【完結】ウマ娘プリティーダービー企画短編集ーAutumnー 作:またたね
ある日の夜。ライスシャワーは寮の自室でとある本を読み耽っていた。
「その981、押してダメでも押しまくれ。愛の基本は押しまくること。その982、I am LOVE。人を愛するにはまず自分を愛し、自分こそ愛の化身となれ……」
本を読むことが好きでその時は毎回恐ろしいほどの集中力を発揮する彼女だが、今晩は嘗てないほど本を真剣に読み漁っていた。机の上には他にも大量の本が乱雑に積まれており、更には積めなくなった本を床に置きっぱなしにしているなど、部屋は本をこよなく愛する彼女らしからぬ散らかり具合である。
もちろん彼女が片付けに対して怠惰になったわけではない。明日は彼女にとって初の聖戦。そのためにも不足している知識を頑張って学び、会得し、実践しようとしているのだ。本が綺麗に整頓されていないのも彼女の集中力が全て本に向けられているだけである。むしろ大好きな本の整理を後回しにするくらい彼女は明日の準備に全力を注いでいるのだ。
「その999、愛というものは愛されることによりも、むしろ愛することに存ずる……」
本に描かれている指南内容を無意識に口に出して復唱する。これを『その1』から『その999』まで続けているので相当な労力を消費しているのだが、有り得ないほどの集中力により今の彼女は疲れというものを知らなかった。その明日にかける意気込みたるや、いつものおどおどとした性格の彼女とは思えないほどの気概である。あまりにも迫力があり過ぎて同室のゼンノロブロイも一時部屋を退散するくらいであった。
そして最後の本を読み終え、勢いよく本を閉じて立ち上がる。
「よ~し、明日は頑張るぞ! おーっ!」
右手拳を上に大きく突き上げて明日への決意を固めるライス。普段はみんなの笑顔のためにレースに情熱を注ぐウマ娘だが、明日だけはたった1人のためだけに恋のレースを駆け抜ける。そのための予習はバッチリだ。
大好きなトレーナーとの初デート。
黒い刺客と呼ばれたステイヤーの彼女が、遂に恋愛と言う名の長距離レースのスタートに立つ。
~※~
翌日の昼下がり。街の駅前に1人のウマ娘とそのトレーナーが集まっていた。人の往来が多いが、容姿端麗で愛嬌のあるウマ娘と、その隣にいる同じ背丈でどう見てもまだ子供にしか見えない幼げな容姿をした男性トレーナーの2人組は良くも悪くも目立ち、道行く人の目に留まるくらいだ。そのせいか肝が小さい2人はまだデートが始まっていないにも関わらず緊張していた。
「なんかやたら注目されちゃってるね僕たち……。ま、まぁライスが可愛いから……かな」
「そ、そんなことないよ! トレーナーさんの方がカッコい……可愛いから……」
「可愛いって、僕男なんだけど……」
お互いに謙遜し合って緊張を紛らわそうとするも、ライスの何気ない一言で少しショックを受けたトレーナーであった。
彼はトレセン学園に務めるトレーナーではあるものの、年齢はまだ16歳である。ウマ娘のトレーニングや指導の能力が認められて飛び級でのトレーナー採用となり、紆余曲折あってライスシャワー(+その他チームメンバー)の担当となった。
ちなみに彼の容姿は先程ライスが言った『可愛い』という言葉が似合っており、思春期の年齢なのにも関わらずライスと同じくらいの背丈で顔も女顔に近い。声変わりしていないので声も高く、女装をさせれば100人が100人女の子と間違えるだろう。なので道行く人の中にはこの2人は男女のデート中というよりも女の子同士のお買い物の最中と勘違いする人もいるかもしれない。それくらいトレーナーは幼く見えるのだ。
初デートの初っ端から緊張全開の2人だが、ライスは昨晩の意気込みを胸にその緊張を払い飛ばす。
「トレーナーさん。ライス、行きたいところがあるの。ダメ……かな? トレーナーさんが行きたいところがあったらそっちでも……」
「う、うぅん全然いいよ! 今日はライスの行きたいところ全部行こう! 初デートだもんね!」
「そ、そうだよね! 初デートだもんね……えへへ」
唐突なライスの笑顔にトレーナーの心臓の鼓動は既にピークに達していた。
彼はライスを含め誰かの笑顔が好きで、ライスもトレーナーを含め誰かの笑顔が大好き。そんな似た者同士である2人がトレーナーと担当ウマ娘になったのは必然だったのかもしれない。可愛らしい容姿も緊張しがちでおどおどとした性格も全く同じ。その性格が災いして2人でスランプに陥ったりしたこともあったが、それでも2人は共に切磋琢磨し合ってきた。
2人の関係が大きく進んだのはライスがヒールとして世間から疎まれた時だ。意気消沈して涙ぐむライスに一番近くで寄り添っていたのはもちろん彼。その時の彼はライスを抱きしめ、共に悲しみ、共に泣き、そして共に再起し、共に勝利を掴んだ。年頃の男女が共にそんな苦難を乗り越えたらお互いに何も意識し合わないはずがなく、気付けばこうしてデートをするまでの関係となっていた。
昨晩ライスがあそこまで意気込んでいたのは、それだけ大切な人とのデートなのだから失敗はできないと考えていたからだ。もちろんそれはトレーナーである彼とて同じ、今回のデートは最初にして最大、お互い相手に対して募らせた想いを思う存分解放する場であるのだ。
そんな中、雑踏の中に紛れ彼らを監視する2人のウマ娘がいた。
「ふぅ……あの2人、なんとか無事に合流できましたね……。2人の性格上デートに緊張して集合時間に遅れるということを想定していましたが、いらぬ心配だったようです」
「おい……」
「あっ、デートが始まったようです。行きますわよ」
「おいマックイーン!!」
「ちょっ、静かにしてください気付かれてしまいますわ! 全く、いつもいつも声が大きくて騒がしいのですから、ゴールドシップ……」
メジロマックイーンとゴールドシップ。2人のウマ娘がライスとトレーナーを離れたところから監視していた。2人も容姿がいいので道行く人から注目されるのだが、ゴールドシップに謎の拘束具が取り付けられていることでその注目度は更に上昇している。
「サラッとあの2人を追いかけようとしてるみたいだけど、まずこれを説明しろ! この首輪と手錠は何なんだよ!?」
「あなたが2人の邪魔をしないように対策をと。あなたを野放しにしておくと何をしでかすか分かったものではありませんから」
「でもこれだと扱いが犬、いや犬以下じゃねえかっ!! ま、まさかお前、清楚な見た目に反して人を拘束するドSプレイが好きな鬼畜だったのか……!?」
「な゛っ、公衆の面前で何を言ってますの!? 今日はトレーナーさんとライスさんの初デートなのですから、余計なことをしないよういつも以上に監視を厳しくしているだけですわ!」
ゴールドシップがマックイーンの隠された性癖(もちろん嘘だが)を暴露したことで、周りからの目線が更に彼女らに集中する。マックイーンは否定するが、ゴールドシップに取り付けられた首輪から伸びているリードを持っているせいか、明らかにそっち系のプレイが好きな人にしか見えなかった。
「さて、私たちも行きますわよ。このままだと2人を見失ってしまいますわ」
「いてていてて!! リード引っ張るな苦しい!!」
「2人の初デート、無事に終わると良いのですが……」
マックイーンはゴールドシップの首輪のリードを引っ張って引き摺りながらレーナーとライスの後をつける。
彼女がこうして2人のデートを監視するのは理由があった。トレーナーもライスも自分と同じチームであり、それ故に交流も深い。そのためあの2人が出会ってからいい感じの関係になる過程を全て知っており、知っているからこそ何かと世話を焼きたくなるのだ。少し臆病な面があって危なっかしい2人だからこそ見守りたいという母性のようなものかもしれない。そして今日はそんな2人の初デート。彼女はそのデートが無事に終わることを切に願っており、居ても立ってもいられなくなったのでこうして見守ることになった次第だ。
ちなみにゴールドシップも2人が心配でこの場に駆け付けたのだが、彼女の暴走がちな性格を知っているマックイーンは首輪+手錠というドS丸出しの器具で彼女を拘束。余計な手出しはできないように束縛した――――というのがここまでの経緯である。
マックイーンとゴールドシップが見守る中、トレーナーとライスは手を繋ぎながら歩き始める。遂に初々しくも緊張が走る初デートが幕を開けたのだった。
~※~
ライスの先導で色々な店を回ることにしたトレーナー。実は彼もデートプランを考えていたのだが、彼女が行きたい場所があるのであればそっちが優先しようとしていたため、現在は彼女について行く形となっていた。それに彼女の意気込みと気概の強さはトレーナーにも伝わっており、自分のためにそれだけ全力を出してくれていると思うと嬉しくなる。本来デートは男が先導するのが筋なのだが、今回ばかりはやる気満々の彼女に任せようと思っていた。
そう、思っていたのだが――――
「ト、トレーナーさん、この下着……どう?」
「ちょっ、ちょっとライス!? どうもこうもどうしていきなりランジェリーショップに!?」
「だ、だって勝負下着は大切だって読んだ本に……」
ライスが持っている際どい下着に顔を赤くして慌てるトレーナー。ライスもいつもの性格からだと考えられないくらい大胆だが、これも初デートを成功させるためのことだ。爆発しそうな羞恥心を必死に抑えつけている。だが周りの女性客たちから『これだから最近の子は……』などの声が聞こえてきたため羞恥心を押し殺せず暴発、2人は顔から湯気を出しながら店を出た。
しかし、ライスはこんなことでは諦めず――――
「この漢方薬……えぇっと『これを彼氏に飲ませればビンビンに元気になります! 夜に飲ませれば更にギンギンに!』。これだ、本に書いてあったの。トレーナーさん、ビンビンでギンギンに元気になるんだって」
「いや絶対に意味分かってないよね!?」
「意味……?」
「そ、それは……。ていうかこんなものが堂々と売ってるなんてどんなところなのここ……」
ライスは小さく首を傾げて素朴な疑問をぶつけるが、その純粋さが逆にトレーナーを困らせた。彼はまだ思春期だが男だ、そういった物の意味くらいは分かる。
そして周りの客から『なんじゃ、あの小僧……』『あの歳でももうやることやっとるのかね……』と声が聞こえてくる。そのせいでまたしても羞恥心に苛まれたため、ライスの手を引いて足早に店から脱出した。
だが、ライスのデートプランはここでも終わらず――――
「こ、この映画は……。女性の肌が……!!」
「ラ、ライスも恥ずかしいけど、こういった映画を見たカップルはその晩は燃えるくらいに楽しい経験ができるって本に……」
「だから絶対に意味分かってないよねそれ!? ていうか令和の時代にまだこんな映画残ってたんだ……」
トレーナーはアダルティでアングラな映画に誘われそうになるも、ライスが傷付かないよう言葉巧みに断りを入れて何とかこの場から退避する。本来であれば性的なことに一切耐性がなさそうなライスが羞恥心を押し殺して自分を誘ってくるのはやはり
「こんなことを聞いてもいいのか分からないけど、今日どうしたの? やけに積極的というか、ちょっと強引でいつもと違うというか……」
「ふぇっ!? や、やっぱり変かな……。昨日読んだ恋愛本に書いてあったんだけど……」
「あぁ、そういうのに影響を受けてたのか……。あまりいいことは書かれてないっぽいけど……」
ライスの読書趣味がここで災いしてか、彼女は世に出ている様々な恋愛指南書を読み漁ってしまっていた。そのせいで明らかにネタであろう内容や、R-18向けの内容までインプットしてしまっていたのだ。本に描かれている物語を自分の世界感に取り込む性格が故に、疑うということを知らない純粋な彼女はそういった偏った内容すらも抵抗なく吸収してしまう。そのせいで今回のような奇行に走っているのかとトレーナーは思った。加えて、彼女がかなり無理をしているということも……。
そして、そんな2人の様子を見てしてやったりの顔をしている者が1人――――
「どうしましたの? さっきからニヤニヤと……」
「いやぁライスが見事アタシが考案したデートプランを実践してくれてるなぁ~って」
「はぁ!? じゃあ今日のライスさんが恥を忍んでトレーナーさんを変なところに連れ回しているのって……!!」
「これだよこれ。これをライスに渡してやったんだ」
「えぇっと、ゴールドシップ著『ウマでもわかる恋愛指南書~気になるあの人を骨抜きにする100のテクニック~』? ――――って、やっぱりあなたの仕業でしたの!?」
「本を出版したら仲間に分け与えるのは普通だろ? しかもその仲間が純情の塊で初デートのプランに悩んでると来たもんだ、そりゃ渡すっきゃねえよな!」
「ふんっ!!」
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁああああああああああああああああああああああああああああああ!? 本が真っ二つに!?」
やはりコイツの仕業だったかと呆れ半分、ライスに余計なことを教えたのかと怒り半分でマックイーンはゴールドシップ著の本を真っ二つに破り捨てた。かなり分厚い本だがそれをへし折ることができるのも彼女がウマ娘である所以なのだろう。
ここまでトレーナーとライスの後を付けてきたマックイーンだったが、2人がランジェリーショップに入ったり怪しい漢方屋に入ったりと、学生カップルには到底ふさわしくない場所を訪れるたびにハラハラしていた。もし何か間違いが起きてしまった場合を想定してしまい自分が飛び出して2人を止めに入りそうだったが、初デートに水を差すの方が悪いと思い何とか踏みとどまっていた。それに彼女にはこのおバカさんを拘束しておく役割もあるので、緊張状態に一番苛まれているのはもしかしたら彼女なのかもしれない。
「あら、また移動し始めましたわね。私たちも行きますわよ」
「ぐぇっ!? だからリード引っ張るなって! アタシの首も真っ二つになるから!!」
「はぁ~……本はあとで弁償して差し上げますから」
「アタシの首は金で解決しねえぞ!? それに本の弁償なら必要ない、ほら」
「急にスマホを見せつけてきて、どうしましたの……?」
「『ウマでもわかる恋愛指南書』の電子書籍版だ! 今なら購入特典としてゴルシちゃん焼きそばを作らせてやる権利を――――」
「ふんっ!!」
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁああああああああああああああああああああああああああああああ!? スマホが真っ二つに!?」
「さて、行きますわよ」
「おいこれは弁償しろ――――ぐぇっ!? だから引っ張んなって!!」
トレーナーとライスを見守っているのか、それともコントをしているのか分からない2人。しかもこれだけ大声で話していたら周りの目もあってあの2人に気付かれそうなものだが、幸いにも2人はデートに集中しきっているせいでストーカーがバレることはなかった。
~※~
場所は変わってとある大きな公園。トレーナーとライスはお昼を食べるためにここに訪れていた。大きな噴水があるおしゃれな場所のためか家族連れやカップルも多く、出店も立ち並んでいることからデート中の食事には絶好のスポットである。
しかし――――
「えぇ~っと、どうして茂みの中に来たの……?」
トレーナーはライスに公園の中の木陰に連れ込まれていた。人の往来が多い公園とは言っても流石にこんなところには誰もおらず、公園の中心部からちょうど死角となっているので誰の目も届くことはない。ここなら何をしていても簡単にバレることはなさそうな人影のない場所である。
「ここ、木漏れ日になっていて日当たりがいいからライスの好きな場所なの。ここなら人も来ないし、ゆっくりできるから」
「えっ、ここに来たことあるの?」
「うん。ぽかぽかして気持ちいいから、お休みの日はよくここで本を読んでるんだ。ライスの秘密の場所だったけど、トレーナーさんになら教えてもいいかなって。だってこれからずっと一緒だもん……」
「ライス……」
秘密の共有ほど相手と繋がっていられると実感できることはない。本来であれば心地良くゆっくり読書ができるこの場所を誰かに教えたくないものだが、自分だけには教えてくれた。その事実だけでもライスとの繋がりを感じられる。トレーナーは思わず想像してしまう。公園の木陰で2人きり、並んで座って読書をする幸せな光景を。彼も思春期の男だ、可愛い女の子との甘々なシチュエーションを夢見たことがある。たった1つの秘密を共有されただけだが、彼にとっては何物にも代えがたい喜びがあった。
それに安心したこともある。今日のライスはどうも空回りをしている様子で押しが強い。本来の彼女は引っ込み思案で羞恥にも弱いため、好きな人とのデートであれば緊張は最高潮に達していることだろう。それなのに今日の彼女はそれを無理矢理乗り越えている。故に慣れないことをしているせいか空回っているように見えるのだ。彼はそれを心配していたのだが、今の彼女は落ち着いているようで心底安心していた。
「そういえばお昼ごはんにするって言ったのに何も買ってきてなかったね。そこの屋台で何か買って来ようか?」
「うぅん、大丈夫。実はお弁当を作って来たんだ」
「えっ、そうなの?」
「うん。トレーナーさんとの初デートだから、お料理ができる友達に頼んで教えてもらったの」
「そうなんだ! すっごく嬉しいよ!」
「このデートは絶対に成功させないといけないから、お昼ご飯も妥協しちゃダメ……。トレーナーさんに喜んでもらうためにも……」
「ライス? 小声でどうしたの?」
「ふぇっ!? うぅん、なんでもない……」
トレーナーは気付いていなかった、平静を取り戻したかのように見えたライスが心の奥底で静かな決意を固めていることに。
それからしばらくはライスの作ってくれたお弁当を堪能した。お弁当の中身自体は至って普通だったが、想いの人が作ってくれたという事実だけでご飯からおかずまで何もかもが一回り美味しく感じた。時には彼女に食べさせてもらったり、時には頬に着いた米粒を指で取ってもらったりと、カップルデートのテンプレのようなシチュエーションも発生。これまで女の子との付き合いがない思春期男子のトレーナーにとっては刺激が強く、危うく取り乱しすぎて卒倒しそうなくらいであった。
内から溢れ出る幸福に浸っているのはライスも同じだ。ただ自分の作ったお弁当を好きな人に食べさせているだけ。それでも自分の手の施したもので相手が笑顔になってくれている、その光景を見られるだけでも幸せであった。他人を笑顔にしたいと切に願い、夢見ている彼女だからこそ好きな人の笑顔は彼女にとって最大の幸福なのだ。
しかし、だからこそ失敗してはいけないと強迫観念にも囚われてしまう。
捻じ曲がった決意の導火線に火が点く。
「トレーナーさん」
昼食の後、お茶を飲みながら一服しているトレーナーはライスに話しかけられた。日当たりも良くお腹もいっぱいになった彼は少々眠気に苛まれていたのだが、話しかけてきたライスの表情がやけに真剣だったので我に返る。さっきまでは和気藹々と昼食を取っていたのに急に雰囲気が変わり、声のトーンも一回り低く感じた。
「ど、どうしたの……?」
「トレーナーさん、ライス……ライスね……ゴメンなさい!!」
「えっ……うわぁあああっ!?!?」
突然ライスが迫って来たと思ったら、いつの間にかその場に押し倒されていた。抵抗しようにも腕も身体もガッチリ抑えつけられているため動けない。相手は華奢な女の子だがこれでもウマ娘、その馬力にひ弱な彼は到底対抗できなかった。
ライスの表情は強張っている。さっきまでの穏やかさはどこへやら、まるで彼を取って食わんとする勢いである。
そして、その様子を離れたところで見ていたあの2人も動揺を隠せなかった。
「ちょっ!? あの2人こんなところで一体何をやっていますの!?」
「すっげえな。まさかそんなことをやる仲まで発展してたのか……」
「純粋無垢なあの2人に限ってそんなことありませんわ!! も、もしかして、さっきのあなたの本のせいでライスさんが……!?」
「怖い顔するな違うって!! あれは至って健全な恋愛指南書であって、あそこまでは流石に書いてねえ!!」
「ということはライスさんのあの行動は……」
「アイツの本心……ってことか」
そう、ゴールドシップの本に野外で押し倒すなど不純異性交遊の方法は書かれていない。つまりこれはライス自身の意思であり、自分の存在を刻み込むかのように力強く抑えつける様子がなによりの証拠であった。マックイーンとゴールドシップは止めるかどうか迷いながら2人を固唾を飲んで見守る。
「トレーナーさん、ライス、トレーナーさんのことが好き……。世界の、誰よりも……」
「ライス……ぼ、僕もだよ……」
「だからこの初デートは絶対に失敗したくないって思ったの。不甲斐ないところを見せて、愛想をつかされないようにはどうすればいいのか、いっぱい考えてきたんだ……」
「ライス……」
「トレーナーさんと離れたくない! もうずっと、ずっと一緒に居たい! だから一緒にいてつまらない子だって思われたくない! トレーナーさんは優しいからそんなことを言わないって分かってるけど、もし、もしそうなっちゃったらどうしようってずっと考えちゃう! それでどうしたらいいのか分からなくなって、もうこうしてトレーナーさんと1つになるしかないんだって……!!」
トレーナーは全てを察した。ライスがこのデートに賭けている想いを。デート中の慣れない押しの強さもそれが原因だろう。自分の側にいられる存在に、相応しい存在になるために自分という存在をアピールしようとしていたのだ。
ライスの言う通り、トレーナーが彼女のことをつまらないとか言うはずがない。でもライスシャワーという子は消極的な子、最悪のIFルートを想像してしまいがちだ。しかも今回はそのバッドエンドの相手が愛しのトレーナーと来たものだから、こうした荒業でその未来を塗りつぶそうとしていた。最高のハッピーエンドのためであれば自分の羞恥なんていくらでも殺せる。いくらでも躍起になれる。彼女はそれだけ大きな決意を抱いていた。
昼食の時に穏やかだったのは嵐の前の静けさだったのだろう。その時の彼女はもう最後の一線を超えており、逆に温和な雰囲気でいられたと思われる。
今のライスはまさに鬼神。過去にマックイーンを破ったレースの時の雰囲気とよく似ている。普段の引っ込み思案の彼女とは思えない勢いにトレーナーは呆気に取られるばかりであった。
それはもちろん、離れて見ている2人も同じで――――
「な、なにかイケナイことが起きそうな予感がしますわ!! 早く……早く止めませんと!!」
「待てマックイーン!!」
「な゛っ!? どうして脚で私の身体を!?」
「お前が手錠かけてるせいだろ!!」
ゴールドシップは今にも飛び出しそうになっていたマックイーンの身体を脚でホールドする。ウマ娘が故に脚捌きが器用なのか、抵抗するマックイーンをいとも簡単に抑えつけていた。
「というか、止めるのは私ではなくてあの2人でしょう!? 早くしないと間違いが起こってからでは遅いですわ!!」
「気持ちは分かるけど、どうも違うような気がするんだよな」
「はぁ? 一体何を?」
「2人の問題は2人で解決するべきだ。ここでアタシたちが割り込んだらこの場は収まるかもしれねえけど、それ以降の関係が進展しなさそうな気がしてな。引っ込み思案なあの2人のことだ、一度関係が崩壊したら元に戻すのは相当難しいと思うんだよ」
「そ、それは……」
不本意だが、ゴールドシップの考えは的を得ている。マックイーンにとっては彼らは大切な仲間だ。ここで飛び出して仲間として手を差し伸べるのは間違った選択ではないのだろう。でもゴールドシップの考えが不本意にも腑に落ちてしまったので、渋々半分、納得半分で静かにあの2人を見守ることにした。
「トレーナーさん、ライスを……受け入れてくれる? ずっと夢を見てきた、トレーナーさんと一緒になることを。最も愛し合えるのはお互い1つになること。ライスはずっとトレーナーさんと一緒に居たい。だからこうして……こうするしか!!」
ライスの顔も身体もトレーナーに密着しそうになる。ライスの手がトレーナーの下腹部に触れそうになる。
このまま抵抗せずにいたら文字通り1つになってしまうのは明白。だがライスにはそれくらいの覚悟があった。これだけやればトレーナーは自分を受け入れてくれる。やれることは全てやった。これからも一緒にいるために、見捨てられないために、自分の存在をアピールしてきた。仕込みは万全。彼も男だ、女の子がここまでやっているのだから誠意は見せてくれるだろう。やり方はどうであれ、これで愛しの人と結ばれるのであれば――――
「ダメだ」
「えっ……?」
ライスは一瞬、何を言われたのか分からなかった。改めて彼の顔を見て見るとその表情は真剣そのものであり、押し倒した時の戸惑いの表情は消えていた。もう一度脳内で言われた言葉をリピートする。『ダメだ』。ライスは雷に打たれたような衝撃を受け、思わず涙が出そうになってしまった。
そして驚いたのはマックイーンとゴールドシップも同じであり、引き続き息を殺して彼らの様子を見守っている。
「今の君は本当の君じゃない。僕が好きなのはありのままの君なんだ」
「で、でも、ライスはトレーナーさんに相応しい女の子になりたくて……!!」
「いや、いつものライスでいいんだよ。ウジウジしている姿も、引っ込み思案なところも、不安げにしている様子も、全部好きだ。そしてその負の気持ちを頑張って乗り越えている姿、決意を胸に右腕を高く上げる仕草、壁を乗り越えられた時の笑顔、それも全部好きだ。誰かが不安な時に手を握ってあげられる優しいところ、誰かの笑顔のために必死になれるところ、全てひっくるめて大好きだ。人を好きになるって、その人のいいところも悪いところも全部受け入れることだと思うんだ。だから悪いところだけを押し殺して、自分の存在をアピールする子とは付き合えない。僕は君の全てが好きだから、本来の自分を捨ててまで着飾らなくてもいいんだよ」
「で、でもライスはダメな子で……」
「いいんだよ、それでも。不安なことが合ったら僕と一緒に乗り越えよう。だってもう、これからずっと一緒なんだから」
「トレーナー……さん。受け入れるくれるの、ダメダメなライスを?」
「言っておくけど、ライスはダメダメなんかじゃないよ。誰よりも努力家で、不幸な運命を振り払う力強さもある。不安に苛まれることはあるけど決して逃げないし挫けない。それが君の強さだ。そう、君は強いんだ」
トレーナーは知っている。ライスのいいところも、悪いところも。だからこそ全てを受け入れたい。だって彼の好きになったライスシャワーはありのままのライスシャワーなのだから。自分のために自分を殺してまで着飾っているライスシャワーは、もうライスシャワーではない。
ライスはトレーナーの言葉を聞き、目に涙を溜めていた。今日は慣れないことをしてきたが、決して羞恥心がないわけではなかった。不安もあった、緊張もあった。でも全部押し殺してきた。涙も止めた。
しかし、そんなことは不要だった。愛する人から自然の自分を受け入れると告白された瞬間から、彼女の目から涙が零れていた。その涙が押し倒している彼の顔に落ちる。
こんなダメダメな自分でもいい。自分のいいところも、悪いところも、全て受け入れてくれる。その言葉を聞いた時、心にどれだけの安心感が広がっただろうか。そして、目の前の彼に対する愛も……。
そしてライスは、トレーナーを思いっきり抱きしめた。
またしてもいきなりの行動で驚いた彼だったが、ライスの優しい温もりを感じると自分も優しく彼女を抱きしめる。
「ライス、トレーナーさんのことが好き! 大好き!!」
「うん、僕もだよ。大好きだ」
今まで貯め込んでいた涙を流すライス。だが、その表情は笑顔で満ち溢れていた。その様子を見て、トレーナーも自然と笑みが零れる。
そして、離れて見ていた2人の表情も安堵と笑みが浮かんでいた。
~※~
「ゴールドシップさん、この本返すね」
翌日。練習のために顔を合わせた際にライスはゴールドシップから借りていた恋愛指南書を返却した。
結局その本に書かれていた内容を実行するのは本来のライス自身を抑え込むことになり必要なかったことだが、これのおかげで初デートが実現したと言いきれなくもないので結果オーライである。
「どうだ? ちょっとは役に立っただろ?」
「う、うん、まぁ……。でも最終的にはトレーナーさんとも仲良くなれたし、その本のおかげ……なのかな?」
「うむ、そうだろうそうだろう!」
「あまりこのおバカさんをおだてないでください。あの時は拘束していたから良かったものの、自由の身だったら一体何をしでかしていたことやら……」
「いやそれはお前の方だろ。ライスがトレーナーを押し倒した時に血相変えて飛び出そうとしてたじゃねえか」
「あれは仲間として当然の行為です! ま、まぁあなたの言葉にも一理ありましたが……」
「おっ、デレた? 全くマックイーンちゃんってばツンデレ~」
「お、おだまりなさい!! そもそもあなたが変な本をライスさんに渡さなければ、2人をあそこまで見守る必要はなかったのでは!?」
またいつものマックイーンとゴールドシップのわちゃわちゃが始まる。その様子を見て日常に帰ってきたと実感するライスだが、さっきの2人の会話に疑問を抱いていた。
「えぇっと、見守る……? ど、どういうこと……? もしかして……見てたの? 見てたんだよね?」
「「あっ……」」
思わずポロっとストーカーしていたことを漏らしてしまった2人。ぶっちゃけた話あれだけ騒いでいたのにも関わらずバレていないというのも凄い話だが、ライスもライスで自分と戦っていたので周りに注意が払えていなかったのだろう。だからこそ自分の醜態、そして痴態を見られたと思いわなわなと震えだす。そして羞恥の一線を越えた時、彼女がどうなるかは昨日の一件でもうお察しのこと――――
「ラ、ライスさん!? 鬼のようなオーラを放ってますわよ!? まるで私を差したあのレースの時のように……」
「あっ、アタシちょっとトイレ~」
「な゛っ、某少年探偵のようなエスケープの仕方を!? ちょっとお待ちなさい!!」
「ライスの……ライスのあんな姿を……うっ、う……う゛わ゛ぁ゛あ゛あ゛あああああああああああああっ!!」
「やべっ、食われる!! 逃げるぞマックイーン!!」
「えっ、あっ、も、もうっどうしてこんなことに!?」
ウマ娘の本気の鬼ごっこは練習場を荒しに荒らしまわり、後でたづなさんからこっぴどく注意を受けるのであった。
ただそれを眺めていたトレーナーは――――
「うん、やっぱり何事も自然が一番だ」
のほほんとしていた。