ウマ娘三部作Firstシーズン 片翼の撃墜王 ~イカロスの黎明~【完結】 作:DX鶏がらスープ
なぜ彼女は走れなくなったのか
「マヤノー。シャワー空いたよー。」
「はーい。ありがと、テイオーちゃん。」
先にシャワーを使っていたテイオーちゃんに声をかけられたマヤは、いじっていたスマホを勉強机の上に置いていた充電器にさして、シャワールームに向かう。
「...」
シャワー室の周りのカーテンを締めてから服を脱ぎ、ドアを開けて部屋の中に入って、壁からシャワーを外す。
トレセン学園の寮のシャワーのバルブは、水とお湯がそれぞれ独立している。だから、水のバルブを捻ったら水しか出ないし、お湯のバルブを捻ってもお湯しか出ない。それはつまり、どちらかのバルブを止めるともう片方から出るものしか出なくなるということで、要するに、ちょうど良い温度でシャワーを止めておくことができない。
シャワーを止めるには、結局両方のバルブを締めなければならないからだ。
「...」
シャワーを外して床に向ける。お湯は出るのが水よりも少し遅いから、先に気持ち多めにお湯のバルブを捻るけど…
(…熱っ!)
しばらくは水しかでなかったシャワーだったけど、やっぱりお湯の方が少し多かったのか、足元に流れてくる水が段々熱くなってきて、慌ててマヤは水の量を調節する。
そう、これが寮のシャワーの面倒な点。シャワーを使うときは他の人が入ったあとでもまた一からシャワーの温度を調節し直さなくちゃいけない。…まぁ、確かにルームメイトが極端に熱いお湯が好きとかいう場合とかなら良いんだろうけど…
(…フツーちょうど良い温度って、人によってそんなに変わらないと思うんだけど…)
と思いながら、シャワーがちょうど良い温度になるのを待つ。
閉めきられたシャワー室には、シャワーが流れる音だけが響く。
…しばらく待つとシャワーはちょうど良い温度になったので、改めてシャワーを壁に戻して、頭からシャワーの水を被る。この頃には、すでに湯気がかなり出ていて、周囲の景色はそれでぼんやりとしている。
「…」
そんな湯気でぼんやりとした景色を眺めながら、マヤは数日前の出来事を思い出していた…
・・・・・・
「…う~ん、どうして走るのか、ねぇ…そうきましたか…」
マヤがした質問を繰り返しながら、
ネイチャちゃんは、手に持ったフォークでスパゲッティをくるくると巻く。
あの後、とりあえずまずはご飯ということになり、各々注文をしたんだけど、
ネイチャちゃんは食べている間にもずっとマヤノ問いに対する答えを考えてくれていたみたいで、食事中もブツブツと何か呟いていた(ちなみに注文内容はネイチャちゃんはナポリタンで、マヤはオムライス)。
「…アタシの場合は、こんなアタシでも応援してくれるみんなの期待に応える為、なんだけど…」
「…う~ん…」
「…いや、言わなくても良いよ。それじゃ納得できない、もっと深いところにあるものが聞きたい、そうだよね?
まぁ、改めてこんなこと人に語る機会なんてなかなかないからね…う~ん、走る理由ね…」
がくりと頭を落とすと、ネイチャちゃんはまたフォークでスパゲッティを巻く作業に戻る。
ウマ娘用のメニューは大体量が普通よりも多めだけど、
それを考えても結構な量のスパゲッティがフォークに巻き込まれ、束になっていく。
…結局、その量一口で食べられるのかな?
と心配になるくらいまで、
ネイチャちゃんはフォークをくるくるしていたけど、
やがてマヤにも水を向けてくる
「…えっと、ちなみになんでそんな質問をしたの~?…とかって、聞いても大丈夫?」
…まぁ、いきなりこんなことを理由もなしに聞かれても困るよね。
と言うわけで、マヤは話すことにした。
「…わからなくなったの」
「…?」
「…だからね、わからなくなっちゃったの…走る理由が…」
手に持ったスプーンに映る自分の顔が、ぐにゃりと歪んでいる。
…そう、もともとマヤが走っていた理由は、キラキラしたオトナなウマ娘になりたかったからだ。
昔からなんでもちょっと見るだけでわかっちゃうマヤにとって、かつて世界は灰色一色だった。何故なら、一度見てしまえば、それを極める過程の全てを吹っ飛ばして、マヤはその本質が全てわかってしまうから。
…RPGのゲームを買ったとして、レジでお金を払った瞬間に、隠しステージのものを含めて、ストーリーの始まりから結末まで全てを理解してしまう、っていう例えが一番分かりやすいかな?
だから、その数少ない例外であるレースに、マヤは憧れた。
初めてレースを見た日のことは今でも忘れない。あの時も、最初はマヤ、見た瞬間にレース展開が全部わかった。わかったと思い込んでいた。でも、実際にレースが始まると、それが思い違いだったって思い知らされた。
…あの時、レースに出てたお姉さん達は、マヤが今まで見てきた人達の中で、一番キラキラしてた。そして、そんなキラキラしたオトナのお姉さんたちのレースは、マヤがわかったと思ってたレースよりも、遥かにスゴくて、カッコいいものだった。だから…
「…マヤもね、そんなキラキラしたオトナのうま娘のお姉さんになりたいって思ったんだ。マヤがわかったはずだったレースを、もっともっとワクワクしたレースにした、そんなキラキラしたオトナのお姉さん達に、マヤもなりたいと思ったんだ。
この気持ちは今も変わってないよ。
…ただね」
水が入ったコップの中の氷が、カランと音を立てる。
うん、そうだ。マヤはそのためにトレセン学園に入り、いくつものレースを駆け抜けた。その中で沢山の出会いがあった。テイオーちゃんに、ネイチャちゃん、マベちんにブライアン先輩、そして何より…
「…いつからかな?マヤにとって走るのことって、それだけじゃなくなっちゃったんだ。
…確かに、マヤは今でもキラキラなオトナのお姉さんになりたいって思ってる。でも…」
…駆けて駆けて、駆け抜けた。
数多の困難に直面し、いくつもの挫折を乗り越えて、その果てにマヤはいくつものモノを手に入れた。
クラシックの頂点のひとつ、菊の冠をこの手に抱き、ブライアン先輩とワクワクするような、一生の思い出になるようなレースをすることが出来た。そしてそれらの果てに、ついにはURAファイナルズの初代女王にまで登りつめた。そして、そんなマヤの隣にはいつもあの人がいて…
「…マヤが勝ったらトレーナーちゃんは一緒に喜んでくれた。マヤが負けたらトレーナーちゃんは一緒に悲しんでくれた。マヤが駆け抜けた日々の中には、いつでも隣にトレーナーちゃんがいたんだ。」
…だからかな?
「…トレーナーちゃんが笑ってくれると、マヤはすっごく嬉しくなった。トレーナーちゃんが悲しんでいると、マヤは胸がきゅってなって苦しくなった。
…気が付いたらマヤね、レースに勝ったときに、トレーナーちゃんが喜んでくれるのが、今まで以上に嬉しくなっちゃってた。そして、トレーナーちゃんの喜ぶ顔がもっと見たい、って思うようになってたんだ」
正確にいつからと断言するのは難しいけど、少なくともそれをハッキリと意識し始めたのはURAが終わった頃だったと思う。勿論、前からトレーナーちゃんがマヤのレースに喜んでくれるのは嬉しかったし、これまでも何度も一緒に勝利の喜びを分かち合っていた。
だけど、この頃からなぜかトレーナーちゃんが喜んでくれるのが前よりもずっと嬉しくて、そんなトレーナーちゃんを見てると、胸の中が熱くなってきて…
この気持ちは何だろう?別にトレーナーちゃんは何か変わったわけじゃないのに…一体なんでこんな気持ちになるんだろう…?
でも、そう思っていた矢先にトレーナーちゃんが死んじゃって…
「…だから、トレーナーちゃんがいなくなってから、その顔をもう二度と見ることが出来なくなってから…マヤ、わかんなくなっちゃったんだ…」
「…」
空の皿を見つめながら、マヤは続ける。
「…おかしいよね?
別にマヤは自分の夢を忘れた訳じゃないんだよ?…でも、走ってるとふと思うんだ。」
そう、マヤはもう身体的には十分に走れる。
あの後…ブライアン先輩とレースをして倒れた後、マヤはネイチャちゃんやテイオーちゃん、マベちん、そして皆の助けもあって、マヤはなんとか立ち直ることが出来た。
もちろん、いくら精神的に少し楽になったからといって、1ヶ月もトレーニングをしてなかった上に、限界を超えて倒れるまで走った代償は重く、そうやって弱りきった体を元に戻すのには、それなりの時間と労力をかけてリハビリをしなければならなかった。
だけど、それも何とか乗り越えてマヤは最低限走れる位までには回復していた。
でも…
「…グラウンドを走って、トレーニングが終わって、そしたらそこに、トレーナーちゃんがいる。
…そんな当たり前の光景が、当たり前でなくなったってわかった時に、寂しくて寂しくて堪らなくなったんだ…」
…いない、いないのだ。
マヤが勝った時に嬉しそうに喜んでくれる。トレーナーちゃんが…
何度子供あつかいしないでと言っても全然聞いてくれず、マヤの頭を撫で回していたトレーナーちゃんが…
どこにも…どこにもいない…
だから…
「…わかんなく…なっちゃったんだ。マヤはキラキラしたオトナのオンナになりたい。それは変わらない。…だけど、いくらマヤがそうなったとしても、走り終えたところにトレーナーちゃんはいない…だったら…マヤは…マヤは…」
途端に涙が出そうになるけど、我慢する。
…決めたんだ、もう少しだけ歩いてみるって。いつかきっと、自信を持ってトレーナーちゃんの前に立てるように頑張るって。だから泣かない。今はまだ、その時じゃない。
「…マヤノ…あんた…」
…それでも、我慢したはずなのに、一滴だけ涙が頬をつたい…
「…マヤ…いったい何のために走れば良いんだろう?」
・・・・・・
キュッ!
バルブを締めると、軽快な音をたててシャワーが止まる。
一旦ドアを開け、外に置いてあったタオルを取ると、体をしっかりと拭いてから、もう一度ドアを開けて今度は着替えを手に取る。用意していたルームウェアに着替え、換気扇を回してシャワー室の周りの閉じていたカーテンを開けて、マヤはテイオーちゃんに言った。
「おわったよー」
「んー、りょーかーい」
テイオーちゃんはベッドにうつ伏せに寝っ転がり、雑誌を読んでいる。よほど面白いのか、マヤが声をかけても生返事。そんなテイオーちゃんの揺れるしっぽを尻目に、マヤは自分のベッドに腰かける。
…そう、テイオーちゃんは久しぶりに元々の自分の部屋であるマヤとの相部屋に戻ってきていた。マヤがブライアン先輩とレースをして倒れ、そして目を覚ました日から、マヤは少しでも前に進もうと頑張ることに決めた。そしてまずその第一歩として、皆に一人一人迷惑をかけたことを謝って、それから改めてテイオーちゃんに、マヤの部屋に戻ってきてくれないかと頼んだのだ。そしてその結果…
「…?…どうかした?」
「…ううん、何でもない」
何となく目の前のテイオーちゃんを見つめていると、視線に気づいたのか、テイオーちゃんが不思議そうにこっちを向いてくる。それに何でもないと答えながら、マヤはベッドに寝転がる。
チック、タック、チック、タック…
…部屋に時計の音が響く。マヤもテイオーちゃんも何も言わない。聞こえるのは、定期的に時を刻む時計の音と、時折テイオーちゃんが雑誌のページをめくる音くらい。夜という時間帯もあって、外からも特に音は聞こえず、マヤとテイオーちゃんの部屋では、ただただ静かに時間が流れていく。
…それはお互いに気まずさを感じるような痛々しいものではない。むしろ逆に、それは穏やかでのんびりとした心地よいものだったから…
「…ねぇ」
「ん~?」
「…テイオーちゃんは、どうして走るの?」
ちなみに、一応書いておきますが、流石にナリタブライアンに破壊されたドアはとっくに修理してもらってます。
そりゃぁまあ、いくら同性の女の子しか住んでいないところとは言え、プライバシーの面でも防犯の面でも扉は必要ですからね…
ただアニメに出てくるようなウマ娘なら、多分ドアの一枚や二枚程度のお金はポンと出せると思います。
なかなかにすごいことですが、そのあたりにもトレーナー制度、一流のアスリートではあっても未成熟なウマ娘達に、彼女達をサポートする大人をつける理由があるんでしょうね。