次回からは頑張れる(はず)
──ああもう、寒いったら。歯の根が合わないっていう言葉はこういうときに使うんだろうね。
襟をぎゅっと引き寄せながら足早に歩く。午後からは大雪だっけ? この寒さと雪には慣れるのは大変だぞ、とうんざりしながら天を仰ぐ。今にも降り出しそうな曇天の下、目的のビルが見えてきた。最近ボクの拠点となったビル。と言っても、今まで世界中を転々としていただけに、1つの場所に根を下ろすことに不安を感じてはいるのだが。
風を肩で切りながら歩いて、程なくビルの目の前に立つ。周りの高いビルたちに溶け込むような外観だが、相変わらず小綺麗そうで何より。身体中の雪をほろい、地面をつま先で叩いてから自動ドアをくぐる。
暖かさに思わず、ほうと息が出てしまった。開放感に任せてするりとコートから髪を引っ張り出せば、視線が一気にボクに引き寄せられたのを感じる。これも、慣れないことの1つ。自慢の金髪が流れるのを目の端に留めながら、密やかだけれど確かに感じる視線に身じろぎしてしまう。まあ、しょうがないっか。たくさん褒められてきた自慢の髪だし、腰まで伸ばしたのに隠すなんてのももったいないもんね。
──ああ、「アナタの髪は田んぼいっぱいの稲穂みたいね!」なんて言ってくれたあの子は、今元気にしているだろうか。「金に綺麗な緑が混じったみたいな…。何て言うか、生き生きしている色だわ!」って言ってくれて…。今思い出してもニヤニヤしてしまうくらい嬉しかった。今度手紙を出してみようか、いまは電話を持ってるかも──、なんて。ここ10年で積み重ねてきた、色褪せない思い出に思考が滑る。
今までたくさんの子を見てきたが、どの子もある意味で鮮烈な面を持っていたものである。この国では、どんな子に出会えるだろうか、どんな出来事に巡り合うことができるだろうか。
そんな身勝手な期待と、これからへの不安が半々。ものの初めというのは得てしてこんなものだろう。最初の方は不安を抱えながら歩き始めるしかない、とボクは思うのだ。願わくば少しでも不安が減ってくれますように。
そんなことを思いながら、ここ数日ですっかり勝手知ったる通路を進む。受付の人に笑顔で手を振りつつエントランスを抜け、エレベーターに乗って上階へ。いつもは談笑したりできるのだが、今は先を急ぐとしましょう。
誰も居ない箱の中に入っても、考えるのは仕事のこと。なんたって、やることがたくさん…! この街にも能力者の子たちが何人も居る。ボクの仕事柄、彼らと連絡を取り合うことは必須。一度は実際に顔を見ておきたいし、それぞれの担当管理官にも会っておかなければ。大半の子は学生や児童だし、日程の調整も一苦労。ジュネーブに上げる報告書も作らなきゃだし、しまいには訳の分からん講演まで任されてしまった。
ボクの仕事について語って欲しいらしいけど、こんな三十路も迎えていない青い娘に講演なぞされて、嬉しい人などいるのだろうか。学校の子たちも見に来るらしいし、ちゃんと頑張るのが吉かなぁ。だけど、ボクの仕事について話すって、もしかしなくても重大任務だよなぁ…。
それに、今朝の電話…。地下鉄のホームで鳴ったそれがボクの忙しさに拍車をかけることは、もはや確実に思えた。問題が起こったというか、いつも通りというか。頭の中で行動計画を滔々と建てながら、朧げな未来に悶々と考え込む。
うんうんと唸っていると、自分の指がするりと胸元に伸びていることに気づいた。
本腰を入れて悩みに悩んでいるとき。そんなときはいつも、自然と胸元についた記章に手が移る。スーツの黒に映える金色の菱形バッジ。ギザギザの葉っぱがあしらわれているコレは、聞いたところによると高尚な理念が込められているらしい。
この形で作られた意図はボクは意識したことはない。しかし、このバッジに触ると、難しく考えていたことや仕事でのストレスなんかが和らぐ気がして、ついつい指で撫でるのが癖になってしまった。
言ってしまえば、このバッジはボクたちの誇りであり、象徴なのだろう。たくさんの子を見てきた、『能力管理官』であるボクたちの。特にボクなんかは、世界を渡り歩いていろいろな出来事を見てきた。気ままにチカラを振るう明るい子もいたし、ギリギリの瀬戸際で助かった子もいた。そんな子たちの将来を支え、各々が望むままに生きていけるように護る。そんなボクたちの第一使命に心から誇りと敬意を感じているからこそ、冷んやりとしたこのバッジに暖かみを感じることができる。
つるりつるりと、感触とともに噛み締める。この仕事に就いたときに考えていたこと、挫折の後の再起、自分の理想……。そして、今のボクがやるべきこと。
──うん、気合い入った! きゅっと青いネクタイを締め直す。エレベーターの鏡に映った自分の顔も、心なしかキリリとして格好良い。澄んだ碧眼が自らを奮い立たせるようにこちらを見つめている。パンツスーツに融けた雪を払えば、気分はすっかり戦闘態勢。
エレベーターが開き、ついに我が職場に到着。といっても、見渡せばまだそこら中に段ボールが積んであって、まだまだ出来たての匂いのするオフィスである。今はまだ纏まった人数はいないが、ゆくゆくはこの地域一帯の能力者たちを管理する予定の、新しい拠点なのだ。
着任してからこっち、朝は人もおらず閑散としているのが常。ちょっと寂しげだが、胸の空く静かな雰囲気が好きだった。
しかし、今日はそうも行かないようで。
「あっ、ケイさん! おはようございますっ」
「おはようケイ。早速だけど、室長が呼んでいたぞ。室長室に居るって言ってた」
到着早々、同僚達からお声が掛かる。やはりみんなドタバタしていて慌ただしい様子。ボクも挨拶を交わしつつ、皆に倣って足早に動き出す。ある人は電話を肩で挟みつつ、またある人は声を張り上げながら指示を飛ばしている。
少し歩いたところでちらりと見れば、立ち並ぶドアのなかの1つからぴょこんと頭を出してこちらを手招いている男が見えた。彼も朝は急いで出てきたらしく、ぼんぼんの髪に寝ぼけ眼を携えている。
ったく、なんで朝からあんな辛気くさいカオ見なきゃいけないんだよぅ。若干悔しく思いながら、手招きに従って部屋に入る。
「おはようさん、ケイちゃん。もう連絡はいってるかな?」
「はい。
のほほんとした顔に似合わず、すっぱりと本題に切り込んでくる室長。お喋りは無駄と踏んだか、焦っているのか。その様子を見る限り、事態は思ったよりも切迫しているらしい。部署全体が剣呑な雰囲気なのも納得。
「ああ、この地域では類を見ないほどに
そう言うやいなや、身体を寄せてタブレットの画面を見せてきた。能力者の出現時期、能力規模、出現地域などなど。そこに書かれた予測を見て、思わず渋い表情をしてしまう。
「正直なところ、俺たちでは手に余ると思う。ここもようやく始まったばかりだし、何より経験が少なすぎるからね」
「そこでキミの出番ってわけ。キミは経験豊富だ。能力出現期からずっと、能力者に寄り添ってきたと聞く。大規模な能力管理の実績もある」
──今回の対象は高校生。身元がきちんと把握できているのは僥倖か。あの占い師サマもすっかり腕を上げたようで、今度電話して褒めてあげようか。しかし──。
「肝心の能力の詳細がわからないみたいですが」
「…ああ、それも難しいところだね。残念だけど、それは実際にあって確かめるしかない。それに、キミならだいじょうぶさ。本部から来たキミのチカラ、今こそ発揮してくれると嬉しいな」
相変わらず飄々としてるな、この室長は。まるっきり仕事を押しつけられたとも取れる発言に、少し眉が寄ってしまったかも知れない。まぁこちらとしても頼られるのは吝かではないし。室長も言っていたが、こんな事態のためにわざわざ日本まで出向いているのだ。
…よし、当面のやるべきことは決まったか。そうなれば後は動くのみ。
「とにかく、なるべく早くに接触します。できれば今日中。もう始業してしまったでしょうが、件の学校に連絡を入れておいてください。放課後、私ひとりで伺います」
「お? 結構すんなりやる気になってくれたね。渋られるんじゃないかとヒヤヒヤしてたんだけど」
「そう思うんだったらもっと情報を集めてください。手の空いてる人たちで、彼女の周辺を探るようにお願いします」
「あい、りょーかいっと。午前中は何してる? もし空いてたら別件頼みたいんだけど」
思わず手で目を揉んでしまう。いい加減、人手不足が過ぎる。猫の手も借りたいってヤツ。
こちらの気も知らず満足げに笑う室長を半ば睨み付けながら、予定を淡々と伝える。
「彼女に会うまでは根回しです。在宅であればご両親に説明もしますし、登録書類も作ります。雑務はそっちで片付けてください」
「え~、まあそうするとしますわ。空いた分はみんなで埋めておくから。伸び伸びやんなさいよ」
「……助かります。特に今回のは、なかなか大変そうですから」
そう言うと、意外そうに目を見開いてこちらを見てくる。アナタにじっと見つめられても不審にしか思えない。何ですか、突然。
「いやさ、キミはいっつも弱音吐かないから。見てて不安になるって言うか、なんだかなーって思ってたのだけれど」
そうかな? …ふむ、確かにそうかも。日本に渡ってきてから何でも一人でやってきたからかな。
「…好んで弱気を吐く人なんて、それこそいないでしょう。今まで弱る場面がなかっただけです」
「それに、私は人並みに不安とかは感じる方ですから。今回なんか特に不安ですよ。辛くでもなったら、これでもかって言うくらい愚痴吐きに来させてもらいます」
不意に突かれた脆さに内心では身も縮む思いだったが見栄を張り、覚悟しておいてください、と伝える。
しかし室長はやっぱり飄々としていて、おお恐ろし、と言って肩をすくめるだけであった。
◇◆◇◆
「じゃあデカいのだけ頼んだぞぅ」
その他諸々の詳細を詰めていると、あっという間に時間が経ってしまった。現在時刻は朝の八時ほど。本当だったら紅茶でも飲んで一息つきたいところなのだが…。ひらひらと振られた手に、一休みする間もなく部屋を追い出される。
「…ええ、頼まれましたとも」
うい、と相変わらず気の抜けた返事を背中に浴びながら部屋を出た。
後ろ手にドアを閉めながらひとつ、息を吐いて──ふう、頑張るとしますか!
今来たばかりの通路を足早に歩きながら、頭の中では午後からやるべきこと、優先順位を整理する。
会ってからすぐに事情を説明、そのあと能力の詳細を明らかにして、そのチカラを上手く制御できるように教えてあげる……。うん、能力管理の基本だね。
ただひとつ問題なのは、彼女が持つチカラの強さだった。占いでの本部の予測を聞く限りではかなり強い部類に入りそう。もし、制御に失敗して暴走してしまったら……。
ふと頭の片隅に巣くった懸念を、ひとまず立ち止まって検討する。…暴走。したらどうなるだろうか。
そこまで空回って、詮無きことだと考え直す。能力の詳細も分かっていないのにそんなことを考えても意味がない。今はただ、目の前のことに集中するべきだ。よし、ボクならいける!
──無理矢理に気合いを入れても叩いた頬がただただ赤くなるだけで、心に立ち込める暗雲は晴れず。ボクの心は、どうも前途に立ちはだかる苦難を予感しているようで。
久しぶりの『能力管理官』としての仕事は、ずいぶんとタフなものになりそうであった。
先生役、ケイさんの登場回でした。どうにも説明くさくなっていけねぇや。
ちなみに、主人公は日向ちゃんになります。