鳥の囀りと共に、俺は水無月になってから8日目の朝を迎えた。家に着いた日引っ越しの荷物やなんやらの整理が色々あったが、長くなりそうだったから、とりあえずその日は疲れ果てていたから寝た。それからというもの、3日で荷物の整理は終わった。そしてその日がちょうど入学式だったらしいが、俺は出席しなかった。無論心の回復が間に合わなかったからである。俺が部屋にこもっていても、杏花さんは俺にいつでも声をかけてくれて、一緒に食卓を囲んでくれた。そのおかげで俺の心はみるみる回復していった。結果、一週間もしないうちに全回復とは言わないが、保つことができる程度の心を取り戻した。
「おはようございます。杏花さん」
「おお、おはよう、陸人くん。今日は早いね。」
「はい。そろそろ学校行こうかなって思いまして。」
「そうか、知ってる人もいないだろうから、自由にできると思うけど。」
台所で弁当を作りながら、俺と会話してくれる杏花さん。前の家ではこんな何気ない会話さえ、貴重な会話だった。なんなら挨拶さえも………だめだ!考えるな!悲観的になるな!そう自分に唱えながら、俺は朝食が用意されたテーブルに備え付けの椅子に座り、食事を取る。
「食べてていいよ。そしたら着替えておいで。」
「わかりました。いただきます。」
今日は目玉焼きに、食パンを軽く焼いて、バターを塗ったものが用意されていた。スマホでニュースをみながら、食パンにかぶりつくと、サクッと言う音と共にパンがみみが少し剥がれボロボロと皿の上に落ちる。こんな平和な日常、なんの変哲もない一般的な日々、俺はこう言うのを求めていたのかもしれない。
「ごちそうさまでした。」
「相変わらずゆっくり食べるね。そこ置いといてくれ。」
「分かりました。」
そう言って二階の自室に戻り、ドアを開ける。その部屋には日の光が差し込んでいて、それがハンガーにかかったブレザーのボタンに反射する。今まで部屋にあったもののここまでマジマジとみたことがなかった。俺はそのハンガーを持ち上げ、ワイシャツを着てネクタイを締める。中学時代にネクタイなんてしたことがないから、当然初体験でうまくいかず、結局杏花さんやってもらった。杏花さんってやっぱり手先器用なんだな〜。そんなことを思いながら、制服全てに袖を通す。全身が見える鏡を見て身支度を整える。
「よし、こんなもんか。」
バッチリ決まったことを確認して、俺は黒い登山用のリュックを持って階段を降りる。下に降りると、澄美麗ちゃんが起きてきていた。
「あ、お兄ちゃん!おはよう〜」
「おはよう。澄美麗ちゃん」
「ほら澄美麗、お兄ちゃんにこれ持ってったげて。」
「あい!お兄ちゃん、これおべんとー?」
そう言って彼女は椅子を降り、俺の方へてとてとと歩いてきて、ふろしきに包まれた弁当を持ってきた。
「ありがとう。澄美麗ちゃん。」
俺は澄美麗ちゃんの目線までしゃがみそれを受け取ると頭を撫でた。彼女は嬉しそうにリビングに走り去っていった。そして玄関には俺と杏花さんだけが残された。
「それにしてもよく分かりましたね。今日行くって。」
「なに、勘さ………と言いたいとこだが、この一週間ずっと弁当を作っていたまでのことさ。」
「え、そうだったんですか?」
「君とあの子が寝てから、一人作業をしながら、パクパク食べてたんだぞ。」
「それは申し訳ないことを…」
「これで太ったら君のせいだからな。」
一週間のそんな生活をさせていたなんて、しかも親同然の人に、しかも女性に。流石に申し訳なくなって、俺は苦笑いしか出なかった。
「その時は運動付き合います。」
「ああ、助かるよ。じゃあな。気をつけていくんだぞ。」
「はい。いってきます」
「いってらっしゃい」
そして俺は玄関から一歩を踏み出した。その一歩は新たな生活の一歩でもあり、前の生活の克服への第一歩でもあった。そしてそんな生活に胸を高鳴らせる自分がいた。
だがしかし、現実なんてそう甘くはない。
入学式にも参加せず、この四日間に席の周りは既にグループみたいなのができていて、完全に孤立していた。高校は知り合い少なくなるとは聞いてたけど、こんな孤立するのか?なんて思ったが、まず地元じゃないから当たり前かと思って素に戻る。
(ああ〜どうしたらいいんだよ〜知り合いいないし、後なにこの身長差、みんなバカ高いじゃん!!軽く10センチ差はあるし、恨んでないって言ったけど、前言撤回!身長に関しては少し恨むわ〜)
俺は163しかない。この時点で泣きそう。顔もハイスペック揃いでそれぞれスポーツ推薦などできている人が多いから、運動などに関しても何か突発的に出来る者が多い。スポーツ推薦って聞くと、嫌なことが毎回頭をよぎる。
「……月」
(だめだ考えるな。あの人杏花さんに誓ったじゃないか。)
「おーい、水…月」
(学校初日から裏切るわけにはいかない!耐えるんだ。)
「スゥー………あれなんでみんなこっち見てんの?」
歯に振動させて息を吐き、顔を上げると、みんなが俺の方を見ていた。先生も。360度様々の方向から俺の方に視線が集まっていた。
「先生、僕なんかしました?」
「やっぱりか…黒板みろ。」
「なんですか、もし、先生の話を聞いてなかったら…秘密ごと一つ暴露?!」
自己紹介の指示が黒板に書いてあって、一番下に処刑みたいなことが書かれていた。
「まあ、そう言うことだ、これで自己紹介、頼むわ。水無月くん」
飛んだ公開処刑だ。ひみつごと…秘密ごと………まあ、未だ誰とも話してないから、いっぱいあるにはあるが…
「はい。えー水無月陸人です。中学校は、まあ〜石川県の中学校で、中学時代の部活は吹奏楽で、打楽器やってました。好きなものは…そうですねーご想像にお任せします。」
「それずるい!!」
そんなことを言う人もいれば、少し笑ってくれる人もいた。どうやらいい感じの掴みらしい。この調子で行けば!
「異性のタイプね〜静かで癒してくれる人です。次が…あー」
次が問題の秘密ごとだった。色々ありすぎてなにを話せばいいか、わからなかったが、とりあえず言った。
「秘密ごとは……昔ストレスで円形脱毛症になっちゃったんですよね〜それでまだちょっと残ってるんですよね。そんなもですかね、よろしくお願いします。」
そんなことを俺は笑って言ったが、みんなの顔はどうも曇ってしまった。それからみんな無言で授業に戻っていった。しかもあの先生、担任で歴史の先生らしい。
(うん。どうやらミスったらしいな。)
それからお昼になったが、もちろんぼっちでその前もその後も誰一人として俺に話しかけてくる奴はいなかった。初日からミスって、、もうこれからの学校生活が思いやられる。泣きそうになりながら、敷地内の帰り道をとぼとぼ歩いていく。その時ベンチに倒れる人を目にした。
「だ、大丈夫ですか?」
「………すやー」
「ん?寝てるだけ?」
微動だにしない彼女は倒れていたわけでも、気分が悪いわけでもなく、ただ寝ていた。もう一度言おう。ただ寝ていたのだ。でも、今時敷地内でも、教師のセクハラなどがあると考えると、なにがあるかわからないと思った俺はとりあえず空いてるスペースに座ることにした。そしてベンチにだと寝づらかったのか、ちょくちょく寝返りを打つ彼女。
(なんであんなに動いてるのに、落ちないんだ…?)
内心すごいと思ったが、みてられなかったので、彼女の頭を自分の太ももの上に置いて、ブレザーを彼女に敷く。これが俗に言う膝枕である。その後少し恥ずかしくて赤くなった顔を隠すように、谷崎潤一郎の細雪を読む俺であった。