翌日、普段と同じように訓練をしていたベル達だったが、昼食のためとアイズがジャガ丸くんを買いに行ったことで、その屋台でバイトしていた彼の主神、ヘスティアにバレてしまった。
神様はこの訓練には反対らしく、オベロンさんにも何故止めなかったのかと掴みかかったけど、オベロンさんは僕に必要なことだからと、僕の意思を尊重していると言ってくれた。
二人共方向性は違えど、僕のことを思っての言葉だと知り恥ずかしいような、嬉しいような気分になったのは顔に出ていなかっただろうか。
その後、何故か神様まで着いてきて(曰く、自身の眷属が何をしているか神として確かめる義務があるとのこと)、昼を丸々通した訓練となった。流石に神様にみっともない姿は見せられないと気を引き締めた甲斐もあってか、かなり実になったと思う。
「あれ、もう夕暮れか。時間が経つのは早いものだね」
「わ、もうそんな時間なんですか…」
「かなり熱中してたみたいだからねぇ。それにしてもまさかベルくんがここまで強くなってるなんて。………悔しいけど、この訓練はしっかりベルくんのためになってるって事だ。ほんとに悔しいけどね」
悔しいけど、という部分を強調する彼女にオベロンは苦笑い、ベルやアイズは気づいた様子すらない。ここが鈍感と言われる所以だろう。
「それじゃあ、次の模擬戦で最後だね」
「はい、アイズさん!」
カチャリ。鞘付きのサーベルを油断なく構えるアイズさんは、とても訓練とは思えない覇気を醸し出しているが、これは本気ではない。比較して弱すぎる僕が彼女の闘気の大きさを勘違いしているだけなのだ。
蟻からすれば人間も巨大なモンスターも、等しく自らでは推し量れないほど強大な存在に映る。それと同じことなのだ。
ただし、訓練だと甘く見れば痛い目を見るのは僕だ。何より、手を抜くつもりはない。
「じゃあ、いくよ」
「はあぁァァァッッ――!」
今再び、黄昏の空の元剣閃が交され――
「オイオイ、着けて来てみりゃあこいつは何の冗談だ?」
――る事は無かった。
唐突に放たれた怒気の籠もった低い声。当然僕達四人の中の誰かではない。驚愕を顕にしながら振り返るとやはりと言うべきか、一月近く前にも見慣れた人物が立っていた。
灰色の髪を持つ冒険者。種族は狼人、肉体は至高。装備品はかつて見たものからすれば幾分かグレードダウンしている様に見えるがそれでも僕達の気が遠くなる価値を誇っている。
荒々しい覇気を纏う彼は入墨を歪ませながらこちらを強く睨みつけている。
「ベート…さん」
美しい金眼を大きく見開きながら、悪戯がバレた子供のようなバツの悪い声音で呟いた。
彼はベート・ローガ。【
ふと脳裏を掠める苦い記憶。豊饒の女主人での一幕は頭に血が登った末の発露。後悔はしていないがだからといって当人と顔を合わせるのはかなり気まずい。
そして、今のこの状況はそれに拍車をかけている。特に親交もない他ファミリアの、更に実力差が離れすぎている冒険者に訓練をつけてもらっている……これがどういった事かは僕でも容易に分かる。
見れば、アイズさんやレフィーヤさんの顔は青ざめている。オベロンさんは……ちょっと目を細めているけどどんな様相かは把握できない。
「アイズ、お前も分かってるよな?他派閥の雑魚なんかに時間を割きやがって。ファミリアに知れたら不味いことぐれぇ承知してる筈だろぉが」
「っ…!?それは…」
「知らなかった、なんて言い訳はなしだ。んな莫迦がここまで強くなれるはずもねえ」
彼の気迫に圧され、アイズさんはしどろもどろと意味のない言葉を反芻させている。
「まっ…待ってください!それは僕が…!」
「煩せぇ。テメェは黙ってろ!ウチの派閥の問題だ!」
と、聞く耳を持たない。
黙りこくる僕達に更に額の皺を深め、語気を荒げる。そして怒涛の展開に呆気に取られている神様を一睨み。
「そこのチビ神!」
「チッ…チビだって!?ちょっと、君初対面の神に向かって口が悪くないかい!?これでも
「そう主張する神にロクな奴いねぇだろぉが。テメェがこいつらの主神だってんなら話が早え。金輪際こいつらと関わるのをやめろ」
「……!」
分かってた事だ。全面的に彼が正しい。悪いのは厚かましくもアイズさんに甘えていた僕。本当なら断らなければいけない申し出を、成長の機会などと誘惑に負けるやわな精神力。……アイズさんは都市最上位のファミリアの幹部、僕と違ってその双肩に掛かる責任は僕なんかよりも遥かに重い。
「……っ」
「…待って、待ってください、ベートさん」
「あ?」
「この訓練には私も同意してます。……ううん、私は、この訓練が楽しいんです」
予想だにしない言葉に僕の呼吸が一瞬止まる。対する彼も意外そうに顔を顰める。ここまで感情が籠もった声音は初めてだ。
「だから…お願いします、ベートさん。遠征の前日までの2日でいいんです。あと少しだけ、許してください」
そう言って頭を下げるアイズさん。………何をやってるんだ僕は。僕が弱いから招いたことだろう。今日だって、リリが抜けたってだけで一日中突き合わせてしまったんだ。
「あのっ…、本当に厚かましいとは分かってます!でもっ、でもあと2日だけ待ってはくれないでしょうか!神様にも誓います!ファミリア間の諍いになるような事は聞かないし、絶対に詮索もしません!」
そう言って頭を下げる。隣から息を呑む音が聞こえたが、それはお互い様だ。神様も観念したように僕達に味方する。
「………バカか、お前。テメェんとこの神に誓ったってグルだったら意味がねえ。詮索以前に戦闘訓練からでも盗める情報はいくらてもある。そしてアイズ、遠征三日前、しなきゃなんねえ事があんのはハッキリ理解してんだろうが」
最後の一文にハッとアイズさんを見る。目を僅かながら伏せての沈黙。神様がいる手前だから、肯定も否定もしないのだろう。それが何より雄弁に物語っていた。
「ほらな。いい加減にしねえとロキに言いつけんぞ。んなどうでもいい雑魚に構ってるなんざ無駄なんだよ」
「君っ…!いい加減に………ん?」
ベートさんが投げかけた言葉に神様がカッと立ち上がったかと思うと、すぐにきょとんとした気の抜けた声を上げた。何かが引っかかったのだろうか。恐る恐るというような顔つきでベートさんと僕達を再度見つめた後、二の句を告げる。
「君、今の全部嘘だよね」
どういうこと?と首を傾げた神様に、僕は思わずえっ…という息を漏らした。かなり本気そうで理由も最もなものであったあの反応が嘘だなんて…。
肝心のベートさんはきまりが悪そうな顔だ。直後に神様の追求が入るかと思われた矢先、思わぬ救いの手が差し伸べられた。
「まあまあ、いいじゃないかヘスティア。わざわざ口に出すと反感を買うことだってある。
――ベート・ローガ。君が言いたいのはそれだけじゃないだろう?確かにこの時間が無駄ならば君はそれをやるつもりでいる。でも、順番が違うだろう?」
「オベロンさん…それって?」
「チッ、何だテメェ。神でもあるまいし」
「ステイタスの詮索は無しだと言った君が言うのかい?」
再度舌打ち。しかしベートさんから溢れ出るようにも感じられる気迫はより重厚に折り重なっていく。
「つまるところ、この時間に見合う価値を見せろと言っているのさ。ベルくんを試してるのさ。本当に強くなったのか、彼女の時間を使うに相応しいのか、ね」
「えっ…?」
それって、つまり――
「――あァそうだ兎野郎、テメェが奪った時間程度の成果は見せてくれるンだろうなァ!」
「…闘えって、ことですか」
「それ以外ねぇだろ。何だ?わざわざ第一級冒険者を呼び出しておいて遊び呆けてたとは言わねぇよな」
ギロッと有無を言わさぬ眼力を込めて睨みつけるベートさん。当たり前だ。本当に必要な休憩以外は全て死力を尽くした訓練だったんだ。アイズさんのためにも、それだけは許されない。
「…ベルくん、僕はこれを呑むべきだと思っているよ。君の全力をぶつけてやるんだ。いわば、卒業試験みたいなものだね。どちらにしても、やってしまったものは変えられない。遅かれ早かれの違いさ。君がこの困難を乗り越えられるのなら、この訓練に価値はあった。ただ討ち倒されるだけなら…キツい言い方をするけど、その程度の器だったってことさ。
……だが君は知っているだろう?君がどれほど頑張って、どれほど凄い人から鍛えられ、どれほど渇望しているのか。僕は君を信じているよ。彼の期待なんて気にならないくらい存分にやってしまえばいい!何も周りに気遣うことはない。彼との戦闘だけに気を使ってればいい。そうすれば、今の君なら大丈夫だ」
「よ、よーし、今ここでベルくんの頑張りを見届けないで何が親だ!ボクも応援するから絶対勝つんだぞー!」
「オベロンさん…神さま…。ありがとうございます」
ちらと、視線を横にずらせばアイズさんが不安げな様子でこちらを見つめている。それは後ろめたさ故か、僕の肉体へか。
口を出そうとする彼女を大丈夫だと目で制し、一歩歩み出る。
覚悟を決めた僕の顔に、狼人たる彼は獰猛な笑みを溢す。それと同時に肩に伸し掛かる重圧は強まっていく。
僕が二刀の短剣を構えると、対する彼は手をズボンのポケットの中に戻す。それを手加減ととるか、見くびっているととるか。少なくとも僕が指摘出来る領域に居るモノではない。
何てことない自然体。ベート・ローガは依然手を隠したまま、それを初めて崩した。よく視なければ認識できない程度の前傾姿勢。だが何かが変わったとハッキリ分かる。
「俺は雑魚を甚振って悦に浸るなんて趣味はねぇ。だからよ―――
―――死ぬんじゃねぇぞっっ!」
一陣の暴風が夕焼けに吹いた。
地面を強く踏みしめた凶狼が一瞬の間にも満たない加速を繰り出した。砂埃だけが舞い散り、影すらも寄せ付けない俊足の脚撃。凡そレベル1で捉えられる速度ではない。いや、むしろ今までこれほどの速度で動く物体を見たことがない。
正に最速、地を駆ける躍動。アイズさんとは別種の轟風に身体を晒されながら、僕の思考は不思議と澄んでいた。
今ここに、あるだけの僕を刻む。
疵の様に、時の様に、それは偏に最優を。
大きく息を吐く。思考が冴え渡り肉体を活性化させ、戦闘様に
既に撃鉄は下ろされた。目前に迫るは瞬撃。極限まで注視してようやく残像が見える斧は僕の首を刈り取ろうと空気を薙いでいる。
――未だ。――未だ。――未だ。――未だ。
肉薄して尚、動かない。動けない。
ベート・ローガの放つ一撃は風より速く。最早視界はそれ以外が映ることはない。
――ソレが見えた者は、終わりを覚悟した。見えざるものは、突然の強風に顔を伏せている。
誰もが各々の反応を返す中、一人だけなぞっていた。何を?と問われればしばし悩んだ末に一言零すだろう。「軌道を」と。
「っっっづぁっ!!」
「ッ!?」
「嘘…!?」
紙一重。神一重。
何をしたという訳ではない。ベルは折ったのだ。足を、膝を、腰を、首を。
全神経を集中して行われた回避行動。額の皮を削がれながらも同時に行われた動作によって健在。
遅れて蹴撃に追いついた風が髪を撫でる。
「テメェ……!」
ベートは震撼していた。いくら全力ではないとはいえこのオラリオの半数以上が避けられない一撃を避けたことにではない。それも十分に異端であるが、彼がその最中に聞いた異音。
金属が擦れる、オラリオに住む者ならば聞かない日はない日常音。問題はその発生源だ。
ベルの回避に、外したという異常事態に驚愕したその瞬間の音だ。
自らの着用しているメタルブーツは普段使用している武装からニつ以上もグレードが落ちる品だ。
それでもレベル1では到底手の届かない武具。その踵にはほんの僅かな傷がある。果たしてそれは傷と言っていいのだろうか。そう疑ってしまうほどに小さく細い線。ともすれば使用に伴って自然と出来た傷にも見える程に取るに足らないもの。
大半の者が気に求めない傷跡に、ベートは意識を向けたのだ。視界の先には崩れた体勢を辛うじて取り戻そうとする白兎の姿。
手に握る短刀は振り抜かれている。
(コイツ―――
―――
もう一度見れば、その赤い紅い瞳には隠しきれない闘志と興奮が現れている。
「…面白えッ…!」
重要なのは、ベルが今の一撃をやり過ごしたということだ。
この
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なんにちもなんにちも何もたべていない虫がいました。虫はずっと我慢していたのです。そんな虫の目の前に、美味しそうなお菓子が入ったバゲットがありました。虫はどれくらいたべたのでしょう?
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