は、凍える様に冷たい。冬だから、とかそんな理由じゃなくて、それ以上の何かがあるのだろうということを、俺は直感的に悟った。

 

「……いくぞ」

「……」

 

 返事をしないエアグルーヴを、俺は引っ張るように歩き出した。

 

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

 ──私は何をしているんだろう

 

 

 練習もせずに、トレーナーである彼と怠惰を共にして。メリハリをつける為に季節の風物を享受する、確かにそれは自分が彼に告げたことだ。しかしこんなことをしている暇は、自分には無いはずなのに。

 エアグルーヴは、立ち行かない自分の状況に歯噛みする。様々な思いが複雑に絡み合い、自分の本当の気持ちが何一つわからなくなってしまっていた。

 彼女はそっと、隣を見た。そこに居るのは、自分の手をしっかりと握る、相棒(トレーナー)。“女帝”たる自分と共に歩もうとする、頼りないがどこか信頼できる不思議な男。へらへらとしていて掴み所がないが、その中身は真面目で、ウマ娘に対してとても紳士。そんな彼は先程から不思議な沈黙を保っている。

 

「……喉渇いたな」

 

 突如、彼は呟く。その視線の先には、自動販売機があった。

 

「ちょっとここで待っててくれ。パッと買ってくるから」

 

 『お茶でいいよな?』と言う問いかけに、首肯を返す。彼は手を離して駆け出すと、二本のお茶を手に戻って来た。そのうちの一本をエアグルーヴに差し出して──今度は無断で彼女の手を握り歩き出す。その横暴な振る舞いに文句を口に仕掛けて……スッと溜飲が下がった。

 

 

 ──暖かい。

 

 

 彼の温もりが、手のひらを介して冷え切った心に染み渡るようだった。

 

 

 そして彼は、突如彼女に問いかける。

 

 

 

 

()()()()()()()()?」

 

 

 

 

「っ……!」

「お前が昨日俺の家に来た時点で思ってた。いくら新年だからって、あんな時間に出歩いて俺の家を訪ねるなんて……俺には『何かありました聞いてください』って言ってるようにしか聞こえなかった」

 

 彼の表情は笑顔だが、声色は至って真面目だった。

 

「初詣も息抜きになればって思ってたんだけど……うまくいかないなホント。ダメダメだ俺」

「……しっかり息抜きはできている。貴様が気にすることはない」

「や、そんな顔で言われても説得力皆無だから、マジで」

「った……」

 

 彼は不本意さを滲ませて、エアグルーヴの額を指で小突いた。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。自覚がないだけに、エアグルーヴは動揺を隠せずに瞳を揺らがせた。

 

「もう二年近くも一緒に居るんだ、諦めてさっさと白状した方がいいぜ」

 

 冗談めいた口調で、彼はエアグルーヴへと笑いかける。その態度に若干むすっとしつつ──彼の言う通りだなと思い直して、彼女はその重い口を開いた。

 

「……一昨日の休養日。私はとあるウマ娘と模擬レースをしたんだ」

「んー休養日に走ってたっていう聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが……まぁ良い、今はスルーしてやる。で?」

「……負けたよ、完膚なきまでにな。全く以て敵わなかった」

「ほーぅ……?」

 

 彼はエアグルーヴの発言に瞠目する。

 身内贔屓と揶揄されようが、彼にとってエアグルーヴは屈指の実力を誇るウマ娘だ。そんな彼女が完敗を喫するなど、並大抵の相手ではあり得ない。

 

「本当か、それ。誰と()ったんだ?」

「──()()()だ。お前もわかるだろう」

「あー……」

 

 合点が行った、と言わんばかりに彼は頷きながら声を漏らした。

 

 スズカ──()()()()()()()()

 

 埒外の最高速度(トップスピード)を誇り、かつそれを維持し続ける驚異的な筋持久力を武器とする、脅威の“逃げ”ウマ娘。先頭の景色は譲らないと言わんばかりに開幕から大逃げを仕掛け、そしてそのまま一度も一着を譲ることなくゴールテープを切る姿から人々は彼女をこう呼ぶ──“異次元の逃亡者”と。

 

「……最近成長が著しいって話だけは聞いてたけど、お前が差しきれない程なのか? 前に模擬レースやってた時は二バ身差くらいつけて勝ってたはずだが」

「あぁ。陳腐な言葉だが、()()()()()()()。勝てるイメージが、全く湧かなかった」

 

 どこか自嘲めいた笑みを浮かべながら、彼女は吐き捨てた。

 

「スズカとは旧知の仲だ。お互い“トゥインクル・シリーズ”に身を入れ始めてからは会話も減っていたが、それでも学園内で顔を合わせれば挨拶くらいは交わしていた。だからこそ、敗北が悔しくて堪らなかったんだ。そして私は、久々に彼女の出走レースを見た」

 

 その時の衝撃を、彼女は暫く忘れることができないだろう。

 

「驚いた……言葉も出なかった。圧巻、この一言に尽きる。勝たなければならない、そんな思いよりも先に湧いてきたのは震え上がる程の恐怖だった……」

 

 彼女の心境に比例するように、尻すぼみにて小さくなっていく声。視線を落とし、石畳を見つめながら彼女は言葉を続けた。

 

「……そして圧倒的な速さで観客を沸かせ、更に圧倒的実力を以てウマ娘までも奮い立たせるスズカの走りを見た時思った──まるで私の“理想”そのものじゃないか、と……あぁそうさ、私が彼女に抱いたこの感情の名前は──」

 

 

 ──()()だ。

 

 

 天を仰ぎながら呟いた彼女は笑っている。

 しかしその笑顔は、誰がどう見ても彼女の心境からかけ離れたマガイモノでしかない。

 

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()()、私は」

 

 

 

 その言葉が、答えだった。

 

「全てのウマ娘の理想となることが、私の“理想”だった、私にとっての全てだった。だが、私がソレになれずとも──代わりは幾らでも居るのだと、思い知らされた。ならば私は……一体何の為に走れば良いんだ……!」

 

 彼女らしくない弱音。だがそれが紛うことなき本心なのだと、彼は悟る。

 

 

 

 

「勝てるイメージが湧かないんだ」

 

 

 

 それは二度目の言葉──声は震え。

 

 

 

「どうすればいいか、わからないんだ」

 

 

 

 それは二度目の言葉──表情は歪み。

 

 

 

「“女帝”でもなく、“理想”でもないならば」

 

 

 

 あらゆる負の感情が入り混じったぐしゃぐしゃな顔で。

 

 

 

 

 

 

 ──()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 エアグルーヴは虚空へと問い掛けた。

 

 

 

 

「……」

 

 彼女の静かな慟哭を、彼は黙って聞いていた。

 自分を見失い、進む道もわからない。

 “理想”を掲げ、ひたすらに前へ駆け抜けて来た足は、今にも壊れて止まってしまいそうだ。

 彼は探す──自分が彼女に伝えてあげられる、精一杯の言葉を。

 

 

 

「大丈夫」

 

 

 暫く経った後。彼は努めて笑顔で、彼女へと告げた。

 

 

 

 

()は勝てるよ、俺が側に居るんだから」

 

 

 

 

 

 根拠のない、ともすれば無責任なその言葉。

 

 けれどその言葉は、確かにエアグルーヴの心にすとんと落ちた。

 

 

 

 ──どうして。

 

 どうしてその言葉だけで、この胸はこんなに熱くなるのだろう。

 

 

 

 胸を締め付けられたかのような錯覚を覚えて、エアグルーヴは胸の前で握り拳を作った。

 そんな彼女の様子を横目で見ながら、彼は言葉を続ける。

 

「……俺さ、“女帝”なんて呼ばれるお前と一緒に過ごして暫く経つけどさ。俺にとって、お前を形容するに相応しい言葉はそれじゃない」

「……?」

 

 

 

「──“挑戦者”だよ、お前はさ」

 

 

 

「挑戦、者……?」

「出会った時からそうだったよ、お前。“全てのウマ娘の理想を体現する”なんて、途方もない夢に挑んで、その為に生徒会副会長として皆を導いて、後輩を手厚く指導して。そんなお前の姿を、俺はずっと見てきた」

 

 空を見上げて、ぼやくように彼の言葉は更に続く。

 

「【オークス】では、母娘での二冠を獲るなんて夢のために戦って……それを叶える為にただ前へ。苦しくても、諦めず前へ。そんなひたすらに前に進み続ける君の背中を、俺はずっと見てきた」

 

 そこで一度言葉を切り、彼はエアグルーヴへと笑いかけた。

 

「……“女帝”なんて大層な名前はさ、そんなお前の姿を周りが見てきたからこそついてきた結果に過ぎないと思うんだ。人一番責任感の強いお前のことだから、“女帝”と呼ばれるに足る器であるように、自分を律し続けてきた。だからそうやって落ち込むのもわかるよ……でも」

 

 そこで彼はふと足を止めた。不審に思ったエアグルーヴはそっと隣を見る。

 そして普段の楽観的な態度からは想像もつかないような真剣な眼差しと、目が合った。

 

 

 

 

「──お前が“女帝”じゃなくたって、俺はお前のことずっと見てるから」

 

 

 

 

「……」

「俺だけじゃない、お前を追いかけてくれている後輩のウマ娘たちも、お前が“女帝”だからじゃなくて、お前が“エアグルーヴ”だから、“エアグルーヴ”に憧れてるからこそ、その背中を追いかけてくれてんだよ」

 

 彼は笑う。その笑顔がやけに眩しくて、彼女はそっと目を逸らした。

 

「……相変わらず、口だけは達者だな」

 

 そんな皮肉しか、返すことができなかった。

 自分の心の揺らぎを自覚して、それでも何故か安堵してしまって。その複雑な感情に、彼女は名前をつけられなかった。

 

「手厳しいな」

 

 彼は困ったように笑う。しかしそれでもめげずに、自分の思いの丈を彼女へと告げる。

 

「お前の武器は、世間や記事が言うような卓越したレースセンスだとか、最高峰の瞬発力を誇る脚力だとか、圧倒的な末脚の速さだとか、そんなモンじゃない。お前のいっちばん強ぇ所は──ここだ」

 

 彼は鋭く、彼女の一点を指さす。

 

「……心臓?」

「そ。どんな逆境にも揺らがず、自分の信念を貫き続ける心。それがお前を“女帝”たらしめる最大の武器だ」

 

 だから、と彼は前置いた。

 

 

 

 

 

「──()()()()()、エアグルーヴ。休んだって良い、歩いたって良い。だけど止まんな。俺は“最強の挑戦者”のお前に、醜くとも必死に食らい付いていく“最弱の挑戦者”なんだからさ」

 

 

 

 

 

 優しく、それでいて獰猛な。

 そう形容するに相応しい、自分を凡人と罵る男の非凡たる一面をエアグルーヴは垣間見た。

 

 

 

 彼女は知らない。

 

 彼以外に、睡眠2時間弱で自分に最適なトレーニングプランを日単位で構築し続け、体調を崩さない男を。

 

 彼女は知らない。

 

 彼以外に、前述の上で彼女の生徒会での負担を肩代わりし、担当外のウマ娘の指導を請け負って自分が練習に集中できるような環境作りに奔走することができる男を。

 

 彼女は知らない。

 

 ──彼以外に、自分の心をこれ程までに奮い立たせることのできる男を。

 

 

 自分の、皆の理想の自分になる。

 

 彼女がいつも言っていることだ。それになることができたとは、彼女は微塵も思っていない。

 

 ただ。

 

 ──私の理想は、此処にいる。

 

 (ほう)けた心で、彼女はそう思った。

 

 

 

「……そうだな」

「うぉ、珍しい素直な肯定。やっぱまだ本調子じゃないみたいだな」

「……そういうところなんだ、貴様は」

「え、何が?」

「うるさい、黙れ」

「…………」

「黙れ」

「何も言ってませんけど!?」

「トレーナー」

「あん?」

「一度しか言わないから、黙って聞いていろ」

「んだよ、いきなり」

 

 

 

 

 

「ありがとう、貴様が私のトレーナーで本当に良かった」

 

 

 

 

 

 言葉を失う、という言葉の意味を、彼は今日初めて理解する。

 

 口元を綻ばせ、微かに潤んだ瞳で優しく笑う彼女は──形容し難いほど、美しかった。

 

「……お、う」

 

 その笑顔に見惚れてしまい、気の抜けた生返事しか返せない。

 そんな彼の様子を見たエアグルーヴは、不服そうに口を結び直した。

 

「……何だその返事は、何か問題でもあるのか?」

「や、ないない! なぁエアグルーヴ、さっきの笑顔もう一回見せてくんね?」

「……断る、断固としてな」

「えー、良いじゃんかよ! 相当可愛かったぞ」

「かわっ……!? ンンッ、断ると言っているだろう!」

「頼む! 少しだけで良いから! 先っちょだけ! 先っちょだけでいいから!

「来世は芝にでも転生しろたわけが」

 

 頼むよー、と両手を合わせて懇願するトレーナーを適当にあしらいながら、エアグルーヴは空を仰いだ。

 気づけば灰色の曇天から、一筋の光が降り注いでいる。

 その様子を見て、彼女は小さく笑った。

 

 

 

 ──私はこれからも挑み続けて行こう。

 

 スズカに、夢に、理想に、“女帝”という肩書きに。

 

 そして何よりも。

 

 

 

「──貴様と言う理想に、な」

「ん? なんか言ったか?」

「喧しい。ほら、賽銭に行くぞ!」

「ちょ、バカ引っ張んなって!」

 

 人混みの中を早足で歩き出したエアグルーヴに引っ張られ、彼は情けない悲鳴を上げる。そんな様子を見て、彼女が小さく笑ったことに、彼は気づかない。

 

 

 

 

 ──謹賀新年。

 

 それは“始まり”。

 

 一年の、二人の──新たな物語の。

 

 

 

 

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