勝ち逃げツインターボ   作:TrueLight

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お客様第一号

 GⅢアルテミスステークス、その後のターボとの祝勝会を終えて翌日。俺はターボがいないトレーニング場を走っていた。レースでの疲労を考えて今日のターボはお休みだ。そんなトレーナーとして手空きになった時間はもちろん自分のトレーニングに当てている。今まで通りのことだ。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 やはり走るのは気持ちが良い。合成ゴム(タータン)のトラックを駆けている時、自分が何者であるのかを思い出すような気すらする。この全天候型のトラックが整備されているのは中央トレセン学園くらいだ。目標のためにここを就職先に選んだ過去の自分を褒めてやりたい。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 そしてそれ以上に、ターボと出会うことが出来た幸運に感謝しよう。己の限界を超えようと藻掻いてきた俺は、どこか悲壮感を伴って走り続けていた。しかし今ではどうだろう、自分が走るとき、常に近くに別の誰かを感じている。ツインターボというウマ娘の存在を、自分の走りの中に確かに感じるのだ。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 最初から最後まで全力で駆け抜けたい。その方が気持ちいい……間違いない。後ろに過ぎ去っていく景色が、開けた視界が、全身を撫でる風が。自らに迫る限界と、それを超えたと実感した時の喜びが。その何もかもがこの世の全てに勝るほどの快感だ。

 

 

「ハッ――ハッ――」

 

 俺にはもう競うライバルはいない。()と直接肩を並べ、最速を奪い合うことは出来ない。だがターボにはたくさんのライバルが居る。好敵手と最速を争ってレースに身を投じることが出来る。

 

 俺とターボは同志だ。同じ気持ちを共有できる仲間だ。俺は直接走れないがターボには出来る。そして俺にはターボに無いノウハウが有る。それをもとに指導することが出来る。……一緒に、最速を目指すことが出来る。

 

「ハッ――! ハッ――! ――――ふぅっ――……」

 

 何度目かのタイム計測。ストップウォッチを預ける人が居ないので大体は三脚に立てたビデオカメラで確認する。……今回も、残念ながらタイムは縮まらなかった。しかしターボに出会うまでは常につきまとっていた焦燥感はない。ターボと共に打倒トウカイテイオーを目指す道程で、自然と走り抜けることが出来る。そんな予感がしているから。

 

「――驚いた。ホントにトレーナーも走ってるんだねぇ」

 

 さてもう一度トレーニングローテを最初から……というところでそんな声が聞こえた。視線を向ければ1人のウマ娘が興味深そうにこちらを見ている。直接会ったことはないが……その存在はトレーナーならもちろん知っている。声も聞き覚えのあるものだった。

 

「ヒシアマゾンか。はじめまして、と言ったほうが良いのか?」

「おうっ。はじめましてだね最上トレーナー。ちょっくらお願いしてみようと思って訪ねてみたんだけどさ」

 

 不敵な笑みでピッと何かを掲げてくる。2本の指に挟まれているのは俺の名刺だった。

 

「マッサージ、してくれるんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ~こいつはっ……効くねぇ……っ」

「……言うほど凝ったりはしてないが、まぁ気持ちいいなら何よりだ」

 

 場所をガレージ内のマッサージベッドに移し、早速施術を開始した。水着を持参の上、終わった後の入浴用の着替えも準備万端だったヒシアマゾンから名刺を受け取り、東条さんとの約束通りオイルマッサージを施していく。

 

 東条さんがしっかりケアしていることもあってか、その肢体からはあまり疲労は感じられない。それでも手探りに老廃物の溜まりやすい場所をなぞれば少ないながらリンパの滞っている箇所があった。指圧でほぐせばヒシアマゾンは気が抜けたように声を漏らす。よほど自身の不調に敏感なのだろう、些細な疲労の癒えを自覚出来るのは稀有な才能だ。

 

「しかし、来るなら先に連絡して欲しかったな」

「したさ、走るのに夢中で手元に置いてなかったみたいだけど」

 

「……そりゃ悪かった。でも当日の、来る直前に連絡するのはどうなんだ?」

「そりゃあ悪かったよ。昨日にでも言っておこうかと思ったんだけどさ、どうも早く電話を切りたがってるように感じたもんでね」

 

 ……どうも口で勝てる気がしないな。それに言葉の端々にチクチクとしたものを感じる。やはりターボのことで心配をかけているからだろうか。

 

「ところで、アタシ以外にリギルから誰か来たりしたかい?」

「いいや、ヒシアマゾンが初めてだな」

 

「ふぅん……ま、それもそうか。おハナさんもどっちかって言うと脅しみたいな感じだったしね」

「脅し?」

 

「そうさ。もしレース前に疲れが残ってるようなら問答無用でアンタんとこに放り込むってね。男のトレーナーにマッサージってのは遠慮したいって子の方が多いだろうからさ?」

 

 なるほど。道理でチケットの用意なんて頼んできた割には客が来ない訳だ。こっちとしてはタダでターボのダンストレーニングの面倒を見てもらっていることになるので好都合ではあるが。

 

 そうなると東条さんの不安の種は今のところ芽を出していないらしい。レース前にトレーナーの目がない場所でトレーニングし、担当ウマ娘に疲労が残ったまま大一番に挑むというようなことは回避出来ているんだろう。脅しに自分の名前とマッサージが使われているということに思うところもあるが、先輩の役に立てているのなら不満はない。

 

「まぁ、そうだろうな。にしては自主的に来た珍しい例もあるみたいだが」

 

 もちろん眼下で背中を見せているヒシアマゾンのことだ。この娘も口ぶりからするに、見知らぬ男に水着とはいえ簡単に肌を触らせるほど軽い訳でも、ターボのように無邪気な訳でもなさそうだが。

 

「近々レースが控えてるもんでね。それに……相手(アンタ)はターボのトレーナーだろ? 聞いてるよ、ゴールまで粘れるよう一緒に走ってやってるってさ。 今だってターボは休みにしたってのにわざわざ自分は走り込んでんだ、マッサージにかこつけて怪しいことされるなんて思っちゃいないよ」

 

「……ウマ娘と競り合うっていうのに、その相手が遅いんじゃ話にならないからな」

 

 言外に"ターボのためにトレーニングしている"とヒシアマゾンの話を肯定しておく。俺が俺のタイムを縮めるために走ってるなんて言っても困惑させるだけだからだ。

 

「そういうところだよ。初めて聞いた時はどんなトレーナーだって思ったもんだけどさ……担当してるウマ娘のために、誰にどう思われようとやれること全部やるって気概が見えてきたのさ、ターボから聞いててね」

 

「それはどうも……少し、右脚の方が疲労しやすくなってるな。比較的、ってレベルだからそこまで気にしたもんじゃないが。蹄鉄のメンテナンス、左右のバランスに違和感が無いか念入りに見たほうが良いかもな」

 

 気恥ずかしさと、都合よく解釈されていることへの仄かな罪悪感を誤魔化すようにマッサージの所感を口にする。担当トレーナーでも無いので出過ぎた口かと言ってから思ったが。

 

「本当かいっ? しっかりメンテはしてるつもりなんだけど……せっかく聞いたんだ、帰ったらいつもより時間かけて見てみるよ。メンテ不足で転んだり、そうでなくたって斜行で降着なんてしたくないからねぇ」

 

 ヒシアマゾンは小言にも似た忠言に神妙に頷いてみせた。

 

「今度のレースに向けて、気合入ってるみたいだな」

 感じたままを伝えれば、表情を引き締めて彼女は瞑目する。

 

「G1だよ。エリザベス女王杯、連覇がかかってるんだ。去年は勝てたけど……同じレース、同じ相手と連戦したって勝てるかどうかは分からない。1年も経ってれば尚更さ、そうだろ? もちろん負ける気はないけどねっ! おハナさんはアタシたちのために他所のトレーナーにまで頭下げてくれてんだから。恩、返してやりたいよ」

 

 お互いに納得して取引って形にはしたものの、リギルのウマ娘からはそう見えても不思議じゃないか。東条さんが俺みたいな新人に頭を下げて、チームのウマ娘が万全の状態でレースに挑めるよう手を尽くしている。

 

 俺はターボのダンス指導をどうするか切実な問題だったが、今までトップチームとして君臨してきたリギルはわざわざ新しい取り組みをせずとも結果を出せたはずだ。でも東条さんは現状を良しとせず、担当ウマ娘により良い環境でレースに挑戦させるべく邁進している。己の立場に驕らず、常にヒシアマゾンたちウマ娘のことを想い行動している。そして、ヒシアマゾンたちもそれを理解して東条さんの努力に報いようとしているのだ。

 

「負けられない理由、か」

 

「そうさ、最初はもっと単純だったんだけどねぇ。強い連中と。アタシを強くしてくれる連中と競い合ってさ? タイマンに勝って負けて、嬉しくて悔しくて、それだけで満足だったんだ」

 

 ヒシアマゾンの口調は穏やかだ。しかしどこか、その言葉は重い。ネガティブな意味じゃなく、言葉にどうしようもなく宿った感情が心に確かな跡を残す。

 

「でも……自分自身に負けちまいそうになった時、支えてくれたのはおハナさんさ。それまでと同じように一緒に走ってくれた。立ち上がる力をくれた。けどその時分かったんだ、どれだけおハナさんが有り難い存在なのかってことがね。当たり前に隣にいたおハナさんが、アタシってウマ娘を何度だって最高峰のレースに送り出してくれてたんだって気づいたのさ」

 

 うつ伏せになりながら顔の前でぐっと拳を握り、彼女は続ける。

 

「負けられない理由……そうかもね。後ろ向きに聞こえるけどそんなことは無い。勝ちたいってのは自分のため。それだけなら、負けた時自分が悔しいだけだ。でも負けられないってのは……もっと切実だよ。負けたらおハナさんに顔向け出来やしない。自分が悔しいってだけじゃ済まないんだ」

 

 聞く人によっては言葉遊びのようなものだろう。しかし俺もヒシアマゾンに共感出来る。勝負に対するモチベーションは当人にとって絶対の基準がある。

 

 自分のために勝ちたい。誰かのために勝ちたい。

 俺も彼女も、より実力を発揮できるのは前者の欲求だ。勝ったら嬉しい、気持ちいいから勝ちたい。

 

 そして……自分のために負けたくない。誰かのために負けたくない。

 

 最後に限界が訪れ、勝ちたいという想いが風にかき消されそうな時。歯を食いしばってライバルとゴールを競う時、きっと風前の灯にくべられる薪は後者の情動。自分が負けるだけなら良い、だが自分を送り出してくれた人のために諦めるわけにはいかない。

 

 ずっと1人で走り続けてきた俺には、誰かのために負けたくないという想いを心から理解することは出来ない。だがターボのトレーナーとして走り出したからか察することくらいは出来る。俺とターボが培った数ヶ月。それ以上にヒシアマゾンと東条さんには積み重ねた時間が、通わせた想いがあるのだ。

 

 去年、今年と続けてエリザベス女王杯に出走するヒシアマゾンはシニア級だ。レースは11月……トゥインクル・シリーズを走り出して3年目、そのラストスパートに入っていると言えるだろう。気合が入らない訳もない。

 

「……東条さんが羨ましいな、ヒシアマゾンがそこまでの想いでレースに挑んでくれるんだから。トレーナーとしてこんなに嬉しいことは無いだろう」

 

「なっ、なんだよ急に。アンタにだってターボが居るだろ? あの子だっていつも一生懸命走ってるさ」

 

「そんなこと誰よりも分かってる。でも俺もターボもまだまだこれからだ。ヒシアマゾンと東条さんが積み重ねてきた時間には届かないだろう」

 

「トレーナーがそんなんでどうするのさっ? いいかい、アンタはアタシが認めてやったターボのトレーナーなんだ。ちゃあんと行けるとこまでターボのこと連れてってくんなきゃ、後で痛い目見ることになるよ?」

 

「当たり前だ、今はまだまだってだけの話だ。2年後、ターボの戦績を楽しみにしているといい。きっと最速のウマ娘に相応しい記録を見せてくれるだろうからな」

 

「へぇ……最速とは大きく出たね。分かってるのかい? たった1人に与えられる称号だよ、最も速いなんてのは。このヒシアマ姐さんだってそうなろうと努力してきたけど、甘くなかったんだ。生半可な覚悟じゃ背中に触ることも出来やしないよ」

 

「あぁ、安心してくれ。()()()()()()()()()()。そこにたどり着く道のりも知ってる。全く同じ道を辿れば良いってわけじゃないが……立ち塞がった壁はターボが一緒にぶち破ってくれるさ」

 

「…………ふっ。はっはっはっは! はっ、ふふっ……! 面白いねぇ最上トレーナー! 最速に触れたことがあるって? 道のりを知ってる? とんだほら話だけど……なんでだろうね、疑う気になれないのは。本気で言ってるんだとしたらそんなに楽しみなことはないね……ターボのこと、頼んだよ。バカだけど可愛い妹分なんだ」

 

「――――ああ。2年後、みんなターボのことを知ってるのが当たり前になる。最速の天才ウマ娘ってな」

 

 マッサージを続けながらのとりとめのない会話。施術の中で脇に触れると、敏感な部分だったのか驚いたヒシアマゾンに蹴られかけたりしたが、特に問題なく終えることが出来た。

 

 風呂に入って着替えると、また頼む、ターボのことですぐ連絡を寄越すからと言って彼女は立ち去る。

 

『アンタの他にもターボのこと応援したり心配してるアタシみたいなのも居るってこと、ちゃんと覚えといておくれよ?』

『ターボのこと、頼んだよ。バカだけど可愛い妹分なんだ』

 

 色々と話した。レースに懸ける想いも心に残っている。でも……結局のところ、ただそれだけを直接伝えに来たんだろう。ターボのことを導いてやってくれと、それだけのために。

 

「……任せてくれ」

 

 誰も居なくなった室内で、日課になった研究に着手する。言われるまでもない、もう俺は自他共に認めるツインターボのトレーナーなのだ。最速に導くべく、ずっと俺も走り続けよう。ターボが走り続ける限り。

 


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