星墜つる聖国と剣の天使 作:レスレクティオ
「……何だあの光は!? 何かは分からないが……不味いぞ!」
北部の長城に多数の亜人の侵攻あり、その連絡を受けて援軍に来た九色の黒を戴くパベル・バラハは、壁の向こう側から見える青白い光に驚愕していた。
もう間も無く夜が明ける頃だ、しかし陽の光にしては局所的過ぎる上に何より色がおかしい。長城の向こう側で想像が付かないような恐ろしい事が起こっているのではなかろうか、とパベルの理性は常に最悪の可能性を訴えかけている。
しかし、パベルは同時にその青白い光を見ているとどうにも安心感のような、自身の愛娘と一緒に居る時のような気分が安らぐ感覚を覚えていたのだ。
気付けば、パベルはその場に留まってぼうっとその光に見入ってしまっていた。
彼の班員たちもそれは同じようで、全員がその場で歩を止めてしまっていた。
「っ……もしや魅了か!? お前たち、目を覚ませ!」
思わず身を任せたくなる抱擁のような、優しく温かな感覚。
巨双眼族のような亜人の〈
結局そのまま立ち尽くすわけにもいかず、あれは危険なものだと自分に言い聞かせる事でどうにかその感覚を振り解いたパベルは、ようやく長城の下まで辿り着いた。
「お前たち! 大丈夫か!!」
事態は一刻を争う。
そう判断したパベルは自らの班員を置いて、一足先に
「「「「………………」」」」
だが、その呼びかけに応える者は居なかった。全員息絶えていた、という訳ではない。むしろ、パベルが見た限りでは死んでいる者など1人もいなそうだった。
では何故か? 全員間違いなく生きてはいるのだが、殆どの聖騎士たちは皆魂が抜かれたかのように微動だにせず、頬に一筋の涙を流して白み始めた空の彼方を眺めて立ち尽くしていたり、膝をついて小さく震えていたりしていたのだ。
ごく一部、壁の足場に寄りかかるような姿勢でぐったりしている者や、その近くで何とも手際が悪そうな感じで治療を施している者だけは、その例に当てはまらなかった。
そして、肝心の亜人たちの姿は何処にも見当たらない。
「おい……? 一体何があったんだ!?」
「ぁ、ぁぁ……ぁぁ、ぁ……」
「へ、へいし……ちょう……どの……?」
立ち尽くしていた聖騎士の1人の肩を掴んで揺するも、うわ言を繰り返すばかり。焦るパベルの元に瞼と瞳孔が開きっぱなしのまま、足元がおぼつかない様子の別の聖騎士が倒れ込むように駆け寄って来た。
パベルは咄嗟にコンポジットボウから手を離し、こちらに倒れそうになった聖騎士の身体を抱き止めるように支え、そのままの姿勢でその聖騎士に問いかけた。
「!? あ、あぁそうだ、俺はパベル・バラハだ。教えてくれ、一体何があったんだ?」
「そ、それが……しっ、信じられっ……は、話なの、ですが……」
その聖騎士は一瞬体重を預けていたパベルから離れてどうにか自身の両足で自立したものの、ソワソワとしてかなり落ち着きがない様子だった。
言葉遣いだって上官の前なのだからもっとハキハキと話すべきだというのに、頭の中で情報を整理しきれていないのか、思った事を矢継ぎ早に口にしているといった感じだ。
そして、その話の内容を聞いたパベルは思わず「は?」と溢し、空いた口が塞がらなくなった。
「……待ってくれ。美しい女性の姿をした天使が、上空に現れて、数えきれないほどの天使を召喚し、亜人を全て制圧した後、死者を蘇らせ、全員突然消えた? お前はそう言っているんだよな?」
「は、はぃ……」
ただでさえ殺人鬼か暗殺者のように見えるパベルの目付きは、不確かな情報の真意を探りかねて一層鋭いものへと変わっていく。
確かに天使というものはローブル聖王国、特に神殿に所属する神官やパベルのような聖騎士にとっては親しみ深い存在だ。だが、それは戦闘時における召喚モンスターとしての話であって、人間の姿をした天使などパベルは聞いたこともない。
そもそも、何故そんな存在を前にこの男はそれを『天使』だと決めつける事が出来たのだろう。
いくら翼があって麗しい人間のような姿をしていたとしても、翼が生えた亜人だって中にはいるのだから、まず第一に思うべきは「こいつも亜人ではないのか?」という疑問のはずなのだ。
そんな当たり前の事さえ飛び越して「天使だ」とこの聖騎士に言わしめさせたのだから、何らかの魔法による影響という可能性も考慮すべきだろう。
「……分かった、俺は他の奴らの様子も見てくる。お前はとりあえずそこで待機だ、良いな?」
目の前の聖騎士が半ば夢から醒め切っていないような表情でコクコクと小刻みに頷くのを確認したパベルは、狐につままれたような気分のまま、他の聖騎士の下に歩を進めた。
今日は長い1日になりそうだ……脱力感のようなものを感じて白み出した空をふと見上げたパベルは、陽光を反射して煌めきながら落ちてくる何かが視界に入った。
それはまるで、舞い落ちる雪のようにも見えたが今の季節に雪など降ったりしない。
それは何度も何度も無風の空で翻る度に、陽光を反射して柔らかな光を発していた。そして、引き寄せられるようにこちらに舞い降りてくるその白い光にパベルが手を伸ばすと、その光が強まり一瞬だけ視界が白く染まった。
「羽根……?」
気が付けば手のひらよりも少し大きい、手に持っているのが勿体無く感じてしまうほど神々しく清らかな雰囲気を湛えた、美しい純白の羽根がパベルの手の中で横たわっていた。
☆☆
(やって、しまった……)
丘陵地帯と壁の中程の場所で目立たないくらいの中空に浮きながら、フィーリアは本日2度目となる頭の翼抱えをしていた。
第三者が見ていれば『世を憂う女神』などというようなタイトルの絵画になりそうなほど、悩んでいてもため息が出るほどにフィーリアは麗しい。だがそんな事は当人には分からないし、知ったとして今はどうでも良いことだった。
(流石に後続の亜人全員を〈
加えてフィーリアは、やたら騒いでいて意思の疎通が出来なかった亜人たちにどうにかアイテムで作った拠点の説明を行うのと、そこに押し込むのにも苦労していた。
その辺りの作業が終わった後、一旦身を隠すために召喚した天使たちは、少し申し訳ない気持ちになったが──全て消滅させた。念じれば光の粒子となって分解されるので、消す事自体は簡単だった。
特に、あの
フィーリアは魔法詠唱者とはいえ、魔力系ではなく信仰系の魔法詠唱者だ。
信仰系は回復や蘇生が得意な反面、魔力系に比べて魔力の総量が少ない。まだフィーリアの魔力量に余裕があるとはいえ、無駄使いは極力避けたいというのが本音だ。だが先程の行動はそれに反するものだったし、他にも面倒な問題を抱える事になった。
人助けをしたためかようやく冷静になれたフィーリアは、その問題について頭……ではなく2対の翼を抱えて考え込んでいた。
(兵士と亜人たちに顔が割れたな……)
亜人たちはまぁ良いとして、情報を探るに当たってこれから人間と接する機会も増えると予想出来るというのに、これはかなり痛い。
壁の上にいた兵士が少なかったとはいえ、この天使の顔と姿は極力見せないようにする必要があるだろう。兵士の反応を見れば、明らかに『天使』というもの自体が見慣れない存在のようだったので、一瞬で噂になっているだろう。
〈
さて、と呟いてホバリングしながら、フィーリアは夜空に浮かぶ月の輪郭に何となく目をやる。
この状況において一番手っ取り早いのは町を見つける事だ、それも文明レベルが高く発展している町を。さっきまで通って来た丘陵には亜人の集落くらいしかないようだったから、探るならあの壁の向こう側となる。
ただ、先程の行動のおかげで町があったとしても……そもそも天使の姿では無理だっただろうが、何かしらの変装をする必要がある。
フィーリアのアイテムボックスには、効果や見た目の異なる武器や装備が沢山入っている。
何故そんなものを入れていたのかというと、弱点属性のカモフラージュなどの戦術的な理由もあるが、一番はフィーリアが自身のアバターに色々なものを着せるのが好きだったからである。ファッションなど現実で人付き合いのために嫌々やっていた事だったから、ユグドラシルで自由にアバターの衣装を弄れるのが楽しかったのだ。
それがまさかこんなところで役に立つとは、とフィーリアは内心安堵しつつ、肝心の町を探すため今一度〈
道中翼の羽が一枚自然に抜け落ちたが、フィーリアがそれに気付くことはなかった。
☆
城塞都市カリンシャ。
ローブル聖王国を守る要塞線に最も近いこの都市は丘、それもその全体を囲うように存在している。ギリシャの都市国家のような風貌のこの都市は周囲が重々しい市壁に囲まれており、国内で最も防衛力が高い。
城塞都市、と言われればその町の中身も無骨なものを想像するかも知れない。実際この都市内で最も標高の高い場所には籠城のためだけに作られた頑強な城も存在している。
しかし、ここはUの字を左に回転させてその間に広い海が横たわっているという形をした国土の都合上、丁度南部との交易の分岐点となる場所と近い場所に位置しているため、都市の中身もかなり発展している。
当然こんな場所はユグドラシルにはない。
「………………」
時刻は昼頃。
店が立ち並び人で賑わうカリンシャの大通りを、1人の人物が急ぐわけでもなくゆったりと歩いていた。
その人物は、純白をベースに薄い金色の装飾の入ったフルフェイスの兜を被っているため、顔から性別を判断する事は出来ない。
ただ兜と同じ色使いに加えて空よりも深い青を差し色として使ったマント付きの鎧ドレスを纏っており、上半身の身体のラインも加味すれば女性であるという事が見て取れた。
防御力を高めるのに必要不可欠な装甲は、模様が彫られた逆三角形の金色のプレートを左右の脇腹の下辺りから膝上あたりまで、鎧ドレスの上から被せるようにして何枚か重ねて取り付けているくらいで、後は兜と同じような装飾の小手と肩当てくらいしか装甲らしい装甲はない。
腰には青い氷かクリスタルのような煌めきを剣身に宿した、鍔の部分に翼の装飾がなされている片手剣、もちろん鞘に収めているので外から剣身は見えないが──を差している。
背中にはまるで美術品のように見事な、金色の鷹の頭のレリーフの付いた空色のラウンドシールドを装備していた。
全体的に白色と布の目立つその姿は、騎士というよりかは神官のような風貌だ。
まるで、世俗のあらゆる煩悩から解放されているかのような、さぞ高潔な人物なのだろうという清浄な雰囲気を全身から醸し出している。
(……お金落ちてないかな)
だが、鎧ドレスの中身のフィーリアはそんな見た目とは裏腹に、かなり俗物的な事を考えていた。
先程〈
ユグドラシルでは職業の異なる武器や防具は装備できなかったため、この世界でもそれが通用するというなら何故剣や鎧ドレスなどが装備可能なのかというと、実はフィーリアは〈
これもフィーリアが「天使ならやっぱり剣を装備したい」という超個人的な理由で習得していたのが理由だ。
そのためユグドラシルをプレイしていた頃のフィーリアのメインウェポンは剣でもあり、杖でもある特殊な武器となっている。無論、素手でも普通に魔法は使えるので、この世界では未だアイテムボックスの中で眠ったままだ。
詰まるところ、お遊びビルドだったのが功を奏したというわけだ。もちろん本当にそうなのかは、今のフィーリアに確かめる術はないが。
(登録の初期費用5銀貨、か……)
〈
何の肩書きも無いのでは生活する上で他者に怪しまれるかも知れないと思い、冒険者になるために組合への登録をしようと考えたのだが、案の定登録のための費用が必要らしかった。
様々な物を売り買いする人々の様子を見るに、どうもユグドラシルの通貨とは別の通貨が出回っているようだったし、そもそも『5銀貨』がどれくらいの価値なのかさえフィーリアには分からない。
更に言えば、言語は日本語と同じだったので普通に聞き取れたのだが、冒険者への依頼の書かれた張り紙などは見た事のない文字で書かれていたため全然読めなかった。
つまり、実質今のフィーリアは持ち金0で文字も読めない無職の天使なのである。何と情け無い肩書きだろうか。
一応、天使の種族的特性が反映されたためか、この世界に来てから眠っていないのに疲れも感じず、喉の渇きも空腹感も無いため現状維持なら出来そうだが状況は殆ど"詰み"の状態だ。
もちろん装備品を売るとか、ユグドラシルの通貨を査定して貰うとか、ちょっとしたアイテムを売却するとか、お金を得る方法自体はある。
ただ、それらは自身がユグドラシルのプレイヤーであると明かすようなものばかりだ。
この姿でいる時は大天使ミカエルであるという事は当然として、ユグドラシルプレイヤーである事も隠秘しなければならないので、それらの選択肢はそもそも無いに等しい。
ぶっちゃけた話、後方での支援&回復型に近いフィーリアは個人としての戦闘、つまり1on1は苦手だと自負している。Lv.100の戦士職などに"突然"襲われたら……成す術もなくぶちのめされるだろう。
だからこそ、自身の正体はなるべく隠していたいわけだ。この世界にいるかも知れない仲間のためにここに居るぞ、と最低限のアピールはするにしても。
結局〈
何げなしに周囲に目をやる。
アイテムボックス内の装備品の中ではあまり派手ではないものを選んだつもりが、どうもこの姿でさえこの世界では珍しく見えるらしい。
その証拠に周りの人々はフィーリアから常に一定の距離を置いており、中には膝から崩れ落ちたと思うと涙を流して祈りを捧げる者までいる始末だ。
(……ちょっと待ってくれ、幾ら何でも反応がオーバー過ぎないか?)
そんな疑念を抱いたフィーリアは、今まで歩いてきた大通りを振り返る。
そこには今まですれ違った人という人全てが瞳を涙で無邪気な子供のように輝かせ、胸の前で手を絡めながら「あぁ……ぁぁ……」と口から歓喜の声を溢しながら、天にも昇るような表情を浮かべていた。
先程までの賑やかさは悉く消失しており、ただ人々が温かな安寧と幸福に包まれているという、ある意味天国のような光景がそこにあった。
即座に原因が分かったフィーリアは、適当な路地裏に飛び込んで身を隠すと元凶となっているであろうスキル名を小さく呟いた。
──〈希望のオーラ レベルⅤ〉解除──
それだけ呟いた後、フィーリアは盗賊のようにそーっと建物の角から顔を出して大通りの様子を伺った。
見れば先程の人々は相変わらず天にも昇りそうな表情だったが、そこに新たにやって来た人々はその様子を見て何があったのかと問いただしたり『聖騎士』という名をしきりに呼んでいた。
恐らく聖騎士という者がここでは警備を担当しているのだろう。その名称を鑑みるにここは宗教色が強い国なのか? とフィーリアは考えながら、段々と大きくなる騒ぎに背を向けて歩き出した。
〈希望のオーラ〉のレベルはⅠ〜Ⅴまであり、それぞれ効果は安心、安堵、平静、安寧、祝福だ。このスキルを発動させておけば自身と周囲の味方に、恐怖の無効化と全ステータスアップの
どうも無意識に発動していたらしい、あの壁の上にいた兵士や亜人たちの様子がまともに会話も出来ないほどだったのは、恐らく見た目もそうだろうがスキルによる影響があったからだろう。
ユグドラシルではあくまでそういう名の
「おい! どうしたんだ!? 何をされた!?」
「っ! これは……どうなっている!?」
チラッとフィーリアが背後に視線をやると同じ空色の紋章の描かれたサーコートを着た、恐らく聖騎士だろうと見られる騎士の集団が遠くからやって来ていた。壁にいた兵士も同じような服装をしていたので、あの兵士たちも同じ聖騎士と呼ばれる者達なのだろうと考えられる。
(…………後始末くらいはするべきか)
このスキルがもし絶望のオーラだった場合、罪もない人々を皆殺しにしていたところだった。そう考えれば、全員幸せそうな表情をしているとはいえ事態の収束くらいには付き合うべきだろう。
随分と世話焼きな性格になったものだ、とフィーリアはないし自虐した。
ユグドラシルでもこれくらいの親切は常日頃していたが、それは言わばロールプレイの一環だった。今は感情に左右されやすくなった結果、そういう行動をせざるを得なくなっているのだから行動原理が大きく異なっている。
「あの……そこの方、大丈夫ですか?」
フィーリアは今にも倒れてしまいそうなほどワナワナと震えている近くにいた
声は大天使ミカエルの時と同じもの──即ち未だ違和感の消えない柔らかな女声のままだが、口調が違えば多少のカモフラージュにはなるだろう。
「あぁ……神よ、神よぉぉ……どうか……どうか、私を……お救い下さいぃぃ……」
「えっ……と、すみません。何をおっしゃっているのか私には分かりかねますが、今あちらの聖騎士の方を呼んで来ますね」
表面上は丁寧な口調で対応したフィーリアだったが、内心『この人もうダメなんじゃないの』という無関心さと『貴女の事を害してしまって本当にごめんなさい』という罪悪感を50/50の割合で同時に抱いており、その不安定な情緒のせいで若干気分が悪くなっていた。
フィーリアは心が2つ入り混じったような不快感を鎮めるため、気が晴れるまで周囲の人々に気遣いをする事を決めた。
☆
数日後、カリンシャにて。
「あら、フィリアさん! 昨日は猫探し手伝ってくれてどうもありがとうね〜」
「おやおや、これはこれはフィリアさんではありませんか……この前はワシが転んでしまったところを助け起こして頂き、本当にありがとうございました……」
「フィリア殿、先日は市壁の兵器の修理ばかりか改良までして下さって……カリンシャの聖騎士一同、貴方には感謝いたしております。もし我々の助けが必要でしたら、遠慮なくお申し付けください」
(……不本意、といえばそうなんだろうな)
フィーリアは町中を歩くだけで、道ゆく人々に感謝されるようになってしまっていた。
順を追って説明すると、まずこの街に立ち寄った流浪の旅人、フィリアという体で自身が引き起こした事態の収束に付き合っていた。その過程でここの住民と会話する機会が増えたため、ついでのつもりで住民たちの悩み事に手を貸していたところ、日に日にそれがエスカレートしてしまったのだ。
悩みといってもこっそり魔法を使ったり、知恵を貸したりすれば解決するレベルのものだったので全く苦にはならなかった。そのため、湧いて出てくるデイリーミッションのような感覚でフィーリアは住民の悩み事を引き受けてしまっていたのだ。
それらを全て解決するまでに数日、フィーリアの体感としてはあっという間だったが──経過して現在に至っている。
(市壁の兵器の件は、ゼフォンが毎日のように新作武器のお披露目をしてたおかげだな〜……構造を思い出しながら修理したら、弩弓が何故か火炎放射器になったけど……)
その過程で幾らかお金を稼ぐ事も出来たため、数日前より行動の幅は広がったといえる。
だが、フィーリアは内心『恐ろしいものだ』とも思っていた。
この数日間、フィーリアは自分の意思ではなく
(……側だけの俺にそんな資格はない。前の世界で自分も、他人も裏切って偽善ばかり振り撒いた俺に、天使の資格なんて……)
自分は何者か?
その問いを続けなければフィーリアは過去も何もかも全てを投げ出して、自身が背負うべき『偽善』という罪を忘れてしまいそうになっていた。
日陰になっていた適当な建物の壁に寄りかかり、暗い足元に目を落とす。もちろん肉体的な疲労はないのだが、どうにも心労が蓄積していた。
俺の優しさは本当に優しさなのだろうか、とフィーリアは内心考えていた。ただ他人のために身を粉にして働く自分が、周りからチヤホヤされるのが好きだという欲望が優しさに見えているだけなのかも知れない。
「はぁ……」
そう考えれば、虚無感からため息の一つも出るというものだ。
天使の種族としての設定はユグドラシルで読んだことがあるはずなのだが、イマイチ思い出す事が出来なかった。だがれっきとした感情があるのだから、こうして悩むのも一応は天使となった者の宿命のなのだろうか──と、フィーリアは自分で自分に果てのない問いを繰り返していた。
「フィリアお姉ちゃん? ため息なんて吐いて、どうかしたの……?」
俯いていたフィーリアを、この世界ではありふれた服装をした1人の少女が覗き込むようにして見上げていた。この子は、一昨日前に人混みの中で迷子になっていたところを助けてあげた子だ。名前は確かメルだったか、とフィーリアはすぐに思い至った。
「いいえ、何でもありませんよ。疲れたので、少し休んでいただけです」
「そうなの? なら良かった……あ!」
メルという少女は何かに気が付いたのか1、2歩フィーリアから離れると、小さな頭をぺこりと下げた。
「フィリアお姉ちゃん、この前はありがとうございました! メルね、迷子になった時とっても怖かったんだけど、フィリアお姉ちゃんが助けてくれた時、お姉ちゃんが
「……っ!」
その言葉にフィーリアは聞き覚えがあった。
そう、あれはメタトロンとサンダルフォンと会ってまだ間もない頃の事──
☆☆☆
『メタトロン! サンダルフォン! 大丈夫!?』
『ミ、ミカエルさん!? ……すみません、まさかこんなところで待ち伏せされるなんて……私が時間を稼ぎます! ですからどうか、サンダルフォンの回復を優先して下さい!』
『私は大丈夫だから……! 待って! メタトロン……っ!』
ユグドラシルにおいてPKは珍しい行為ではない。
特定のスキルや職業、魔法を習得するためにはPKが必要となる場合もある。何より、PKすれば相手のドロップ品はPKした者に所有権が移るゲームシステムなのだ。ここまでPKが推奨されているのも、ユグドラシルというゲームの魅力といえば魅力だったのだろう。
セラフィムは強力なギルドだ。だがそれ故に他ギルドから恨みを買いやすく、何かされたとしても報復としてこちらから干渉する事は難しい。
上位のランキングというものは薄氷のような他ギルドとの関係性の上に成り立っている。幾らギルドランキング1位のセラフィムとはいえ、残りの上位ギルドで連合を組まれて対抗されたりした場合、非常に面倒な事になるだろう。
そのため他ギルドから多少の妨害行為を受けたとしても、無視して報復には及ばないような甘いところを見せつつ『いざという時は……分かっていますね?』という軍事力による刃を常に覗かせる事で、図に乗らせない適度な関係性を保つ必要がある。
これが2位以下のギルドなら"目には目を歯には歯を"の法則に従って被害と同じくらいの報復をしても良いのだが、ランキング1位というのは常にその座を狙われる側であり、つまり全てのギルドと本質的なところでは敵対関係にあるという事と同意義だ。
そのため『ギルメンが襲われたからその場に居合わせたメンバーで対処』はまだ良いとしても『セラフィムの"御使い"の誰かが助けに行く』というのはかなりグレーなのだが──フィーリアは大天使の位に就く前から、
そのせいでフィーリアは最終的にギルドを追放される事になったのだが、それはまた別の話だ。
『っ……申し訳ありません。御使いの貴女に助けて頂くなんて……』
プレイヤーを追い払ったのち、開口一番にそう言ったメタトロンは表情で感情を伝えられない代わりに、フィーリアに深く頭を垂れた。
表情の絵文字の描かれたスタンプを使わない辺り、冗談抜きで自身の力不足を悔いているようだった。
『いいのよ、これは私のわがままだもの。貴女が気にする事じゃないわ。サンダルフォンは大丈夫? とりあえず、HPは回復させたけど……』
『は、はい……何とか』
麻痺を受けてその場に倒れていたサンダルフォンがよろよろと起き上がるも──ゲームだから元からなのだが、その時のメタトロンはいつもより厳しい表情を向けているように見えた。
『……サンダルフォン、何故私を庇ったりしたのですか。貴女は後衛職でしょう! なのにどうしてそんな危険な事を……下手をすれば、貴女が倒されていたんですよ!』
『ご、ごめんメタトロン! でも、メタトロンの方が強いから、私が身代わりになれば良いかなって……』
『っ! だとしても、見ず知らずの私にそこまでする理由が分かりません! 何故いつも、貴女はそうやって無茶ばかりするのですか!』
『なんでだろうなぁ……メタトロンとは、初めて会った気がしないの。一緒に居ると何だか懐かしい気がするから……それじゃ理由にならない、かな?』
『……貴女の言いたい事は分かりました、ですが次からはそんな真似はしないで下さい。私が傷ついたとしても、後衛で貴女が支援してくれた方が、全体としての戦力は上昇しますから』
そんな問答をする2人の様子をフィーリアは優しい眼差しで、もちろんアバターに反映はされないのだが──胸の奥に、何か温かいものを感じながら見守っていた。
それはとても好ましい感覚だったと、今でもフィーリアはそう思っている。
『……ふふ、2人とも仲が良いのね』
フィーリアがそう笑いかけると2人の天使は示し合わせたような全く同じ動きで、すぐさまフィーリアの方に向き直った。
『あっ、申し訳ありません!』
『謝る必要なんてないわ、メタトロン。私も、貴女たちの事を見ていると色々と気付かされる事が多いもの』
まだ問いにも至らない、単なる気付き。
それでも、これはきっと何か重要な事に続いているとフィーリアは感じていた。
『私たちを助けて貰って、本当にありがとうございました。前から思っていたんですけど、ミカエルさんって何だか──』
『──
☆☆☆
「──お姉ちゃん、フィリアお姉ちゃん?」
「っ……あぁ、すまない。少し考え事をしていたんだ」
俺が本物の天使、か。
かつての記憶を思い起こしたフィーリアはそんな事を内心呟いた。
(……天使に相応しくないと思うなら『天使と人間の違いとは何か?』という問いの答えを探せば良い。優しさが何なのか分からないなら『優しさとは何か?』という問いの答えを導けば良い)
それらの答えは、天使という存在を期待してくれたあの2人への贖罪となると同時に、今はまだ遠い本物の天使という存在に近づく鍵となる。
それに、異世界だからこそ現実では分からないような問いの答えが見つかるかも知れない。
何より『天使』という概念はフィーリア自身が一番理解したい事だ。
そう考えると分たれていた心が疑問によって1つになったからか、フィーリアは急に心が晴れる気がした。
「ふふっ、なるほど。だったら、いつまでもナイーブでいるのは得策ではないな」
「えーっと……な、ないーぶ?」
「いやいや、こちらの話だよ」
さて、と呟いてフィーリアは建物の壁から身を離した。次の目的地に向かうためだ。
少なくともこのカリンシャの町にはメタトロンとサンダルフォン、セラフィムの痕跡もなければプレイヤーの気配すらなかった。この国、ローブル聖王国の首都はホバンスといい、ここより更に西に行ったところにある大都市らしい。そこになら何か痕跡があるかも知れないし、この世界の地理的な概要も掴めるだろう。
この町はいわばフィーリアにとっての始まりの町だ。少し名残惜しいが、いつまでも留まって居るわけにはいかない。
「あれ? フィリアお姉ちゃん、どこに行くの?」
「私は旅人だからね、この町には数日程お世話になったけど、そろそろ次の町に行こうかなと思ってね」
「えぇー!? そんなぁ、まだ行かないでよぉ……でも、フィリアお姉ちゃんは旅人さんなんだよね……あ! そうだ!」
ゴソゴソ、とメルという少女がスカートのポケットの中に手を突っ込んだと思うと、やがて小さな角笛を2つ取り出した。そして、少々歪な形をした角笛の片方をフィーリアに差し出した。
「これあげる! メルの家で作ってる笛だよ! お姉ちゃんがこの町からいなくなるのは寂しいけど……えっとぉ、かたみ? って言うんだっけ?」
フィーリアはその角笛を受け取り、手の上で転がした。何の魔法も効果もない、至って普通の小さな小さな白い角笛のようだった。
「メル、この笛をかたみにして、またフィリアお姉ちゃんが町に来るの待ってるから!」
えへへ〜といった笑顔を見せるメル。
天使には心の臓もなければ血の一滴も流れていないというのに、フィーリアは胸の奥が僅かに温かくなった気がした。
「ふふっ、分かった、またいつか会おう。この角笛はずっと大切にするよ……ずっとね」
だからこそ本心でそう呟いたフィーリアは、後でこの角笛をアイテムボックスの大切な物のカテゴリー内に収めておこうと密かに考えた。
「メルー? そこで何してるのー?」
「あ! お母さん! それじゃあフィリアお姉ちゃん、またねー! 約束だからねー!」
メルという少女は、大きく手を振りながら母親と見られる人物の下に駆け寄っていった。
フィーリアは兜の下で僅かに微笑むと、その小さな背が人混みの中に消えるまで見守ったのち、裏路地に入り込んでその姿を消したのだった。
☆
「確か……あった、これね」
警備兵以外は眠りこけているであろう深夜、フィーリアは〈
やがて一軒の家を見つけたフィーリアは、音も気配もなくふわりとその家の2階の窓の近くに下降した。窓をそっと開けると、どうもそこは寝室のようでベッドの上で見知った少女がスヤスヤと眠っていた。
その表情を少し見た後フィーリアはこっそりと窓から建物に翼を折り畳んで入り込むと、ベッドの側の机の上にアイテムボックスから〈
面白い小説が書かれた本を贈ってもよかったのだが、生憎文字が全て日本語なのでフィーリアは諦めていた。
"私からのささやかな贈り物だ、気に入ってくれると嬉しいな"
元の世界とは異なる文字に悪戦苦闘しながら書いた、花柄のメッセージカードを〈
そして、カリンシャの上空をゆっくりと一周した後、聖王国の首都ホバンスに向けて流れ星のようなスピードで飛び去っていったのだった。