非日常
「……ああ、この状況はちょうどいいかな」
ぽつり。独り言のようにか細く呟くと、彼は此方を振り向いて寂しそうに笑った。
✿
「ちょうどいいって…どうしたのぉ、麻堂くん」
「…………幸運?」
僕を親友だと言うおかしな女の子、僕を好きだと言うおかしな男の子と出会ったせいで、今までの僕のゴミみたいな人生は少しだけ贅沢なものになったような気がする。
ずっと、ずっと、諦めていたけれど。
…こんなにもなって、未だ大切なものが出来るだなんてきっと神様も予想してなかったでしょ?
『ね。流星…裁判前に渡したもの、まだ持ってる?』
「……ああ、持ってる。…けど、君、今何をしようとしてるんだ」
流星がポケットからソレを覗かせたのを見て、捨ててはなかったんだって少しだけ安心した。
捨てる時間が無かっただけかもしれないけれど。
分かるでしょ、あのときも言ったんだからって笑って、ポケットに手を入れると静野ちゃんが少しだけ真剣な顔をして止めてきた。
「…たまたま聞こえてたけど、もししようとしているなら辞めた方がいいよ。少なくとも、彼は望んでいないだろうから」
「未依葉くんは…何か、知ってるのね。…貴方が聞いたことってきっと、嫌なことなんだわ」
超高校級のマジシャンなんて名乗っておいて、一番消してほしい僕の才能は消してくれなかったのに。…こういうときだけ、触れようとするのはずるくない?
『ねぇ…思ったことなんだけど、才能が不幸ってなんだろうねぇ…。僕が一体全体何をしたって言うんだい?』
半ば自虐的に笑うと、暁美ちゃんが苦しそうに僕のことを見ていることに気が付いた。
やだなぁ、同情なのかなぁ…同じじゃないのに寄り添おうとするの、本当に嫌だなぁ
「きっと何もしてない!幸運くんは…何もしてないよ。だから、そんなに辛そうな顔は…」
『そう。そうだよ、暁美ちゃん。何もしてない、なのに生まれたときから定められた才能。酷いよねぇ…本当に』
一度溢れた言葉は止まらない。
涙でも出ればもっと感傷的になれたんだろうけど、生憎僕の涙はいつの頃からか流れなくなった。
ボロボロと剥がれていく。
今までなんとか形を保っていた、僕の心も、僕の本音も。肝試しになんて参加しなければよかった…そのせいで、予定が早まったんだ。
…決意したのは僕自身の意思だけどさ。
『…そんなの……』
「……そんなの…なんですか?…私を目の前にして、貴方の思い通りにはさせたくありませんよ」
楪ちゃんが何かを言って構えてる。
どうでもいいよ、そんな正義感なんて…。
結局、僕達は他人なんだから。…僕が何をしたって、それがアンタの何かに影響するわけでもないだろうに。
『…そんなの…世界が、神様が、僕に死ねって言ってるようなものじゃないか………』
シン、と静まり返ってしまった。
誰かひとりくらい、なんか言ってくれればいいのに。
思い返せば、僕の人生は波乱万丈だった。
産まれる前から呼吸が止まってしまった僕は帝王切開で生まれてきた。
なんとか息を吹き返して今を生きてはいるけれど、それが幸運だったとはとてもじゃないけど思えない。
僕の名前が「幸運」なのは、そんな奇跡みたいな産まれ方をしたからかもね。母親からすれば、ラッキーだったんだから。
そんな母親も、母親どころか父親も、小学校低学年の頃に死んじゃったけれど。
連れていかれた孤児院でも幸せなんて掴めなかった。
内蔵の一部を売買されたせいであっという間に身体中が傷跡縫い跡でいっぱい。
頭に鉄骨が落ちて丸2年植物状態だったこともあった。
僕の髪はみるみるうちに白くなったけれど、誤魔化すように染めてみたりもした。
不運だらけで不幸だらけで、なんのために生きているのかもなんのために生かされているのかも分からない。
ううん。わかる方がおかしいよね。残念なことに僕は僕の人生に希望を見い出せるほど頭は悪くないから。
だからこそ宍戸奉憧が憎かった。大嫌いだった。
超高校級の幸運だなんて平和な才能を貰って幸せに生きてきたんだろう、何の苦しみも知らずに生きてきたんだろう。
アンタの幸運の犠牲になるのはいつだって僕みたいな不運な人間だっていうのに気付かずに今までのうのうと暮らしていたんだろう!
…そんな男も、偶然の事故で呆気なく死んだけど。
不運な僕よりも不運だったあの瞬間確かに僕は気分が高揚した。心地よかった、夢のようで。
「ぁ、ぁど…麻堂くん…?」
「麻堂くん、死なない…よね、死のうとしてないよね…?」
ああいけない。自分からはじめたんだから、責任を持たなくちゃ。…なんて、思ってもないことを思うのはこれで何度目なんだろうね?
小鳥遊ちゃんと歌方ちゃんの不安そうな顔が本当に面白くて、ついうっかり、笑ってしまった。
もう少しだけ、話してあげてもいいかなぁ…。
『僕の髪の毛、本当は綺麗なストレートだったんだよ。本当に自慢だったんだ…黒髪でさ』
『痩せ細って傷だらけで荒れていて、こんなにも惨めな僕の体。…どうして、こうなっちゃうんだろうねぇ』
だから、だから、だから。
『あははっ』
「っ!…ちょっと、貴方それわたしが貸した…!」
『あんな嘘信じちゃうなんて、Ladyちゃんは随分平和な世界だけを見て生きてきたのかなぁ』
適当なことを言ったらあの子が簡単に貸してくれた綺麗なナイフを首にぴたりと当てる。
どうしよう。どうしよう。今、ここで、終わらせられるんだ!他の何者でもない僕自身の手で!
最後に。一目だけ、先生…いや、流星。流星を、見た。
流星は真っ青になって胸元を抑えているみたい。
僕がそうさせてしまっているんだ、やっぱり僕は、何をしても良い子にはなれないんだね…。
でもアンタのためでもあるんだ。
僕はアンタに幸せに生きていてほしいから。
僕なんかの不運のせいで幸せになれないのは、もう見ていたくないんだ。
『…あの日も言ったけどね、流星。アンタを僕の不運に付き合わせるのは見るに堪えない。…とても。とても、だよ』
勢いよく首に当てていたナイフを引いた。
確実に、絶対に頸動脈が切れるほど、すごく力を入れて。
血管がぶちぶちと切れて血が飛び出ていった。
『あぁ……僕は…なんて…幸福なんだ…』
僕は非力だから、上手く首を掻っ切れなくて。
ブチュブチュ、ブチ、グチュ
なんて耳にするには生々しい音が響いて何も聞こえない。
不思議と痛みは来ない。
ただじんわりと、熱が伝わるだけ。
まるで、羊水に包まれた赤ん坊に戻ったようで。
ゆらゆら揺られて、揺れて、そのまま、堕ちていくのが分かる。堕ろされているのを感じる。
ああ、それと。
僕は見ていたよ
あの子が見ていた アンタのこと
『ア゙……ッ、はは……っ』
そうして僕の世界は暗転。幕を閉じて、舞台が終わった。
これはそう。
世界一神様に愛されなかった、可哀想な少年のおはなし。
✿
呆然とするしか、なかった。
大きく痙攣を起こしていたのも、やがては尽き、呼吸音さえ滞る。
薄皮一枚何とか繋がっているだけのその首は、倒れた際の衝撃によって首のすわっていない赤子のように小さくぷらぷらと揺れていた。
さらさらと流れていく麻堂くんの血液は麻堂くんをも染め上げていき、床を伝って俺の足先まで辿り着いた。
「……アンタなんでしょ、か。…麻堂さんは、何を知ってたのかな」
「…………。……おい、理学療法士。この不運に何か貰ったんだろ」
麻堂くんから1ミリも目をずらさずに考え込む琉霞くんの傍らで、蒼太郎くんが流星くんに話しかける。
は、と我に返ったんだろう。
動揺しながらも、流星くんはポケットに手を入れ、彼に貰ったという1枚の紙切れを取り出した。
「…「ありがとう」、か。…そういうことほど、声にして伝えなくちゃいけないんじゃないの。…死人に口なし、だけど。せめて、麻堂が悔いなく逝けたのなら……」
たった一言だけ。
小さく、ありがとうと書かれたその紙には、よく見なくても分かるほど何度も書き直した跡があった。
4.5章【犯された原罪】