鴻渡千歳は救われたい -僕のヒーローアカデミア ATONEMENT- 作:佐鳥五鹿
神奈川県横浜市神野区にある雑居ビルの一室に看板を掲げていないバーがある。バーカウンターがあって棚には酒瓶が並ぶ、コレと言って特色のない如何にもと言ったバーである。
カウンターの向こうに立つバーテンダーの顔や手が黒い靄のようなものに覆われているのも、超人社会となったこの日本では特筆するようなものではないだろう。
このバーが普通のバーとは違う点、それは一般の客に対しての営業をしていないことに尽きる。
「見たかコレ? 教師だってさ。なぁどうなると思う? 平和の象徴が……ヴィランに殺されたら」
カウンターチェアに腰掛けた男が目的の記事だけを読み終えた夕刊をカウンターの上に放る。
男の風貌は一言で言うならば異様。腕や首、そして顔を覆うように無数の手首が男を掴む。
奇抜なヒーロースーツのデザインは多数あるが、それらと比べても明らかに異彩を放ち男が正常な精神状態ではない事を示唆しているようだった。
男の名は死柄木弔。現時点では公式な犯罪歴はなく警察にもヴィランとして認識されていない。
だがそれはまだ行動を起こしていないということに過ぎず、明確な目標を定めてしまえば史上最悪と呼ばれるに至る程の悪意をその身に秘めていた。
「オールマイトを標的としますか。成功すれば華やかしいデビュー戦となりますが、難度は初心者向けではありませんね」
バーテンダーの男、黒霧はグラスを磨きながら死柄木の言葉に応えた。
黒霧は死柄木の部下でありお目付け役でもある。真の主人は死柄木が先生と呼ぶ存在であり、先生の指示により死柄木の下に付いている。
無謀と思える作戦には苦言を呈するのも彼の役割である。
「先生からは好きにやってみろって言われてるんでしょ? 別にいいじゃない、いざとなっても黒霧っちがいれば捕まったりはしないだろうし」
バーカウンターに座って頬杖をついた女性が黒霧とは反対に死柄木の意見を肯定する。
死柄木や黒霧と違ってその外見は街中を歩いていてもおかしくない普通のものだ。店内のメンバーからすると彼女だけ浮いているとも言える。
空になったグラスで氷をカララと鳴らし、同じものを、と黒霧に注文した。
「それで、何か案はあるの?」
女性は黒霧から新しいグラスを受け取り、舐めるようにして一口だけ含む。
「それを考えるのが黒霧とこころの仕事だろ…」
『(≧▽≦)丸投げ!』
その回答を予想していたのか、こころと呼ばれた女性――
実際に黒霧も界世もメインは頭脳労働であり、参謀役としてここにいる。今後も死柄木が目標や方針を定め、それを実現させる為のプラン作りを2人が担当する流れになるだろう。
「それでしたら狙いは通勤時ですね。雄英高校に攻め込むのはリスクしかありません」
現状の死柄木達の戦力は死柄木、黒霧、界世の3人に加えて先生から供与されている改造人間脳無が1体。
黒霧の"個性"『ワープゲート』はゲート内に物体が入った状態で閉じることでその物体を引きちぎることができる。自身の体内に血液等が溢れてしまうので黒霧は嫌うが、強力な攻撃手段である。
しかし、逆に言えばそれ以外に攻撃手段はない。相手の攻撃を逆手に取るカウンター狙いが黒霧の基本的な戦い方となる。多数相手には向かない。
死柄木の"個性"『崩壊』は五指が触れた対象を崩すことができるが、その力は然程強くはない。一瞬触れただけではその部分を崩すだけで致命傷とはなり難く、同じく多数相手には向かない。
そして界世の"個性"『精神同調』。色々と応用の効く"個性"だが攻撃能力は皆無に等しいとは本人談。
彼女には専用のミニ脳無が与えられているので自己防衛くらいは問題ないが、プロヒーロー相手の戦力にはカウントできない。
こんなメンバーでどうすればいいのかと嘆きたくなるところだが、そうならないのは脳無がいるからだ。
他のヒーローの邪魔が入らない状況ならばオールマイトを殺す手段は既にある。
「いや…ナンバーワンヒーロー様には生徒の前で死んでもらおう…。ついでに生徒も何人か犠牲になってもらえば上出来だ。その方が盛り上がるだろ…?」
しかしリーダーの鶴の一声により場所が雄英高校に限定されてしまった。どうしたものかと黒霧は思案する。
一方の界世は死柄木の言葉に何やら楽しそうに笑っていた。
「うんうん、そうだよね。人生は短いんだしテンション上がらないことに時間を割いてる暇なんてないよ」
『٩(ˊ ᗜˋ*)و レッツハッピーエンジョイ!』
「……」
「界世こころ…あなたも案を出してください」
黒霧は作戦を考えているように見えない界世に少々呆れる。
界世も先生の指示でこの場にいるのだが先生の配下というわけではない。先生と界世は利害一致による同盟関係にある。目的が果たされた時点で同盟は破棄される契約だ。
なればこそ、明確な目標がありながらもどこか真面目に取り組む様子のない界世の調子に黒霧は違和感を覚えていた。
「無理無理、今ある情報だけじゃいい案なんて出ないって。だ、か、ら、さ、行ってみようよ雄英高校」
翌朝、雄英高校の前には多くのマスコミが集まり生徒へのインタビューを行っていた。
死柄木、黒霧、界世の3人は少し離れた位置にあるビルの屋上からその様子を観察している。
「無駄にバカでかいな……」
敷地内の施設に移動するのにバスを用いていることからも分かる通り、雄英高校は小さい市程度の敷地面積を誇る。
校舎から離れた位置にある施設を用いる授業ならば時間の猶予は十分にあるか、と黒霧はこの間にも考え続けていた。
3人はしばらく観察を続け、登校時間が終わる頃にキャスターが雄英高校のゲートに近づいたことで門が閉ざされる様を目撃した。
「わーお、お金かけてるね。ま、こっちには黒霧っちがいるし関係ないんだけど」
閉ざされたゲートを前に、マスコミ達はこれからどうするかそれぞれ話し合っているようだ。このままでは次に動きがあるのは下校時間、それまで待っている程暇ではないのだろう。
嘘か真かはわからないが小汚い教師がオールマイトは非番と言っていたし、今日は撮れ高がなさそうだから撤退が正解という流れになっている。
そんなマスコミ達の思考を界世は『精神同調』で読み取り死柄木と黒霧に共有していた。
「んー、弔君はあのゲート壊せる?」
界世が出した案はゲートを破壊してマスコミを校内に侵入させ、混乱の隙に職員室に侵入してオールマイトのスケジュールを入手するというもの。
マスコミにまともな倫理観があって思い通りに動かない場合も考えられたが、いざとなれば『精神同調』で扇動すればいい。
雄英高校の施設情報を併せて手に入れることを黒霧が提案し、そして作戦は実行に移された。
死柄木はゲートを破壊して敷地外で待機し、黒霧と界世は狙い通りに情報を入手することに成功した。雄英側はこの侵入騒動の真相に気付くことはなく、それを知るのは後日、死柄木達が再度雄英を襲撃する時の事となるのだった。
「来週の水曜…ですね。1年A組の災害救助訓練を校舎から大分離れた位置でやるようです。オールマイト以外にイレイザーヘッドと13号の2人のヒーローがいるようですが」
帰ってきた神野のバーで3人は雄英高校から得た情報を精査する。内容を照らし合わせ、直近のカリキュラムから決行日は決定した。
13号は"個性"こそ強力なものの活動のメインは災害救助。戦闘は不得意なのでそれほど注意する必要はない。
一方のイレイザーヘッドは戦闘専門のヒーロー、戦力を割く必要がある。脳無をイレイザーヘッドに先に当てた方がいいかもしれない。
生徒の相手は適当なヴィランを使う。こういう時の為に招集できるヴィランのストックは作ってある。数合わせの使い捨て戦力だが、生徒相手ならそれで十分だということになった。
「♪ふんふふーん」
細かい内容を詰めながら、界世は上機嫌にタブレットを眺めていた。画面には1年A組の生徒の個人情報が動画で映されている。
それは職員室の鍵付きキャビネット内に収められていたファイルの1つ。黒霧に頼んで取り出してもらい、動画を撮りながらページを捲って全ページを記録した。ファイルはちゃんと戻したのでこれも雄英側が気付くことはないだろう。
「楽しそうですね、界世こころ」
「うん、たのしーよ。黒霧っちと弔君も後で見ときなよ。必要になるかもしれないし」
一時停止を繰り返しながら生徒の情報を眺めていた界世だったが、ある生徒のページで動画を止めた。
鴻渡千歳、その名前の書かれたページが他の生徒に比べて明らかに情報が少ない。”個性”情報すら書かれていない。
「いらないだろ…生徒なんか、どうでもいい…」
『( ≖ᴗ≖)可愛い子もいるよ?』
界世がニヤニヤしながら画面に映った顔写真を示すと死柄木は顔を背ける。
「……どうでも、いい」
「私が見て必要だと判断した情報を死柄木弔に伝えます」
黒霧が割って入ると「つまんないのー」と界世は口を尖らすがポーズだけだ。
雄英襲撃の段取りは整った。後は当日までに細部を詰めて、あらゆるイレギュラーケースを想定する。
全てはオールマイトを殺害し、新しき混沌の象徴となる死柄木弔の存在を世間に知らしめる為に。
「それとこころ…お前、一々思念を飛ばすのをやめろ…」
『(´・ω・`)そんなー』