「面倒くさい」って、要らない?   作:ていくいっと

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お久しぶりです(小声)


8. Interruption, Pessimist, and Magic.

 

 

 僅かな断絶から目覚めたときには、女は既にへとへとだった。

 辺りは既に暗い。自動販売機に背中を預けて、頭上からはまばゆい光が降り注いでいる。尻は雪に覆われた地面に押しつけられ、もはや感覚はなくなっていた。全身のそこここにそんなところがあった。

 それもそうか。この寒い中で気絶したのでは、回復など望むべくもない。女はため息を浅くついた。実際、少し意識を落とした程度では回復すらされていないようだった。

 

 女は黒い革の手袋に包まれた手を、自分の機能を確認するように握ったり開いたりした。いつもは精密な作業から荒っぽい力仕事まで、最高の結果を残してくれる頼もしいこの手なのだが。今は冬の寒空に放置され、凍えてしまって固くわなないているのみだった。

 全身が機能不全を起こしていた。関節はどこもかしこも固く締まっていて、身体を起こすことも億劫だった。自販機にもたれかかったこの状態で再び立ち上がるには、少しずつその凝りをほぐしていくしかないようだ。背中に感じる少しの熱だけが心の支えとなった。

 

 

「──三十分か」

 

 

 腕時計を見るために腕を持ち上げる気力もない。そもそも彼女の記憶では、腕時計は判読不可能なまでに粉々になっているはずだった。

 しかしわずかに赤い西の空と体内時計、それに加えて冷たくなった身体が、昏倒してからどれくらいの時間が経ったのか教えてくれる。

 

 彼女には約束があった。それも重要な……ともすれば、人類全体にとって重要な類いのものだった。そのようなものは彼女にとって初めてではなく、むしろ数え切れないほどこなしてきたが、今回のは格別。重要度といい危険度といい、多くの同僚たちがこの件に特別な注目を寄せていた。

 

 もちろん、彼女はできうる限りの準備を重ねてきた。彼女自身もその恵まれた才覚を活かして馬車馬のように動いたし、それを支援する組織──魔法能力管理プログラムと呼ばれている──もどうしようもなくベストを尽くした。急遽セッティングされた面会ではあったが、少なくとも彼らはそれほどの覚悟を持って臨もうとしていた。

 しかし、だ。しかしこのざま。約束の日になって女は翻弄され、滅多打ちにされ、こうして自販機にもたれて打ちひしがれている。

 

 妨害があったのだ。それも数多くの、巧妙なものが。波のように押し寄せるそれを掻き分けた。その肉体や技術、頭脳をもって的確に慎重に。そうして彼女は徐々に精神と肉体をすり減らしていった。

 

 

 「ボクとしたことが……。情けない」

 

 

 わずかなうめき声とも取れる音が漏れ出す。寒々しい光が、黄金の髪とそこにこびりついた少量の血を照らしている。平時はそこにある美貌の輝きも、いまは損耗と、欠片ほどの焦燥に曇っていた。胸ポケットの金属の塊が重くてしょうがない。現状に対する嘆き、こうして停滞を余儀なくされていることへの恨みは、白い息とともに立ち上るのみであった。

 

 時間がないことは百も承知だった。残り三十分、ゴールである学校に思いを馳せる。本来なら徒歩といえども十分に間に合う距離だ。今の、この情けないボクでさえ。

 しかし、そう順調にいかないだろうことは容易に想像できた。妨害には創意工夫が重ねられているようにも、浅い考えのもとで乱発されているようにも感じた。決して苛烈ではなく、暴力的でなく、強制力があるわけでもない。それでも確かに、実に効果的にボクを邪魔してきた。いわば故意に作られた偶然の産物とでも言うべきか、それはただただ予想が困難で、趣味が悪いものであった。

 

 何らかの『能力』が使われているのだろう、ということにはすぐに考えが及んだ。それが非常に強力で、ともすれば凶悪なものでもあろうということも。しかし、いったいどんな『能力』が使われているのかは見当がつかなかった。それほどに多様だった。

 

 

「……っ」

 

 

 軋む全身へ隅々まで気力を行き渡らせて、なんとか身体を動かし始める。初めはみっともなくのたうつだけだったが、しばらくすると少しましになった。ボトルの排出口に手をかける。そこと地面を支えにして、ふらつきながらも立ち上がることに成功した。

 今すぐだ。相変わらず自販機にもたれかかりながら彼女は考える。今すぐに出発せねばならない。タイムリミットはすぐそこにある……どころか、既に過ぎ去っているのかも知れなかった。

 

 

 そこまで考えたところで、彼女は人の気配に気がつく。複数人。彼女の優れた感覚は、彼らがゆっくりと会話しながらこちらに近づいてくるのを捉えていた。

 接触は避けたかったが、彼らに気づかれずに立ち去るのは不可能だった。どうやらこの自販機に用がある様子だった。未だ寄りかかる自分を見られるのは回避できない。

 彼女はこの後起こる展開を素早く組み上げた。既に日は落ちて、自販機を頼って苦しげに佇む自分。髪は血に汚れ、全身は冷たく濡れて、一見して疲れ果てている。これからやってくる人たちに、自分がどう見えるかは火を見るよりも明らかだった。怪しまれるか哀れまれるか、先ほどと同じように絡まれるか。刹那のうちに、彼女はこれが妨害の一環だということを理解した。

 

 注意深く、彼らの注意を引かないように立ち去らねばなるまい。その一心で彼女は自販機の支えを脱し──そして結果的に転倒した。

 ぼふり、と新雪が押しつぶされる音が響いた。顔を雪に埋めながら臍をかむ。失敗だ、まだ回復が足りていなかった。雪の冷たさが再び身体に沁み入ってくる。

 

 

「わわっ、あの、だいじょうぶですか?」

 

 

 いつの間にかそばまで来ていた彼らのうちの一人が、心配げに声をかけてきた。お揃いのジャージ姿にラケットを背負った男子生徒。そこそこ背が高く、体型もがっちりしている。その後ろにいる幾人かの男女も同じような格好で、部活動帰りか何かの学生に見えた。

 

「わ、金髪」「外国の人なのかな?」「何で転んでんの?」「……頭、血ィ出てない?」

 

 少年少女たちのさざめきを耳に捉えながら、なんとか自力で立ち上がった。男子生徒から差し出された手は取らなかった。プライドのためではなく、必要な危機管理として。

 やはり情けない……しかし、だんだんと調子が上がってきたのを感じる。ガワは冷えたままだが、血が全身に巡るごうごうという音が耳に響く。ようやく暖まってきたといったところか。

 

 

「──ん。大丈夫さ。ありがとう」

 

 

 そう言って女は、その場でできうる限りの最高の笑顔を作り上げた。この場を穏便に切り抜けたい、その思いひとつで繰り出した切り札は、手を差し伸べていてくれた男子生徒には抜群に効いたようだった。

 彼が顔を僅かに赤くしながら退いたのを確認して、女は再び歩き始めた。未だによろめいて、おぼつかない歩き方だったが、先ほどに比べれば幾分ましだった。ゆっくりと着実に歩みを進め、そしてたむろする彼らを通り過ぎる。そのまま素早く離れようとしたところで、その肩に手がかけられるのを感じた。

 

 

「歩いちゃダメです、ケガしてるんでしょう? いま救急車呼びますから。じっとしておいてください」

 

 

 その手をはね除けたいのをこらえて、ゆっくりと振り返る。手の主は集団のうちの一人、真っ直ぐな目をした女子生徒で、心配げな光を湛えてこちらを見つめていた。

 女の注目は女子生徒のもう一方の手へ移る。手袋を外し、スマホを握りしめたその手は寒さに白くなっていた。画面はキーパッドを映し出している。どうやらすぐにでも緊急通報をしたいらしい。

 

 それは困る。彼女はそう直感的に思った。

 確かに彼女は全身隅々にまで怪我を負っていて、救急車に乗る十分な資格があるように見えるだろう。しかし今搬送されるわけにはいかない。たとえ、ついさっき鉄パイプで打たれた衝撃が抜けない身体であったとしてもだ。

 搬送されるということは約束の場所から遠ざかるということで、つまり救急車を呼ぶということは妨害に等しい。

 

 まどろっこしいことだとつくづく思う。遠回りで、非効率的で、おまけに不確実だ。能力者自身の直接的な妨害はいっさいなしに、日常生活が組み合わさった結果のように責め立てられている。ボクを妨げようとする(あるいは結果的に妨げた)者は今日だけで十数人存在したが、彼ら自身の意思には共通項が存在しなかった。共通しているのは結果だけだ。彼らは本来の日常的な(ロール)に徹しながら、しかし結果としてボクを妨害することになっていた。

 

 

「ほら、座ってください。立ってるの辛そうですよ」

 

「……いや、いいんだ。座る必要はない。もちろん救急車も」

 

 

 無理矢理にでも座らせようとしてくる女子生徒の手を今度こそ払って、彼女は明らかな拒絶をそこに示した。女子生徒からすれば善意100%の行動、胸が痛まないわけでもなかったが、今更胸が痛い程度で立ち止まる訳もなく。その勧めに従う気は毛頭なかった。

 

 彼女は女子生徒を一瞥して様子を窺ったが、どう見ても納得していない様子であった。親指はキーパッドの上でさまよい、払われた手も所在なさげに宙に浮いていた。どうも彼女は、女が搬送されるべきだと固く信じているようだった。

 

 

「心配する必要はないよ……ちょっと千鳥足なだけ。そんな大事にされると困るし、この血だって……ええと、()()()()()()()

 

 

 どうにか頭を働かせて、拒否する言葉を紡ぎ続ける。目の前の少年少女たちといえば、訝しげに眉をひそめた。そしてゆっくりとその意味を咀嚼した後に目を見開いていた。

 

 女の名誉のため言っておけば、彼女の身体にはいくつもの傷が刻まれていて、まだそのダメージから回復し切れていないのだ。疲労も蓄積し、思考の大部分は学生たちではなく、どうすれば約束を守れるか、または約束を破った場合にどう挽回できるかということに割かれていた。優秀なエージェントである彼女はそのせいで、自分がとんちんかんなことを言っているのには気づかなかった。

 気づかなかったというよりは、事実こびりついた血の一部はチンピラどもの返り血で、彼女は当然のようにそのことを説明しているのだが、ともかくそれは今話すべきではなかった。

 

 好ましい間を超えて長く横たわる沈黙に、この怪しげな金髪女の言っていることは冗談ではないと悟ったのか。少年少女たちは顔を青くして後ずさっていた。差し出されたまま所在なさげだった手は怯えるように引っ込められる。キーパッドに近づく親指はもはや彼女を助けるためではなく、彼女から助けられるために動いていた。

 

 

「ああ……待って、そういうことじゃない。違うから、落ち着いて───ストップ!」

 

 

 黒いパンツスーツに革手袋をしているというのも、事態を悪い方向に向かわせたのかも知れない。実際、彼女は映画から飛び出してきた美麗な女マフィアのように見えないこともなかった。

 

 なにはともあれ、彼女が異変に気づいたときには既に学生たちは駆けだしていた。咄嗟に絞り出した制止の声も届かず、雑多な叫び声を上げながら走り去ってゆく。あれだけ心配げに声をかけてくれた女子生徒も、今はスマホに向けて助けを求めているようであった。

 

 しまった。あの様子だと、救急車どころか警察を呼ばれたに違いない。もう少しすれば、この辺りには不審者情報が駆け巡るはずだ。“対象は身長170cm前後の女で、黒いロングコートにスーツ姿。髪は金髪を腰まで伸ばし血に塗れていて、通学路付近で不審な動きをしていた”。これだけあれば、彼らの親御さんを不安がらせるには十分だろう。

 これがボクのミスから生まれたのか、それとも『能力』によって作り出された状況なのか。彼女はしばし思案する。あと五分も経てばサイレンを鳴らしたパトカーがやってきて、金髪の女がその辺をうろちょろしていないか探し始めるだろう。捕まってしまえば大いに足止めを食らうのは明らかで、やはりこれは妨害の一環なのだ。つまり、結果的にだけれど。

 

 

 ──そう、結果だ。ここに至るまでの結果が、ある一つの意志の影となって顕れている。

 自分を目的地から遠ざけようとする意志、『能力』によって嘯かれる意志。やはりそれは、今日一日で散々感じたものと一致していた。

 

 男児を窓へとよじ登らせ、落としたもの。

 見知らぬ男をボクの車の盗みへと走らせたもの。

 前方不注意のまま、トラック運転手にアクセルを踏み込ませたもの。

 この寒さの中、雪庇をボクの頭上に落としたもの。

 建設中のビルの足場を、ちょうど通りがかるときに崩したもの。

 そして、チンピラどもに鉄パイプを握らせ、あまつさえボクを襲わせたもの。

 

 その他結果的にボクを妨害した人たちのように、そんな異様な気配、歪に一貫した目的意識をあの少年少女たちからも感じた。過去2時間、ボクの周囲を騒がしく取り囲み、そしてまどろっこしく打ちのめしてきた悪趣味な意志を。

 

 『お前を到達させはしない。お前は絶対に辿り着けない』

 

 おそらくそれこそが『能力』の発露。まさに少年少女の体を操り、あるいは運命のようなものこそを操って、ボクを学校から遠ざけようとしているもの。その片鱗に違いない。

 

 

 

 そこまで考えたところで彼女は、ほう、と息を吐く。詮の無いことだ。仮にそうだとして、ボクができることは対処だけなのだ。

 今はただここから離れなければならない。幸い身体はたいぶ癒えてきて、歩く分には何の問題もない。こそこそしながらとはいえ、まず学校までは保つだろう。

 女は今度こそ歩き出した。その姿は先ほどとは異なりしっかりしたもので、もはや支えなど彼女には必要がなかった。自販機の光から遠ざかりながら、その身体は闇夜の雪へと融けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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